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第十章 終わりと始まり

10-9. 消えた悪夢

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「なぜ……貴様がその力を……」

 呆然と発したユージンの言葉に、アトヴァルは唇の片端を引き上げて不敵な笑みを浮かべる。
 細められた視線の先に、ユウリが横たわっていた。その身体から細く流れ出る魔力が、アトヴァルに向かって伸び、彼を包み込んでいる。
 必死の形相で首をもたげ、彼らに向かって手を伸ばしたユウリの指先が、すうっと薄れていった。

「ユウリ!」「貴様……っ!」

 全員が事態を把握する。
 蓄積された魔素から生まれた《始まりの魔女》が、その存在を形作る魔力を奪われ尽くしたら。
 《魔女》の願いを、初代フィニーランド王とイェルディスが躊躇い、実行し得なかった理由。

 ヨルンが氷刃を風に乗せ、剛速の刃をアトヴァルに叩き込む。
 それを剣でかわしながら、アトヴァルは《始まりの魔法》を以って、ユウリに向かって走るユージンとリュカを爆撃した。
 それを読んでいたかのように、ロッシの用意した障壁が彼らを守り、ユージンとリュカが次々と反撃する。

「ふむ。集中せんと、ちと辛いな」

 誰に言うでもなく呟いて、アトヴァルが剣を仕舞うと、ユウリから流れ出る魔力がプツリと止まった。
 その瞬間、王子達が踏みしめる地面がごそりと消え失せる。
 間一髪でヨルンが放った転移魔法で、四人とも壁に背を預けるラヴレの側に降り立った。

「術の途中でもこの威力か。気に入った」
「この……っ」

 金の前髪をかきあげながら、愉悦の表情でいうアトヴァルに、ヨルンが拳を握り込む。
 ニヤニヤとしたその笑みを、叩き潰してしまいたい。
 けれど、繰り返される《始まりの魔法》による攻撃に、辛うじて詠唱が間に合うのはヨルンだけで、あとは防戦一方だ。

 ——ユウリ……ッ

 地面に頰をつけたまま、彼女は、もう動かなくなっていた。
 魔力の揺めきは、その身体の周りで漂っているだけで、アトヴァルに吸収される様子はない。
 一気に跳躍して距離を詰めようにも、アトヴァルの無詠唱、いつどこで何を仕掛けられるのか分からない攻撃に苦戦する。

 四人が四人とも、ゼエゼエと肩で息をして機会を伺っていた。

「おお……これは」

 その緊張を揺るがすように、掠れた声が響き渡る。
 一斉に視線を集めた先で、フードを被る男がラヴレに歩み寄っていた。

「ほ、法皇様……」
「ラヴレ、無事か」

 厳重に警護されてしかるべき人物が、従者を独りも連れずに、この場に立っていた。
 驚愕する王子達に、法皇は薄っすらと微笑みを浮かべ、彼らを囲うように、最高位の防御障壁を展開する。
 アトヴァル自身も、彼の登場を予想だにしていなかったようで、一瞬ぽかんとした後、ぐしゃりと顔を歪めて高笑いを始めた。

「ははははは! 法皇様までお出ましになった! 我が祖国の復活を彩るには、素晴らしい面々ではないか!」
「お主が全ての元凶だったのだな、アントン」

 その呟きに応えるように、アトヴァルの《始まりの魔法》が発動する。
 それを弾き返しても尚、ピクリともしない防御障壁に、初めて彼から舌打ちが漏れた。

 何度目かの攻撃が難なく相殺されて、彼は法皇を睨みつける。

「小癪な……っ」
「……《玉響たまゆらの身、とことわの契約……》」

 法皇が始めた詠唱に、アトヴァルは僅かな既視感を覚えた。彼は、この呪文の始まりを知っている。
 ただの魔法でなく、遥か昔に聞いたような響き。
 法皇は続けながら、懐に手を差し込み、ずっと胸に抱いていた魔導具を引き出す。
 それを目にした途端、アトヴァルの顔色が変わった。

「それは……まさか、貴様……!」

 様々な布が巻きつけられたその棒状の魔導具は、布の隙間から所々色褪せた金の装飾が見え隠れしている。上部には、鍔のような広がりがあり、そこから鉱石を編み込んだ銀の紐が幾重にも垂れ落ちていた。

 あの時、あの後、末弟の手によって装飾されたそれを、法皇が振りかざしながら詠唱している。

「アルカディィィイッッ!!!!!」

 絶叫しながら、狂ったように攻撃するアトヴァルに、王子達が弾かれたように応戦した。
 何か、皇帝にとって決定的な術を発動しようとする法皇を全力で守るように、彼らは何度吹き飛ばされても立ち上がり、向かっていった。

「うわ……」「く……」

 我を忘れたアトヴァルの攻撃は、苛烈さを増している。
 最大限に張り巡らせた障壁は、瞬時に跡形もなく消し飛ばされる。
 攻撃が当たる寸前、リュカとロッシの前にヨルンが躍り出て、一呼吸で唱えられるだけ唱えた防御魔法で受け止めた。

「ヨルン君!」

 未だ回復していないラヴレが、片膝をつきながら援護する。

「わははははは! 皆、消し飛んでしまえ!!」

 防御に徹する一同に、アトヴァルは止めを刺そうとした。
 以前ユウリがドラゴンを消しとばした様に、彼の今持てる全ての魔力を放出する。

 眩い光が辺りを包み——どん、という爆発音とともに、莫大な衝撃波が襲って、双方とも、後ろに突き倒される様に飛ばされた。
 態勢を立て直したアトヴァルが、発動の失敗を悟り、舌打ちする。

「忌々しい《魔女》が……!」

 向こうが透けるほど薄くなった腕で上半身を支えて、ユウリが紅い瞳で睨みつけていた。

 アトヴァルは、自身の《始まりの魔法》を過信していた。
 既にユウリから奪い取った魔力は、確かに膨大だった。
 しかし、途中で術を停止して、魔力の供給を断ち切り、攻撃に転じたため、彼の魔力には
 だから彼は、普通の魔法と同じように《始まりの魔法》を行使していた。
 発動、威力ともに桁外れではあるが、それは、ユウリが使う《始まりの魔法》とは、似て非なるものだ。
 炎や爆炎や障壁は、彼女にとって『現象』であって、その時必要であれば、その心を投影して発動する。アトヴァルのように、どのような攻撃するのかは考えていないのである。
 普通魔法がロクに使えないユウリだからこそ、流れるように、心の向くままに操れる力なのだ。

 その少しの差が、アトヴァルが《始まりの魔法》を以ってしても、法皇の力を打ち破れない原因だった。
 そして、消えそうになってもなお、アトヴァルの魔法を消しとばしてしまえる、決して敵わない《始まりの魔女》の心の強さの現れだった。

 アトヴァルは攻撃の手を緩め、憎々しげにユウリに向き直る。かっと目を見開くと、ユウリが小さく悲鳴を上げ、倒れこむ。術を再開された彼女は、パラパラと粒子になっていた。

「ユウリ!」
「……《ここにアルカディ・クタトリアスの名の下、契約を終結する》」

 法皇が詠唱を終える。

「……ッ、アルカディィッ!!」

 剣を引き抜いて踏み込んだアトヴァルに、法皇は魔導具を突き出す。

「貴様、またしても裏切りおってぇええ……っっ!」
「眠るのだ、過去の亡霊よ……」

 魔導具が、皇帝の身体を貫いている。
 アトヴァルの剣は、地に落ちていた。——それを握る手が、砂になって風にさらわれたからだ。
 さらさらと崩れ落ちていく史上最恐の皇帝を、皆、言葉なく見つめる。

「《契約の地図》……我が祖国よ……クタトリアよ……ここに」

 蘇らん、と口にしながら、アトヴァルだった最期の砂粒がパラリと地面に落ちる。
 刹那、その砂山から、光の粒子がぽつり、ぽつりと浮かんで、爆発した。その膨大な光は、真っ直ぐにユウリへと伸びていき、その身体に消えていく。
 解放され魔力が戻ると、消え掛かっていた彼女が、徐々に質量を取り戻していった。

「ユウリ……!」

 駆け寄ったヨルンが、ユウリを抱き起こしてギクリとする。
 身体の冷たさ。血の気のない顔。動かない胸元。
 自身の残り少ない魔力を気にせず、ヨルンは立て続けに詠唱を重ね、ユウリに口付ける。

「ヨルン、もう……」

 ユージンが肩にかけた手を、乱暴に振り払い、ヨルンは何度もユウリの唇を塞いだ。

 ——このまま逝くなんて、許さない

「ヨルン君、これ以上は、貴方が欠乏状態に……」

 ラヴレの言葉にもぶんぶんと頭を振り、ヨルンは詠唱を続けようとするが、短い息に呪文が途切れる。
 はぁはぁと肩で息をしながら、もう残っていない魔力を振り絞ろうとする彼を、皆止められない。
 リュカが、辛そうに顔を背ける。

 欠乏状態でぶるぶると震える手で、ヨルンはユウリを胸元に搔き抱いた。
 ぐ、とその腕に力を入れた時——。

「……けほっ」

 小さく咳き込む音が、ヨルンの耳元をくすぐった。
 そのまま何度か咳き込むと、ユウリはヨルンの顔を見上げる。

「ヨ……」

 呼びかけようとして、パタパタと肌に落ちる暖かい雨に、ユウリはくすぐったそうに目を細める。
 止め処なく肌にこぼれ落ちる雫は、綺麗な銀色から降り注いでいた。
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