明治仕舞屋顛末記

祐*

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第一部 《鬼手》と《影虎》

五日目(二)

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 時を同じくして、赤坂の武家屋敷では、副恭が苛々とした様子で思案していた。
 ここ数日、堀から入るはずの金が滞っていた。
 いい加減痺れを切らした副恭が問い詰めた末に出た奴等の言い分は、押し込み強盗が入り、賭博金をごっそりと盗られたからだという。
 下手な言い訳を、初めは一蹴した。しかしながら、あの老獪な男が必死に言い募るので、暫くの猶予をやった。その上で、副恭自身も家臣を使って、独自に調べを進めてみた。

 驚くことに、堀の言い分は本当だったようだ。
 堀の子分どもは一様にその男の恐ろしさを口にし、また、周辺の住人からも、男の目撃情報が得られた。

 ——仕舞屋《鬼手》

 金さえ払えば、どんなことにも『仕舞』をつけてくれるという、裏稼業の男。
 無手でありながら、刀を構えた侍が束になっても苦戦するという圧倒的な強さ。
 そんな男が、自分の資金源を襲ったのは、偶然なのだろうか。

 堀の手が広がっていることを訝しむ住吉の輩に、幾許かの賄賂を渡して黙らせている。
 それを享受する一方で、《鬼手》を遣って堀を潰そうとしているのか。
 それとも、もしや、本多を切ろうと堀が自ら雇ったのか。
 どちらにしろ、《鬼手》の存在は邪魔でしかない。

 ——やくざ風情が

 副恭の眉間の皺が深くなる。
 地べたに這いつくばって薄汚く生きる家畜どもが、華族になろうという武家に楯突くとは、どういう了見か。
 目標資金にはまだ、程遠いのだ。
 堀にも、住吉にも、今しばらく本多のために、副恭の計画のために、動いてもらわなければならない。
 ぎりぎりと歯軋りをしながら、呪詛の言葉を吐く。

「副恭殿、居られるか」

 不意に襖の外から声がかけられ、副恭はびくりとした。

「あ、ああ……」

 返辞を返すと、すっと襖が開き、盆に茶と菓子を乗せた晃政が入室する。

「羽二重団子をいただいたので、一緒にどうかと」
「か、《影虎》殿がお手を煩わせぬとも、茶なら小姓に用意させますのに」
「何、皆忙しそうだったからな。さ、冷めん内にいただきましょう」

 満面の笑みで団子に手を伸ばす晃政に、副恭は、ああ、と気の無い返答をして、湯呑を取った。
 すでに二つ目の団子を頬張りながら、ふと、晃政はそわそわと落ち着かない視線を彷徨わせる副恭が目に入った。

「どうかなさったのか」
「え?」
「団子にも手をつけず、副恭殿は心ここに在らずといった様子だ」

 副恭はぎくりとする。
 目の前の男は、父の知人だ。この者に己の計画を知られるということは、父へも筒抜けになる。
 そうなれば、本多のために起こされた武生運動ですら好い顔をしなかった父の逆鱗に触れることは必至だ。そうなれば実の息子であろうと勘当すら厭わない厳格な男なのだ。それだけは、避けなければならない。
 茶を飲み、団子を口にしながら、考えを巡らせる。
 晃政の視線に耐えきれず、纏まらないうちに言葉が零れる。

「実は……知人宅に押し込み強盗が入りまして」
「なんと! それは大変なことだ」
「ええ……本多に助けを請いに来たのですが、その強盗とやらがちと厄介なようで」

 着地点を定めぬまま言い訳を連ねる歯切れの悪い副恭に、晃政はきょとんとする。この本多副恭という男、知人の息子であるのだが、無骨な侍である父とは異なり、立ち回りも物腰も、斬り合いに向いてはいないが、弁が立つ。
 そんな男が言い淀むとは、結構な厄介ごとなのではないのだろうか。
 晃政の思い違いに気付いてはいないが、副恭の発した次の言葉は、多分一番正しい一手だった。

「巷では知られた破落戸で……名を《鬼手》というらしいのです」
「何?」

 晃政の脳裏に、黒羽織が去来する。一瞬で自分の殺気を見抜いた大男。しばらくぶりの東京で、初めて相見えた本物の強さを持った男だった。

 瞠目した《影虎》の様子に、副恭はおや? と顎を撫でた。
 先程団子を食べていた時とは明らかに違う、緊迫した空気があった。

 ——《影虎》は、《鬼手》を知っている?

 使える、と副恭は即座に思った。
 そうだ。側にいるではないか。
 維新の人斬り。最強の暗殺者。新政府の邪魔者を、数多も斬って捨てた男。
 此度は、本多の邪魔者を始末してもらえばいい。

「その、厄介なのは……何でも、《影虎》殿を探しているようだと」
「なんだって?」
「本多に所縁のある者を狙っているようで、どうしたものかと思っておったのです」

 お耳に入れるのが憚られた、とうそぶいた副恭に、晃政は力強く拳を握った。

 あの菓子屋での一件の後、《鬼手》について聞き及んだ。
 事の善悪は関係ない、あるのは金子の目方だけ。
 そんな依頼の受け方をする男が、《影虎》を探している。
 東京ここで、晃政を《影虎》と知る者はここにいる本多家の者と——。

 雨に濡れて、血を流しながら命乞いをした男。

(堀忠夫といったか)

 牽制として名乗ったはずなのに、その情報を易々と誰かに渡してしまうとは、余程の小物だったのだろうか。それとも、闇討ちを邪魔された腹いせか。兎に角、恩人の家にもたらされたこの厄介ごとの発端は、己の落ち度に違いない。

「副恭殿、大変ご迷惑をおかけした。拙者、今宵限りでお暇いたす」
「そんな、気になさることなど」
「いや、この始末はつけねばならん」

 そう言って、晃政は団子を一つ取ると、その部屋を後にする。
 残った副恭は、残り一本となった団子を見つめながら、上機嫌でほくそ笑んでいた。
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