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十、七走一坐
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八月になると氏政は急遽、氏直に北条当主の証である軍配団扇を譲った。
そして、織田信長へ臣従を申し出る旨の使者を送り、当主という箔を身につけた氏直へ、「信長の娘を嫁に貰いたい」と申し出た。
ひとえに、何としても武田に勝ちたいがための策ではあるのだが、元をたどれば沼田を武田に盗られたことから始まったことである。氏照が「北条の誇りはいずこへ」などと兄に向かって烈火のごとく怒り狂っているのを横目で見ながら、氏邦はますます生きた心地がしなかった。
しかしこの話もなかなか進展しないまま二年が過ぎてしまい、その間武田は信濃上野駿河をも手中にしてしまい、氏政が織田への不信感を強め始めた頃、ようやく武田を斃す機会が巡って来ようとしていた。
織田信長が、武田討伐と称して甲斐への進軍を決意したのである。
武田に反感を持っていた信濃の国人が織田へ寝返り、武田と戦闘を始めたという情報を、秩父の修験者経由で入手した氏邦は、すぐさま小田原へ書状を送った。
まさに武田を攻める好機である。
しかし武田の強さを疑わずにいる氏政は、信頼できる国衆からの情報が欲しいと答えた。
氏邦は入ってくる情報をほぼ毎日、ひたすら兄へ送り続けた。同日の朝夕に二度送ることさえあった。
やがて、信濃に織田軍が到着したという知らせが、秩父の斥候から届いた。
ところが氏政はこの時点で、織田が出陣していたことすら知らなかった。
小田原への動員令がなく、氏規と親しいはずの徳川さえ何も言って来なかったからだ。そして織田軍は、武田を見限って北条の領地へ逃げ込もうとする者も許さず捕らえたのである。
氏政自身も、そもそもあの武田が簡単に信濃へ織田軍の侵入を赦すだろうかという疑念を消せないでいた。
おいそれと大軍を動かして小田原を空けてしまうこともできず判断に迷っていた氏政の元へ、ようやく織田からの使者が来た時には、織田と徳川は甲斐まで侵攻してしまっていた。
慌てて上野と駿河へ北条が出陣した時には、時すでに遅く武田は滅んでしまっていた。
武田の旧領は織田、徳川とその家臣たちで山分けされた。
徳川は駿河欲しさに知らん顔をしていたのか、信長に怯えて何も言えずにいたのかは定かではないが、氏規の面子すら潰された。
肩を落とす氏政を、氏照が渋い顔で見つめていた。
俺ならもっとうまくやったのにと、表情がもの語っていることに気付いていたのは、氏邦以外にいたであろうか。
やがて十月になり、徳川家康の娘督姫が、氏直に嫁することが決まった。
「来年の夏には小田原へ来られるであろう。当主の婚儀だ。その時には、福も小田原へ祝いに行くのだぞ」
「徳川さまがよく納得されましたね」
「うん、それがな……」
織田信長は京都で炎に巻かれて頓死していた。武田を滅ぼし、北条に地団駄を踏ませてからわずか三カ月後のことであった。
最も信じていた家臣による謀叛だったという。
十日もせぬうちに日本中が混乱状態になった。
氏政は、東国を支配していた織田の代官に「何かあったら手助けするので、相談してください」と殊勝な申し出をしたが、もちろん嘘であり、ようやく挽回する機会だとばかりにすぐさま上野、信濃へ兵を差し向けた。
そして織田の代官を追い出し空白状態になった上野信濃を、北条と同様に、手中にしようと狙ってきた徳川と激突した。
始めのうちこそ北条が有利だった。
しかし、武田滅亡後に北条に降っていた真田が徳川に寝返り、いつもの反北条国衆たちが徳川と連携して挟撃を図ってきたため、次第に北条が押され始めたところで、織田信長の遺児、信雄が仲裁に入り和議を結ぶことになったのである。
「織田信雄どのも自分の力を示したかったのだろうが、徳川は背後に羽柴という新たな敵がいるからな」
信長の仇を討ち、その権力をまんまと引き継ぎ急激に台頭してきた羽柴秀吉という武将を警戒しているからだと、氏邦が説明した。
「それにしても、真田という国衆の忌ま忌ましさよ」
せっかく、氏邦の誠意を込めた低姿勢の書状によって北条側へ引き入れたというのに、すぐさま徳川へ寝返ってしまった。
今回の北条徳川の和議で、真田領の沼田城は北条に譲渡されることとなり、真田は腹を立てているだろうが、こちらも同じだ。
「重連兄上どのを裏切らせたのは真田だ。弥六郎が武田へ通じたのも、真田が仲に入っていないとは限らない」
しかし沼田城引き渡しを拒否した真田は、徳川すら裏切り、上杉の傘下へ逃げ込んでしまった。面目を潰された徳川は真田の上田城を攻めたが、まんまと撃退されてしまった。
氏邦もすぐさま沼田城と、北条にいまだ従っていない上野下野の国衆を攻めるために出陣すると言った。
「またしばらく城を空けるが、留守を頼む」
「分かっておりますとも」
福は小さくうなずいた。
翌年三月、氏邦は沼田城攻めの陣中で、東国丸の訃報を受けた。
頭が真っ白になった。
勝手に陣を離れることはできない。せわしなく瞳を動かしてから、
「しばし一人になってもいいか?」
と言って、陣屋の奥に引きこもった。
死因は落馬だとあった。
おれのせいだと、氏邦は思った。
馬の上達を焦ったのだろうか、ゆっくりでよいと、もっと優しく諭してやればよかった。
そうだ、福はどうしているだろうか。
まさかの不幸に、どれほど嘆いているだろうか。離れている間は何度も何度も妻の顔を思い浮かべてきたが、まるで擦り切れたように浮かんでこなかった。
東国丸の代わりとなる跡継ぎについても、普通なら鉄柱を武士の子に戻すのであろうが、不吉な双子として寺に行かせたので、還俗させられない。
戦さに出ていれば、身内の死に目に会えないなど、よくあることだが、いざ自分の身に降りかかるとどうすればいいのか分からなかった。
それでも氏邦は、関八州の統一を目指す北条の御一家衆として、北武蔵を統べる藤田のあるじとして、上野へ進軍することで頭を一杯にすることが義務である。
心を殺して北へと突き進んだが、桜の蕾も膨らむ頃、氏邦自身も病に倒れた。
その報せが福の所へもたらされたのは、東国丸の喪が明けて、北条家当主の結婚祝いで一人赴いた小田原から帰ってきた初秋である。
鉢形城でそれを耳にした瞬間、血の気が引き、目の前が真っ暗になった。
身体が頑丈でこれまでも大病とは無縁の人であった。
しかし泰邦が亡くなった年齢と、ひとつ違いである。戦死以外もありえると、福は気付いた。
東国丸の死は一人で耐えた。というより、夫と再び語り合いたいという思いで、ようやく乗り越えた。どうせ鉄柱を我が腕に取り戻すことはできないのである。ならば、どれだけ悲しくとも、武家の妻としていつまでも悲しみを表に出してはいけないと、背筋をしゃんとしているのだ。
なのに今、氏邦まで失ったら。
氏邦は特に腹の中なども悪い部分はなさそうだが、長年の疲れが溜まりに溜まっていたのであろうという診断であった。現在は箕輪城へ引き揚げ、療養しているという。
朝か夜かの判別もつかなくなるほど眠り続け、ようやく熱が下がり始めた頃、氏邦は夢うつつの中で、福の声を聞いた。
寝所の外がいやに、やかましい。
耳障りだなと思った時、襖が開いたような気配と共に、
「新太郎さま」
という声がした。
「福の声が聞こえるなんて」
おれもいよいよお終いか、と呟いて再びすうっと意識が遠のいた。
消えゆく意識の中で、自分の手が、柔らかい誰かの手に握られているのが分かった。
あぁ、これは女の手だ。
遠い昔、小田原城の櫓で、同じように誰かが手を握っていた。
実の母親の手だと思い込んでいたような気がするが、今思えば、そうではない。
もっと幼く、ふっくらとした手。
そうだ、あれは。
「福……」
「はい、ここにおりますよ」
天女のような声が、優しく語りかけた。
「あの時、新太郎さまは寝言で、母上とおっしゃいましたね。お母上さまではなく、確かに母上とおっしゃいました」
完全に寝入っている氏邦の手を取り、福は、自分の唇に押し当てた。
「あのひと言で、幼い新太郎さまがひた隠しにしていた思いを知り、ずっと誰にも言わずにきました」
今はうわ言で、福と言ってくださるのですねと、声を出さないように泣いた。
山粧う翌朝、早起きの鳥のさえずりに、氏邦は起こされた。
まだ微熱は残ってはいるが、今までが嘘みたいにすっかり気分がいい。
楽しい夢の続きのように、しばらく天井を眺めていたが、やがてゆっくりと傍らへ視線をやった。
「……福?」
目を疑った。
「おれは死んだのか?」
人払いがされているのか、室内には誰もいない。侍医すらいないようだ。なのに、居るはずのない福が枕元で、氏邦の手を握りしめ、座ったままうつらうつらとしている。
これからあの世に向かうのか、まぁそれでも福にひと目会えたならいいかと、再び目を閉じようとした時、
「お目覚めになりました?」
福が笑いかけてきた。
「お顔の色もだいぶよくなっておりますね」
「福か?本当に」
「はい、もちろんです。いかがしましたか?」
「……」
しばし惚けたように目をしばたたかせていたが、
「福ッ」
突然半身を起こし、そのまま福に抱きついた。
「まぁ、子供みたいに」
福も嬉しげに、自分の袖で夫の身体を包んだ。
「なぜここにいる?」
「あなたが呼んだのですよ」
「おれが?」
氏邦は驚いたように顔を上げた。
「はい。鉢形に届いた書状に書いてありました」
「何が書いてあったのだ」
「何も」
「何も?」
書面の行間から滲み出ていたと、福は笑った。
「私にしか見えないと言うと、菊名にたいそう叱られました」
居ても立ってもいられず、箕輪城へ向かおうとすると、
「殿がご不在ですのに、奥のあるじが勝手に城を空けるとは」
北条本家の慶事で小田原へ赴いたのとは、わけが違う、その荷すら解いていないのにと、菊名に大目玉をくらった。
「すぐ戻るからと、我が儘を言って飛び出してきました」
「馬だね」
「お分かりですか?」
「髪を結い上げているから」
氏邦は身体を離し、正面から福と見つめ合った。
「女が馬で山を越すなど、危険な真似をして」
「護衛の者がたくさんおりましたから」
「鉢形城は、そんなに人手が余っていたのか?」
「いいえ、近習たちではございません」
「では、誰が」
「あなたが子供の頃、よく遊んだ藤田家旧臣の子弟たちでございます」
馬持ちの侍になれと乙千代丸に励まされたのを喜んだかつての童たちが、精進し、皆揃って馬の上手になり、今、福のために箕輪への供を志願してくれたという。
「あなたが蒔いた種のおかげで、私がこうしてここに居られるのです」
「あぁ、そうなのか」
自分がやってきたことが少しでも実を結んだのかと知り、全身の力が抜けた。
「倒れてすぐにお報せいただけたらよかったのに」
「あぁ、それはすまなかった」
「何も知らずに、小田原へ出かけてしまいましたよ」
「それはあなたの役目だから」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
福が氏邦の肩を支えた。
「もう少しお休みになられますか」
「うむ、そうする」
「お目覚めになったら、お薬を持ってきて貰いましょう」
そして、次に目醒めた時、福はすでに箕輪城からは消えていた。
しぶとく抵抗を続ける上野国衆については、真田以外は制圧した。
氏邦がようやく鉢形城に戻ってきたのは、翌年になってからであった。
「長らくのご出陣、お疲れさまでした」と、いつもより少しだけ綺麗にしようと若菖蒲の袿を重ねた姿で、福は奥屋敷の表門まで迎えに出た。葉桜と青い空を背景に、手を振る氏邦がまぶしく見えた。
「すっかりお元気になられたようですね」
「あぁ、本物の福だ」
「私はいつでも本物でございますよ」
お互い箕輪城のことは口には出さないが、あれは夢ではないと氏邦はようやく確信して、福の黒髪に唇を寄せた。
「しばらくは鉢形にいると思う」
「では、ゆっくりできるのですか」
「そういう訳ではない」
ようやく取り戻した上野を監視するだめだという。
「それに沼田城はいまだ取り戻せておらぬ」
口振りは明るいが、表情は一瞬厳しくなった。
「では、下野にはご出陣なさらないのですね」
尾張では徳川と羽柴が激突している。北条が徳川陣営に加勢するのを阻止するため、羽柴と連携していた反北条の諸将たちが、下野で蜂起したという。
「源三兄上が下野へ向かうことになっているのだが」
居間へ入ると、氏邦は当たり前のように福の膝に頭を乗せた。
「また体調を崩されたようだ」
少し疲れたように、目を閉じる。
「治り次第、出陣するのだろうけど」
「まぁ」
「今は小田原におられるようだから、、ご本城の御典医が診るのだろうし、薬も揃っているから大丈夫だろう」
「では何かお見舞いをお送りしましょうか」
「あの人は海育ちだから、山のものは身体に合わないだろうよ」
「確かにこちらにあるものは、三峰社の御札くらいでございますね」
あなたも海育ちではないのかしら?と福が問うと、
「こちらの方が長い」
何を今さらと、不貞腐れたような顔が、とてもかわいらしく福の目には映った。
「数十年ぶりの小田原はいかがであった?」
「相変わらず賑やかでございましたよ」
城下や城内では、賤ヶ岳で行われた旧織田家家臣同士の戦さの話で持ちきりであった。中でも、落ち延びた織田信長の三人の姪たちについて皆興味津々という感じだった。
「姫さまたちが助けられるのはおかしくございませんが、二度も落城の憂き目に合うなどありえないと、みなさん毛嫌いされてました」
「気の毒といえば気の毒なのだがな。小田原の人間は、落城など考えられないから」
「そうでございましょうね」
武田や上杉相手にも持ち堪えた強固な小田原城である。
「それから大方さまや、千代さまにもお会いしましたよ」
香子は氏康の死後、髪を落とし、大方さまと呼ばれていた。
「寿々子のこと、よくよくお礼を申し上げておきました」
「千代さまとは初めてお会いしたのか」
「はい、波瑠さまはもういらっしゃらないのだと悲しくなりましたが、私は千代さまも好きになりました」
「それはよかった」
「寿々子に従って、三山どのが京へ行ってくださったそうです」
「そうか」
ぶっきらぼうに氏邦は言うが、口元が微かにほころんでいるのが窺えた。
そして、孫娘の世話を任された三山の気持ちも、自分が母となった今では福にもよく分かった。
「さきほどから私だけお話しをしてますよ」
「あなたは幼い頃、言葉が多くなかったのだから、今はそれでよい」
「退屈ではございませんか」
「婿入りした時からずっと、あなたの話を聞きたいと言い続けているよ」
「そうでございましたね」
ふふと、小さく笑った。
山からおりてきた駒鳥のさえずりが、その声をかき消した。
存在を確かめるように、氏邦は福の膝を撫でた。
「もっとあなたの声を聞いていたい」
「まぁ」
少し恥ずかしそうに福が、「そうですね」と応えた。
「大石の比佐さまに、お会いしました」
「小田原に来られていたのか」
「えぇ。私にずっと会いたかったと、おっしゃっていました」
比佐については、人付き合いのいい氏邦にしては珍しくいつも言葉を濁すので、取っ付き難いのではないかという印象を持っていたが、実際会うと、心が奪われるような優しげな見目かたちであった。
「私もいずれはお会いしたいという気持ちはありました」
しかし、夫や子供に恵まれた自分が訪ねて何かを言っても、厭味にしか受け取られるのではないかと勘繰り、勇気を持てずにいた。
げんに、
「同じ境遇だったはずなのに、なぜこうも差があるのでしょう」
と、言われた。二人とも、嫡女として北条の若ぎみを婿として迎え入れ、本来の嫡子である兄が他家へ追いやられている。
「私は巡り合わせがよかっただけ」と言う福に、
「初めこそ妬ましく思っておりましたが、いつしか、そのような幸せに巡り合えた女性はどのような方であろうかと、ただ素直にそう思えるようになりました」
歳を重ねるとはこういうことなのですねと微笑む比佐が、夫を遠ざけるような女性には、福には見えなかった。
「私は比佐さまを好きになりましたよ」
氏邦はきちんと折り目正しく、滝山城の侍女たちにすら丁寧に振る舞っていたので、夫の氏照よりも余程好きだと比佐は言ってくれた。
「もし私のお相手が滝山の兄上さまでしたら」
氏邦のように好きになっていただろうかと、福は思った。
もちろん、武家の婚姻で相手を好きになるかどうかなどを考えるのは、意味がないと分かってはいる。
「もし、などと口にするな」
氏邦は福の手を取り、自分の顔に押し当てた。
「あなたの夫はおれだ。仮定もならぬ」
「まぁ」
福は、氏邦の顔をのぞき込んだ。
「それは、もしや悋気でしょうか」
「だから、もしなどと言うな」
表情は見えなかったが、耳が赤くなっているのに気付いた。
「初めて見た気がします」
「初めてではない」
「まぁ、いつ、そのようなことが?」
「言わぬ」
かつて福の心を占めていた重連に怒りを覚えたことがあるとは、決して口にできるわけがなかった。
「相変わらず生真面目におっしゃること」
子供の頃から気性は変わりませんねと、福は笑った。
「比佐さまは、滝山の兄上さまとあまり上手くいかなかった理由を、ご自分では理解しているとおっしゃってましたよ」
何としても大石の血を引く男児をとばかり言い続け、氏照を「子供の父親」になる人としてしか見ていなかった。彼自身を肯定してこなかったことに、氏照は気付いていたのだろうと、比佐は今になって分かったと言っていた。
「そういえば私は、藤田の血を残そうと思ったことがなかったかもしれません」
長らく子ができないことに思い悩んではいたが、ことさら藤田の血を意識していなかった気がする。
ただ、氏邦の子を産みたいとばかり考えていた。むしろ氏邦の方が、藤田の血を意識していたかもしれない。
福の脳裏には、祖母の顔が浮かんでいた。
あの人は常に福を藤田の嫡女として、否定し続けていた。
氏照と自分が重なるような気がした。
「新太郎さま?」
蔀の隙間から入り込む風が、濃い緑の匂いを運んできた。ふと見れば、心地よさに誘われるように、氏邦がいつの間にかうつらうつらとしていた。
「お疲れでございましたね」
羽織っていた袿を脱いで静かに掛けてやり、夫の寝顔を眺めた。
夫婦で憎しみ合うのと、興味を持たぬまま無為に時間が過ぎるのとでは、どちらがより苦痛なのだろうかと考えているうちに、いつの間にか福も目を閉じていた。
そして、織田信長へ臣従を申し出る旨の使者を送り、当主という箔を身につけた氏直へ、「信長の娘を嫁に貰いたい」と申し出た。
ひとえに、何としても武田に勝ちたいがための策ではあるのだが、元をたどれば沼田を武田に盗られたことから始まったことである。氏照が「北条の誇りはいずこへ」などと兄に向かって烈火のごとく怒り狂っているのを横目で見ながら、氏邦はますます生きた心地がしなかった。
しかしこの話もなかなか進展しないまま二年が過ぎてしまい、その間武田は信濃上野駿河をも手中にしてしまい、氏政が織田への不信感を強め始めた頃、ようやく武田を斃す機会が巡って来ようとしていた。
織田信長が、武田討伐と称して甲斐への進軍を決意したのである。
武田に反感を持っていた信濃の国人が織田へ寝返り、武田と戦闘を始めたという情報を、秩父の修験者経由で入手した氏邦は、すぐさま小田原へ書状を送った。
まさに武田を攻める好機である。
しかし武田の強さを疑わずにいる氏政は、信頼できる国衆からの情報が欲しいと答えた。
氏邦は入ってくる情報をほぼ毎日、ひたすら兄へ送り続けた。同日の朝夕に二度送ることさえあった。
やがて、信濃に織田軍が到着したという知らせが、秩父の斥候から届いた。
ところが氏政はこの時点で、織田が出陣していたことすら知らなかった。
小田原への動員令がなく、氏規と親しいはずの徳川さえ何も言って来なかったからだ。そして織田軍は、武田を見限って北条の領地へ逃げ込もうとする者も許さず捕らえたのである。
氏政自身も、そもそもあの武田が簡単に信濃へ織田軍の侵入を赦すだろうかという疑念を消せないでいた。
おいそれと大軍を動かして小田原を空けてしまうこともできず判断に迷っていた氏政の元へ、ようやく織田からの使者が来た時には、織田と徳川は甲斐まで侵攻してしまっていた。
慌てて上野と駿河へ北条が出陣した時には、時すでに遅く武田は滅んでしまっていた。
武田の旧領は織田、徳川とその家臣たちで山分けされた。
徳川は駿河欲しさに知らん顔をしていたのか、信長に怯えて何も言えずにいたのかは定かではないが、氏規の面子すら潰された。
肩を落とす氏政を、氏照が渋い顔で見つめていた。
俺ならもっとうまくやったのにと、表情がもの語っていることに気付いていたのは、氏邦以外にいたであろうか。
やがて十月になり、徳川家康の娘督姫が、氏直に嫁することが決まった。
「来年の夏には小田原へ来られるであろう。当主の婚儀だ。その時には、福も小田原へ祝いに行くのだぞ」
「徳川さまがよく納得されましたね」
「うん、それがな……」
織田信長は京都で炎に巻かれて頓死していた。武田を滅ぼし、北条に地団駄を踏ませてからわずか三カ月後のことであった。
最も信じていた家臣による謀叛だったという。
十日もせぬうちに日本中が混乱状態になった。
氏政は、東国を支配していた織田の代官に「何かあったら手助けするので、相談してください」と殊勝な申し出をしたが、もちろん嘘であり、ようやく挽回する機会だとばかりにすぐさま上野、信濃へ兵を差し向けた。
そして織田の代官を追い出し空白状態になった上野信濃を、北条と同様に、手中にしようと狙ってきた徳川と激突した。
始めのうちこそ北条が有利だった。
しかし、武田滅亡後に北条に降っていた真田が徳川に寝返り、いつもの反北条国衆たちが徳川と連携して挟撃を図ってきたため、次第に北条が押され始めたところで、織田信長の遺児、信雄が仲裁に入り和議を結ぶことになったのである。
「織田信雄どのも自分の力を示したかったのだろうが、徳川は背後に羽柴という新たな敵がいるからな」
信長の仇を討ち、その権力をまんまと引き継ぎ急激に台頭してきた羽柴秀吉という武将を警戒しているからだと、氏邦が説明した。
「それにしても、真田という国衆の忌ま忌ましさよ」
せっかく、氏邦の誠意を込めた低姿勢の書状によって北条側へ引き入れたというのに、すぐさま徳川へ寝返ってしまった。
今回の北条徳川の和議で、真田領の沼田城は北条に譲渡されることとなり、真田は腹を立てているだろうが、こちらも同じだ。
「重連兄上どのを裏切らせたのは真田だ。弥六郎が武田へ通じたのも、真田が仲に入っていないとは限らない」
しかし沼田城引き渡しを拒否した真田は、徳川すら裏切り、上杉の傘下へ逃げ込んでしまった。面目を潰された徳川は真田の上田城を攻めたが、まんまと撃退されてしまった。
氏邦もすぐさま沼田城と、北条にいまだ従っていない上野下野の国衆を攻めるために出陣すると言った。
「またしばらく城を空けるが、留守を頼む」
「分かっておりますとも」
福は小さくうなずいた。
翌年三月、氏邦は沼田城攻めの陣中で、東国丸の訃報を受けた。
頭が真っ白になった。
勝手に陣を離れることはできない。せわしなく瞳を動かしてから、
「しばし一人になってもいいか?」
と言って、陣屋の奥に引きこもった。
死因は落馬だとあった。
おれのせいだと、氏邦は思った。
馬の上達を焦ったのだろうか、ゆっくりでよいと、もっと優しく諭してやればよかった。
そうだ、福はどうしているだろうか。
まさかの不幸に、どれほど嘆いているだろうか。離れている間は何度も何度も妻の顔を思い浮かべてきたが、まるで擦り切れたように浮かんでこなかった。
東国丸の代わりとなる跡継ぎについても、普通なら鉄柱を武士の子に戻すのであろうが、不吉な双子として寺に行かせたので、還俗させられない。
戦さに出ていれば、身内の死に目に会えないなど、よくあることだが、いざ自分の身に降りかかるとどうすればいいのか分からなかった。
それでも氏邦は、関八州の統一を目指す北条の御一家衆として、北武蔵を統べる藤田のあるじとして、上野へ進軍することで頭を一杯にすることが義務である。
心を殺して北へと突き進んだが、桜の蕾も膨らむ頃、氏邦自身も病に倒れた。
その報せが福の所へもたらされたのは、東国丸の喪が明けて、北条家当主の結婚祝いで一人赴いた小田原から帰ってきた初秋である。
鉢形城でそれを耳にした瞬間、血の気が引き、目の前が真っ暗になった。
身体が頑丈でこれまでも大病とは無縁の人であった。
しかし泰邦が亡くなった年齢と、ひとつ違いである。戦死以外もありえると、福は気付いた。
東国丸の死は一人で耐えた。というより、夫と再び語り合いたいという思いで、ようやく乗り越えた。どうせ鉄柱を我が腕に取り戻すことはできないのである。ならば、どれだけ悲しくとも、武家の妻としていつまでも悲しみを表に出してはいけないと、背筋をしゃんとしているのだ。
なのに今、氏邦まで失ったら。
氏邦は特に腹の中なども悪い部分はなさそうだが、長年の疲れが溜まりに溜まっていたのであろうという診断であった。現在は箕輪城へ引き揚げ、療養しているという。
朝か夜かの判別もつかなくなるほど眠り続け、ようやく熱が下がり始めた頃、氏邦は夢うつつの中で、福の声を聞いた。
寝所の外がいやに、やかましい。
耳障りだなと思った時、襖が開いたような気配と共に、
「新太郎さま」
という声がした。
「福の声が聞こえるなんて」
おれもいよいよお終いか、と呟いて再びすうっと意識が遠のいた。
消えゆく意識の中で、自分の手が、柔らかい誰かの手に握られているのが分かった。
あぁ、これは女の手だ。
遠い昔、小田原城の櫓で、同じように誰かが手を握っていた。
実の母親の手だと思い込んでいたような気がするが、今思えば、そうではない。
もっと幼く、ふっくらとした手。
そうだ、あれは。
「福……」
「はい、ここにおりますよ」
天女のような声が、優しく語りかけた。
「あの時、新太郎さまは寝言で、母上とおっしゃいましたね。お母上さまではなく、確かに母上とおっしゃいました」
完全に寝入っている氏邦の手を取り、福は、自分の唇に押し当てた。
「あのひと言で、幼い新太郎さまがひた隠しにしていた思いを知り、ずっと誰にも言わずにきました」
今はうわ言で、福と言ってくださるのですねと、声を出さないように泣いた。
山粧う翌朝、早起きの鳥のさえずりに、氏邦は起こされた。
まだ微熱は残ってはいるが、今までが嘘みたいにすっかり気分がいい。
楽しい夢の続きのように、しばらく天井を眺めていたが、やがてゆっくりと傍らへ視線をやった。
「……福?」
目を疑った。
「おれは死んだのか?」
人払いがされているのか、室内には誰もいない。侍医すらいないようだ。なのに、居るはずのない福が枕元で、氏邦の手を握りしめ、座ったままうつらうつらとしている。
これからあの世に向かうのか、まぁそれでも福にひと目会えたならいいかと、再び目を閉じようとした時、
「お目覚めになりました?」
福が笑いかけてきた。
「お顔の色もだいぶよくなっておりますね」
「福か?本当に」
「はい、もちろんです。いかがしましたか?」
「……」
しばし惚けたように目をしばたたかせていたが、
「福ッ」
突然半身を起こし、そのまま福に抱きついた。
「まぁ、子供みたいに」
福も嬉しげに、自分の袖で夫の身体を包んだ。
「なぜここにいる?」
「あなたが呼んだのですよ」
「おれが?」
氏邦は驚いたように顔を上げた。
「はい。鉢形に届いた書状に書いてありました」
「何が書いてあったのだ」
「何も」
「何も?」
書面の行間から滲み出ていたと、福は笑った。
「私にしか見えないと言うと、菊名にたいそう叱られました」
居ても立ってもいられず、箕輪城へ向かおうとすると、
「殿がご不在ですのに、奥のあるじが勝手に城を空けるとは」
北条本家の慶事で小田原へ赴いたのとは、わけが違う、その荷すら解いていないのにと、菊名に大目玉をくらった。
「すぐ戻るからと、我が儘を言って飛び出してきました」
「馬だね」
「お分かりですか?」
「髪を結い上げているから」
氏邦は身体を離し、正面から福と見つめ合った。
「女が馬で山を越すなど、危険な真似をして」
「護衛の者がたくさんおりましたから」
「鉢形城は、そんなに人手が余っていたのか?」
「いいえ、近習たちではございません」
「では、誰が」
「あなたが子供の頃、よく遊んだ藤田家旧臣の子弟たちでございます」
馬持ちの侍になれと乙千代丸に励まされたのを喜んだかつての童たちが、精進し、皆揃って馬の上手になり、今、福のために箕輪への供を志願してくれたという。
「あなたが蒔いた種のおかげで、私がこうしてここに居られるのです」
「あぁ、そうなのか」
自分がやってきたことが少しでも実を結んだのかと知り、全身の力が抜けた。
「倒れてすぐにお報せいただけたらよかったのに」
「あぁ、それはすまなかった」
「何も知らずに、小田原へ出かけてしまいましたよ」
「それはあなたの役目だから」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
福が氏邦の肩を支えた。
「もう少しお休みになられますか」
「うむ、そうする」
「お目覚めになったら、お薬を持ってきて貰いましょう」
そして、次に目醒めた時、福はすでに箕輪城からは消えていた。
しぶとく抵抗を続ける上野国衆については、真田以外は制圧した。
氏邦がようやく鉢形城に戻ってきたのは、翌年になってからであった。
「長らくのご出陣、お疲れさまでした」と、いつもより少しだけ綺麗にしようと若菖蒲の袿を重ねた姿で、福は奥屋敷の表門まで迎えに出た。葉桜と青い空を背景に、手を振る氏邦がまぶしく見えた。
「すっかりお元気になられたようですね」
「あぁ、本物の福だ」
「私はいつでも本物でございますよ」
お互い箕輪城のことは口には出さないが、あれは夢ではないと氏邦はようやく確信して、福の黒髪に唇を寄せた。
「しばらくは鉢形にいると思う」
「では、ゆっくりできるのですか」
「そういう訳ではない」
ようやく取り戻した上野を監視するだめだという。
「それに沼田城はいまだ取り戻せておらぬ」
口振りは明るいが、表情は一瞬厳しくなった。
「では、下野にはご出陣なさらないのですね」
尾張では徳川と羽柴が激突している。北条が徳川陣営に加勢するのを阻止するため、羽柴と連携していた反北条の諸将たちが、下野で蜂起したという。
「源三兄上が下野へ向かうことになっているのだが」
居間へ入ると、氏邦は当たり前のように福の膝に頭を乗せた。
「また体調を崩されたようだ」
少し疲れたように、目を閉じる。
「治り次第、出陣するのだろうけど」
「まぁ」
「今は小田原におられるようだから、、ご本城の御典医が診るのだろうし、薬も揃っているから大丈夫だろう」
「では何かお見舞いをお送りしましょうか」
「あの人は海育ちだから、山のものは身体に合わないだろうよ」
「確かにこちらにあるものは、三峰社の御札くらいでございますね」
あなたも海育ちではないのかしら?と福が問うと、
「こちらの方が長い」
何を今さらと、不貞腐れたような顔が、とてもかわいらしく福の目には映った。
「数十年ぶりの小田原はいかがであった?」
「相変わらず賑やかでございましたよ」
城下や城内では、賤ヶ岳で行われた旧織田家家臣同士の戦さの話で持ちきりであった。中でも、落ち延びた織田信長の三人の姪たちについて皆興味津々という感じだった。
「姫さまたちが助けられるのはおかしくございませんが、二度も落城の憂き目に合うなどありえないと、みなさん毛嫌いされてました」
「気の毒といえば気の毒なのだがな。小田原の人間は、落城など考えられないから」
「そうでございましょうね」
武田や上杉相手にも持ち堪えた強固な小田原城である。
「それから大方さまや、千代さまにもお会いしましたよ」
香子は氏康の死後、髪を落とし、大方さまと呼ばれていた。
「寿々子のこと、よくよくお礼を申し上げておきました」
「千代さまとは初めてお会いしたのか」
「はい、波瑠さまはもういらっしゃらないのだと悲しくなりましたが、私は千代さまも好きになりました」
「それはよかった」
「寿々子に従って、三山どのが京へ行ってくださったそうです」
「そうか」
ぶっきらぼうに氏邦は言うが、口元が微かにほころんでいるのが窺えた。
そして、孫娘の世話を任された三山の気持ちも、自分が母となった今では福にもよく分かった。
「さきほどから私だけお話しをしてますよ」
「あなたは幼い頃、言葉が多くなかったのだから、今はそれでよい」
「退屈ではございませんか」
「婿入りした時からずっと、あなたの話を聞きたいと言い続けているよ」
「そうでございましたね」
ふふと、小さく笑った。
山からおりてきた駒鳥のさえずりが、その声をかき消した。
存在を確かめるように、氏邦は福の膝を撫でた。
「もっとあなたの声を聞いていたい」
「まぁ」
少し恥ずかしそうに福が、「そうですね」と応えた。
「大石の比佐さまに、お会いしました」
「小田原に来られていたのか」
「えぇ。私にずっと会いたかったと、おっしゃっていました」
比佐については、人付き合いのいい氏邦にしては珍しくいつも言葉を濁すので、取っ付き難いのではないかという印象を持っていたが、実際会うと、心が奪われるような優しげな見目かたちであった。
「私もいずれはお会いしたいという気持ちはありました」
しかし、夫や子供に恵まれた自分が訪ねて何かを言っても、厭味にしか受け取られるのではないかと勘繰り、勇気を持てずにいた。
げんに、
「同じ境遇だったはずなのに、なぜこうも差があるのでしょう」
と、言われた。二人とも、嫡女として北条の若ぎみを婿として迎え入れ、本来の嫡子である兄が他家へ追いやられている。
「私は巡り合わせがよかっただけ」と言う福に、
「初めこそ妬ましく思っておりましたが、いつしか、そのような幸せに巡り合えた女性はどのような方であろうかと、ただ素直にそう思えるようになりました」
歳を重ねるとはこういうことなのですねと微笑む比佐が、夫を遠ざけるような女性には、福には見えなかった。
「私は比佐さまを好きになりましたよ」
氏邦はきちんと折り目正しく、滝山城の侍女たちにすら丁寧に振る舞っていたので、夫の氏照よりも余程好きだと比佐は言ってくれた。
「もし私のお相手が滝山の兄上さまでしたら」
氏邦のように好きになっていただろうかと、福は思った。
もちろん、武家の婚姻で相手を好きになるかどうかなどを考えるのは、意味がないと分かってはいる。
「もし、などと口にするな」
氏邦は福の手を取り、自分の顔に押し当てた。
「あなたの夫はおれだ。仮定もならぬ」
「まぁ」
福は、氏邦の顔をのぞき込んだ。
「それは、もしや悋気でしょうか」
「だから、もしなどと言うな」
表情は見えなかったが、耳が赤くなっているのに気付いた。
「初めて見た気がします」
「初めてではない」
「まぁ、いつ、そのようなことが?」
「言わぬ」
かつて福の心を占めていた重連に怒りを覚えたことがあるとは、決して口にできるわけがなかった。
「相変わらず生真面目におっしゃること」
子供の頃から気性は変わりませんねと、福は笑った。
「比佐さまは、滝山の兄上さまとあまり上手くいかなかった理由を、ご自分では理解しているとおっしゃってましたよ」
何としても大石の血を引く男児をとばかり言い続け、氏照を「子供の父親」になる人としてしか見ていなかった。彼自身を肯定してこなかったことに、氏照は気付いていたのだろうと、比佐は今になって分かったと言っていた。
「そういえば私は、藤田の血を残そうと思ったことがなかったかもしれません」
長らく子ができないことに思い悩んではいたが、ことさら藤田の血を意識していなかった気がする。
ただ、氏邦の子を産みたいとばかり考えていた。むしろ氏邦の方が、藤田の血を意識していたかもしれない。
福の脳裏には、祖母の顔が浮かんでいた。
あの人は常に福を藤田の嫡女として、否定し続けていた。
氏照と自分が重なるような気がした。
「新太郎さま?」
蔀の隙間から入り込む風が、濃い緑の匂いを運んできた。ふと見れば、心地よさに誘われるように、氏邦がいつの間にかうつらうつらとしていた。
「お疲れでございましたね」
羽織っていた袿を脱いで静かに掛けてやり、夫の寝顔を眺めた。
夫婦で憎しみ合うのと、興味を持たぬまま無為に時間が過ぎるのとでは、どちらがより苦痛なのだろうかと考えているうちに、いつの間にか福も目を閉じていた。
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