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○月×日『涙を流す金魚⑥』
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その日を境に、矢野くんと過ごす時間が増えた。
なぜかというと、矢野くんが僕の前に頻繁に姿を現すからだ。
元々よくわからない子だったけど、単純に、僕のことを心配してくれているのかなと思う。
身も心もボロボロで、死んでしまいたいくらい傷ついたけど、本当にそうしたりはしない。
そんな度胸はないし、余計惨めだと思ったからだ。
それに、僕のことなんか嫌いなはずの矢野くんに抱きしめられて、少しだけ気持ちが落ち着いた。
そういえば、初めてあんな風に抱きしめられたかもしれない。
篤也とは手も繋いだことがなかった。
篤也より前に交際したのは女の子が相手だったから、あんなすっぽりと包まれるような抱擁は初めてだった……。
……だからって、どうもしないけど。
「蘭さん、」
名前を呼ばれて、ハッとする。
綺麗な顔が僕を見下ろしてる。
矢野昂平だ。
今日も何故か彼とお昼を食べることになって、立ち入り禁止の屋上でパンをかじってた。
矢野くんは……確か前まで僕のことを"先輩"とか“あんた”て呼んでたのに、あの日以来名前で呼ぶようになった。
なんでかは分からないけど、嫌ではないので好きにさせてる。
「考え事?」
違うよ……と、言いかけて、違わないと思った。
パンに意識がいってなかったのは事実だ。
「あの人のこと考えてた?」
あの人ていうのは、たぶん篤也……木崎さんのことだろう。
「違うよ」
今度は本当だ。
「なんか急に懐かれちゃったなと思ってさ」
「俺の事?」
「他に誰がいるのさ。あの日から君としかお昼ご飯食べてないんだよ、僕。」
お昼もだけど、休み時間毎に顔を覗かせてくれてる。
……僕、そんな危うそうに見えるのかな。
確かに、死んでしまいたいくらい辛くて、彼の胸で散々泣いた。
けど、今は割と平気だ。……たぶん。
こんなふうに側にいてくれなくても、大丈夫なんだけど…。
「ねぇ、クラスに友達とかさ……、ぁ、柚野ちゃんにお弁当作ってもらってたでしょ?」
「……だから?」
だから?
だからってなんだよ……感じ悪いな……。
ただ、僕はもう大丈夫だし、君が気にかけること、ないんだよ……て、言いたかっただけだ。
……そう言いいたかったけど、矢野くんの顔を見たら、言葉が出てこなかった。
僕より体も態度も大きい子なのに、なんか……捨てられた子犬みたいだったから。
あっちいけよ、て言われて、しょぼくれてる。
そんな感じに見えた。
「嫌なわけ、俺と飯食うの」
捨てられた子犬みたいな顔のまま、ちょっと拗ねたみたいに矢野くんがそんなことを言う。
「……嫌じゃないよ」
すんなりと言葉が出た。
そんな自分に、驚いた。
嫌じゃないんだ。
この子のこと、好きじゃなかったのに。
むしろ、嫌いだった。
柚野ちゃんに酷いことするし、なんか態度も生意気だし。
けど、大泣きする僕を抱きしめてくれたあの日から、印象が変わったんだ。
「なら、いーじゃん」
「……うん」
なんか、変な感じだ。
「つかさ、ゆずのこととか気にすんなよ。あんたアイツのせいであの人とダメになったようなもんだろ」
「……そう、かもしれないけど、」
そう思ったから、矢野くんと寝たんだし。
でも僕は、柚野ちゃんは矢野くんのことが好きなんだって、知ってる。
今、彼も辛いはずだ。
矢野くんが僕と寝たから、辛いはずなんだ。
「あんた人が良すぎるよ。もっとテキトーに生きろよ。」
「……矢野くんみたいに?」
「誰がテキトーだよ」
矢野くんが子供っぽい、ムキになったような顔をする。
「あははっ」
それが年相応に見えて、可愛かったから、思わず笑ってしまった。
とても高校生には見えない外見だけど、こういった可愛いところもあるんだな、矢野くんて。
「……蘭さん」
名前を呼ばれて顔を上げると、彼の青い瞳が僕だけを写してた。
「あんた笑ってたほうがいいよ」
「え?」
前にもそう言われた気がする。
確かあの時は、笑った顔の方が可愛いって……
青い瞳が至近距離まで近ずいてきて、彼が何をしようとしてるのか気づいた。
「……ダメ…っ」
慌てて彼の顔を手で制した。
「なんで。」
「なんでって…っ」
今キスしようとしたよね?
こっちが聞きたいよ。
「僕に、何しようとしてるの、君」
「キスしたい。」
ドッ。と、心臓が高鳴った。
制した手を握られて、ゆっくり彼の青い瞳が近づく。
今、キスしたいって言った。
そんなこと、初めて言われた。
「ん、」
僕の返事は待たずに矢野くんが唇を重ねてくる。
乱暴にされるかと思ったけど、触れるだけの優しいキスだった。
拒まないでいると、舌が触れる感触がして、慌てて彼の胸を押した。
矢野くんが驚いた顔で僕を見る。
「……ここ、学校……、」
学校じゃなきゃしてもいいって意味じゃないけど……。
一度は校舎内で彼と寝たことがあるのに何言ってるんだって感じでもあるけど……
けど、それでも……絞り出したような声で言うと、矢野くんは顔を離してくれた。
「すんません」
そして素直に謝ってくれる。
顔にはもっとしたいて、書いてあるけど。
今更、キスくらいで照れるのはおかしいかもしれないけど、やっぱり恥ずかしい。
木崎さんとは、恋人らしい接触は無かったけど、初めてなわけでもない。
けど、僕の記憶が正しければ同性としたキスは、彼が初めてだ。
……それどころか"記憶にある"同性とのキスもセックスも彼が初めてだ。
その事実に気づいて、頬が焼けるくらい熱くなった。
「蘭さん、今日一緒に帰りましょう」
「……うん」
一緒に帰るくらい、いいよね。
少しだけ迷ったけど、僕がうなづくと、彼は嬉しそうに笑った。
…………もしかしなくとも、僕は、矢野くんに好かれてるのかな……?
明らかに矢野くんの態度が今までとは違う。
以前までと違って、木崎さんとの関係が終わってる僕に手を出しても、なんのメリットもないわけだし…。
矢野くんは同情でこれだけ人の世話を焼く人間には思えない。
……それに、さっきのキス。
決定的な気がする。
僕に、キスしたいだなんて……
でも、好かれるようなことした覚えはない。
彼には最初から好かれていなかったと思うし、余計にわからない。
……なにか、矢野くんの中で変化があったんだろうか。
もんもんと考えながら授業を受けているうちに、下校時間になり、帰宅準備をする。
筆記具、教科書、参考書……
順番に鞄に入れている中で、ふと気づく。
参考書……
あの部屋に置いてきてしまった。
黙って出ていこうとしたものの、あんな……ちょっとした修羅場になって、忘れてた。
今度は参考書のことを考え出す。
考えながら教室を出ると、腕を掴まれた。
「ぶつかる」
腕を掴んだのは矢野くんだった。
「ボーとしてどうしたの」
矢野くんが腕を引いてくれなかったら、下校のために廊下を歩く生徒とぶつかる所だった。
それくらい、矢野くんが言うとうり心ここに在らずだった。
「ありがとう……、なんでもないよ」
参考書……
……あの部屋
…………木崎さん、
頭の中がそればかりになってた。
「嘘つけ。」
矢野くんにハッキリと言われて、少し狼狽えた。
なんか、見透かされてる気がする。
なんでだろ、顔に出てた……?
「あの人の事だろ」
やっぱり、なんでか矢野くんには隠し事ができない。
特に、木崎さんのことに関して鋭い。
「まさか連絡きたとか?」
「ぇ、違うよ」
そんなわけない。
そんなこと、あるわけがない。
「言っちゃえよ」
矢野くんが僕の目を真っ直ぐに見る。
矢野くんの僕の腕を掴む手に、力が入る。
「……参考書、あの部屋に忘れたなって、」
「参考書?」
「……」
矢野くんの表情が、歪む。
…………言うんじゃなかったかも。
馬鹿だなって、思われたかもしれない。
参考書なんか、買えばいい。
なのに、わざわざ、あの部屋に参考書があるだなんてこと気にして……。
あの人は気にしないだろう。
気づいてもないかも。
たかが参考書。
書店に行けば普通に売ってる。
価値のあるものじゃない。
もう捨てられてるかもしれない。
あの部屋に取りに行けば、あの人に会う確率は高い。
いや、今の僕は合鍵を持っていないから、前のようにこっそり部屋に入ることは不可能だ。
だから、確実にあの人に会うことになる。
……それを、望んでいるわけじゃない。
けど、矢野くんにはそう思われたかもしれない。
……未練がましいやつだって……。
「俺がとってくる。」
「…………え?」
予想外な矢野くんの言葉に、間抜けな声が出る。
「俺行ってくるから」
「ぇ、えっ、ちょっと待ってよ、なんで?」
なんで矢野くんが?
なんのために?
僕を置いて歩いて行く矢野くんの後を追う。
けど、学校を出たところで矢野くんが足を止めて、僕を見下ろす。
「あんたは家に帰ってろ」
「はぁ?」
「言わなきゃわかんねぇの?」
矢野くんと正面から向き合う。
「今、あの部屋にはゆずがいるんだよ」
矢野くんにそう言われて、息を飲んだ。
胸の辺りがズキズキと痛みだす。
……忘れていたわけでは、なかったのに。
言葉が出ないでいると、矢野くんの顔が切なそうに歪む。
「……あんたに見せたくないんだよ。」
その言葉に、涙が出そうになった。
……僕を気遣ってる。
その優しさに、痛んでた胸が、徐々に温かくなってくる。
「……わかった、……わかったよ」
涙声になりながら、何度も頷いた。
それから、あの人の家に向かう矢野くんを見送って、僕は家へ帰った。
家まで帰る間、普通に泣いてしまった。
あの人の部屋に、柚野ちゃんがいる。
あの人に関することは、平気になってるつもりだった。
けど、そうじゃなかったんだ。
矢野くんは、また僕を救ってくれた。
一瞬で、痛んだ胸を楽にしてくれた。
それどころか、胸がドキドキする。
なんでこんなに胸が高鳴るんだろう。
なぜかというと、矢野くんが僕の前に頻繁に姿を現すからだ。
元々よくわからない子だったけど、単純に、僕のことを心配してくれているのかなと思う。
身も心もボロボロで、死んでしまいたいくらい傷ついたけど、本当にそうしたりはしない。
そんな度胸はないし、余計惨めだと思ったからだ。
それに、僕のことなんか嫌いなはずの矢野くんに抱きしめられて、少しだけ気持ちが落ち着いた。
そういえば、初めてあんな風に抱きしめられたかもしれない。
篤也とは手も繋いだことがなかった。
篤也より前に交際したのは女の子が相手だったから、あんなすっぽりと包まれるような抱擁は初めてだった……。
……だからって、どうもしないけど。
「蘭さん、」
名前を呼ばれて、ハッとする。
綺麗な顔が僕を見下ろしてる。
矢野昂平だ。
今日も何故か彼とお昼を食べることになって、立ち入り禁止の屋上でパンをかじってた。
矢野くんは……確か前まで僕のことを"先輩"とか“あんた”て呼んでたのに、あの日以来名前で呼ぶようになった。
なんでかは分からないけど、嫌ではないので好きにさせてる。
「考え事?」
違うよ……と、言いかけて、違わないと思った。
パンに意識がいってなかったのは事実だ。
「あの人のこと考えてた?」
あの人ていうのは、たぶん篤也……木崎さんのことだろう。
「違うよ」
今度は本当だ。
「なんか急に懐かれちゃったなと思ってさ」
「俺の事?」
「他に誰がいるのさ。あの日から君としかお昼ご飯食べてないんだよ、僕。」
お昼もだけど、休み時間毎に顔を覗かせてくれてる。
……僕、そんな危うそうに見えるのかな。
確かに、死んでしまいたいくらい辛くて、彼の胸で散々泣いた。
けど、今は割と平気だ。……たぶん。
こんなふうに側にいてくれなくても、大丈夫なんだけど…。
「ねぇ、クラスに友達とかさ……、ぁ、柚野ちゃんにお弁当作ってもらってたでしょ?」
「……だから?」
だから?
だからってなんだよ……感じ悪いな……。
ただ、僕はもう大丈夫だし、君が気にかけること、ないんだよ……て、言いたかっただけだ。
……そう言いいたかったけど、矢野くんの顔を見たら、言葉が出てこなかった。
僕より体も態度も大きい子なのに、なんか……捨てられた子犬みたいだったから。
あっちいけよ、て言われて、しょぼくれてる。
そんな感じに見えた。
「嫌なわけ、俺と飯食うの」
捨てられた子犬みたいな顔のまま、ちょっと拗ねたみたいに矢野くんがそんなことを言う。
「……嫌じゃないよ」
すんなりと言葉が出た。
そんな自分に、驚いた。
嫌じゃないんだ。
この子のこと、好きじゃなかったのに。
むしろ、嫌いだった。
柚野ちゃんに酷いことするし、なんか態度も生意気だし。
けど、大泣きする僕を抱きしめてくれたあの日から、印象が変わったんだ。
「なら、いーじゃん」
「……うん」
なんか、変な感じだ。
「つかさ、ゆずのこととか気にすんなよ。あんたアイツのせいであの人とダメになったようなもんだろ」
「……そう、かもしれないけど、」
そう思ったから、矢野くんと寝たんだし。
でも僕は、柚野ちゃんは矢野くんのことが好きなんだって、知ってる。
今、彼も辛いはずだ。
矢野くんが僕と寝たから、辛いはずなんだ。
「あんた人が良すぎるよ。もっとテキトーに生きろよ。」
「……矢野くんみたいに?」
「誰がテキトーだよ」
矢野くんが子供っぽい、ムキになったような顔をする。
「あははっ」
それが年相応に見えて、可愛かったから、思わず笑ってしまった。
とても高校生には見えない外見だけど、こういった可愛いところもあるんだな、矢野くんて。
「……蘭さん」
名前を呼ばれて顔を上げると、彼の青い瞳が僕だけを写してた。
「あんた笑ってたほうがいいよ」
「え?」
前にもそう言われた気がする。
確かあの時は、笑った顔の方が可愛いって……
青い瞳が至近距離まで近ずいてきて、彼が何をしようとしてるのか気づいた。
「……ダメ…っ」
慌てて彼の顔を手で制した。
「なんで。」
「なんでって…っ」
今キスしようとしたよね?
こっちが聞きたいよ。
「僕に、何しようとしてるの、君」
「キスしたい。」
ドッ。と、心臓が高鳴った。
制した手を握られて、ゆっくり彼の青い瞳が近づく。
今、キスしたいって言った。
そんなこと、初めて言われた。
「ん、」
僕の返事は待たずに矢野くんが唇を重ねてくる。
乱暴にされるかと思ったけど、触れるだけの優しいキスだった。
拒まないでいると、舌が触れる感触がして、慌てて彼の胸を押した。
矢野くんが驚いた顔で僕を見る。
「……ここ、学校……、」
学校じゃなきゃしてもいいって意味じゃないけど……。
一度は校舎内で彼と寝たことがあるのに何言ってるんだって感じでもあるけど……
けど、それでも……絞り出したような声で言うと、矢野くんは顔を離してくれた。
「すんません」
そして素直に謝ってくれる。
顔にはもっとしたいて、書いてあるけど。
今更、キスくらいで照れるのはおかしいかもしれないけど、やっぱり恥ずかしい。
木崎さんとは、恋人らしい接触は無かったけど、初めてなわけでもない。
けど、僕の記憶が正しければ同性としたキスは、彼が初めてだ。
……それどころか"記憶にある"同性とのキスもセックスも彼が初めてだ。
その事実に気づいて、頬が焼けるくらい熱くなった。
「蘭さん、今日一緒に帰りましょう」
「……うん」
一緒に帰るくらい、いいよね。
少しだけ迷ったけど、僕がうなづくと、彼は嬉しそうに笑った。
…………もしかしなくとも、僕は、矢野くんに好かれてるのかな……?
明らかに矢野くんの態度が今までとは違う。
以前までと違って、木崎さんとの関係が終わってる僕に手を出しても、なんのメリットもないわけだし…。
矢野くんは同情でこれだけ人の世話を焼く人間には思えない。
……それに、さっきのキス。
決定的な気がする。
僕に、キスしたいだなんて……
でも、好かれるようなことした覚えはない。
彼には最初から好かれていなかったと思うし、余計にわからない。
……なにか、矢野くんの中で変化があったんだろうか。
もんもんと考えながら授業を受けているうちに、下校時間になり、帰宅準備をする。
筆記具、教科書、参考書……
順番に鞄に入れている中で、ふと気づく。
参考書……
あの部屋に置いてきてしまった。
黙って出ていこうとしたものの、あんな……ちょっとした修羅場になって、忘れてた。
今度は参考書のことを考え出す。
考えながら教室を出ると、腕を掴まれた。
「ぶつかる」
腕を掴んだのは矢野くんだった。
「ボーとしてどうしたの」
矢野くんが腕を引いてくれなかったら、下校のために廊下を歩く生徒とぶつかる所だった。
それくらい、矢野くんが言うとうり心ここに在らずだった。
「ありがとう……、なんでもないよ」
参考書……
……あの部屋
…………木崎さん、
頭の中がそればかりになってた。
「嘘つけ。」
矢野くんにハッキリと言われて、少し狼狽えた。
なんか、見透かされてる気がする。
なんでだろ、顔に出てた……?
「あの人の事だろ」
やっぱり、なんでか矢野くんには隠し事ができない。
特に、木崎さんのことに関して鋭い。
「まさか連絡きたとか?」
「ぇ、違うよ」
そんなわけない。
そんなこと、あるわけがない。
「言っちゃえよ」
矢野くんが僕の目を真っ直ぐに見る。
矢野くんの僕の腕を掴む手に、力が入る。
「……参考書、あの部屋に忘れたなって、」
「参考書?」
「……」
矢野くんの表情が、歪む。
…………言うんじゃなかったかも。
馬鹿だなって、思われたかもしれない。
参考書なんか、買えばいい。
なのに、わざわざ、あの部屋に参考書があるだなんてこと気にして……。
あの人は気にしないだろう。
気づいてもないかも。
たかが参考書。
書店に行けば普通に売ってる。
価値のあるものじゃない。
もう捨てられてるかもしれない。
あの部屋に取りに行けば、あの人に会う確率は高い。
いや、今の僕は合鍵を持っていないから、前のようにこっそり部屋に入ることは不可能だ。
だから、確実にあの人に会うことになる。
……それを、望んでいるわけじゃない。
けど、矢野くんにはそう思われたかもしれない。
……未練がましいやつだって……。
「俺がとってくる。」
「…………え?」
予想外な矢野くんの言葉に、間抜けな声が出る。
「俺行ってくるから」
「ぇ、えっ、ちょっと待ってよ、なんで?」
なんで矢野くんが?
なんのために?
僕を置いて歩いて行く矢野くんの後を追う。
けど、学校を出たところで矢野くんが足を止めて、僕を見下ろす。
「あんたは家に帰ってろ」
「はぁ?」
「言わなきゃわかんねぇの?」
矢野くんと正面から向き合う。
「今、あの部屋にはゆずがいるんだよ」
矢野くんにそう言われて、息を飲んだ。
胸の辺りがズキズキと痛みだす。
……忘れていたわけでは、なかったのに。
言葉が出ないでいると、矢野くんの顔が切なそうに歪む。
「……あんたに見せたくないんだよ。」
その言葉に、涙が出そうになった。
……僕を気遣ってる。
その優しさに、痛んでた胸が、徐々に温かくなってくる。
「……わかった、……わかったよ」
涙声になりながら、何度も頷いた。
それから、あの人の家に向かう矢野くんを見送って、僕は家へ帰った。
家まで帰る間、普通に泣いてしまった。
あの人の部屋に、柚野ちゃんがいる。
あの人に関することは、平気になってるつもりだった。
けど、そうじゃなかったんだ。
矢野くんは、また僕を救ってくれた。
一瞬で、痛んだ胸を楽にしてくれた。
それどころか、胸がドキドキする。
なんでこんなに胸が高鳴るんだろう。
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