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第7話:獅子の威圧

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 襟の高いコートに、シャツには黒のボロネクタイ。明るい色のベストとパンツをきっちりと着こなす姿は、今からサロンのパーティーに出席すると言われても疑問には思わないものだった。しかし、そんな型に嵌まったようなクラシックな様装が、今は場を凍りつかせる威圧感を溢れんばかりに生み出している。

「セイっ! 会いたかったよ!」

 仕事で遠方に出ていたヴィートがマイゼッティー邸に到着したと聞き、応接の間へと行くと、目が合った瞬間にヴィートの力強い腕に抱き締められた。

「っ……」

 向かいの席で来客の対応をしていたエドアルドの表情が、一気に固まる。

「ちょっ……ヴィー、ここはスコッツォーリの屋敷じゃないんだから場所を考えて……」
「嫌だよ、我慢できない。だって四日間も会えなかったんだよ? 俺は死んでしまうかと思うほど辛かったんだからね!」

 少しの恥ずかしさぐらい、我慢しろと言わんばかりにぎゅうぎゅうと抱き締められれば、腕力のないセイは抵抗もできない。

「君がエドアルドの下にいるって聞いた時は、何か良からぬことが起こったんじゃないかって、夜も眠れないほど心配したんだよ!」
「ヴィー……あの、そのことだけど僕、ヴィーに謝らなきゃ……」
「ん? 何?」
「僕が軽率なことをしたから、ヴィーにもエド……アルドにも迷惑をかけちゃった。本当にごめん……スコッツォーリファミリーの幹部として、醜態を晒した罰はちゃんと受けるよ」
「ああ、それならセイは気にしなくてもいいよ。不測の事態、ってやつだったんだろ? だから二人ともに、オメルタには該当しない。俺はそう判断するし、今回は君を助けて貰った礼も含めてこれ以上何も聞かないでおくよ」

 つまり全ての根本である、あの日二人が同じ場所にいた理由も問い質さないということ。それはセイたちにとってありがたいことだが、逆に薄気味悪くも感じた。

「あとセイを襲おうとした奴だけどね、あいつならもう二度と君の前に現れることはないから、今回みたいなことは二度と起こらないと思って安心してくれていいよ」


 二度とないと言い切るヴィートに、セイは危惧していたことが的中してしまったことを悟る。


「……彼をどうしたの?」
「奴は規律違反を犯した。約束を破れば相応の罰が与えられることを承知でこの世界に入ってきたんだから、文句なんて言えないさ」


 詳細すら語りたくないといった顔で、ヴィートは吐き棄てる。


「そんな……」

 
 確かにあの男は危険だった。生きている限り再び危険に見舞われる可能性がある。そしてここはマフィアという一般常識が適応されない世界だ。ファミリーでの中で決められた規律は法律と同等なので、破れば過酷な制裁が待っている。
 きっと今頃彼はもうーーーー。

 制裁を受けた者の末路は死んだ後も凄惨だと知るセイは、眉を顰めることしかできなかった。
 だが、これは決してヴィートを非難するための表情ではない。
 ファミリーを長く存続させるために厳しい規律は必要だと分かっているので、ヴィートは決して悪くはない。ただただ自分が素直に喜ぶことができないだけだ。


 おそらく安らかな最期を迎えられなかっただろうあの男が、出来るかぎり早く見つけられて弔われることを、セイは心の中で密かに祈る。



「エドアルドも、俺のセイを助けてくれてありがとう。心から感謝を贈らせてもらうよ」



 穏やかな声で、ヴィートが礼を述べる。しかしそれが単なる感謝の言葉ではなく、しっかりと牽制が込められたものであるということに、この場にいる誰もが気づいた。




「そうだセイ、項を見せて。ーーーーうん、大丈夫、噛まれてないね」



 やにわに襟元の髪を掻き揚げ、念入りに項を確認するヴィートに、セイは首を振って抗議する。これではまるでエドアルドが信用に値しないと言っているようなものだ。



「失礼だよ、ヴィー。エドはそんなことをする人間じゃない」
「エド? ……へぇ、この数日間で二人は随分と仲良くなったんだね。ああ、だからなのか、セイから俺以外のアルファの臭いがプンプン匂ってくるのは」


 セイの首筋に鼻を寄せて匂いを吸い込んだヴィートの声の温度が、あからさまに下がる。


「匂い?」
「セイはオメガだから分からないと思うけど、アルファって生き物は自分のお気に入りに他のアルファの匂いがつくのを酷く嫌うんだ」



 耳の真横から聞こえる声の振動と同時に、突然、ピシリピシリと嫌な圧が部屋全体に降り掛かる。まるで砂袋を乗せられたように全身が重たくなって、足が勝手にふらついた。

 この感覚は体感したことがある。そうだ、これはアルファの威嚇だ。

 即座に気づいたセイが慌てて視線をエドアルドへと向ける。するとこれまでずっと椅子から立ち上がった姿でこちらを見ていたエドアルドが、苦しそうに冷や汗を浮かべていた。

 まずい、エドアルドがヴィートの威嚇フェロモンの影響を受けてしまっている。
 普段の彼なら同格者に圧されることはないが、今はヴィートとの誓約の下で強い抑制剤を服用している。そんな状態で威嚇されれば、かなりきついはずだ。
 何とかしてエドアルドを助けなければ。


「ヴィー……やめて……」


 抱き締める腕を離さないヴィートに寄りかかり、セイはわざと体重を掛けて密着する。



「お願いだから少しフェロモンを抑えて……」
「セイ?」
「今、ちょっと体調が悪いから苦しくて……」



 願うとヴィートは「すまない」と謝りながら身体を支えてくれ、それからゆっくりと威嚇を解いた。
迫真の演技とまではいかなかったが、どうやら信じてくれたようだ。



「悪かったよ、これでもう平気かい?」
「うん……大分楽になった」
「でもまだ顔色が悪そうだ。早く屋敷に帰って休むことにしよう」
「……そうだね」


 ヴィートが側近の男に車を回すよう言いつける。
 ああ、もうこれでエドアルドとの束の間の日々が終わってしまう。そう思うと寂しいが、こればかりはどうすることもできない。


「世話になったね、エドアルド。今日はこれで帰らせてもらうことにするよ」
「え、ええ、分かりました……ではまた仕事で」
「……ああ、あの事業の話だけど、計画は今のままで進めてもらって構わないが、こちらの担当をセイから別の人間に変えさせて貰うことにしたから」


 後任の担当者は追って紹介するとの説明に、突然話を聞かされたエドアルドは勿論、セイも驚愕して声を上げた。


「待ってください、ヴィート」
「ヴィー、それどういうことっ?」


 そんな話は聞いていない。ほぼ同時に異論唱えたことに、ヴィートの眉根が動く。


「別に君たちの力が及ばないからではないよ。計画書も進行具合も確認してみたけど、予想以上の成果を生むだろうことが見て取れた。二人ともに凄くよくやってくれていると感謝してるよ。だけど、やっぱりアルファとオメガが長時間顔を合わせて仕事をするのは危険だと思ってね」
「そんなっ、アルファ相手との仕事はこれまでだってやってきたじゃないか」
「確かにセイは自制心が強いからアルファに惑わされることも、惑わすこともなかった。でもね、今回のことでよくよく思い知らされたんだ。たとえどれだけ気をつけていようが、アルファとオメガが一緒にいるのが危険だってことに」



 セイを見つめた後、ヴィートはそのまま鋭い視線をエドアルドに向けた。その瞬間、セイは当然ながら、エドアルドもヴィートが何を言いたいのかを察して双眸を見開く。
 今回、とはセイが部下の男に襲われたことを指しているのではない。セイとエドが出会ったことを言っているのだ。

 ヴィートは二人が運命の番だということに、もう気づいてしまっている。




「セイ、君は俺の宝なんだ。幼い頃からセイ以上に愛おしいと思える人間に出会ったことがないぐらい、君のことを大切に思ってる。だからどこにも行って欲しくないし、一生手放したくない。もしも俺の知らぬ間に他のアルファに奪われてしまったらと考えると、不安で夜も眠れなくなるんだよ」
「ヴィー……」
「だからセイ、俺と約束して? 俺のそばから絶対に離れないって。ずっと俺の腕の中にいるって。じゃないと俺は気が狂って、何をしでかしてしまうか分からない。……君だって不必要な血の海は見たくないだろ?」



 言いながらヴィートがこちらを見つめ、問いかける。その虚ろで危うい瞳が告げていた。これは最終通告だ、エドアルドと二度と会うことは許さない、と。
 威嚇されているわけではないのに、全身が縛り付けられたような感覚になり、何も言えなくなった。


「分かってくれたのなら、帰ろう? 俺たちの城へ」


 反論の言葉を考えることもできないセイは肩を抱かれたまま、ヴィートの歩幅で共に歩き出す。
 背後でエドアルドが追いかけようとする気配を感じたが、恐ろしくて一度も振り返ることができなかった。


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