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第1話 推しが母親だったらよかったのに……はフラグである

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 6月15日(木)7時22分

 俺が朝起きて一番にすることは、切り抜き動画を見ることだ。
 切り抜き動画とは、本編のダイジェスト動画みたいなもの。投稿サイトで配信された長時間の動画からおもしろいシーンを切り抜き、編集して短くまとめたものだ。切り抜き動画なら忙しい朝にも楽しめる。

『――ではでは今日の配信はここまで。乙マリ~』

 今、俺のスマホ画面ではアニメのような美少女キャラが微笑んでいる。

 金色に輝くロングヘアに、優しいまなざしの青い瞳。
 身にまとうのは背中や横乳をさらけ出した際どい白装束。
 天母マリア、18歳の女神という設定のVTuberだ。聖母顔負けの母性から愛称は〝マリアママ〟。
 彼女は国内最大のVTuber運営会社〝メタライブ〟に所属するバーチャルアイドルで、YouTubeチャンネルの登録者数は200万人越え。これはVTuberでは国内一位、そして世界三位にあたる。天母マリアはVTuber界の生きる伝説だ。

 そんなマリアが大好きすぎて、俺は母親の声より聞いてるまである。

「翔ちゃん~? いつまでおねんねしてるの~?」

 ベッドで切り抜き動画を楽しんでいると、甘い声が遠くから邪魔をしてきた。

 ドタドタドタッ!

 うるさい足音が迫ってきたと思ったら、次の瞬間、部屋の扉が遠慮なく開けられ――

「もぅ! 学校に遅刻しちゃうよぉ!」

 初夏の爽やかな風が部屋に吹き込む。
 朝日を受けて、一人の女性が腰に手を当てて立っていた。
 優しい目元をした、柔らかな雰囲気の人。
 ニットのセーターとジーンズという普段着にピンクのエプロン。右手には菜箸。いかにもな主婦の格好とは裏腹にその顔は瑞々しく若い。おまけに、たわわな胸に細いウエストという抜群のスタイルだ。その美貌は、ひとたび街を歩けば芸能事務所のスカウトを引き寄せる。受け取った名刺の数はカードゲームができそうなほど。
 こんな美人がなぜ俺を起こしに来たのか。
 ギャルゲーには寝起きシチュというイベントがあってメインヒロインが「おそようだぞ?」と主人公を起こすわけだが――残念ながら俺にはまったく関係がない。

「翔ちゃんっ、おそようだぞ?」

 と、メインヒロインぶる女の名前は、秋山薫子かおるこ

 外見は若いが、俺、秋山しょうの実母だ。

「……母さんさぁ、ノックくらいしろよ」
「だ、だって起きてると思わなかったんだも~ん! なんで下りてこないの? 折角、翔ちゃんのために『おいしくな~れ』って朝ごはん作ったのに。お母さんの愛が冷めちゃうでしょ? なーんて、翔ちゃんへの愛が冷めるわけないんですけど♡」
「…………っせぇな」
「ご、ごめんね……。ワイシャツとズボン、アイロンかけて下に置いてあるから……」

 しゅん……、と母さんは扉を閉めて出ていった。
 最近、こんなことばかりだ。母さんの些細な言葉でイライラしてしまう。

「とりあえず、下に行くか」

 一階に下りて朝飯を食べ終え、登校の準備を済ませた俺は玄関に向かった。
 すると、母さんがいつものように「いってらっしゃい」を言うためだけにちょこちょこと後ろをついて来る。
 玄関で俺が靴ひもを結んでいると、後ろに立つ母さんが言った。

「お母さんね、午後ちょっとお出掛けしないといけなくて。帰りが遅くなっちゃうと思うの。ウェブライターの取材があって……」

 母さんは主婦の傍らウェブライターの副業をしているらしく、記事の取材で遠出することがよくある。
 うちは現在、父さんが中国の子会社に単身赴任していて家には俺と母さんしかいない。今日のように母さんが家を空けることは昔からあったし、小学生のときならともかく、高校生の今は寂しい気持ちとは無縁だ。
 むしろ清々する……というのは、さすがに酷いか。

「ごめんね。夜ごはんは冷蔵庫に入れてお皿に付箋貼っておくから、チンして食べてね」
「ああ」
「何か欲しいものあったらお昼までに連絡して。買っておくから」
「ああ」

 と、安定の生返事。
 まったく、もう高校生だってのに、いつまで子ども扱いするつもりなんだか……。
 俺が靴ひもを結び終えて上がり框から腰を上げた、そのとき。

「隙ありっ!」

 背後から不意打ちのごとく母さんに抱き着かれた。
 むぎゅ、もにゅぅ、と柔らかい塊が背中に押し付けられ、俺の顔は一瞬にして赤熱した。

「なっ、なに抱き着いてんだよッ‼」
「だってだってぇ、夜まで翔ちゃんに会えないと思ったらお母さん寂しくて~!」
「知らねえよ! 恥はずいだろが!」
「え~、お家の中だし誰も見てないから平気だよぉ。翔ちゃんだって前はギュッてしてチューして『大好き』って言ってくれたじゃない~」
「それ小学校低学年のときだろがッ! あと『大好き』は絶対に言ってねえし記憶の捏造やめろ――ババア!」

 子離れできないうざい母親を押しのけ、俺は逃げるように玄関を飛び出した。

「ババ……ッ、翔ちゃんン⁉ 私まだ34歳なんですけどぉ!」
「ババアじゃねえか!」
「アラサーはババアじゃないもんっ‼」

 いいやババアだね、バナナだったら真っ黒で食べられんわ!

 俺は早歩きで家から離れ、登校する他の生徒に混ざって学校を目指す。

「ハァ……朝から疲れた」

 でも大丈夫だ。なぜなら、今日の俺にはすり減った元気を取り戻せるだけの楽しみが待っているから。
 ポケットからとあるチケットを取り出し、思わずニヤニヤしてしまう。
 チケットには『メタライブ・スペシャルイベント 一対一トーク!』の文字。
 これは、今日18時に秋葉原で開催されるトークイベントの入場券だ。

「あーあ、マリアママが母親だったらよかったのになぁ」



 6月15日(木)8時15分

 いつものようにホームルーム十分前に教室に到着。
 高校に入学して二か月半が経ち、クラス内の友達グループも決まってきたが、俺はどこにも属さず席で静かに過ごすことのほうが多かった。
 友達は本当に仲のいい数人いればいい。一人で好きなことに没頭できる時間だって大切だ。
 というわけで、俺は席でマリアの切り抜き動画に没頭するのだった。

「よっす、Vオタ!」

 と、失礼極まりないあだ名が飛んでくる。
 後ろを振り返ると、まだ六月なのに半袖シャツを着たごつい男子が立っていた。

五十嵐いがらしさぁ……Vオタはやめような? 本当のことだけど」
「わりぃわりぃ」

 へへっ、と五十嵐は憎めない笑いをする。
 俺と五十嵐は、出席番号順で席が割り振られたときに前後だったから話すようになった。こいつは陽キャなスポーツ男子で、対する俺は陰キャなVTuberオタク。本来は水と油くらい相性が悪いはずの俺たちだが、距離感が丁度いいのか一番よく話す仲だ。

「秋山、今日の放課後ヒマ? また何人か誘ってオレの家でゲームしね?」
「あー、悪い。俺さ……今日の放課後、一対一トークに行くんだ」

 フッ、と少し自慢っぽく言ったら、五十嵐が疑問符を浮かべた。

「一対一トーク? なんだそりゃ」
「前に話しただろ。メタライブのVTuberと二人きりで話せるトークイベントのことだよ。秋葉原でやるやつ」
「はあ⁉ あれってたしか、六千円も払って二分しか話せないんだろ⁉ おま……正気か⁉」
「五十嵐、それは間違ってる」
「お、そうか……だよな、十分は話せるんだっけか。それでも少ねえけど」

 俺はゆっくりと首を横に振り、

「六千円払うだけで二分も話せるんだ」

 五十嵐は「こいつ、やべぇ」と言わんばかりの顔をした。
 心外だが、ここで長々と喋っても余計に自分の首を絞めるだけな気がする。何を言われても地蔵のように黙っていよう。

「なんでそんな入れ込むんだよ? 天母マリアの中の人、かなり年上なんだろ?」
「ウッ……」

 たしかに、俺の予想だとマリアの中の人は30歳前後だ。
 切り抜きでもあったとおり、2012年のロンドン五輪のとき社会人だった話などで中の人の年齢は予想できてしまう。だが、配信を重ねていけばプライベートの話も自然と多くなるから仕方ないことだ。
 マリア本人もそれをわかっているのだろう。最近は年齢バレに開き直って、むしろネタにしてリスナーを楽しませている。
 アラサーだろうと関係ない。俺はそんなおおらかな性格も好きだ――いいや大好きだ!
 大人しく黙っていようと思ったが、推しにケチをつけられたら見過ごせない。

「五十嵐さぁ……、まとめブログに書かれてることなんか信じるなよ? かなり年上とか言われてるけど、マリアママの中の人はたぶん29歳くらいだ(希望的観測)」
「ババアじゃねえか」
「アラサーはババアじゃないッ‼」

 瞬間、がやがや騒がしかった教室内が、しんと静まり返った。

 ……なにやってんだ俺。思いっきり今朝と真逆のこと口走ってるし。

 思わずムキになって叫んでしまい、クラスメイトにくすくす笑われながら俺は席で縮こまった。五十嵐が同情たっぷりな顔で肩に手を乗せてくる。

「推しが特別なのはわかるけどよ……オレらからしたらババアだ。下手したら母ちゃんと変わらないんだぜ? どうよ、もし秋山の母ちゃんが天母マリアだったら」
「母さんが、マリアママだったら……?」

 マリアが母親だったら最高だ、それは間違いない。
 しかし逆に、中の人が母さんだったとなれば話は違ってくる。少なくとも、マリアの配信を今と同じように楽しめる自信はない。絶望して死ぬまである。
 まあ、所詮は下らないたとえ話だし、真面目に考えるだけ無駄だな。

「――二人とも、なんの話~?」

 と、人懐っこい感じな女子の声。
 いつの間にか、一人の可愛い女子が隣にいた。
 背中で揺れる柔らかそうな黒髪に、犬耳のような短いツインテール。
 意志が強そうな瞳だが、目を細めた笑顔は「あ、俺のこと好きだわ」と勘違いさせる破壊力を持つ。たぶん48人組のアイドルグループに紛れ込んで49人になろうが誰も文句を言わない。それほどアイドル的な愛想の良さと可愛さを兼ね備えた少女。
 彼女は美波りん、隣のクラスの女子だ。

「美波さん、ど、どうしてっ⁉」

 五十嵐が顔を赤くして驚く。
 気づくと、教室内の男子全員が美波を興味ありげに見ていた。さすがは学校のアイドル、男子の視線をハッキングするのに五秒もかかってない。

「ごめんね、話の邪魔しちゃったのでした」
「いいよいいよ! まじで大した話じゃねーし、アラサーはババアか否かって話になって秋山の奴が『アラサーはババアじゃねえ』って叫んでただけだからさ。こいつ熟女好きなんだぜ、ドン引きだよな?」

 ……うるさいなぁ。

 美波は「ふぅん」と相づちを打って俺を一瞥すると、

「あたしは、人によると思うなぁ。だって今は人生百年時代って言われてるし、元アイドルだと40歳でもきれいな人いるもん。アラサーだからババアとは限らないんじゃない? 秋山くんの熟女好きも、まあ……いいと思うよ」
「わかってると思うが俺は熟女好きじゃないぞ、美波」

 隣で「呼び捨てだと⁉」と五十嵐が驚いている。本当にうるさい。

「ねえ秋山くん、前に話したゲームのことなんだけど、今日借りに行ってもいい? 今夜使いたくて」
「ああ、いいよ。放課後また声かけてよ」
「ありがとっ! その話がしたかったの」

 また放課後ねー、と美波は手を振って自分の教室に帰っていった。

「……秋山、お前すげえな」
「え、急にどうした?」
「だって美波凛と言えば学年で――いや下手したら学校一の美少女だし、声なんかめちゃくちゃ可愛いじゃん。そんなコとゲーム貸すぐらい仲良くなれるのはすげえよ! てか、どういう関係⁉」
「いやー……ただの友達だよ」
「もったいぶるなよ~、教えろよ~」

 そんなやり取りをしているとホームルームの時間になり、担任教師が入ってきて話はそこで打ち切りになる。
 やがて授業が始まるも、俺の頭の中は放課後の一対一トークのことでいっぱいだった。
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