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空の間
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「こちらです……!」
じいやほどではないが、モズさんもかなり体力がある。そのモズさんが全力疾走をし、私たちが追随する。ちらりとクジャを確認すると、お父様にお姫様抱っこをされながら両手を顔にあて、さめざめと泣いている。
「ねぇモズさん! 空の間って何!?」
クジャには聞けないと思った私は、モズさんの背中に向かって叫ぶ。けれど、その言葉を聞いたクジャは声を上げて泣き始めてしまった。
そうしているうちに、兵や家臣たちがこちらに向かって来てしまった。けれど全員が敵なわけではない。クジャとモズさんの味方はちゃんといるのだ。二人をどうにかしようとする者と、二人を守ろうとする者とで、あちらこちらでいざこざが起きている。それをすり抜け、先頭を走るモズさんを捕まえようとする者には、問答無用でじいやが攻撃を加えている。
クジャや、サギを奪い返そうとする者には、お父様が蹴りで応酬している。私も日頃の農作業で鍛えた足腰を活かして、兵ではなく力の弱そうな家臣にタックルをすると、お父様は驚いた表情をしたあとにニヤリと笑った。
「さすが」
あとに続く言葉は「我が娘」だろう。今のクジャには刺激になるかもしれない言葉と思い、お父様なりに控えたのだろう。
「モズ様!? こちらへ早く! 私たちは中に入れてもらえないのです!」
家臣、というよりは女中であろう女性陣が泣き叫んでいる。視界に見える部屋の前に女性陣がいるが、扉を叩いたり縋りついたりしており、両開きのその扉にはこれでもかと言うほど板が打ち付けられ、ご丁寧に取っ手を取り外されていた。
それを目の当たりにしたモズさんは膝から崩れ落ち、クジャは泣き叫びながら気を失ってしまった。
「カレン、姫を頼む」
そっとクジャを降ろしたお父様は私にクジャを預け、じいやと共に板を剥がしに行った。
「モズさん……何が起こっているの……?」
嫌な予感と共に大変なことが起こっているのは分かっているのだが、あの部屋が何の部屋なのか分からないので不安ばかりが増すのだ。クジャの意識がないのを確認したモズさんは涙声で言葉を紡ぐ。
「あの部屋は……空の間と呼ばれています……。私たちは……っ……死んだあとに……っ……空に向かうと考えているのです……。王家の方たちが死に面した時に……誰よりも大空へと旅立てるよう……あの部屋に……移動させるのです……。そしてあの部屋には……亡くなったあとすぐに焼けるように……焼却炉が備え付けられておるのです……」
頭がついて行かず、何の反応も出来なかった。けれど、泣き叫ぶ女中の言葉で怒りに支配された。
「お二人はまだ意識もあって、会話も出来ていたんです! 本来なら意識のない方が入る部屋なんです!」
「寝台ごと無理やりこの部屋に押し込められ、もう数日が経っています! 近付くことも許されませんでした!」
この混乱に乗じてここに来たのだろう。無言でモズさんにクジャの体を預け、私は立ち上がった。私たちの後方には、レオナルドさんがじいやに言われた通りにサギを引きずって来ており、その後方ではクジャたちを守ろうとする者たちが必死で攻防を繰り広げ、追っ手がこちらに来ないようにしてくれている。
私はツカツカとサギの元へと歩み寄り、渾身の力を込めて殴りつけた。
「あなたは最低よ! 人として最低よ!」
産まれて初めて人に暴力をふるってしまった。こんなにも、人の尊厳を踏みにじる行為を目にしたのも初めてだった。悲しくなくても、怒りで涙が止まらないことも知った。サギは力なく項垂れ、静かに涙を流している。
「あなたに泣く権利なんてないわ!」
私は踵を返し、お父様とじいやの元へと走った。
「命の危機よ! 剥がすよりも破壊して中に入りましょう!」
私の叫び声を聞いたお父様とじいやにはそちらのほうが簡単だったのだろう。二人で板ごと扉を蹴り始め、ミシミシという音が鳴り響く。段々とその音が大きくなると、扉は部屋の中へと倒れ込んだ。
「……っ!」
扉が無くなったと同時に、部屋からはとんでもない悪臭が漂って来る。死臭かと思った。ほとんどの者は嘔吐いたり、実際に吐いたりしている。けれどこれは死臭ではない……。私だけが一歩を踏み出し、部屋の中へと入った。
床も壁も天井も真っ白に染め上げた部屋は何の色味もなく、気が狂いそうになるだろう。部屋の上部に取り付けられた窓は、嫌味なくらい空を見せつけている。そして部屋の隅にある遺体の焼却炉。どれほどの精神的苦痛だったことか私には計り知れない。
そしてさすがのサギも、餓死させることには気が咎めたのだろう。大きな寝台の枕元には桶があり、布が入れられている。見た目はありえない光景だが、その布の先端をお二人の口元に置いていたおかげで、毛細管現象でかろうじて水分は補給出来ていたようだ。寝具や衣服も濡れ、その水ももはやほとんど無くなってはいるが。
「……」
お二人の口に挟まれている布をそっと抜き取る。私には拷問にしか思えない。また涙を流しながら、お二人のお顔に自分の顔を近付ける。
「……! 生きて……生きているわ! 今すぐ水を! 体を洗浄するから、お湯と大量の布を!」
呼吸はかなり浅いが、お二人共に呼吸をしていた。私の叫び声で入り口は騒然となり、女中たちは嘔吐きながらもバタバタと走って行く。その間に、入り口からは見えないようそっと布団をめくる。臭いの原因はこれだ。誰も世話をすることが出来ず、動けずトイレにも行くことが出来なかったお二人はその場にするしかなかったのだ。どれほど惨めだったことだろう。
部屋の外ではお父様が暴れている。
「何が呪いだ! 貴様がその呪いの元凶ではないか! 人としての心はないのか!?」
救いたくても救えなかった命が多かったお父様は、見たことがない程に怒り狂っている。それに対し、サギは救うどころか完全に放置し、命を軽く扱った。お父様を止めることが出来るのはじいやくらいのもので、必死にじいやが後ろから羽交い締めをしていると、弱々しくも威厳ある声が聞こえて来た。
「……落ち着いて……くれたまえ……。我が国の失態は……我が国で……処罰を……」
あまりの騒ぎに、クジャのお父様が家臣たちに支えられながらここまで来たようだ。その言葉を聞いたお父様は落ち着いたように見えたが、やり場のない怒りをぶつける為に壁を殴り始めた。お父様の気持ちも分かるのか、もう誰もそれを止めることはなかった……。
じいやほどではないが、モズさんもかなり体力がある。そのモズさんが全力疾走をし、私たちが追随する。ちらりとクジャを確認すると、お父様にお姫様抱っこをされながら両手を顔にあて、さめざめと泣いている。
「ねぇモズさん! 空の間って何!?」
クジャには聞けないと思った私は、モズさんの背中に向かって叫ぶ。けれど、その言葉を聞いたクジャは声を上げて泣き始めてしまった。
そうしているうちに、兵や家臣たちがこちらに向かって来てしまった。けれど全員が敵なわけではない。クジャとモズさんの味方はちゃんといるのだ。二人をどうにかしようとする者と、二人を守ろうとする者とで、あちらこちらでいざこざが起きている。それをすり抜け、先頭を走るモズさんを捕まえようとする者には、問答無用でじいやが攻撃を加えている。
クジャや、サギを奪い返そうとする者には、お父様が蹴りで応酬している。私も日頃の農作業で鍛えた足腰を活かして、兵ではなく力の弱そうな家臣にタックルをすると、お父様は驚いた表情をしたあとにニヤリと笑った。
「さすが」
あとに続く言葉は「我が娘」だろう。今のクジャには刺激になるかもしれない言葉と思い、お父様なりに控えたのだろう。
「モズ様!? こちらへ早く! 私たちは中に入れてもらえないのです!」
家臣、というよりは女中であろう女性陣が泣き叫んでいる。視界に見える部屋の前に女性陣がいるが、扉を叩いたり縋りついたりしており、両開きのその扉にはこれでもかと言うほど板が打ち付けられ、ご丁寧に取っ手を取り外されていた。
それを目の当たりにしたモズさんは膝から崩れ落ち、クジャは泣き叫びながら気を失ってしまった。
「カレン、姫を頼む」
そっとクジャを降ろしたお父様は私にクジャを預け、じいやと共に板を剥がしに行った。
「モズさん……何が起こっているの……?」
嫌な予感と共に大変なことが起こっているのは分かっているのだが、あの部屋が何の部屋なのか分からないので不安ばかりが増すのだ。クジャの意識がないのを確認したモズさんは涙声で言葉を紡ぐ。
「あの部屋は……空の間と呼ばれています……。私たちは……っ……死んだあとに……っ……空に向かうと考えているのです……。王家の方たちが死に面した時に……誰よりも大空へと旅立てるよう……あの部屋に……移動させるのです……。そしてあの部屋には……亡くなったあとすぐに焼けるように……焼却炉が備え付けられておるのです……」
頭がついて行かず、何の反応も出来なかった。けれど、泣き叫ぶ女中の言葉で怒りに支配された。
「お二人はまだ意識もあって、会話も出来ていたんです! 本来なら意識のない方が入る部屋なんです!」
「寝台ごと無理やりこの部屋に押し込められ、もう数日が経っています! 近付くことも許されませんでした!」
この混乱に乗じてここに来たのだろう。無言でモズさんにクジャの体を預け、私は立ち上がった。私たちの後方には、レオナルドさんがじいやに言われた通りにサギを引きずって来ており、その後方ではクジャたちを守ろうとする者たちが必死で攻防を繰り広げ、追っ手がこちらに来ないようにしてくれている。
私はツカツカとサギの元へと歩み寄り、渾身の力を込めて殴りつけた。
「あなたは最低よ! 人として最低よ!」
産まれて初めて人に暴力をふるってしまった。こんなにも、人の尊厳を踏みにじる行為を目にしたのも初めてだった。悲しくなくても、怒りで涙が止まらないことも知った。サギは力なく項垂れ、静かに涙を流している。
「あなたに泣く権利なんてないわ!」
私は踵を返し、お父様とじいやの元へと走った。
「命の危機よ! 剥がすよりも破壊して中に入りましょう!」
私の叫び声を聞いたお父様とじいやにはそちらのほうが簡単だったのだろう。二人で板ごと扉を蹴り始め、ミシミシという音が鳴り響く。段々とその音が大きくなると、扉は部屋の中へと倒れ込んだ。
「……っ!」
扉が無くなったと同時に、部屋からはとんでもない悪臭が漂って来る。死臭かと思った。ほとんどの者は嘔吐いたり、実際に吐いたりしている。けれどこれは死臭ではない……。私だけが一歩を踏み出し、部屋の中へと入った。
床も壁も天井も真っ白に染め上げた部屋は何の色味もなく、気が狂いそうになるだろう。部屋の上部に取り付けられた窓は、嫌味なくらい空を見せつけている。そして部屋の隅にある遺体の焼却炉。どれほどの精神的苦痛だったことか私には計り知れない。
そしてさすがのサギも、餓死させることには気が咎めたのだろう。大きな寝台の枕元には桶があり、布が入れられている。見た目はありえない光景だが、その布の先端をお二人の口元に置いていたおかげで、毛細管現象でかろうじて水分は補給出来ていたようだ。寝具や衣服も濡れ、その水ももはやほとんど無くなってはいるが。
「……」
お二人の口に挟まれている布をそっと抜き取る。私には拷問にしか思えない。また涙を流しながら、お二人のお顔に自分の顔を近付ける。
「……! 生きて……生きているわ! 今すぐ水を! 体を洗浄するから、お湯と大量の布を!」
呼吸はかなり浅いが、お二人共に呼吸をしていた。私の叫び声で入り口は騒然となり、女中たちは嘔吐きながらもバタバタと走って行く。その間に、入り口からは見えないようそっと布団をめくる。臭いの原因はこれだ。誰も世話をすることが出来ず、動けずトイレにも行くことが出来なかったお二人はその場にするしかなかったのだ。どれほど惨めだったことだろう。
部屋の外ではお父様が暴れている。
「何が呪いだ! 貴様がその呪いの元凶ではないか! 人としての心はないのか!?」
救いたくても救えなかった命が多かったお父様は、見たことがない程に怒り狂っている。それに対し、サギは救うどころか完全に放置し、命を軽く扱った。お父様を止めることが出来るのはじいやくらいのもので、必死にじいやが後ろから羽交い締めをしていると、弱々しくも威厳ある声が聞こえて来た。
「……落ち着いて……くれたまえ……。我が国の失態は……我が国で……処罰を……」
あまりの騒ぎに、クジャのお父様が家臣たちに支えられながらここまで来たようだ。その言葉を聞いたお父様は落ち着いたように見えたが、やり場のない怒りをぶつける為に壁を殴り始めた。お父様の気持ちも分かるのか、もう誰もそれを止めることはなかった……。
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