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第十章 終わりと始まり

10-14. 《始まりの魔女》

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 四国間の国境が交差する場所にある、四大王国中央庭園。中心部にそびえ立つ《始まりの魔女》の巨大な石像前の広場を埋め尽くすように、群衆が集っている。
 そこかしこに画像投影機が何台も設置され、多くの記者達も集まっているようだった。
 石像の膝付近にある展望バルコニーには、スピーチ台が設置され、その両脇にずらりと椅子が並べられている。

 バルコニー奥の控え室には、今から始まる式典を補佐する関係者達が、思い思いにその時を待っていた。

「なんで、ユウリがこんなことを」

 その部屋の片隅で、正装したヨルンが低い声で呟くのに、同じく正装のスヴェンが嘆息する。

「それが、彼女の出した答えだろう」

 ラヴレから示された、教会からの提案。
 それは、ユウリが、《始まりの魔女》として公に出ることだった。

 ヨルンの勇み足の婚約発表は、少なからず、各方面へ波紋を呼んでいた。
 ガイア、パリア、ノーラン各国が肯定的な立場を示していなければ、ヨルンやフィニーランドへの批判や妬みは膨れ上がっていただろう。

 それでも難色を示すヨルンを、ユウリはたった一言で説得してしまった。

 ——《始まりの魔女》は、世界のものだから

 だから、多くの人々が知ってしまった真実の歴史の中で、《魔女》が行おうとしたこと。
 彼女が人間となり、また《魔女》不在の時代が訪れ、そこに、クタトリア帝国のようなものが生まれてしまったら。
 人々の不安は、計り知れない。そして、大きな不安は、過去に悲劇を生み出した。
 だからこそ、ユウリは知らせたかった。

 《始まりの魔女》は、変わらず平和を愛し、平等に力を分け与えると。
 世界の均衡を壊すことは、彼女の本意ではないと。

 ユウリの気持ちが手に取るように分かったから、ヨルンはそれ以上は何も言わなかった。けれど、少なからず教会の対応に不満を持っている彼は、彼女にのし掛かる重責を憂慮していた。

 かちゃり、という音とともに扉がゆっくりと開き、金の刺繍に彩られた外套を纏ったラヴレと、漆黒のフード付きローブを着たユウリが入室する。

「あれが《始まりの魔女》」
「なんと、まだ子供ではないか」

 騒めく室内に、ラヴレがユウリの背に手を添える。
 彼女がそれに頷いて、瞬きを一つすると、関係者達の手の中にユーリーンの花が一輪落とされた。
 驚愕の表情の一同を見渡して、ユウリが微笑む。

「多くの方々、お初にお目にかかります。ユウリです」

 紅い瞳でぺこりとお辞儀するユウリに、複雑な視線が集まる。
 彼女が間違いなく《始まりの魔女》だと分かって湧き上がる、畏怖、戦慄、崇拝、安堵などの様々な感情が含まれた視線に、ラヴレは満足げにユウリに微笑み返した。

「流石学園長……一瞬でみんな黙らせたね」

 リュカが隣に立つユージンにこそりと耳打ちする。ロッシは、二人の側で我関せずという風に面倒臭そうに眼鏡を押し上げた。
 四大王国国王陛下とともに、彼らもこの式典の出席者としてここにいる。

「学園長というより、教会だろうな。ここぞとばかりに《始まりの魔法》を見せつけておけば、不満も不安も出にくいだろうよ」
「それにしても……なんかユウリが遠くに行っちゃった感じ」
「ユウリの自立が、『お兄ちゃん』としては寂しいのか」
「ユージン、うるっさい!」

 リュカと軽口を叩きながらユージンは、ちらりとヨルンを見た。ぶすりと膨れっ面をしたまま、手の中で花弁を弄ぶ様子に、思わず苦笑する。

 まさかプロポーズをすっ飛ばして、記者まで巻き込んでしまうとは、事前に相談されたユージンにも予想できなかった。その後、教会が提案したこの式典にも、それがユウリを受け入れたことにも、驚いている。

 一人で闘いたいと泣いていた少女。
 心優しいが故に、傷つけるくらいなら、と自ら傷つきにいっては、周りを心配させた。
 それでも、自分の求めるものを掴むため、今もなお闘い続けている。

 ——その願いが、叶うように

 ユージンは、祈ることしかできない。
 一度は自分自身も、心から欲しいと思ったのだ。
 それを手にした二人が、引き裂かれることだけはあってはならないと思う。

(俺も、いい加減面倒くさい性格だな)

 ユージンは自嘲して、目元を手で覆った。泣いてんの!?と勘違い甚だしい大声を上げたリュカには、力一杯拳骨を落としておく。

「ヨルンさん、スヴェン陛下」

 部屋の反対側で起きている揉め事に気づかないまま、ユウリはヨルンとその父であるフィニーランド王国国王陛下へと歩み寄った。
 ヨルンの機嫌がすこぶる悪いのに気づいて、瞳を伏せる。

「……私のわがままで、ごめんなさい」
「そう言うならッ」

 完全には納得していない声音のヨルンに、ユウリは困ったように微笑んだ。

「ヨルンさん。《魔女》がフィニーランド王に言ったこと覚えてる?」
「え?」
「私は、ヨルンさんと一緒に居られるだけで幸せなの。私は《始まりの魔女》だけど……『ユウリ』はずっとヨルンさんのものだから」

 ヨルンの目を真っ直ぐに見据えて言ったユウリの言葉に、ヨルンは頰をさっと染めて、口元を手で覆い隠す。

「ユウリ、ずるい」
「ふふ」
「そんな風に言われたら、俺が駄々こねてるみたいじゃない」
「勝手に色々決めちゃった仕返し」

 珍しく照れているヨルンに、ユウリは満足げにペロリと舌を出して笑った。

「じゃ、行ってきます」

 はにかみながらそう言われて、ヨルンはユウリの額と、その桜色の唇に優しくキスを落とす。
 だが、その瞳の中の決意の光に、彼女の存在が何故だか遠く感じて、酷く落ち着かなかった。

 深呼吸をしたユウリは、ユージン達に手を振りながら、バルコニーへと出ていく。
 初めて《始まりの魔女》その人の姿を目の当たりにした群衆から、大きな歓声が上がる。
 関係者達が各々席へと着いたのを確認して、従者のように側に控えるラヴレが、彼女を壇上に促した。

「みなさん」

 拡声機を通じて、思いの外大きく響いた自分の声に、ユウリは少したじろぐ。ふう、と息を吐いて、胸に手を当て、どきどきと鼓動する心臓を落ち着かせた。

 ——闘うと、決めたのだ

 伏せていた瞳を、真っ直ぐに群衆へと向ける。

「《始まりの魔女》として生まれ出でて、今日こんにちまで姿を表さなかったことをお許しください」

 スピーチの原稿は、予め教会が用意してくれていた。
 ユウリの伝えたいこと——《始まりの魔女》が世界のものであると伝える、無難な文面。

「たくさんのことがありました。色々な憶測があるかと思いますが、《魔女》が全てを解決し、世界は変わらず平和であると、ここに宣言いたします」

 《魔女》が平和を確約するのに、群衆は湧いた。
 危険種の異常発生、学園の襲撃、闇に包まれた上空から現れた金色の矢じり——それらは確実に、世界中を憂患させていたのだ。
 そこへきて、《始まりの魔女》が現れ、世界平和を守った。
 教会の思惑通り、人々はその力を讃え、信仰心を深めていた。

「私は、これから《始まりの魔女》として、世界を守っていこうと思います。その空に浮かぶ太陽は、どんなものにも平等に降り注ぎます。一国の王とて、それを止めることはできません。私はずっと、そしてこれからも、皆の太陽でありたい。皆に平等に降り注ぐように。そこにあるだけで恵みをもたらすように」

 ——全ての者に平等を、未来永劫与え続けます

 ユウリは一息つくと、最後の一節を読む前に、手の中にある羊皮紙をくしゃりと潰した。隣に立つラヴレがギョッとするのがわかる。
 意を決して顔を上げ、広場の人々を見つめる。

「だから、心だけは……過ちを犯してまで望んだものを手に入れることを、許してほしい」

 畏れ多いはずの《魔女》から許しを請われ、群衆から次々と困惑した騒めきが起こる。何を、と止めようとする教会関係者を、ラヴレが手で制した。

「《始まりの魔女》は、ずっと人間になることに憧れていました。だからこそ、それらが傷つくことを酷く嫌い、愛し護りました。そして、彼女もまた、愛し護られることを求めてしまった」

 ——だから、それが許されるなら

 ユウリは拳を握る。
 教会からの提案を受け入れた時から決めていた。
 教会の用意した耳触りの良い言葉だけでなく、自身の願いも含めて、全てを話してしまおうと。
 知ってしまった幸せを、手放してしまう勇気は、闘いを決めた当初からなかったのだ。
 けれど、沸き立つ群衆を前に、《始まりの魔女》として君臨する代わりに、それを求めることは罪なのだろうかと、心が葛藤する。

「特別を持つことを許されなかった彼女の唯一の願い。愛する人とともに生きたいというその願いを、どうか叶えてほしい」

 苦しそうに吐き出すユウリの一語一句に、思わず立ち上がろうとした王子達も、固唾を呑んでことの成り行きを見守っている。

「私は、ヨルンさんを……愛しています」

 凛とした声音が、動揺の広がる広場に静寂をもたらした。
 全てを持つ者が、まるでそれ以外何も持っていないかのように、大切に発した言葉。
 人々の中に、力への畏怖とは異なる感情が芽生え始めていた。

「もう知らなかった頃には戻れない。皆が知っている、当たり前にある日常を、どうかこの哀れな《魔女》にも与えてほしい。悲劇の歴史を、変えてほしい。わがままなお願いを、どうか、どうか」

 震える声が消え入りそうになる。いつの間にか、ユウリの瞳からは透明な雫が止めどなく溢れている。
 それでも真っ直ぐに前を見据えて懇願する《始まりの魔女》。

 彼女は、一体どれだけのものを与えられているのだろう。

 無限の魔力、その高尚なまでに清い心、畏れ多き存在感。
 そして、溢れる情熱と、深い嘆き、抗えない憂い。
 肯定的なものも、否定的なものも、世の中の全部をその身に集めて、包み込む。

 それゆえに、儚く強く哀れで——斯くも美しいものなのか。

 涙に濡れる《魔女》を目にした誰もが、そう思った。
 ぱらぱらと聞こえてきた拍手の音が、広場全体に広がるのにそう時間はかからなかった。わあっという歓声と祝福の言葉。

 堪らず駆け寄り、ひとり闘い抜いた《魔女》をその腕に搔き抱いた人影を、止める者は誰もいない。
 暖かなヨルンの腕の中で、ユウリはいつまでも嗚咽を止めることが出来なかった。
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