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第三章

ヘッドコーチとフライングヘッド

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「痛いぃ! えーん!」
「おお、すまなかったお嬢ちゃん!」
 そこにいたのはなんと、肩から大きな鞄を下げ、しゃがんでジノリさんに謝罪しているザック監督だった。
「悪い悪い、泣きやんでくれ……参ったなあ」
「ザック監督!?」
 驚き立ち尽くす俺に気付き、サック監督は助けを求めるような目を向けた。
「ショーキチ殿! すまん、こちらはショーキチ殿の関係者かな?」
 ジノリさんはザック監督の謝罪も耳に入らない様子で座り込んで泣いている。いや耳に入っても俺みたいに翻訳のアミュレットをつけてなければミノタウロス語は分からないだろうが。
「はい、関係者……のようなものです。ザック監督はどうしてこんなところに?」
 ここはギリギリ試合関係者用の通路ではあるがドワーフチームのエリアだし、もう少し行けば一般利用者エリアになってしまう。
「はは、それが……もうザック『監督』ではないのだ」
 気の良いミノタウロスさんは苦笑混じりに説明を始めた。
「先ほど、試合後の会見と退任発表を終えてな。荷物をまとめて帰る所だったのだが、関係者やマスコミに出くわすのも気まずくてなあ。こちらからそっと姿を消そうと思ったのだ」
 その説明の最中にジノリさんの鼻血に気付き、大慌てで鞄から布を取り出し涙を拭いたり鼻を押さえてあげたりしている。優しいおじさんだな。その鼻血、実は貴男のせいじゃないんですけど。
「そうだったのですか。来季、貴男と戦うのを楽しみにしていたのに残念です。ザックええと……」
「もうただの『ザックさん』だよ。あ、お嬢さん立てるかな?」
 ザック……さんは立ち上がるジノリさんに手を貸しながら微笑む。そうだ彼とは、彼の率いるチームとはもう戦えないのか……。
 待てよ? 『彼と戦う』? 俺はある考えが浮かんだ。
「ザックさん、この後はどうなさるんですか?」
「どうかな。田舎に帰って牧場でも経営するかな?」
 そしてクックと笑う。なんや? ミノタウロスジョークか? 南米の選手はマジで引退後に牧場とかしとるぞ?
「『もし予定が決まっていないなら是非、俺のアシスタントコーチにならないか? 最高の美女と迷宮を用意するぞ』って言っていいですか?」
「なっ!?」
 俺は彼の豪快な態度を真似して言った。これはあの時の言葉だ。エルフvsミノタウロス直後のザック(あの時は)監督の。
「俺が……エルフ代表のコーチに?」
 あの時の彼の言葉は俺のある決意に大きな影響を与えた。今度は俺が、彼に決断を迫る番だ。
「前もって言っておきますが、同情や罪滅ぼしではありません。僕は貴男の事を尊敬しています。監督としての度胸、大らかな態度、リーグ上位を争った経験。全て俺とエルフ代表に無いもので、欲しいものです」
 彼にはお世辞やおまじないや策略は通じないだろう。だから俺は真心を込めて伝えた。
 ザックさんは床を見つめながら熟考している様子だった。だがほんの少し考えて立ち上がると、牛頭を上げて口を開いた。
「度胸なら既にあるだろう? 解雇された直後の俺を誘うくらいだから。だが面白い、乗ろう。俺で良ければ……」
「ちょっと待ったー!」
 見つめ合う俺たち二人の下から大きな声がした。それはお世辞やおまじない(魔法)や策略が通じまくるタイプの女性の声だった。

「待て待てー! コイツのアシスタントコーチになるのはワシじゃ! 横取りするでない!」
 いま泣いたカラスがなんとやら。ジノリさんはザックさんに貰った布をぶんぶんと振り回しながら吠えた。
「お前もお前じゃ! さっきまでワシをあんなに口説いていたのに! あれは……嘘だったのか?」
 なんでこの世界の生物は言い方がアレなのか。翻訳アミュレットの仕様か? あ、そう言えばジノリさん、ザックさんの言うことが分かるのか?
「嘘じゃありません。貴女が欲しいのも本当です。ところでジノリさんってミノタウロス語も分かるんですか?」
 俺が質問を返すと、ジノリさんは得意げに鼻を鳴らして言った。
「余裕じゃ! 他の種族の言葉も行けるぞ!」
 ほう、実は本当に天才か? でも良い事を聞いた、これは行けるぞ。
「でしたら尚の事、彼も貴女も欲しい。良いですか、高度なトレーニングを行うチームにはそれぞれのジャンルに合わせてたくさんのコーチが必要なんです。ザックさん、貴男にはフィジカルコーチをお願いしたい」 
 俺は途中からザックさんの方を向いて言った。
「地球では『インテンシティが高い』と言うんですが、試合の最初から最後まで玉際で激しく戦う、高い持久力や瞬発力が必要なサッカーをする予定です。結局、ボールの競り合いで負けては戦術も何もありませんから。それにはエルフ代表選手全員の身体能力をもう一段、もう二段上げたい。プラス、コンディション調整。あの逞しいミノタウロスチームを鍛えた貴男に、それを任せたいんです」
「おう!」
 ザックさんは俺の言葉の途中からもう興奮状態だった。まあ肉体接触の激しさはミノタウロスフットボールの象徴だもんな。
「そしてジノリさん。貴女には高い戦術眼がある。だからもちろんDFコーチをお願いしたい。『ゾーンプレス』てのをやるつもりです。これは高度な守備戦術で、DFの選手だけでなくFWも含めた全員が有機的に連動し、まるで一匹の生物のように動いてボールホルダーを囲い込み、奪い取ってしまうものです。教えるのも行うのも難しい、でも決まれば無敵の戦術です」
 しばらくのあいだはね、とは心の中でだけ呟く。
「それプラス、コーチ陣のまとめ役。『ヘッドコーチ』と言うんですが、種族も役割も異なるコーチたちを統率する人物が俺以外にも必要です。それには貴女のような才覚と人望を併せ持った相応しい」
 なーんてね。実際はナリンさんかザックさんがそうなるだろうけど。
「そっそうか? 照れるのぅ」
 チョロい。だが語学力やコーチとしての力量は本物だろう。
「どうですか、お二人?」
 俺はちょっと悪い顔になるのを止められずに言った。だが悪巧みが上手いくらいで調度良い筈だ、監督は。
「俺は願ったり叶ったりだ。今後とも宜しくお願いできるかな、監督……ならびにヘッドコーチ殿!」
 早くも俺の思惑を察したザックさんが荷物を置いて両手を差し出す。片手は俺に、片手はジノリさんに、だ。
「そこまで言うなら……こちらこそ宜しくじゃな、監督とザック君。共に最強チームを作り上げようではないか!」
 ジノリさんも両手を差し出し、俺とザックさんの手を握った。てかもうザック君呼ばわりかよ。調子に乗るのは良いがザックさんに叱られるなよ?
「作り上げましょう。最強チームを俺たちの手で!」
「おー!」
「おおう?」
 互いの両手を上げて叫ぶ三人、つまり俺、ザックさん、ジノリさんに遅れて空中から声がした。たぶんステフだ。
「ヤツは眠らせて控え室に置いてきた。こっちも終わったみたいだな?」
「えっ! 声だけする!? なに、お化け?」
 ジノリさんがキョロキョロと辺りを見渡す。
「そうだ~。アタシは血に飢えた死霊だ~。くんくん、新鮮な血の臭いがするぞ~」
「ぎゃー!」
 悪乗りする才能ではジノリさんの上を行くステフが顔面だけ透明の魔法を解き、空飛ぶ生首のような状態で姿を現した。
「そこか~」
「いやー! こないでー! ザック、助けてー!」
「おっと、ジノリさん! 出血がまた……!」
 興奮或いは恐怖で再び吹き出した鼻血を垂らしてジノリさんが逃げまどう。それを調子に乗って追うステフに更にそれを追うザックさん……という図式が出来上がった。
「お前等、コントかよ……」
 俺もため息を吐きながら追う。その後、全員を捕まえて例の部屋に着き、契約書をまとめるまで軽く一時間はかかった。リザードマンはもう放っておいた。
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