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花ひらく星月夜
28.花ひらく星月夜②
しおりを挟む レイゾンは自分の態度を振り返り、「まずかっただろうか」「いやしかし」と懊悩する。王太子に対して失礼なことをしたような気もする。が、騎士同士なら問題ないのではないだろうかという気もする。
(……わからぬ……)
いずれにせよ”やらかして”しまったのだとしたら、もう手遅れだ。
しかし、まさか王太子が足を運んでくるとは思っていなかった。
彼は「見届け」とか「立ち会い」と言っていた。レイゾンは知らなかったが、つまりそれが騏驥を下賜される時の作法なのだろう。
そしてこのシィン殿下は、レイゾンは知らなかった(気にしていなかった)「見届け」のために、わざわざここへやってきたと言うわけだ。この騏驥のために。
一人二人ではない数のずらり揃った女官たちも、そのために手配されたのだろう。それを思うと、らしくなく動揺してしまう。
レイゾンはひとまずシィンへの礼儀として頭を下げると、そのままチラリと騏驥を見る。確かめるように、騏驥を見る。
侍女のような女性に付き添われ、そこに静かに佇む騏驥(そもそも騏驥に侍女とは! しかし、傍にいる女性はそうとしか見えないのだ)。
互いが近づいた分、その姿はさっきまでよりいくらかはっきりと見える。美しい装束。その白さには靴先まで一点の染みもない。気づけば胸に染み渡るような深い芳香が感じられる。衣に焚きしめているものだろう。
レイゾンにはさっぱりわからないが、それもおそらく高価な香に違いない。
そして貌は……。
レイゾンはさっきよりも一層速くなっている心音を宥めるように長く息をつく。
綺麗だ。近くで見てもやはり綺麗だ。白で統一された印象故に美しく”見えるだけ”かと思っていたら、そうではなかった。雰囲気も美しいがより近くで見てもやはり美しい。いや——間近で見れば見るほど綺麗だという印象を受ける。
肌は抜けるように白い。透明感があって雪のようだ。新雪。まだ誰にも触れられたことがないような、そんな無垢な気配はこちらの庇護欲を駆り立てる。元踊り子で前王に囲われていたなら無垢でなどあるわけもないだろうに。
そしてそんな白い肌と対照的な淡く色づいた唇は、露を含んだ花弁か熟した果実のようだ。面差しを隠している面紗がもどかしい。できるならいっそ今すぐ、引き剥いでやりたくなる。全てが見たくなる。何もかも暴いてやりたくなる。この手で全て。
庇護してやりたいと思った直後にそんな風に乱暴なことも思ってしまう。
白く艶やかな長い髪は、よく見れば丁寧に結われて宝玉や輝石で飾られている。それらも全て白だ。少しずつ質感が違うから、さっと色々な石玉なのだろう。無粋なレイゾンではわからないような……きっと高価で稀少な……。
それらを目の当たりにして、レイゾンは微かに唇を噛む。
この騏驥はそれほどだというのか。
下げ渡される際にまでわざわざ手をかけて飾られ、王太子である自ら見送る——それほど価値のある騏驥だと……。
(だが細すぎるのではないか? 小柄だし、心もとない。人の姿の時の体格がそのまま馬の姿のそれではないとはいえ、こんなに華奢では心配だ。実戦では役に立たないのではないか? 確かに美麗だが強くない騏驥では意味がない。美しいだけの騏驥では、ただの観賞用だ。俺はそんな騏驥など……)
見れば見るほど美しく、そして自分には不似合いな騏驥。
「…………」
レイゾンの胸の中に、これまで感じた事のない混沌が産まれる気配がある。込み上げてくる混乱に煽られるように、思わず一歩踏み出しかけた時。
「レイゾン、待たせたついで——と言うわけではないが、一杯茶をもらえるだろうか? 其方に白羽を授ける前に、少し話しておくこともある」
朗らかに、シィンが言う。
びくりと動きを止めてレイゾンが見れば、シィンはそこにある卓子の上の茶杯や茶壺(急須)に向けて軽く顎をしゃくって見せる。さっきまでレイゾンが何杯も飲んでいたものだ。
「待たせたついで」——とは、聞きようによってはずいぶんふざけた言い回しだが、彼が口にするとどこか親しみやすさが感じられるから不思議なものだ。
貴族など気に食わないと思っていたし、今もそれは変わっていないつもりなのに、そんな貴族も貴族——王太子であるシィンに対して好感を抱くとは。
(不思議な方だ……)
一対一で顔を合わせることなどないと思っていたから、シィンに対しての知識は皆無に等しい。辛うじて名前を知っていたぐらいで顔さえろくに知らなかったのに。
これが王や王子というものなのだろうか。
そのほとんどが騎士となる貴族たちの中でも、特に王族は生まれながらに騎士であり加護の魔術を受けているという。特別の中の特別な存在だ。
(そんな王族に——前王に囲われていた……騏驥……)
——手に余る。
と、レイゾンは思った。
そんなもの、もらっても困る。扱えぬ。故に不要。
しかしそう思っていても今さら事態は変えられない。
それに。
(それに、あの美貌は……)
思い出すと、柄にもなく耳が熱くなる。
気になってチラリと騏驥を見やりかけ、レイゾンは慌てて顔を戻す。
何をやっているんだ、俺は。
そうこうしていると、シィンはレイゾンの返事を待たずにさっさと椅子に腰を下ろしてしまう。
慌てるレイゾンに構わず、シィンはゆったりとした様子で脚を組むと、
「お前が淹れてくれるか。わたしはあまり熱くないものが好みだ」
と楽しげに言う。
びっくりしてレイゾンがそちらを見ると、そこには、大役を仰せつけられ、かしこまった様子で幾度も頷いているユゥの姿があった。
(……わからぬ……)
いずれにせよ”やらかして”しまったのだとしたら、もう手遅れだ。
しかし、まさか王太子が足を運んでくるとは思っていなかった。
彼は「見届け」とか「立ち会い」と言っていた。レイゾンは知らなかったが、つまりそれが騏驥を下賜される時の作法なのだろう。
そしてこのシィン殿下は、レイゾンは知らなかった(気にしていなかった)「見届け」のために、わざわざここへやってきたと言うわけだ。この騏驥のために。
一人二人ではない数のずらり揃った女官たちも、そのために手配されたのだろう。それを思うと、らしくなく動揺してしまう。
レイゾンはひとまずシィンへの礼儀として頭を下げると、そのままチラリと騏驥を見る。確かめるように、騏驥を見る。
侍女のような女性に付き添われ、そこに静かに佇む騏驥(そもそも騏驥に侍女とは! しかし、傍にいる女性はそうとしか見えないのだ)。
互いが近づいた分、その姿はさっきまでよりいくらかはっきりと見える。美しい装束。その白さには靴先まで一点の染みもない。気づけば胸に染み渡るような深い芳香が感じられる。衣に焚きしめているものだろう。
レイゾンにはさっぱりわからないが、それもおそらく高価な香に違いない。
そして貌は……。
レイゾンはさっきよりも一層速くなっている心音を宥めるように長く息をつく。
綺麗だ。近くで見てもやはり綺麗だ。白で統一された印象故に美しく”見えるだけ”かと思っていたら、そうではなかった。雰囲気も美しいがより近くで見てもやはり美しい。いや——間近で見れば見るほど綺麗だという印象を受ける。
肌は抜けるように白い。透明感があって雪のようだ。新雪。まだ誰にも触れられたことがないような、そんな無垢な気配はこちらの庇護欲を駆り立てる。元踊り子で前王に囲われていたなら無垢でなどあるわけもないだろうに。
そしてそんな白い肌と対照的な淡く色づいた唇は、露を含んだ花弁か熟した果実のようだ。面差しを隠している面紗がもどかしい。できるならいっそ今すぐ、引き剥いでやりたくなる。全てが見たくなる。何もかも暴いてやりたくなる。この手で全て。
庇護してやりたいと思った直後にそんな風に乱暴なことも思ってしまう。
白く艶やかな長い髪は、よく見れば丁寧に結われて宝玉や輝石で飾られている。それらも全て白だ。少しずつ質感が違うから、さっと色々な石玉なのだろう。無粋なレイゾンではわからないような……きっと高価で稀少な……。
それらを目の当たりにして、レイゾンは微かに唇を噛む。
この騏驥はそれほどだというのか。
下げ渡される際にまでわざわざ手をかけて飾られ、王太子である自ら見送る——それほど価値のある騏驥だと……。
(だが細すぎるのではないか? 小柄だし、心もとない。人の姿の時の体格がそのまま馬の姿のそれではないとはいえ、こんなに華奢では心配だ。実戦では役に立たないのではないか? 確かに美麗だが強くない騏驥では意味がない。美しいだけの騏驥では、ただの観賞用だ。俺はそんな騏驥など……)
見れば見るほど美しく、そして自分には不似合いな騏驥。
「…………」
レイゾンの胸の中に、これまで感じた事のない混沌が産まれる気配がある。込み上げてくる混乱に煽られるように、思わず一歩踏み出しかけた時。
「レイゾン、待たせたついで——と言うわけではないが、一杯茶をもらえるだろうか? 其方に白羽を授ける前に、少し話しておくこともある」
朗らかに、シィンが言う。
びくりと動きを止めてレイゾンが見れば、シィンはそこにある卓子の上の茶杯や茶壺(急須)に向けて軽く顎をしゃくって見せる。さっきまでレイゾンが何杯も飲んでいたものだ。
「待たせたついで」——とは、聞きようによってはずいぶんふざけた言い回しだが、彼が口にするとどこか親しみやすさが感じられるから不思議なものだ。
貴族など気に食わないと思っていたし、今もそれは変わっていないつもりなのに、そんな貴族も貴族——王太子であるシィンに対して好感を抱くとは。
(不思議な方だ……)
一対一で顔を合わせることなどないと思っていたから、シィンに対しての知識は皆無に等しい。辛うじて名前を知っていたぐらいで顔さえろくに知らなかったのに。
これが王や王子というものなのだろうか。
そのほとんどが騎士となる貴族たちの中でも、特に王族は生まれながらに騎士であり加護の魔術を受けているという。特別の中の特別な存在だ。
(そんな王族に——前王に囲われていた……騏驥……)
——手に余る。
と、レイゾンは思った。
そんなもの、もらっても困る。扱えぬ。故に不要。
しかしそう思っていても今さら事態は変えられない。
それに。
(それに、あの美貌は……)
思い出すと、柄にもなく耳が熱くなる。
気になってチラリと騏驥を見やりかけ、レイゾンは慌てて顔を戻す。
何をやっているんだ、俺は。
そうこうしていると、シィンはレイゾンの返事を待たずにさっさと椅子に腰を下ろしてしまう。
慌てるレイゾンに構わず、シィンはゆったりとした様子で脚を組むと、
「お前が淹れてくれるか。わたしはあまり熱くないものが好みだ」
と楽しげに言う。
びっくりしてレイゾンがそちらを見ると、そこには、大役を仰せつけられ、かしこまった様子で幾度も頷いているユゥの姿があった。
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