明治仕舞屋顛末記

祐*

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第一部 《鬼手》と《影虎》

堀勘兵衛(二)

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 数月前。
 差し込むような寒さがようやく和らいで、そろそろ綿入れも要らなくなるだろうという時分、赤坂の端に位置する武家屋敷で、ある密談が行われていた。

「正直、捕物とりものと思っておりやした」

 節くれだった手指を擦り合わせながら、堀勘兵衛は腰を低く引いて、目の前に座している男を上目遣いで見上げる。
 吉原女の寝床で少々油断していたところに、茶屋の旦那に引き入れられた浪人どもに拉致されて、目を覚ませば、立派な武家屋敷だ。勘兵衛は、とうとうのかと思っていた。

 堀勘兵衛は、元来気の小さい男であった。だが、その気の小ささ故に、狡猾で腹黒く、計算高くもあった。
 地頭の良くない弟を鍛え上げ、ある程度の力をつけさせると、自身のずる賢さと巧みな話術、弟の腕力で、界隈の破落戸やちんぴらを制し、堀一家と呼ばれる一端のやくざものとなる。
 その才覚を見初められ、住吉の傘下に加えられたのはちょうど五年前。以来、麹町界隈の賭博場を取り仕切っていた。
 二、三年してから、勘兵衛はふと思う。
 な賭博場と謳う住吉のやり方は、生温い。
 やくざものが健全と謳うとて、その実、中身はそれほど健全でもない。中はね、局の操作は当たり前、ただし、を許さない。問題が起きれば、警官や役人に裏金を握らせて黙らせる。
 堀が隠し持っている、裏場と呼ばれる無法の賭博場での利益は、そんな住吉の賭博場を上回っている。事が露見すれば、命に関わる危ない橋を渡っているのは承知だ。けれど、己の力に慢心した勘兵衛は、いつしか、自分の組こそが賭博場を仕切るべきなのではないか、と考えるようになる。

 ——どうやって住吉を転覆させようか

 日がな一日、そんな考えを巡らせることが多くなった。
 そのところに、この拉致だ。
 勘兵衛の策略に気づいた住吉が手を回して、警官隊を送り込んできたのかと覚悟したのだ。

「筒袖を着ぬ警官、という発想も面白いな、お主」

 浪人姿を警官隊と勘違いした勘兵衛を笑う眼前の男は、見るからに士族の類だった。
 断髪令のおかげで散切り頭ではあるが、その眼光と居住まいは、腰に幻の二本差しが見えるが如く、凛と堂に入っている。

「我を知っておるか」
「ぞ、存じ上げませんで」

 ふ、と笑いを漏らすその目は、勘兵衛でも竦んでしまいそうなほど暗く澱んでいる。

「元福井藩筆頭家老、本多ほんだ副元すけもとが長子、副恭すけひさと申す」
「ひぇ……そんなご大層な華族様が、あたしに何の用で」

 これほどの屋敷を大江戸に今なお持ち続ける、筆頭家老のお家だ。維新に貢献した士族が賜った華族という肩書きを、勘兵衛は何の疑問もなく口にした。
 だが、副恭は目を丸くしたのち、弾けたように笑い声をあげる。

「気に入った、堀」
「へ、へぇ?」
「お主、いろいろと画策しておるようだな」

 う、と言葉に詰まって、勘兵衛はまた上目遣いになる。裏で手を回したことは数知れず、それを知られているということは、この華族はやはり、住吉の息がかかっているのだろうか。

「なんのことやら……」
「取引をせんか。場合によっては、に都合をつけてやってもいい」
「な……」

 勘兵衛は絶句する。
 華族の子息が、やくざ者を庇い立てると。
 そう言われていることは理解したが、その動機がはっきりとしない。

「お主の利潤の、二、いや三割いただこうか。さすれば、雑音なぞ容易にねじ伏せてくれる」
「さ、三割ですかい!? そりゃあ、ちぃっとばかし……」
「嫌なら良い。わしはお主を住吉に売り、そちらからの恩恵を受けるとしよう」

 さらりと言われて、勘兵衛はぐ、と唇を噛んだ。
 はなから、拒絶の選択肢など用意されていなかったのだ。
 首を縦に振れば、今まで通り、闇に隠れひたひたと、住吉の首に近づける。ただし、この男に少なくない金を持っていかれるのは納得しがたい。
 しかしながら、今住吉に知られることだけは避けたい勘兵衛に、選択の余地はなかった。

「二割五分、それ以上は無理でさ……」
「それで良い」

 ころころと愉快そうに笑う副恭に合わせるようににやけながら、勘兵衛は心の中に渦巻く感情が表に出ないように押さえつける。

 ——華族風情が偉そうに……

 ぬるま湯に浸かった武家の坊ちゃんに、己の何がわかるというのだろうか。
 華族だろうが、住吉だろうが、一代でここまで登り詰めた己の地位を脅かすものは、容赦しない。
 自分には、力も金もある。それだけでのし上がってきた。
 利用できるものは利用し尽くし、邪魔者は葬り去った。
 今回とて、何が違うというのだ。

 やくざ者と繋がろうとする華族など、たかが知れている。
 大きな後ろ盾がないか、ただの痴れ者か。
 現に、当主子息と思われる男と対峙しているにも関わらず、控えている従者はそれ程いないようだった。
 これならば、堀一家の私師団で事足りるのではないか。

 ある意味、勘兵衛の策は正しかったのだろう。

 副恭の父である本多副元は、だ。
 本多家は、大名待遇だった徳川幕府時代、さらには維新での働きを持ってしても、華族と列されなかったのだ。
 数年前に家格向上を願って、複数の支援者が起こした武生騒動が、皮肉にもよりそれを遠のけた。
 よって、その子息である副恭など、四民平等の明治では、町民と並ぶべく格しかなかった。
 堀一家が精鋭を伴って襲撃すれば、吹いて飛ぶようなくらいだったのである。

 そんなことを知る由もない勘兵衛にとっての不運は、ただしかし、別のところにあった。
 彼の策がことごとく破れ、本多の言い成りになるしか無かった元凶は、その武家屋敷に滞在した客人の存在だったのだ。
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