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第4話 推しの「あ~ん」、だがしかし……

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 6月16日(金)12時10分

 状況を整理しよう。
 俺は秘密の仕事部屋を覗き、天母マリアとして振る舞う母さんを目撃してしまった。
 母さんが自分を有名VTuberだと思い込んでいる異常者の可能性も考えたが、ちらりと見えた配信画面からその線はない。声や喋り方も俺がよく知るマリアのものだった。
 したがって、導き出される結論は一つ――

 俺の推しであるということ。

 今の気持ちをたとえるなら何が近いだろう。大好きなサンタクロースが足の臭い父親だったと知った女児の気持ちだろうか。小さな子にはつらすぎる現実だが俺はもう高校生だ、最初こそ取り乱したけど、これくらいの現実は受け止めてみせる!

 さて、状況整理は終わった。

 しかしながら別の可能性を見落としているかもしれないので、俺は再び状況を整理することにした。だって母さんがマリアとかそんなのダメだろ……。

「――翔ちゃ~ん?」

 ビクゥッ⁉

 ノックの後、部屋の扉が開き、笑顔の母さんが顔を覗かせる。同時に美味そうな匂いが漂った。

「具合どう? 卵がゆ作ってきたけど食べられそう?」
「え? あ、ああ……」
「わあ、よかったぁ! もうだいぶ元気だねっ」

 母さんはテーブルにお盆を置くと、卵がゆの入った片手鍋や茶碗をせっせと並べていく。

「割れちゃったコップは片付けておいたから。お母さんもたまに割るし気にしないでいいからね。しょうがないしょうがない♪」
「……ああ、ごめん」

 母さん=天母マリア。ファンジェルになって一年、ぜんぜん気づかなかった。
 VTuberが実は身内だったという笑い話はたまに聞く。ふつう家族なら声で気づくだろと思っていたが、配信での声が私生活と違うだけで案外気づけないものらしい。

 いや、俺だから気づけなかったのか?

 だってそうだろ。俺、母さんとあまり話さないどころか、いつも生返事で声をちゃんと聞こうともしてなかったんだから……。

「翔ちゃん~、卵がゆよそったよ」

 母さんは茶碗片手に、おいでおいでと手招きをする。
 俺が一人分のスペースを空けてベッドから床に腰を下ろすと、笑顔の母さんは磁石のように一瞬でくっついてきた。むにっ、と太股が当たり、甘い香りが鼻をくすぐる。

 今はやめてくれぇぇぇ……!

 こちらの複雑すぎる心情にも気づかず、母さんはレンゲですくった卵がゆをフーフーしているが、おいおいまさか――

「はい、翔ちゃん。あ~ん」
「あぁん⁉」
「違うでしょぉ。あ~ん、よ」

 実の母親にされる「あ~ん」なんて歯医者での「お口開けて」と同じくらい嫌なんだが。
 どうせならマリアにしてもらいたかった――あっ、この人じゃん。

 ……ひょっとして俺は今、マリアママに「あ~ん」していただいている?

 いやいやいや。違うじゃん。マリアがしてくれるのと中の人がしやがるのはぜんぜん違うじゃん。……違う、よな?

「翔ちゃんどうしたの? お口開けて。ちゃんとお母さんのブレスがかかってて熱くないよ」
「食欲が吹き飛ぶようなこと言うなよ! え、いや、まじで待って……」
「あ~ん♡」
「ぅ、わ……あーん」
「は~い。うふふ」

 目を閉じろ俺。目を閉じて咀嚼するんだ。思い浮かべるのは天母マリアだけでいい。俺はマリアに食べさせてもらっている。そういうことにしておくんだ。
 じゃないと、ちょっと嬉しい俺がマザコン野郎ということになってしまう!

「どう? 味は」
「ん」
「薄くない? 大丈夫そう?」
「うん」
「そっかぁ。仕事終わって急いで作ったから味付けが薄くなっちゃってないか心配だったけど、大丈夫ならよかった」

 母さんはおもむろに腰を上げると、

「じゃあお母さんはリビングに居るから、何かあったら呼んで。お盆とかは後で取りに来るからそのままにしておいてね。ゆっくり食べればいいから」
「あっ……待ってくれ!」
「ほえ?」

 俺が急に大声を出したからか、母さんがきょとんとする。
 思わず呼び止めてしまった。こうなったら、腹をくくって聞いてみるか。

「その、聞きたいことがあって。母さんのやってる仕事って……」

 言え。そのまま言ってしまえ。
 自分にそう言い聞かせて口を動かすと同時、「これは本人に言っていいことなのか?」という疑問が湧いた。
 なぜ母さんは六年近くも天母マリアであることを隠しているのか。
 家族にも知られたくなかったからじゃないのか。VTuberが身バレして炎上した事件はいくつもある。相手が誰であろうと――たとえ家族であろうと、身バレしないに越したことはない。
 ここで俺が追及しても、母さんを困らせるだけじゃないのか?
 そう思ってしまったら最後、俺は首を横に振るしかなかった。

「……ごめん。やっぱなんでもない」



 6月16日(金)16時48分

 次に扉がノックされたのは、部屋の壁が西日を受けてオレンジ色に染まり始めた頃だった。
 誰だろう。ノックの感じからして母さんじゃない。
 俺が「はーい」と返事をすると、扉がそろそろと開き、

「秋山くんっ、来ちゃったのでした!」

 ひょっこり、美波が顔を覗かせた。なんでこう仕草がいちいち可愛いのか。

「美波、もしかしてお見舞いに?」
「うん。教室に行ったら五十嵐くんから風邪って聞いて気になっちゃって。ゲーム返す約束もあったしね。体調どう?」
「だいぶ良くなったよ。ゲームは来週でもよかったのに……ごめん、連絡忘れてた」
「いいよいいよっ。あたしが、その、会いたくて来ただけっていうか……と、とにかく気にしないでね!」
「……? お、おう」

 顔を赤くして部屋に入ってきた美波は、ビニール袋を手にぶら下げていた。
 聞いたら、コンビニでわざわざ買ってきてくれたらしい。スポーツドリンクに、プリンが二つ。折角だけど二つ食べるほど食欲はないし、「一緒に食べないか?」と提案したら、美波は大満足の表情で「正解!」と言った。なんのクイズだったんだろう。
 ほどなくしてプリンを食べ終わると、美波がスマホを取り出した。

「秋山くん、見て見てっ」

 と、スマホを顔の前にかざされる。
 画面には赤髪ロングヘアの美少女キャラが立っており、『夏空なつぞらホタルのチャンネル』と書かれていた。そのチャンネル登録者数は、218人。
 そう、美波凛はVTuberだ。

「新人VTuber夏空なつぞらホタル! チャンネル登録200人突破しましたっ!」
「おおっ、すげえ! おめでとう!」
「秋山くんがゲーム貸してくれたおかげだねっ。バイト代がまだで新しいやつ買えないから助かっちゃった」

 美波は、会社に所属する企業VTuberとは違い、個人で頑張っている個人勢だ。自由に活動できる反面、何もかも自分一人で管理しないといけない。
 未成年だから動画で収益を上げることもできず、配信で使うマイクなどの機材やゲームは全て美波がバイト代で賄っている。それでも、高校生の資金だと必要なものが手に入らないことも珍しくない。
 そんなわけで、俺はゲームを貸すなどして美波の活動を手助けしているのだった。
 俺が美波の活動を知ったのは本当に偶然だ。先月、学校で新人VTuberの配信を見ていたら、それが美波の演じる夏空ホタルで、たまたま教室を訪れていた本人に話しかけられて今に至る。

「ファンが増えているのは美波が頑張ったからだよ。昨日の夜も、初プレイなのにスムーズだったし、笑えるような撮れ高もあって見てて飽きなかった」
「み、見ててくれたんだぁ……えへへ」
「そりゃあ俺もファンだからな」

 こんなふうに推しのVTuberが伸びていってくれるのは見ていて嬉しい。
 俺と美波の関係は特殊だとしても、VTuberというコンテンツはコメントでやり取りできるからアイドルとファンの距離が近い。だから、推しが育つとその分だけ喜びも大きいんだと思う。

 ……推し、か。

 またマリアのことを考えてしまった。
 だけど、考えても考えてもどうすればいいのかわからないし、何かするべきなのかもわからない。何も見なかったことにして、今までどおりマリアには甘い対応のまま、母さんには塩対応をしていけばいいのか。
 いや、今までどおりなんてそんな器用なことはできない。
 天母マリアはただの推しVTuberじゃない――イチ推しなんだ。
 それが実は母さんだったとか、もうどうすりゃいいんだよ……。俺、前世で何かやらかしたのか……?

「秋山くん、大丈夫……? やっぱりまだ具合悪いんじゃ……」

 俺はよほど酷い顔をしているのか、美波が心配そうに顔を覗き込んできた。

「……美波は、推しのVっているのか?」
「えっ? うん、もちろんいるけど」
「ちなみに誰」
「あたしの推しは、メタライブの黒曜こくようダークさん!」

 美波が見つめるスマホの待ち受けには、銀髪ロングヘアの美少女キャラがいた。

 頭の横には羊のような一対の巻き角、背中には黒い翼。
 黒を基調にした魔女っ娘のような可愛らしい衣装を着こなしていて、どことなく幼い印象を受ける。
 メタライブ四期生、黒曜ダーク。魔界で有名になるため配信活動を始めた悪魔の姫という設定のVTuberだ。メタライブでは新参の四期生だが、チャンネル登録者数はデビューから一年半で既に120万人を超えている。

「あたし、あの人のプロ意識ってすごいと思う。ダークさんって配信中の語尾や言葉遣いが独特じゃない? ああいう自分の世界観をデビューから貫き続けてるのがすごい! でも誤解しないでほしいんだけどそういうプロなところだけが好きなわけじゃないの。違うの。あたしが一番好きなのはダークさまの気配り上手なところでね、昨日の配信なんかもう――」
「よーしわかった、わかったから静まりたまえ」

 いきなりマシンガントークをかまされるとは思わなかった。ダークさまって……。

「じゃあ、もしもの話なんだが……黒曜ダークが美波の母さんだったら、どうする?」
「なにそれ? うーん……弟子入りするかな。させてくれるまで土下座する」
「まじかよ……」

 もしも推しのVTuberが親だったらどうするか。
 それを聞いて参考にしたかったのに、聞く相手が特殊すぎて参考にならなかった。

「ねえ、なんでそんなこと聞くの? あっ、わかっちゃった! 天母マリアの中の人が秋山くんのママだったんでしょ~? うはははははっ! なにそれウケるぅ~!」
「ぐ、うぅぅ……ふぅぅぅうう……っ」
「秋山くぅん⁉ なんで泣いてるの⁉ 誰かに嫌なことされたのっ⁉」

 お前だよおおおおおおおおおおおお‼‼‼

 なんてブチ切れるわけにもいかず、俺は必死に男泣きを堪えた。そして美波と目を合わせる。

「……ガチで誰にも言わないでくれよ? 実はさっき――」
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