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第十章 終わりと始まり
10-1. 新たな懸念
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ナディアは居心地悪そうに、そこに座る二人の顔を交互に見ている。
眉間にぎゅっと皺を寄せて、カップの縁に口をつけたまま微動だにしないユウリと、それを愛おしそうに、けれども困ったように、ヨルンが見つめていた。
「ユウリ」
「……」
ヨルンに呼ばれて、ちらっと一瞬だけ上げたユウリの上目遣いの瞳が潤んでいる。
いつもだったら、胸にかき抱いてヨルンにガンつけているであろうナディアも、どこか有無を言わさぬ雰囲気に、固唾を呑んで見守っているようだ。
ユウリは、心穏やかでなかった。
学園長から、重苦しい歴史の真実とクタトリアの目的が明かされ、それでも、《魔女》の願いを叶えるために、ヨルンといるために、戦おうと決意した。
カウンシルの皆も、すぐに事情を告げたナディアも、ユウリの味方だった。
だが、ナディアに話し終えたその席で、ヨルンが言い出したのは、一度里帰りをするという報告で、寝耳に水だったユウリは、初めポカンとした。そして彼女が、ご両親に挨拶?とか、まだ早くない?とか色々考えて無言になったのを勘違いしたヨルンは、初めから一人で行くつもりだからと宣ったのだ。
それで、このナディアすらをも黙らせる無言の不機嫌オーラがユウリから溢れることとなったらしい。
「ユウリ」
もう一度名前を呼ばれて、頰に触れられ、びくりとする。ちら、と横目でヨルンを見ると、相変わらず困った微笑みでユウリを見つめていて、彼女は決心したようにぐい、とカップの中身を飲み干した。
「我儘なのはわかってます。けど、何で今なんですか」
《始まりの魔女》の生まれ変わりであるユウリは、その力こそ強大で無限だが、中身は年相応の少女なのだ。かつて大陸を牛耳った、そして《始まりの魔女》ですら罠に嵌めて封印してしまった帝国の魔の手が迫っていると知って、毅然としていられるほどの精神力はない。
不安だからこそ、ヨルンに側にいてもらいたいと思うのに、その彼は、自分を置いて世界の反対側まで行ってしまうという。子供染みていると嘲られようと、不安なものは不安なのだ。
「私が側にいるわ。だから、そんな顔をしないで、ユウリ」
「ナディアがいてくれるのは嬉しいし、心強いよ。だけど……」
「それでもヨルン様がいいのはわかってるわ……! くそ羨ま悔しいけれど……!!」
「……今つっこむ気力もない」
きいぃぃぃ、とでも言いそうな表情でハンカチを噛みしめるナディアを呆れたように見つめて、ユウリは溜息をつく。
「……しっかりするべきなのはわかってるんです」
「ユウリ。俺が前に言ったこと、覚えてる?」
「え?」
「フィニーランドは……ガイアのような戦闘力も技術もない。学園長の話じゃあ、教会の一部の人間は、俺と君とのことを疑っている。そうなると、王宮に話を通しておくのは早い方が」
ヨルンが言い終わる前に、ユウリはあっと目を見開く。ラヴレが語った歴史でも狡猾な罠で味方同士を潰し合わせたクタトリアが、次に取るであろう行動は大体予想できる。ただ、自分自身の不安に押し潰されて、周りことが見えていなかったユウリは、途端に恥ずかしくなった。
「ごめんなさい……」
「ユウリが謝ることじゃあないよ。俺も、順序立てて話せばよかった」
そう言って、ヨルンはユウリを自分の外套の中に引き寄せる。
「ただ、俺も不安なんだよ」
「ヨルンさん……」
「ユウリは、一人で何でもしちゃうから。ナディアちゃんは抑止力にもならないし」
「ちょっとヨルン様……傷心の私にまで被弾させなくても良くないですか」
頰を膨らませるナディアに気が抜けて、ユウリはふ、と笑みをこぼした。
「気をつけて行ってきてください。いざとなったら《始まりの魔法》で呼び戻します」
「ユウリなら、本当にやってのけそうね」
「そうしてもらえるなら、逆に安心だよ」
ヨルンが微笑んで、ユウリの額に口付ける。
くすぐったさに身をよじりながら、ユウリは先程までの不安が薄れていくのを感じていた。
***
静まり返った学園長室で、ラヴレは椅子に深く座り込み、天井を仰いだ。いつもは心地よい静寂が、思いの外気持ちを沈ませる。
一族最大の秘密を、ごく一部とはいえ口外したことに、後悔はない。
ただ、事が急速に進むにつれ、彼の最も恐れているシナリオが実現していくようで、それを止めることのできない自分の無力さに少々嫌気が差している。
クタトリア帝国、そして、ここに来て、教会幹部会。
二つの勢力から、《始まりの魔女》を守り通すことが、果たして出来るのだろうか。
机の上に積み置かれた書類の束を捲る。アントンが、去り際に置いていった報告書だ。
彼は一言、早まるなよ、とだけ言い、教会へと戻っていた。
金の紋章に絡む人物。
幹部会の数人の名前が連ねられた報告書の扱いに、ラヴレは葛藤する。
(あと、数週間早ければ……)
ユウリとヨルンの疑惑が幹部会へと漏れる前であれば、表立って糾弾することもできた。
今となっては、《魔女》に関する更なる火種を投下することは、得策とは言えないだろう。
また、幹部会にクタトリアの息が掛かったものが存在していては、例えラヴレが《魔女》の本当の願いを公表したところで、事態が好転するはずもない。
全く後手後手に回ってしまった、とラヴレは嘆息した。
そして、頁を捲る指先が止まる。
「これは、どういうことでしょう……」
思わず声が出た。
報告書に、数行記された記述。
——四大王国各教会支部に、魔法陣設置の痕跡あり
あの完璧主義が、痕跡のみで調査を終えるとも思えない。
辿り着けないほどの術だったのか、それとも、何かに妨害されたのか。
アントンの去り際の言葉を思い出す。
けれど、これ以上敵に先手を許すわけにはいかなかった。
詠唱したラヴレの手の中から、伝達鳩が現れる。
それがパチンと弾けて消えたあと、ラヴレは迷いを消すように、長い溜息をついたのだった。
眉間にぎゅっと皺を寄せて、カップの縁に口をつけたまま微動だにしないユウリと、それを愛おしそうに、けれども困ったように、ヨルンが見つめていた。
「ユウリ」
「……」
ヨルンに呼ばれて、ちらっと一瞬だけ上げたユウリの上目遣いの瞳が潤んでいる。
いつもだったら、胸にかき抱いてヨルンにガンつけているであろうナディアも、どこか有無を言わさぬ雰囲気に、固唾を呑んで見守っているようだ。
ユウリは、心穏やかでなかった。
学園長から、重苦しい歴史の真実とクタトリアの目的が明かされ、それでも、《魔女》の願いを叶えるために、ヨルンといるために、戦おうと決意した。
カウンシルの皆も、すぐに事情を告げたナディアも、ユウリの味方だった。
だが、ナディアに話し終えたその席で、ヨルンが言い出したのは、一度里帰りをするという報告で、寝耳に水だったユウリは、初めポカンとした。そして彼女が、ご両親に挨拶?とか、まだ早くない?とか色々考えて無言になったのを勘違いしたヨルンは、初めから一人で行くつもりだからと宣ったのだ。
それで、このナディアすらをも黙らせる無言の不機嫌オーラがユウリから溢れることとなったらしい。
「ユウリ」
もう一度名前を呼ばれて、頰に触れられ、びくりとする。ちら、と横目でヨルンを見ると、相変わらず困った微笑みでユウリを見つめていて、彼女は決心したようにぐい、とカップの中身を飲み干した。
「我儘なのはわかってます。けど、何で今なんですか」
《始まりの魔女》の生まれ変わりであるユウリは、その力こそ強大で無限だが、中身は年相応の少女なのだ。かつて大陸を牛耳った、そして《始まりの魔女》ですら罠に嵌めて封印してしまった帝国の魔の手が迫っていると知って、毅然としていられるほどの精神力はない。
不安だからこそ、ヨルンに側にいてもらいたいと思うのに、その彼は、自分を置いて世界の反対側まで行ってしまうという。子供染みていると嘲られようと、不安なものは不安なのだ。
「私が側にいるわ。だから、そんな顔をしないで、ユウリ」
「ナディアがいてくれるのは嬉しいし、心強いよ。だけど……」
「それでもヨルン様がいいのはわかってるわ……! くそ羨ま悔しいけれど……!!」
「……今つっこむ気力もない」
きいぃぃぃ、とでも言いそうな表情でハンカチを噛みしめるナディアを呆れたように見つめて、ユウリは溜息をつく。
「……しっかりするべきなのはわかってるんです」
「ユウリ。俺が前に言ったこと、覚えてる?」
「え?」
「フィニーランドは……ガイアのような戦闘力も技術もない。学園長の話じゃあ、教会の一部の人間は、俺と君とのことを疑っている。そうなると、王宮に話を通しておくのは早い方が」
ヨルンが言い終わる前に、ユウリはあっと目を見開く。ラヴレが語った歴史でも狡猾な罠で味方同士を潰し合わせたクタトリアが、次に取るであろう行動は大体予想できる。ただ、自分自身の不安に押し潰されて、周りことが見えていなかったユウリは、途端に恥ずかしくなった。
「ごめんなさい……」
「ユウリが謝ることじゃあないよ。俺も、順序立てて話せばよかった」
そう言って、ヨルンはユウリを自分の外套の中に引き寄せる。
「ただ、俺も不安なんだよ」
「ヨルンさん……」
「ユウリは、一人で何でもしちゃうから。ナディアちゃんは抑止力にもならないし」
「ちょっとヨルン様……傷心の私にまで被弾させなくても良くないですか」
頰を膨らませるナディアに気が抜けて、ユウリはふ、と笑みをこぼした。
「気をつけて行ってきてください。いざとなったら《始まりの魔法》で呼び戻します」
「ユウリなら、本当にやってのけそうね」
「そうしてもらえるなら、逆に安心だよ」
ヨルンが微笑んで、ユウリの額に口付ける。
くすぐったさに身をよじりながら、ユウリは先程までの不安が薄れていくのを感じていた。
***
静まり返った学園長室で、ラヴレは椅子に深く座り込み、天井を仰いだ。いつもは心地よい静寂が、思いの外気持ちを沈ませる。
一族最大の秘密を、ごく一部とはいえ口外したことに、後悔はない。
ただ、事が急速に進むにつれ、彼の最も恐れているシナリオが実現していくようで、それを止めることのできない自分の無力さに少々嫌気が差している。
クタトリア帝国、そして、ここに来て、教会幹部会。
二つの勢力から、《始まりの魔女》を守り通すことが、果たして出来るのだろうか。
机の上に積み置かれた書類の束を捲る。アントンが、去り際に置いていった報告書だ。
彼は一言、早まるなよ、とだけ言い、教会へと戻っていた。
金の紋章に絡む人物。
幹部会の数人の名前が連ねられた報告書の扱いに、ラヴレは葛藤する。
(あと、数週間早ければ……)
ユウリとヨルンの疑惑が幹部会へと漏れる前であれば、表立って糾弾することもできた。
今となっては、《魔女》に関する更なる火種を投下することは、得策とは言えないだろう。
また、幹部会にクタトリアの息が掛かったものが存在していては、例えラヴレが《魔女》の本当の願いを公表したところで、事態が好転するはずもない。
全く後手後手に回ってしまった、とラヴレは嘆息した。
そして、頁を捲る指先が止まる。
「これは、どういうことでしょう……」
思わず声が出た。
報告書に、数行記された記述。
——四大王国各教会支部に、魔法陣設置の痕跡あり
あの完璧主義が、痕跡のみで調査を終えるとも思えない。
辿り着けないほどの術だったのか、それとも、何かに妨害されたのか。
アントンの去り際の言葉を思い出す。
けれど、これ以上敵に先手を許すわけにはいかなかった。
詠唱したラヴレの手の中から、伝達鳩が現れる。
それがパチンと弾けて消えたあと、ラヴレは迷いを消すように、長い溜息をついたのだった。
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