440 / 651
第二十五章
学問的パス
しおりを挟む
『ごめん、待っテー!』
タッキさんと俺がコンコースに姿を現した時には、両チームの選手と審判団が完全にスタンバイしている状態だった。
「あーどもうどうもすみません」
今回は事情が事情とは言え何度も待たせて申し訳ない。俺は昭和のサラリーマンが人混みを掻き分ける時のように、痛む右手で手刀を立てて謝罪の意味も込めて――もちろん、通じる筈もないが誠意は伝わるかもしれない――頭を下げながらベンチへ向かう。ちなみにタッキさんの方は、実際に手刀で岩くらいなら割れるらしい。
「ピー!」
お小言を言う時間も勿体ない、とでも言わんばかりにドラゴンの審判さんが笛を吹いて後半が開始された。
「タッキに何か追加のアドバイスでもしたでありますか?」
ベンチについて腰掛けた俺にナリンさんが問う。
「ええ。まあ例によって格闘技の話を」
俺がこちらの世界の住人と共通の話題で盛り上がれる事は少ない。サッカードウの他は食事とか天気とかそんなモノばかりだ。その中で武術や筋トレについてはタッキさんとならそこそこ踏み込んだ会話ができるので、実は普段から割と彼女と話す機会が多かった。
「そうでありますか」
後半開始間際に? という疑問を滲ませつつもナリンさんは頷き、前を向いてボソっと呟いた。
『うらやましいから、帰国したら私も武術を習います……』
「え? 何ですか?」
「何でもないであります! あ、リーシャにボールが渡るであります!」
たぶんエルフ語で何か言ったナリンさんは、さっと立ち上がりボールの行く先を指さした。
「お、そうですね。走れてはいるけど……大丈夫か……」
美貌のコーチが漏らした一言は気になるが、体調不良の選手が漏らすかどうかの方が心配度は高い。
「はたいて、動き直して……そう!」
正直、ただ走るよりも止まるとか方向転換するとか、相手DFを身体でブロックしながらボールをキープするとかの方が不安だ。お腹やオムツ的な意味では、ね。
なので俺はなるべく動き続けるようリーシャさんに言ったのだが、見る限り珍しく彼女はそれを忠実に守ってくれていた。
「良い動きであります!」
同じくそれを見守るナリンも興奮して囁く。よし、これならあっちの心配はしばらくしなくても良いみたいだ。
「ええ。あとは他の選手がそれに続けるかですね」
健康の問題がクリアになれば、次の問題だ。どうやって点を取り同点へ、そして逆転まで行くか? 俺は作戦ボードとピッチへ交互に目をやりながら戦況を観察していた。
後半、今日はMFであったシャマーさんが下がりリーシャさんはFWへ入った為、システムは1352になっている。中盤の数が減り、プレイヤーとしての個性もボールを持てるテクニシャンから俊敏なアタッカーへ変わった訳だが、リードしているゴルルグチームがボール保持を諦め自陣へ引き気味となっているのでアローズがボールを持てる展開であるのには変わりはなかった。
その中心となっているのは今やアガサさんとマイラさんだ。哲学者と魔導士はピッチの中心――センターサークルを一回りほど大きくした程度のエリア――から殆ど動かず変わりにボールを走らせ、ゲームを支配していた。両者はインサイドで短く丁寧なパスを互いに送り、やる気なさそうな態度で同じ場所へ返す。まるでリプレイのように。
しかし一般人には一見、理解不可能なそのパスの繰り返しは哲学的な概念でも魔法的な発現でもなかった。両者は単調な代わり映えのしないパスを繰り返しながら、待っていたのだ。
一つにはゴルルグ族DFが集中力を切らすのを。そしてもう一つには前半大人しかった右SBが密かに上がり対面の左CBの背中を取り、斜めへ走り出すタイミングを。
「ティアさん、ゴーだ!」
前半はルーナさんのいる左サイドがベンチ前にあったが、後半はエンドが変わり右サイドがベンチ前に来ていた。つまりティアさんだ。彼女はルーナさんと違い日本語を理解しないが、耳も頭も良いので名前を叫ばれれば俺の意図は伝わる。
『分かってるってよ!』
ティアさんは小さく何か呟き、猛然と斜めに走りだした。余談だがSBは前述の通りサイドの端におり、少なくとも前半か後半はベンチの前をウロチョロするので、やたらと監督やコーチから声をかけられ易い。受難のポジションと言える。
「CBとSBの間……!」
ナリンさんがそう囁いた通りの地点へ、ティアさんが斜めに差し込むように走り込む。そしてそこへ、寸分違わない精度でパスが飛んでいった。
「「シャアアー!」」
ゴルルグ族の観衆から驚きの悲鳴が漏れる。まさかそんなパスが!? といった所であろうか。確かに彼ら彼女らには信じられない現象だったであろう。
何故ならずっとアガサさんとマイラさんは同じ姿勢同じパスを繰り返していたからだ。しかしティアさんへパスを送る直前、マイラさんはインサイドからややインステップ寄りの部分にボールを当てて少し早いリターンパスを返し、アガサさんはそれまでと同じフォーム同じ姿勢で足の当たる角度だけ変え、一度もその方向を見ないままダイレクトでティアさんの前方へロングパスを送ったのだ。
「すっげ!」
俺も思わず歓声を上げる。これこそが、俺がエルフ代表チームに可能性を感じた理由の一つだ。人間離れした視力と空間把握能力と、人間とほぼ同じ足の構造を持つエルフにしかできないプレイ。これがあるから俺が知っている地球のサッカー戦術が生きるし、それ以上のプレイを産み出せるかもしれないのだ。
『うっしゃ!』
ロングパスを受け取ったティアさんが右足で良いトラップをし、自家自賛でもするような声を上げた。タッキさんを見ていたCBは背後を取られSBは追いついていない。
彼女とゴールの間には、もうGKしかいなかった。
タッキさんと俺がコンコースに姿を現した時には、両チームの選手と審判団が完全にスタンバイしている状態だった。
「あーどもうどうもすみません」
今回は事情が事情とは言え何度も待たせて申し訳ない。俺は昭和のサラリーマンが人混みを掻き分ける時のように、痛む右手で手刀を立てて謝罪の意味も込めて――もちろん、通じる筈もないが誠意は伝わるかもしれない――頭を下げながらベンチへ向かう。ちなみにタッキさんの方は、実際に手刀で岩くらいなら割れるらしい。
「ピー!」
お小言を言う時間も勿体ない、とでも言わんばかりにドラゴンの審判さんが笛を吹いて後半が開始された。
「タッキに何か追加のアドバイスでもしたでありますか?」
ベンチについて腰掛けた俺にナリンさんが問う。
「ええ。まあ例によって格闘技の話を」
俺がこちらの世界の住人と共通の話題で盛り上がれる事は少ない。サッカードウの他は食事とか天気とかそんなモノばかりだ。その中で武術や筋トレについてはタッキさんとならそこそこ踏み込んだ会話ができるので、実は普段から割と彼女と話す機会が多かった。
「そうでありますか」
後半開始間際に? という疑問を滲ませつつもナリンさんは頷き、前を向いてボソっと呟いた。
『うらやましいから、帰国したら私も武術を習います……』
「え? 何ですか?」
「何でもないであります! あ、リーシャにボールが渡るであります!」
たぶんエルフ語で何か言ったナリンさんは、さっと立ち上がりボールの行く先を指さした。
「お、そうですね。走れてはいるけど……大丈夫か……」
美貌のコーチが漏らした一言は気になるが、体調不良の選手が漏らすかどうかの方が心配度は高い。
「はたいて、動き直して……そう!」
正直、ただ走るよりも止まるとか方向転換するとか、相手DFを身体でブロックしながらボールをキープするとかの方が不安だ。お腹やオムツ的な意味では、ね。
なので俺はなるべく動き続けるようリーシャさんに言ったのだが、見る限り珍しく彼女はそれを忠実に守ってくれていた。
「良い動きであります!」
同じくそれを見守るナリンも興奮して囁く。よし、これならあっちの心配はしばらくしなくても良いみたいだ。
「ええ。あとは他の選手がそれに続けるかですね」
健康の問題がクリアになれば、次の問題だ。どうやって点を取り同点へ、そして逆転まで行くか? 俺は作戦ボードとピッチへ交互に目をやりながら戦況を観察していた。
後半、今日はMFであったシャマーさんが下がりリーシャさんはFWへ入った為、システムは1352になっている。中盤の数が減り、プレイヤーとしての個性もボールを持てるテクニシャンから俊敏なアタッカーへ変わった訳だが、リードしているゴルルグチームがボール保持を諦め自陣へ引き気味となっているのでアローズがボールを持てる展開であるのには変わりはなかった。
その中心となっているのは今やアガサさんとマイラさんだ。哲学者と魔導士はピッチの中心――センターサークルを一回りほど大きくした程度のエリア――から殆ど動かず変わりにボールを走らせ、ゲームを支配していた。両者はインサイドで短く丁寧なパスを互いに送り、やる気なさそうな態度で同じ場所へ返す。まるでリプレイのように。
しかし一般人には一見、理解不可能なそのパスの繰り返しは哲学的な概念でも魔法的な発現でもなかった。両者は単調な代わり映えのしないパスを繰り返しながら、待っていたのだ。
一つにはゴルルグ族DFが集中力を切らすのを。そしてもう一つには前半大人しかった右SBが密かに上がり対面の左CBの背中を取り、斜めへ走り出すタイミングを。
「ティアさん、ゴーだ!」
前半はルーナさんのいる左サイドがベンチ前にあったが、後半はエンドが変わり右サイドがベンチ前に来ていた。つまりティアさんだ。彼女はルーナさんと違い日本語を理解しないが、耳も頭も良いので名前を叫ばれれば俺の意図は伝わる。
『分かってるってよ!』
ティアさんは小さく何か呟き、猛然と斜めに走りだした。余談だがSBは前述の通りサイドの端におり、少なくとも前半か後半はベンチの前をウロチョロするので、やたらと監督やコーチから声をかけられ易い。受難のポジションと言える。
「CBとSBの間……!」
ナリンさんがそう囁いた通りの地点へ、ティアさんが斜めに差し込むように走り込む。そしてそこへ、寸分違わない精度でパスが飛んでいった。
「「シャアアー!」」
ゴルルグ族の観衆から驚きの悲鳴が漏れる。まさかそんなパスが!? といった所であろうか。確かに彼ら彼女らには信じられない現象だったであろう。
何故ならずっとアガサさんとマイラさんは同じ姿勢同じパスを繰り返していたからだ。しかしティアさんへパスを送る直前、マイラさんはインサイドからややインステップ寄りの部分にボールを当てて少し早いリターンパスを返し、アガサさんはそれまでと同じフォーム同じ姿勢で足の当たる角度だけ変え、一度もその方向を見ないままダイレクトでティアさんの前方へロングパスを送ったのだ。
「すっげ!」
俺も思わず歓声を上げる。これこそが、俺がエルフ代表チームに可能性を感じた理由の一つだ。人間離れした視力と空間把握能力と、人間とほぼ同じ足の構造を持つエルフにしかできないプレイ。これがあるから俺が知っている地球のサッカー戦術が生きるし、それ以上のプレイを産み出せるかもしれないのだ。
『うっしゃ!』
ロングパスを受け取ったティアさんが右足で良いトラップをし、自家自賛でもするような声を上げた。タッキさんを見ていたCBは背後を取られSBは追いついていない。
彼女とゴールの間には、もうGKしかいなかった。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
社長の奴隷
星野しずく
恋愛
セクシー系の商品を販売するネットショップを経営する若手イケメン社長、茂手木寛成のもとで、大のイケメン好き藤巻美緒は仕事と称して、毎日エッチな人体実験をされていた。そんな二人だけの空間にある日、こちらもイケメン大学生である信楽誠之助がアルバイトとして入社する。ただでさえ異常な空間だった社内は、信楽が入ったことでさらに混乱を極めていくことに・・・。(途中、ごくごく軽いBL要素が入ります。念のため)
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる