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第十章 終わりと始まり

10-4. 封印

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(早く、早く……!)

 ユウリは肩で息をしながら、何度目かの魔力を四方に飛ばす。
 これほどまでに大掛かりな放出をしても、《始まりの魔法》は尽きない。
 ただ、上空の矢じりを押し戻すために極限に集中するユウリの体力が持つかどうかは、また別の問題だった。
 雨に濡れていなければ、彼女の額からは幾筋もの汗が流れ落ちているに違いない。
 機械時計を握る手が、緩んでくる。闇の中の金の点が、途端に増える。

(この……っ!)

 それを気合いで押し戻した時、ユウリに掛かる重圧が、ふ、と軽くなった。
 目を凝らすと、学園から一番遠い、南方の光の柱が徐々に薄れていた。

(ヨルンさん、回復したんだ……!)

 それを皮切りに、光の柱は次々と薄れていく。呼応するように、闇の中の金が、一つ、また一つと霧散していった。真っ黒な闇が周辺から収縮していくのを眺めながら、召喚魔法が消えていくのを感じた。
 終わったのだ。

 極限の緊張から解放されたユウリは、スカートが汚れるのも気にせず、ぺたんと地面に座り込む。
 どろどろになった顔を拭っていると、遠くからパシャパシャと、複数の足音が聞こえてきた。
 学園に残った四人が駆けつけたのだろう。
 そう思って、そちらを向こうとした首が、ぎしり、と止まった。
 え、と思う間も無く、座り込んだ足まで動かない。いや、動かないというよりも、酷く重たい鉛玉をつけられたように、動かせないと言った方が正しい。

「な、に……」

 動揺するユウリの耳に、水音を立てながら近づく足音がこだまする。

(四人じゃ、ない……!)

 レヴィたちにしては多すぎる足音に、血の気が引いていく。
 学園長が張り巡らせた人払いの魔法は、ユウリの魔力に当てられて、とうの昔に消え去っていたのだ。

「ってぇ!」

 掛け声のようなものが聞こえ、ユウリの身体に、ずん、と更に重しがかかる。
 自由にならない首を、無理矢理にその方向に向けて、ユウリは息を呑んだ。
 人垣、といっても過言でない人数が、陣を組んで、彼女に向かって何かを放っている。
 雨に混じってバシャバシャと降り注ぐそれは、深紅だった。
 彼らは、ユウリの周りが紅く濡れるのを見届けて、詠唱を始める。

(これ……血だ……)

 錆びた鉄のような匂いが辺りに立ち込めていた。
 背筋がゾッとするのを感じながら、ユウリは必死で記憶の糸を手繰り寄せている。
 対象者の血を媒介に発動する魔法があったはずだ。
 あれは、確か、禁術の中の……。

(何度も打たせてはダメだ)

 不自由な手で、やっとのことで機械時計を掴むと、パリ、と放出された魔力が、静電気のように一瞬で弾ける。
 そうして、ユウリは確信した。
 この人垣は今、皆、反魔法を唱えている。
 術者の魔力を全て使用しつつ、対象者の血を媒介に発動し、相手の魔力や魔法を完全に封じる準封印魔法。
 集められた人数から、彼らが《始まりの魔法》をも封じようとしているのだと気づく。
 現に、数回発動した反魔法が、ユウリの機械時計から流れ出る魔力を打ち消してしまった。

「いつ……私の血を……」

 重い手に力を込めながら呟いて、ユウリはハッとする。
 その視線は、自身の右脇腹に注がれていた。
 帝国の息のかかった薬師に騙されたサーシャが喚び出したバイコーンに襲われて、抉り取られた脇腹。
 あの時、死に手が届くほど、流したのではないか。
 そんな前から、この攻撃を計画していたというのか。

「く……なめ、るな……」

 四度目の詠唱が終わろうとした時、ユウリのうなじでプツンと金属の切れる音がして、機械時計が地面に落ちた。
 その瞬間、機械時計の制御から解き放たれた魔力が、反魔法を無に帰していく。

「わあぁぁ……!」
「くそ、反撃に出たぞ!」
「ぎゃあああ!!」
「そんな、過去にはこれで……!」

 阿鼻叫喚を背後に聞きながら、ユウリは溢れる魔力を抑えることなく、全力で《始まりの魔法》を発動した。
 ベールのようにかかっていた、三重の反魔法も解いていく。
 ゼエゼエと肩で息をしながら、自由になった身体で立ち上がって、後ろを振り向いた。

「え……」

 血反吐を吐きながら、バタバタと人垣が倒れていく。
 その後ろからまた次々と人が現れ、反魔法を打ち込んでは、ユウリの魔力に弾き返され、折り重なるようにして崩れ落ちた。
 転がる夥しい死体の山に、瞠目したユウリの瞳から涙が溢れ出る。

「いやぁぁぁぁ!」

『術の戻りが大きすぎて、対象者がそれを破った場合、術者は漏れなく再起不能になるという、ほぼ捨て身の魔術』

 まさか、命まで奪ってしまうとは思っていなかった。
 彼らから放たれた反魔法は、無限の魔力を持つユウリに打ち破られた時、その力の強大さ故に、
 通常以上の反動を受けた術者は、呆気なく事切れている。
 間接的とはいえ、多数を殺めてしまった事実に、ユウリは動揺していた。
 なんとか食い止めようと、溢れ出る魔力を制御する。

「もう、止めてください! こんな、無意味なこと……!!」

 泣き叫ぶユウリには目もくれず、彼らは陣を組んで、新たな詠唱を始めた。
 聞いたこともない呪文に混じって、遠くからまた、足音が聞こえる。

「お願いです……! もう止めて……!」

 顔を手で覆い、悲痛に叫ぶユウリの足元が、パキリと固まった。瞬く間に、その結晶が彼女を囲うように伸びていく。

「いや……っ」

 壊そうと力を込めた瞬間、先頭に立つ術者ががくりと膝をついた。
 震えて動揺したユウリの魔力は、もう人を殺めたくないと願う心の通り、真っ直ぐとその術者の回復へと向かう。
 そうする間にも、結晶はユウリを取り囲んでいった。
 バシャバシャと大きくなっていく足音と、人垣の後方に氷刃が降る音が広場に響き渡る。

「ユウリッ!!」
「ヨルンさ……」

 名前を呼ぼうとしたのに、結晶は頭上でパキンと閉じて。
 術者たちは、全ての詠唱を終えていた。

「ユウリ!」

 竜巻を起こして、ヨルンが人垣をなぎ倒す。

(ヨルンさん、ヨルンさん!)

 閉じ込められたクリスタルの中から、ぼんやりと、ヨルンと他の王子達が走り寄ってくるのが見える。
 内側から壊そうと思うのに、力が出ない。

「ユウリ、待ってて!」
「邪魔だ!」

 リュカやユージンも、残った術者から繰り出される攻撃魔法を障壁で弾きながら、駆け寄ってくる。
 ロッシの放った蔦の魔法は、クリスタルに触れた途端に消えてしまう。

「撤退、撤退だ! 封印は成功した! 撤退!」

 術者達が一人、また一人と転移していく。
 ヨルンは、ユウリの目の前まで迫っていた。クリスタルの中のユウリが、叫んだ。

『助けて』

 ヨルンが、何もない空間を掴む。

「ユウリ!!」

 最後の術者とともに、クリスタルに包まれたユウリまでもがかき消えていた。
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