カルバート

角田智史

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 さとし 4

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 正造が記憶を失くしてからというもの、僕はまず、まきに足を向けて寝れなかった。
 僕がまきにけしかけた契約、今考えればそれはある意味、極端な話、僕の悪ふざけとも捉えられる。それに悪い顔一つせずに乗っかってくれたのだから、感謝と反省は尽きる事がない。
 だからこそ、基本的にまきからの同伴の誘いも、まきが大事にしているスタッフからの誘いも断る事はなかった。毎晩のように女の子をとっかえひっかえで飲みに出る、それを見ていたスナックの他のお客さんからは「どこかの社長かと思ってた」と言われる事さえあった。
 ただこれは、僕の中ではまきへの贖罪だった。

 僕が飲みに出る理由、それはストレス発散や単なる楽しみでは無くなってきていた。もちろんたまには純粋にストレス発散や楽しみという事もあるが、それは1割程度しかない。いつも楽しそうに飲んでいる古賀さんや、他のお客さんを見ては、少し羨ましくも感じていた。僕の感覚はもう、お店サイドになっていて、自分が飲んで楽しむ事は二の次になっていた。
 楽しくないわけではない。ただ、僕の楽しみ方が若干変態めいたところがあって、他の人と違うというだけである。女の子からお客さんの愚痴を聞いて、そのお客さんと女の子の絡みを見る事、そして女の子を妬かせるのが、僕の中では一番、楽しかった。

 MKの空間は何かに似た感覚だった。
 それは中学校だった。
 僕の通っていた学年は女の子が30人、男が10人だった。女性75%、男性25%の環境で三年間過ごしたのである。特定の女の子ではなく、誰とでも仲良く喋って帰る。それは、中学校に登校しているのに近い感覚だった。
 「成功者には、なると思う。兎に角、女には縁があります。」
 これは20歳やそこいらの頃、叔母が僕を心配して良くあたるという占い師に僕を見てもらった時に聞いた言葉だった。当時、そんな感覚は全く無かったが、今となればその、女に縁があるというのは納得させられている。

 会社では、正造の代わりの人員の補充は暫くかからないとの決定が下された。
 僕は否応なく、元々営業員2人体制のエリアを1人で受け持つ事となり、支社長と二人三脚でもろもろの案件を捌いていった。当然、仕事は忙しく、定時に帰れる感覚はほぼ無くなっていった。面の皮も少し厚くなり、それまで若くしか見られなかった僕は年相応の見た目にもなってきた。

 そんな中、支社長は本体に意見を述べたのだった。
 「1エリアに支社長と営業担当が1人という構図はおかしい。角田に役職をつけるべきだ。そうでなければあと1人営業員がいないとおかしい。」と。
 もちろんそれまでの実績も見られるわけだが、その意見は重宝され、僕は昇格を果たした。
 そしてまた、その1人いない分の仕事をこなし、もちろんその分、エリアの営業実績を僕1人で全て吸い上げた為、彼が不在となったその一年間の、個人の営業成績では全国表彰される事となった。
 一生に一度取れるか取れないか、そんな賞であり、僕に営業を勧めてきた、以前同じ地域で一緒に仕事して、その賞を取った脇田さんを思い浮かべては、感慨深いと共に、運が良いのか悪いのかよく分からない、そんな僕が受賞する事は、恐縮にも感じていた。

 結果的に、正造がいなくなった事により、僕は昇格を果たし、そして全国表彰を受ける事となった。

 どこまでも皮肉な世界である。
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