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序章
プロローグ
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仄暗い空間。
くぐもった音。
刹那、眩いばかりの光に目が眩む。
柔らかな布地に包まれると、頭上から声が聞こえた。
——おかえりなさいませ
シャラン、という軽やかな金属音とともに、ひやりとした感覚が首筋を這う。
未だ白んでいる視界に、金色の煌めきが追加され、徐々にその輪郭を表していく。
いつも、ここで目が醒める。
ユウリは眠気の残る目を擦り、大きく伸びをした。
こじんまりとした木造の部屋の隅にある、小さな備え付けの洗面台に向かい、早朝の冷え切った水で乱暴に顔を洗うと、ついでにコップを満たして一気に呷る。 朝が大層苦手な彼女は、これをしないと全く頭が働かない。
のろのろとした動作で着替えを済ませる頃、部屋のドアがノックされた。
「ユウリ、支度は出来たかの? 朝食はどうする?」
「んー、馬車で食べるよー」
のんびりとした老人の声に、欠伸交じりに答える。
机の上に置かれた紙の束を乱暴に鞄に放り込んで、キッチンまで足を運ぶと、陶器のカップに熱々の薬缶から琥珀色の液体を注ぎ、傍らに置かれた牛乳を足した。 ちょうど良い温度になったそれを、また一気に飲み干すと、ユウリはふ、と息を吐く。
「出発だというに、あいもかわらず慌ただしいのぉ」
非難めいた声で言われ、ユウリは振り向いた。 深く皺の刻まれた柔和な表情の老人が、顎にたくわえた立派な白髭を撫でながら、パンや果物を紙袋に詰めていく。
「村長の朝が、早すぎるんですぅ! もうご飯食べちゃったの?」
「老人の朝は早いと相場が決まっておる」
「じゃあ若い女の子の朝も遅いって、相場が決まってるよね?」
「じゃが、若い女は支度に時間がかかるとも決まっておる。 おや? お前は顔洗っただけかの?」
「嫌味ぃ! こんな日にまで嫌味ぃ!!」
いーっと歯を剥き出して悪態をつくユウリは、でも、と付け加えてから、彼をぎゅっとハグする。
「頑張ってきます」
「落ちこぼれて、すぐに舞い戻ってこんように」
「もう、ひどい! 折角上手く纏めようとしたのに!」
膨れっ面をしつつも、二人で笑い合い、村長から手渡された朝食の包みを受け取って、ユウリは馬車に乗り込んだ。
名残惜しさを残した蹄の音とともに、村長は空を仰ぎ、独り言ちた。
「吉と出るか、凶と出るか」
***
薄暗い部屋の中で、金の刺繍に彩られた外套を羽織った集団が囁きあっていた。 同じ話題を論じているものの、その声音は雑踏の中のそれに近いほど、入り乱れている。 あるものは驚愕、あるものは嫌悪、あるものは安堵。
「真逆、あのような辺境の地とは……」
「だが、《最果て》にはそう遠くない」
「それに、まだ決まったわけでは」
しばらくの後、部屋の奥から唯一の光源をもたらす美しいステンドグラスの嵌め込まれた窓の側に座った人物が声を発する。 掠れ、それでいて重厚で厳格な一言。
「ラヴレ」
途端に静まり返った部屋の中央から、高座の前に進み出る青年に、皆の視線が集まる。
「この件は、お前に一任する」
「法皇様、それは……」
騒めく室内を見回し、法皇と呼ばれたその男はゆっくりと、しかし有無を言わさぬ響きで付け加えた。
「平穏であれば、それに越したことはない。 我らは、ただ、見守れば良い」
——何かが起こる、その時まで
——そして、いつかのように
その胸懐を察したのか、青年は暗く微笑う。
法皇が高座から立ち上がるのを合図に、その会合は散会した。
くぐもった音。
刹那、眩いばかりの光に目が眩む。
柔らかな布地に包まれると、頭上から声が聞こえた。
——おかえりなさいませ
シャラン、という軽やかな金属音とともに、ひやりとした感覚が首筋を這う。
未だ白んでいる視界に、金色の煌めきが追加され、徐々にその輪郭を表していく。
いつも、ここで目が醒める。
ユウリは眠気の残る目を擦り、大きく伸びをした。
こじんまりとした木造の部屋の隅にある、小さな備え付けの洗面台に向かい、早朝の冷え切った水で乱暴に顔を洗うと、ついでにコップを満たして一気に呷る。 朝が大層苦手な彼女は、これをしないと全く頭が働かない。
のろのろとした動作で着替えを済ませる頃、部屋のドアがノックされた。
「ユウリ、支度は出来たかの? 朝食はどうする?」
「んー、馬車で食べるよー」
のんびりとした老人の声に、欠伸交じりに答える。
机の上に置かれた紙の束を乱暴に鞄に放り込んで、キッチンまで足を運ぶと、陶器のカップに熱々の薬缶から琥珀色の液体を注ぎ、傍らに置かれた牛乳を足した。 ちょうど良い温度になったそれを、また一気に飲み干すと、ユウリはふ、と息を吐く。
「出発だというに、あいもかわらず慌ただしいのぉ」
非難めいた声で言われ、ユウリは振り向いた。 深く皺の刻まれた柔和な表情の老人が、顎にたくわえた立派な白髭を撫でながら、パンや果物を紙袋に詰めていく。
「村長の朝が、早すぎるんですぅ! もうご飯食べちゃったの?」
「老人の朝は早いと相場が決まっておる」
「じゃあ若い女の子の朝も遅いって、相場が決まってるよね?」
「じゃが、若い女は支度に時間がかかるとも決まっておる。 おや? お前は顔洗っただけかの?」
「嫌味ぃ! こんな日にまで嫌味ぃ!!」
いーっと歯を剥き出して悪態をつくユウリは、でも、と付け加えてから、彼をぎゅっとハグする。
「頑張ってきます」
「落ちこぼれて、すぐに舞い戻ってこんように」
「もう、ひどい! 折角上手く纏めようとしたのに!」
膨れっ面をしつつも、二人で笑い合い、村長から手渡された朝食の包みを受け取って、ユウリは馬車に乗り込んだ。
名残惜しさを残した蹄の音とともに、村長は空を仰ぎ、独り言ちた。
「吉と出るか、凶と出るか」
***
薄暗い部屋の中で、金の刺繍に彩られた外套を羽織った集団が囁きあっていた。 同じ話題を論じているものの、その声音は雑踏の中のそれに近いほど、入り乱れている。 あるものは驚愕、あるものは嫌悪、あるものは安堵。
「真逆、あのような辺境の地とは……」
「だが、《最果て》にはそう遠くない」
「それに、まだ決まったわけでは」
しばらくの後、部屋の奥から唯一の光源をもたらす美しいステンドグラスの嵌め込まれた窓の側に座った人物が声を発する。 掠れ、それでいて重厚で厳格な一言。
「ラヴレ」
途端に静まり返った部屋の中央から、高座の前に進み出る青年に、皆の視線が集まる。
「この件は、お前に一任する」
「法皇様、それは……」
騒めく室内を見回し、法皇と呼ばれたその男はゆっくりと、しかし有無を言わさぬ響きで付け加えた。
「平穏であれば、それに越したことはない。 我らは、ただ、見守れば良い」
——何かが起こる、その時まで
——そして、いつかのように
その胸懐を察したのか、青年は暗く微笑う。
法皇が高座から立ち上がるのを合図に、その会合は散会した。
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