真夜中の片隅で、ずっと君の声を探していた

風久 晶

文字の大きさ
上 下
12 / 43
くちびるに恋

12.くちびるに恋④

しおりを挟む
―葉司、どうしてる?私、報告があるんだぁ。
 暗闇で光ったスマホは、瑠奈からのメッセージを浮かび上がらせていた。
 瑠奈――俺はその名前を見て、玄関の灯りをバチンと点けて、よろよろと廊下をふらつきながら歩いて行った。
 部屋の照明のスイッチを入れ、大きく息をついて、床に座り込んだ。
 唇には、まだ優からくちづけられた感触がまざまざと残っていて、いくら時間が経ったって、とても消えそうにない。
 彼の熱さ、彼の匂い、彼の囁き。
 どれも脳が処理しきれずに、現実感がなくて浮遊している。
 膝を抱えて、スマホを両手で握りしめた。
―うん。どうした?
 震える指で打ち返して、ただ返事を待つ。
 瑠奈に会いたい。
 そうすれば、彼女を守るために生きている、責任感があって強いナイトに戻れる気がする。
 これほど頼りなく脆い思いじゃなくて、確かな慣れた何かに縋りたかった。
 真の自分は、こんなに弱くて無防備だ。
 好きな彼に、自分の想いひとつ、伝えることも怖くてたまらない。
―私、鷹宮さんとチューしてしまいましたっ!
―本当?
 ふっと頬が緩んで、知らないうちに微笑していた。
―私のほうが、葉司よりお姉さんになったっ!瑠奈さんと言いなさい。
 くすくすと一人の部屋で笑って、どう返事しようか考える。
 長い黒髪をさらりと流して、凛とした瞳を、どこかいたずらっぽく細めて微笑する瑠奈の姿が思い浮かんだ。
―お姉さん、ね。あ、でも、俺もキス
 とまで打って、慌てて消去しようとして、指が滑って送信を押してしまった。
「あっ」
 と思った時には、静かな空間に突然、電話の音が鳴り響いてた。
「葉司!」
 電話に出ると、瑠奈の鈴の鳴るような声が大きく響いた。
「えっ、何?あれ、俺もキスって、何?葉司もしたの?誰、誰と?え、何も聞いてないよ、私。どういうこと?」
「いや、あの……」
「ちょっと、お姉さんに言いなさい!何、どういうこと?誰とキスしたのッ?」
「あ……」
「瑠奈さんが聞いてあげるから、任せなさいッ」
「……」
「何その沈黙。私だけ報告とかあり得ないッ」
「だから、その……」
「うん」
「小山田優と……」
 シーンと沈黙が落ちて、それから電話の向こうで、大きく息を吸い込む音が聴こえた。
「あの、小山田くん?」
「そ、そう……」
 また息を大きく吸い込む音がして、それから瑠奈はゆっくり言った。
「嘘……良かった……」
 電話越しに、しゃくりあげる音が聴こえてきて、俺は慌てた。
「瑠奈?」
「良かった……と思ったら……なんか、泣けてきて……」
 嗚咽する音が続いていた。
「両想い、だったんだ?すごい……すごいことだね。すごいよね。ずっとそうなったら良いなってことが現実になったら、こんなに嬉しいんだ。私、鷹宮さんと付き合った時も、すっごいすっごい嬉しかった。それと同じくらい嬉しい――」
 こんな風に、俺のことで一喜一憂してくれるのは、世界でただ一人、瑠奈だから。
「あっ、んー?そっか、だからだ」
「?」
「小山田くん、私には目線きつかったなーと思い出して。あれは、葉司が好きだったんだね?私に嫉妬してたってことかな?ふふ」
「ふふって」
「何だか、すごい。私と葉司は、運命が一緒だね。ねえ、ファーストキスの歳も一緒だね?」
 瑠奈は、大丈夫だった――?
 そんなことを訊きかけて、俺は息を飲んで口を噤んだ。
 たぶん言わないほうが良いこと、そんな引き出すようなこと。
「葉司、前は私の不安も聞いてくれて、ありがとう」
「……うん」
「何があっても葉司がいてくれるって思えたし。葉司が言ってくれたから、緊張するって鷹宮さんに言えた。鷹宮さん、すっごく優しかった。緊張したけど、鷹宮さんを信じて進みたいって思えた。鷹宮さんを好きだから――ねえ、好きってすごいチカラだね」
 くすり、とどこか泣くみたいに笑った瑠奈。
「そっか……瑠奈、良かった」
 瑠奈は、自分の心の力で信頼関係を築いて、閉ざされた世界から、大きく羽ばたこうとしている気がした。
 俺は、もう足枷になってはいけないんだ。
「もう修学旅行も近いし――ね、小山田くんと一緒だね」
「えっ、あ、そうか……」
 俺は少し呆然として、呟いた。
「荷造り、一人で大変だったら手伝うからね?」
「あ……うん、たぶん、大丈夫」
「そっか。ね、私も葉司もおめでとう」
 そう囁いた瑠奈に、ゆっくりと優しくおやすみを告げて、俺はただぼんやりと一人座り続けていた。


 ほぼ眠れずに寝苦しい夜を過ごした翌朝、体中が痛くて、高熱が出ていた。
 自分で高校へと休みの電話を入れ、台所で、買い置きのポカリスエットやカップラーメン、レトルトのお粥などが揃っているのを確かめて、ひとまず安心した。
 俺はペットボトル一本を取り出して、二階へ上がって畳の上の布団へと引っくり返った。
 風邪でもない。たまにこうして熱が出る。
 でも、今回は体中で逃げているんじゃないかという気がする。
 会いたい。
 けれど、会うのが怖い、愛しいひと。
 三日経って、三十七度二分まで熱は下がったけれど、俺はぐずぐずと行く勇気がなくて、結局休んでしまった。
 もうほぼ普通の生活に戻っているし、休んだ分の勉強は取り返さなくてはいけない。
 あれほど、羽ばたくように明るい彼の姿を見なければ生きていけない、と思っていたのに。
 いざ触れてしまうと、とても怖い。
 たぶん――きっと、彼に触れることなんてとても望んでいなくて、きっと、側に寄れるなんて思ってもみなかった。
 瑠奈を守るナイトでいる、なんてお門違いも良いところで。
 瑠奈は自分の力で、鷹宮さんという人を見つけて、先へと進んで行こうとしている。
 本当は、俺のほうにこそ瑠奈の存在が必要だったんだ。
 瑠奈を守るんだ、という思いに縋って、依存して、それでようやく自分の存在意義を見出して。
 あっさりと飛び出して行ったのは、瑠奈。
 俺だけが、過去の傷痕の上にいて。
 憧れていた彼と近付ける奇跡が起こって、普通の人間なら、幸福の絶頂にいるはずなのに、それも出来ずに、ただ逃げることしか出来ない。
 その自分のふがいなさが、ひどく情けない。
 夜の眠れなさが疲れとなって、その日はぼんやりと過ごしてしまった。
 夕陽の茜色が窓から差すようになって、俺はハッと起き上がって、机に座った。教科書と参考書を出して、慌ててページを開いた。
「すみません、お邪魔します。どなたかいらっしゃいますか」
 階下のほうから声がして、俺は顔を上げた。
「?」
 俺はゆっくりと階段を降りて行って、それから玄関の引き戸を開けた。
 ガラリと戸を開けると、急に腕を引き寄せられて、つんのめりかけたのを片脚で踏ん張で、何事かと瞬間的に臨戦態勢で見上げて、そのままフリーズした。
「葉司!」
 固まったままでいると、ぎゅうっと抱きしめられて、その肩に鼻がぶつかった。
 そこにいたのは、紛れもない、小山田優だった。
「ちょっと……あ、の」
 喘ぐように言うと、パッと体が離れた。
「ごめん、家なのに。葉司に会えて、嬉しくて。ずっと学校来ないから心配してて。居ても経ってもいられなくて。ちょっと、熱い?」
 額に掌が当たって、俺はビクッと後退った。
「学校に来るまで待とうって思ったけど、どうしても会いたくなって。安住さんに、葉司の家の住所聞いたんだ。あの、ここは離れ?母屋に出られたのは、お祖母様?」
「ああ、まあ……」
「葉司がいるからって、表からこっちに案内してもらったんだけど、葉司はここで、ご両親と住んでるの?」
「……」
 この離れは、ごく簡易で二階建てでも狭い造りだ。
「いや、ここには俺一人で」
 小さく呟くように言って、俺は玄関先にいたままの優を招き入れた。
 ダイニングに通すと、どこか物珍しそうにキョロキョロとしながら、行儀よくテーブルの椅子を引いて、静かに座っている。
 完全の和風の造りで、簡易で狭いこの離れは、優のあの白い洋館のような家に比べると、あまりに貧相で、そして狭く古かった。
 俺はキッチンで紅茶の缶を開け、ポットに入れると、沸かしたてのお湯を注いだ。茶葉がジャンピングして、良い香りが湯気とともに立ってくる。
 優に紅茶を出して、自分も椅子に座ってみたけど、どこか夢の中の幻のようで、優がこのあまり物もない家にいることが、性質の悪いジョークみたいに思えた。
「お母様は、仕事に?」
「ああ……母は、いなんだ。ずっと前に」
「え――?ごめん」
 するりとそう言う優は真っ直ぐで、他の人が言えば、心が荒れそうなことさえ、胸にすとんと入ってくる不思議。
「じゃあ、お父様と二人?」
「父は、アメリカに」
 アメリカで、新しい生活をしている。
「あ――そうなんだ」
 優は、紅茶を音も立てずに飲んで、それから、ふと顔を上げた。
「え、じゃあ具合悪い間は、さっきのお祖母様が葉司の看病に?」
「看病って――特に寝てるだけだし……食糧もこういう時用に買いこんであるから、特に誰の世話にもならないよ」
「えっ、じゃあ普段はどうしてんの?」
「普段って?ずっと一人でやってるけど――料理もできるし、身の回りのこともできるから、特に誰もいらないけど」
「え……」
 優は軽い衝撃を受けたように、くっきりした茶色い瞳を見開いて、俺を見直した。
 こうして真正面に優がいると、胸の奥から想いが込み上げて来て、愛しさに苦しくなる。
「優は、あのお母さんが色々してくれそうだよね」
「あぁ――まあ、そうだけど」
「うん。優は、そういうとこが良いな」
 あの洋館みたいな白い綺麗な家で、大切に手をかけられて育った優の、幼い頃をふっと見てみたい衝動に駆られた。
 剛田や原なら知っているんだろう――まどろむような空想に頭がさらわれていると、優がガタッと立ち上がって、俺の隣へと座り直した。
「俺に、連絡くれたら良かったのに。そうしたら、すぐに来たのに」
「別に、大したことないって」
「だって、俺が心配だった」
 すぐ横から引き寄せられて、抱きすくめられて、その吐息が耳元にかかってカッと頭が熱くなった。
 身じろぐと、さらに強く抱きしめられて、優は俺を離さなかった。
「ごめんって。葉司。もう焦らないから。そんな逃げないでって」
 切羽詰まったような声に驚いて見上げると、哀しげな色の瞳にぶつかって、俺はすぐに目を伏せた。
「俺が焦って――嫌われたかと思って。本当に熱あったんだな。まだちょっと熱い?すぐに来れば良かった」
「優を嫌いになんて……なれるわけがない……だけど、俺は、やっぱり」
 その時に、抱きしめられたまま、優の頬が俺の頬をすりっとなぞっていって、少し震えた。
「葉司」
 ゆっくりと優しく両手で頬を囲まれて、俺は速まる鼓動を止められずに、息が出来なくなった。
 突然、スマホの着信音が、静寂を引き裂くようにけたたましく鳴って、俺は慌てて手に取った。
「……」
「鳴ってるよ?」
 少し体を離して、優が首を傾げて、俺のスマホを覗き込んだ。
「うん」
 着信の名前を見て、俺はさっきまでの夢のような世界から、一気に現実の世界へと突き落とされたようで、指先まで体が鉛のように重くなった。
「葉司。元気だったか」
 聴こえてきた声に、俺は立ち上がって、優から離れた。
「元気です、父さん」
 絶対に出ないわけにはいかない電話――
 やっぱり、なんとなく間の悪い人間、というのがいるなら俺に違いなかった。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

逃げるが勝ち

うりぼう
BL
美形強面×眼鏡地味 ひょんなことがきっかけで知り合った二人。 全力で追いかける強面春日と全力で逃げる地味眼鏡秋吉の攻防。

夢では溺愛騎士、現実ではただのクラスメイト

春音優月
BL
真面目でおとなしい性格の藤村歩夢は、武士と呼ばれているクラスメイトの大谷虎太郎に密かに片想いしている。 クラスではほとんど会話も交わさないのに、なぜか毎晩歩夢の夢に出てくる虎太郎。しかも夢の中での虎太郎は、歩夢を守る騎士で恋人だった。 夢では溺愛騎士、現実ではただのクラスメイト。夢と現実が交錯する片想いの行方は――。 2024.02.23〜02.27 イラスト:かもねさま

代わりでいいから

氷魚彰人
BL
親に裏切られ、一人で生きていこうと決めた青年『護』の隣に引っ越してきたのは強面のおっさん『岩間』だった。 不定期に岩間に晩御飯を誘われるようになり、何時からかそれが護の楽しみとなっていくが……。 ハピエンですがちょっと暗い内容ですので、苦手な方、コメディ系の明るいお話しをお求めの方はお気を付け下さいませ。 他サイトに投稿した「隣のお節介」をタイトルを変え、手直ししたものになります。

美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした

亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。 カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。 (悪役モブ♀が出てきます) (他サイトに2021年〜掲載済)

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

処理中です...