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第十章 終わりと始まり
10-7. 『不死』の術
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ここは——。
アトヴァルの末弟——アルカディ=クタトリアスは、重たい瞼を無理やり押し上げる。手足を拘束され、冷たい石床に転がされている彼の周りを、数人の男達が取り囲んでいた。
《始まりの魔女》消滅の儀式の後、イェルディスと別れて帰宅する途中に何者かに襲われた。
酷い拷問を受けたのちに、意識を失った彼が目覚めたのは、教会奥深く、クタトリア最後の皇帝の石櫃の前だった。
男達は、彼をじっと見つめるだけで、一言も言葉を発しない。
腫れ上がった目をやっとの事で開いて目を凝らすと、畏れ多くも実兄の石櫃の上に腰掛けるようにしている人影が見えた。
「よくもやってくれたな」
丸まった背中、嗄れた声——だが、その声に聞き覚えがあるような気がした。
漆黒の闇に溶けるような男が身じろぎをすると、薄く入る光の中、フードの中がちらりと見える。
「兄……上……?」
先の戦で、重症を負ってのちに死んだはずの兄が、アルカディの目の前で、動いて喋っている。
彼は一瞬、自分が既にこの世のものではないのではないかと錯覚した。
「お前もクタトリアスの血を受け継ぐもの……なぜ裏切った」
けれど、嗄れた声はアルカディを的確に糾弾していた。
拷問の中で告白させられた事実を、知られている。
自分の裏切りで、夢を叶えんとする同胞達の計画は潰えた。
では、その『夢』とやらは、一体誰のものだったのだ。
「兄上……どうして」
生きておられるのだと続けようとして、アルカディはぎょっとした。
フードを背に落としたアトヴァルの顔が、半分腐り落ちている。
「ま、まさか、禁術に手を出したのか……」
《始まりの魔女》から与えられた多くの魔法。
それらを理解し、引き出し、実行することは、各々の知識や魔力量にかかっている。
《魔女》は生活魔法に始まり、攻撃魔法、防御魔法、合成魔法、促進魔法……加えて、禁術や呪いを含むありとあらゆる魔法を、一瞬にして、平等に分け与えた。
禁術や呪いが何故禁じられているのか——それを理解するには、それがどのようなものであるかという知識が必要だからだ。
それを逆手に取って、禁術であることを知りながら真っ先に実行したのは、奇しくも討伐されるべき悪だった。
アトヴァルの命の炎が消える寸前に、帝国軍は、命の時間を完全に止める禁術を使用していた。
ただ、流れ出る血液が止まり、再び目を覚ましたとしても、治癒魔法では傷は治らず、其処から徐々に腐り落ちていくのを止められないようだ。
今まで押し黙ったままだった周りの男達が口を開く。
「《始まりの魔女》の魔力を奪い、我が皇帝に与えることが、我らの使命なのだ」
それはまるで、彼女を貶めるために流された噂を擬えるような申し開きだった。
——魔力を全て与えて、世界を牛耳る
果たしてそんなことが可能なのか、と考え、アルカディははっとする。
「《契約の地図》を狙っているのか」
魔女にしか書き記せない、強制力を持っている不思議な地図。
それを書き換えることが出来れば、確かに世界を手中に収めたも同然のこと。
「お前が、あのいけ好かない魔法オタクと結託さえしなければ、既に我が手中にあったものを」
ギロリと睨みつけられて、アルカディは震え上がった。
《始まりの魔女》は霧散しただけで、いずれ必ず復活する。
それを知られてしまった今、自分が何故、この場所で兄と対峙しているのかを思い知らされた。
「色々と研究していたのはわかっている」
「あ、兄上……」
「お前は、人一倍臆病だった。だからこそ、《魔女》に取り入り、地位を得て、思う存分研究したのだろう」
——『不死』の術を
低く、よく通る声が、アルカディを戦慄させる。
彼は、死ぬことが怖かった。
その恐怖があったからこそ、暴走する兄を止めることもせず、クタトリアスの家名の加護を甘んじて受け、自分だけ安全場所を確保して、世界の混沌から目を背けた。
世界が平定され、兄が討たれた後。
《始まりの魔女》と四大王国王たちの眼前で、アルカディは自分自身を酷く恥じ入った。
だから、二度と過ちを起こさぬよう、強くなるために最善なことはなんなのかと考え、そうして出した結論が『不死』だった。
死を恐れることがなければ、躊躇う事も無い。
躊躇わなければ、悪に立ちはだかる事も出来る。
ただ、彼は、立ちはだかるべき悪の手にそれが渡ることまでは、考えていなかった。
そんな子供染みたアルカディを馬鹿にするように、アトヴァルは死の恐怖を突きつけて、協力を促す。
圧倒的な力と、冷酷無残な性格で、暴虐の限りを尽くした最後の皇帝——彼には、拒否という選択肢は用意されていない。
「じゅ、術は、まだ完全でないのです」
「何が要る」
冷たく細まる金の双眸に、アルカディは、ごくり、と喉を鳴らす。
嘘は言っていない。嘘ではない。
「触媒を……命にも変えられぬ大切なもの……それがなければ」
アトヴァルはしばらく逡巡して、傍に控えた従者に命じて、一振りの剣を持って来させた。
それは、数多の戦で、星の数ほどの人間の血を吸った、兄の愛剣。
拘束を解かれたアルカディは、その剣を手にして、震える声で詠唱を始める。
触媒がなければ、『不死』は完成しない。
ただし、その触媒は、命にも変えられぬ、まさに魂とも呼べるものになる。
それを意図的に告げないことが、アルカディの最後の抵抗だった。
アトヴァルの末弟——アルカディ=クタトリアスは、重たい瞼を無理やり押し上げる。手足を拘束され、冷たい石床に転がされている彼の周りを、数人の男達が取り囲んでいた。
《始まりの魔女》消滅の儀式の後、イェルディスと別れて帰宅する途中に何者かに襲われた。
酷い拷問を受けたのちに、意識を失った彼が目覚めたのは、教会奥深く、クタトリア最後の皇帝の石櫃の前だった。
男達は、彼をじっと見つめるだけで、一言も言葉を発しない。
腫れ上がった目をやっとの事で開いて目を凝らすと、畏れ多くも実兄の石櫃の上に腰掛けるようにしている人影が見えた。
「よくもやってくれたな」
丸まった背中、嗄れた声——だが、その声に聞き覚えがあるような気がした。
漆黒の闇に溶けるような男が身じろぎをすると、薄く入る光の中、フードの中がちらりと見える。
「兄……上……?」
先の戦で、重症を負ってのちに死んだはずの兄が、アルカディの目の前で、動いて喋っている。
彼は一瞬、自分が既にこの世のものではないのではないかと錯覚した。
「お前もクタトリアスの血を受け継ぐもの……なぜ裏切った」
けれど、嗄れた声はアルカディを的確に糾弾していた。
拷問の中で告白させられた事実を、知られている。
自分の裏切りで、夢を叶えんとする同胞達の計画は潰えた。
では、その『夢』とやらは、一体誰のものだったのだ。
「兄上……どうして」
生きておられるのだと続けようとして、アルカディはぎょっとした。
フードを背に落としたアトヴァルの顔が、半分腐り落ちている。
「ま、まさか、禁術に手を出したのか……」
《始まりの魔女》から与えられた多くの魔法。
それらを理解し、引き出し、実行することは、各々の知識や魔力量にかかっている。
《魔女》は生活魔法に始まり、攻撃魔法、防御魔法、合成魔法、促進魔法……加えて、禁術や呪いを含むありとあらゆる魔法を、一瞬にして、平等に分け与えた。
禁術や呪いが何故禁じられているのか——それを理解するには、それがどのようなものであるかという知識が必要だからだ。
それを逆手に取って、禁術であることを知りながら真っ先に実行したのは、奇しくも討伐されるべき悪だった。
アトヴァルの命の炎が消える寸前に、帝国軍は、命の時間を完全に止める禁術を使用していた。
ただ、流れ出る血液が止まり、再び目を覚ましたとしても、治癒魔法では傷は治らず、其処から徐々に腐り落ちていくのを止められないようだ。
今まで押し黙ったままだった周りの男達が口を開く。
「《始まりの魔女》の魔力を奪い、我が皇帝に与えることが、我らの使命なのだ」
それはまるで、彼女を貶めるために流された噂を擬えるような申し開きだった。
——魔力を全て与えて、世界を牛耳る
果たしてそんなことが可能なのか、と考え、アルカディははっとする。
「《契約の地図》を狙っているのか」
魔女にしか書き記せない、強制力を持っている不思議な地図。
それを書き換えることが出来れば、確かに世界を手中に収めたも同然のこと。
「お前が、あのいけ好かない魔法オタクと結託さえしなければ、既に我が手中にあったものを」
ギロリと睨みつけられて、アルカディは震え上がった。
《始まりの魔女》は霧散しただけで、いずれ必ず復活する。
それを知られてしまった今、自分が何故、この場所で兄と対峙しているのかを思い知らされた。
「色々と研究していたのはわかっている」
「あ、兄上……」
「お前は、人一倍臆病だった。だからこそ、《魔女》に取り入り、地位を得て、思う存分研究したのだろう」
——『不死』の術を
低く、よく通る声が、アルカディを戦慄させる。
彼は、死ぬことが怖かった。
その恐怖があったからこそ、暴走する兄を止めることもせず、クタトリアスの家名の加護を甘んじて受け、自分だけ安全場所を確保して、世界の混沌から目を背けた。
世界が平定され、兄が討たれた後。
《始まりの魔女》と四大王国王たちの眼前で、アルカディは自分自身を酷く恥じ入った。
だから、二度と過ちを起こさぬよう、強くなるために最善なことはなんなのかと考え、そうして出した結論が『不死』だった。
死を恐れることがなければ、躊躇う事も無い。
躊躇わなければ、悪に立ちはだかる事も出来る。
ただ、彼は、立ちはだかるべき悪の手にそれが渡ることまでは、考えていなかった。
そんな子供染みたアルカディを馬鹿にするように、アトヴァルは死の恐怖を突きつけて、協力を促す。
圧倒的な力と、冷酷無残な性格で、暴虐の限りを尽くした最後の皇帝——彼には、拒否という選択肢は用意されていない。
「じゅ、術は、まだ完全でないのです」
「何が要る」
冷たく細まる金の双眸に、アルカディは、ごくり、と喉を鳴らす。
嘘は言っていない。嘘ではない。
「触媒を……命にも変えられぬ大切なもの……それがなければ」
アトヴァルはしばらく逡巡して、傍に控えた従者に命じて、一振りの剣を持って来させた。
それは、数多の戦で、星の数ほどの人間の血を吸った、兄の愛剣。
拘束を解かれたアルカディは、その剣を手にして、震える声で詠唱を始める。
触媒がなければ、『不死』は完成しない。
ただし、その触媒は、命にも変えられぬ、まさに魂とも呼べるものになる。
それを意図的に告げないことが、アルカディの最後の抵抗だった。
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