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第1話:運命の番との出会い
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地中海に浮かぶ最大の島、イタリア・シチリア島。その東部にある都市カターニア郊外にイタリアンマフィア・スコッツォーリファミリーのドン、ヴィート=スコッツォーリの邸宅はあった。
広大な土地の中央に聳える中世の様式美を残した屋敷は、一般人など決して入ってこられない厳重なセキュリティと高い門塀に囲まれ、かつ二十四時間多くの強面たちが、わずかな異変も見落とさぬよう鋭い目を光らせている。不審者が侵入しようものなら、ものの数秒で蜂の巣だ。
そんな緊張しかない空気の中を、陽だまりのような青年が、温かな春風を連れながら静かに歩いていた。
優しげな眼差しに、柔らかなエメラルド色の瞳。ふんわりとしたミルクティーの髪は、白い肌とティーンエージャーのような幼顔によく似合っていて見る者を穏やかな気持ちにさせる。少々だぶついたパステルイエローのカーディガンもまた、彼の人畜無害な印象をより際立たせた――――が、この屋敷を守るいかつい男たちの中では少々、いや、かなり浮いて見えた。
しかし、そんな悩みなど今に始まったことじゃないと、慣れきった顔のセイ=ファンタネージがヴィートの執務室の前に辿り着いた時。
「おい」
ノックしようと伸ばした手を突然、扉番の男に強く掴まれた。
だが、セイは痺れるような痛みを顔に表すことなく、威圧的な表情の男に視線を遣る。
「……何か?」
「今、ドンは大切な商談中だ。場に相応しくない人間が無断で入るな」
「商談ということは『表』の仕事だよね。だったら僕は関係してると思うけど?」
セイが口にした表とは、一般人が働く企業と同じように会社を経営して利益を得る仕事を指す。マフィアと聞けば銃の密売や暴力による縄張り抗争など、暗く危険な稼業ばかりしていると思われがちだが、実際は販売業や不動産業など、日の当たる仕事にも多く携わっているのだ。表の裏の割合に関しては各ファミリーによって変わってくるが、スコッツォーリはちょうど半々といったところである。
セイはその中で組織の収入源の半分を担う企業運営の統括指揮と、新事業の立ち上げを任されているため、ボスの執務室で行われているのが商談であるなら、参加する必要があるのだ。
それなのに。
「関係あるなしの問題じゃない。卑しいオメガには、ドンの部屋に入る資格がないと言ってるんだ」
オメガ。男から投げつけられた剥き出しの悪意に、セイは感情なく目を細めた。なるほど、この男はアルファ至上主義者か。ならば真面目に話をするだけ無駄だろう。しかし。
――――またこれか。
聞き慣れすぎた言葉に乾いた溜息と、積年の不満を並べたくなった。どうしていつも自分はアルファだのオメガだのという言葉に、振り回されなければいけないのだろう。
アルファ、オメガ、そしてベータ。いつの時代からかは分からないが、地球上に生きる人間の身体に突然変異として現れた第二の性・バース。
男女の性をさらに三つのグループに分けるこの三種性は、知力、体力ともに秀でていて、生まれながらにして人の上に立つ資質を有するアルファ性を筆頭に、身体的に特出した特徴がないかわりに目立った欠陥もない、所謂どこまでも普通の人間であるベータ性、そしてアルファの対極ともいわれるオメガ性で区別されている。
セイのバースでもあるオメガ性の人間は他の二種と比べて体力や体格が大きく劣り、身体が弱く病気がちな者が多い。知力の方は努力次第でどうにかなるものの、それでもアルファと比較されると及ばないことが多いため、実力社会では日の目が見られないと言われている。そんな性質からオメガは社会人として軽視されがちなのだが、決してそれが蔑みの目で見られる理由ではない。
一番の原因は、三ヶ月に一度の間隔で訪れる、『オメガの発情期』だ。
俗にヒートと呼ばれるその現象は第二次性徴を迎えると必ず現れるもので、男女ともに子を成すことができるオメガは発情期に入ると約一週間の間、全身から甘い香りのフェロモンを発してアルファを誘うようになる。そして盛りのついた猫のように、繰り返し性交を求める獣となるのだ。
そういった姿が浅ましく映るとのことでオメガは汚れた慰み者と呼ばれ、近代までずっと迫害の対象となっていた。
だがそれも昔の話。今では発情を抑える薬が多種に渡って開発されたため、自我を失うこともなくなったし、ヒートの時期を調節することだってできるようにもなった。随分とオメガが暮らしやすい時代になったのだが、それでもこの男のように昔の名残を引きずったまま生きている者もまだ多い。マフィアの世界は特に、だ。
「そう、なら商談が終わった後にまた改めるよ」
セイは男にこれ以上関わるまいと、踵を返そうとする。しかし掴まれた腕は、まだ痛みを訴えたままだった。
「まだ何か?」
「お前、自分の立場をきちんと弁えてるのか? 少しばかりボスに気に入られてるからっていい気になりやがって。いいか、お前の本来の仕事は俺たちアルファに足を開くこと。それをちゃんと頭に入れておけ」
オメガに対するあからさまな嫌悪。この男はオメガ絡みで何か嫌なことでもあったのだろうか。なんてことを考えながらも決して冷静さを失わず、かつ考察も加えながらセイは平穏にやり過ごす手段を思案する。
できれば早くこの手を振りほどいて、この場から立ち去りたい。でないと――――。
脳裏に浮かぶ厄介な光景に、セイの眉根がわずかに寄る。
執務室の扉が内側から開いたのは、その時だった。
「セイっ!」
中から明るい声とともに出てきたのは、狼のような金色の目と人懐っこそうな表情が印象的な青年で、彼はセイを目にするなり子どものように瞳を輝かせて笑顔を咲かせた。
「やぁ、セイおかえり」
「ヴィー」
「ヴィート様っ」
突然現れたドンの姿に、セイと同時に声を出した男の顔が恍惚に染まる。
きっとこの扉番はシチリア一とも言われる巨大ファミリーを束ねるヴィートに、心底惚れ込んでいるのだろう。顔を見ただけで読み取れた。
しかしヴィートはセイを見つめたまま、門番の男には一切目を向けない。
「帰ってきたなら、すぐに顔を見せてくれればよかったのに。俺、深刻なセイ不足で死にそうだったんだよ?」
「視察で一日空けてただけでしょう? 大げさだよ」
「一日だって十分長いよ! 信じられないなら、昨日の俺がどれだけ使い物にならなかったか、事細かに説明してあげようか?」
「謹んで遠慮しとく」
何故帰ってきてすぐにドンの無能ぶりを聞かされなければならないのだ。はっきり言ってごめんである、とセイは温かみのない笑顔をヴィート向ける。
「酷い! セイが俺に冷たいっ! ねぇ、もう俺に愛はなくなったの? だから君はこんな近距離で浮気なんかするの?」
イヤイヤ、と駄々を捏ねる子どものようにダークブラウンの髪を左右に揺らし、泣いた振りまで見せる。セイと同じで今年二十三にもなろう男の泣き真似なんて、正直あまり見たくない光景だ。
「何言ってるの、僕が浮気するわけないだろ? ってか浮気って何? そもそも僕たちはそういう関係じゃ……」
「うん、そうだよね。俺がセイを愛していると同じ分、セイも俺のことを愛してくれているもんね」
どうやら話を聞く気はないらしい。生まれた時からの付き合いであるがゆえ、大体は予想していたが、どこぞの付き合いたての恋人同士だという甘ったるい台詞に、セイは呆れた顔を浮かべる。が、次の瞬間、舞台劇の早替えのようにヴィートの柔らかな笑みが、冷刃のごとき微笑に変わった。
「で、君はいつまで俺の宝に触れてるの?」
「ひっ……」
即座に射殺さんと言わんばかりの鋭利な視線に、扉番は慌てて掴んでいたセイの手を離し、後ろへ一歩下がった。
「俺の許可なくセイに触るなんて、よほど命が惜しくないみたいだ」
ヴィートは凍てつく睨みを収めないまま、指の痕が赤く残ったセイの手首を掬い上げて口づける。
「ヴィート様、私は……」
「言い訳は必要ない。それに聞いたって意味はない。君は今すぐこの世からいなくなる人間だからね」
ヴィートがゆっくりと空いている手を、ダブルスーツの胸ポケットに差し入れる。
――――ダメだ。何とか止めなければ。
次の行動を察したセイが咄嗟に二人の間へと入り、服越しにヴィートの手を抑える。
「やめて、ヴィー。こんな場所で無駄に血を流さないで。彼はまだ新人で、僕たちのことをよく分かっていなかったんだ」
「おや、こいつを庇うの? まさか……本当に二人は懇意の仲だったとか? だったら尚更、こいつは許さないよ。殺して死体の口に石を詰めるだけでも飽き足らない」
無慈悲な言葉に、男はとうとう真っ青な顔で唇を痙攣させながらその場に尻餅を着いた。
「違うよ。ヴィーを止めたのは、君の部屋の前を血で汚したくなかったから。本当にそれだけなんだ」
「だけど……」
「それとも僕のこと、信じられなくなっちゃった?」
言いながらセイはヴィーの頬を柔らかく撫でる。そして上質の筋肉がついている肩に手を置き、唇が触れそうな距離で見つめると、たちまち頬を赤く染めたヴィートが降参だと肩を竦めた。
「……まったく、セイは狡いな。俺が君のおねだりに勝てないのを知っていて、仕掛けてくるんだから」
幼馴染みの力なのかどうかは分からないが、ヴィートは昔からこうして甘えたような素振りを見せると、文句も言わずに折れてくれる。だからといって乱用するつもりはないのだが、今はその効力を利用すべき状況と言ってもいいだろう。
「分かったよ、今回は君の言葉を信じよう――――ということだ、お前はセイに命を救われたことを魂に刻みながら、今すぐ消えろ」
「ひっ、は、はいっ」
ヴィートの威嚇にすっかり怯えきってしまった男が、床を這いずるようにして逃げていく。その後ろ姿が廊下の角を曲がり、完全に見えなくなったところでヴィートがこちらに軽く笑ってみせた。
「マフィアの幹部のくせに無駄な殺生を嫌うなんて、セイは本当に甘いね」
掴まれたことで赤く色づいたセイの手首にもう一度キスを落としながら、ヴィートがやれやれといった顔をする。どうやら、セイの心中はとっくに見抜かれていたようだ。
「酷いな、今の平和な時代に進んでファミリーに入ってくれる人間は貴重なんだから、大切にしたいだけだよ。ほら、それより商談中だったんだろ? 僕と話してて大丈夫なの?」
「ああ、それなら話の大枠と契約内容は決まったから、あとは詳細を煮詰めていくだけ。俺の仕事は終わったから、後は君にバトンタッチだ」
「次の仕事も、僕が指揮を取っちゃっていいの?」
前回の仕事はロシアでも有名な組織と合同で事業を興すという、かなり大がかりなものだったが、セイならと任せて貰えた。こちらとしては経営関連の仕事にやりがいを感じているため嬉しい限りなのだが、ヴィートも裏稼業ばかりでなく、たまには表の仕事もしたいのではないかと視線で問うと、躊躇うことなく首を横に振った。
「君に任せれば、確実に成功させてくれるからね。表稼業の方は今回も丸投げさせて貰うよ」
「何それ、そんなに誉めたところで何も出ないよ」
「純粋に尊敬してるんだから、言葉のまま取って。もう、本当にセイは疑り深いんだから」
ほら行くよ、とヴィートに手を握られたまま引かれ、執務室へと足を踏み入れる。と、すぐに執務室のソファーに座る男の背中が見えて――――。
「え…………」
瞬間、ドクン、とセイの鼓動が今まで体感したことがないほど大きく跳ねた。
何だ、この感覚は。そして何だ、この鼻腔を一気に通り抜け、肺に達した途端に全身の毛穴を粟立たせる、キンモクセイのような心を緩やかにする香りは。
――――なんていい香りだろう。
心臓の高鳴りが止まらない。まるで静脈に直接アルコールを注がれたように、血管が甘く沸騰している。
最初はソファーに座っている男がつけている香水かと思った。だがこの芳香は人工的に作られたものなどではない。そう結論づけたのは酔いそうなほど強い香りが部屋中に充満しているのにも関わらず、神経質なヴィートが何も反応を示していなかったからだ。
不可思議としか言えない状況に、セイは首を傾げる。すると、こちらに背を向けていた男が急に双肩をビクっと揺らし、弾かれるように立ち上がってこちらを振り向いた。
「あ……」
目があった瞬間、頭の中で限界まで膨らんだ風船がパァン、と割れる音が響き渡る。
そうして全てを理解した。
――――ああ、彼は僕の『運命の番』だ。
バース三種性のアルファとオメガには、番という特殊な繋がりが存在する。形としては男女の婚姻制度に似ているが、それよりももっと強固なもので、性交中にアルファがオメガの項を噛むことで二人の間に二度と解消できないパートナー関係が成立する。それを番契約というのだが、運命の番はそういった理性で繋がる間柄ではなく、自分の意思ではどうすることもできない、『本能』で惹かれあうものなのだ。
言葉どおり、運命で繋がることが定められた相手。
――――まさか、自分が魂の番と巡り会えるなんて。
ずっとお伽噺の一種だと思っていた。目があった瞬間に心を奪われ、恋に落ちる。自分の全てを捨ててでも相手と添い遂げたいと願うようになり、他の人間が一切目に入らなくなる。そんな非現実的なことが、実際に起こるはずないと考えていたけれど、数メートル先にいる初めて会った男の姿に本能が歓喜に打ち震え、今すぐ駆け寄って抱きしめ合いたいと訴えている。
まるで誰も解けない数学の問題の答えを、途中の数式を飛ばして教えられたような、そんな気分だ。
おそらく、向こうも同じように思っているだろう。
――――この場で即座に項を噛まれたら、どれだけ幸せだろうか。
心のままに想像するも、セイは沸き立ちそうな感情を瞬時に押し止めた。
目の前にヴィートがいるからだ。
「どうしたの、セイ。急に固まっちゃって。体調でも悪くなった?」
何も言わず立ち尽くしてしまったことに、ヴィートが首を傾げて心配そうな顔を浮かべる。様子から察するに、まだ彼は二人のことに気づいていないようだ。
「いや……別に、ちょっと忘れてたことを思い出した……だけだよ」
「へぇ、セイが物忘れなんて珍しいね」
「ごめんね、最近覚えていなくちゃいけないことが多くて。それより彼が新しい事業のパートナー……でいいんだよね?」
「ああ、彼はエドアルド=マイゼッティー。マイゼッティーファミリーの若きドンで、年は二十七歳。彼も経営力に長けていて、いくつもの会社を成功させた有能な男だよ」
マイゼッティー。名前を聞いたところで、記憶から情報を素早く引き出す。
確かシチリア北東部のメッシーナに拠点を置くマイゼッティーは、数代前から裏稼業よりも企業経営に力を入れて組織を成長させた穏健派のファミリーだ。
危ない仕事はしない、暴力や抗争も好まない。そんな姿勢に昔は「マフィア界の恥曝し」とも言われていたが、様々な組織が表の仕事をするようになってからは逆に注目されるようになった。
頭の中の整理が終わったところで、セイは続けてヴィートが告げた『若きドン』という言葉に意識を向ける。二十代で歴史あるファミリーのドンを名乗っているということは、おそらくヴィートと同じように先代の早すぎる死によって長の席についたのだろう。エドアルドも辛い過去を乗り越えた男の一人だ。
「エドアルド、彼がさっき話した僕の右腕のセイだ」
ヴィートに仲介される形で、二人の距離がゆっくりと近づく。
先ほどは遠目で細かくまでは見えなかったが、エドアルドは驚くほど美しい男だった。
翡翠色の涼しげな瞳に鼻筋の通った彫りの深い顔は、まさに甘いマスクという言葉がぴったりで、緩く波打った鎖骨までの長髪もよく合っている。背もモデルのようにすらりと高く、柔らかな仕立てのカジュアルスーツを無駄なく着こなしてしまっている姿を見ていると、正直、マフィアとして裏の世界に留めておくのが惜しいと思えてしまった。
「貴方が……セイ……」
セイの目の前で止まったエドアルドが、熱の籠った眼差しで見つめてくる。
エドアルドが、いや、魂の番が激しいまでに愛を伝えようとしてくれているのが分かった。
まだ出会ったばかりだというのに、あたかも長年会うことが許されなかった恋人を見つけたみたいに、今すぐ抱き締めたいと願ってくれている。言葉を交さずとも聞き取れたエドアルドの心の声に、セイの胸も張り裂けそうになった。
が――――、セイはグッと拳を握りしめて踏み出しそうになる足を止める。
ダメだ、ここで感情を露わにしてはいけない。
「初めまして、ドン・マイゼッティー。セイです。貴方のような有能な方と知り合えて光栄です」
挨拶をしながら、ゆっくりと手を差し出す。すると目の前の男は緊張した面もちと、切なげな瞳をない交ぜにした表情でセイの手に触れた。
「……エドアルドです。ヴィートから貴方の手腕は聞きました。これまでいくつもの事業を大成させたそうですね」
「これまでは運がよかったんです。毎回同じように、とはいかないかもしれませんので、至らないところがありましたら、ご指摘いただけると助かります」
「こちらこそ、不手際があった時は遠慮せずに言ってくださいね」
お互い、相手が自分の運命だと知りながら必死に仮面を被り、他人行儀な会話に徹する。この場にもし二人の真相を知る者がいたら大いに首を傾げるだろうが、ここではこれが正解だった。
マフィアの世界の規律は途轍もなく厳しい。その中でもファミリー間に定められたものは特に重く、裏切りや謀略を防ぐためという理由の下、許可なしに別々の組織の人間同士が会うことすら禁じている。つまりいくら運命の番といえ、ファミリーとファミリーの壁は容易に越えられないのだ。セイもエドアルドも、それを痛いほど理解しているのだ。
それに、とセイは視線だけで隣にいるヴィートを見遣った。
――――思ったとおり、警戒している。
一見、二人の間で穏和な表情を浮かべているように見えるが、よくよく観察して見ると浮かべる笑顔の下の瞳が氷色に染まっていた。おそらく彼なりに何かを感じ取って、アルファであるエドアルドがセイに必要以上に近づかないよう目を光らせているのだろう。
ヴィートの執着心はかなり強い。それは生まれた時から隔離された世界で生きることを義務づけられた彼の中で、幼なじみであるセイが唯一の理解者であり特別な存在に位置づけられているからだろう。
ヴィートはどんな理由であれ、セイを手放すという選択はしない。だから。
――――やはり、彼との将来は考えない方がいい。
心の相性も身体の相性もこれ以上ないというほど合うと言われる運命の番は、出会えば百パーセントの確立で婚姻を結ぶものとされている。誰にも引き裂くことができない関係であると、学術書にも書いてあるぐらいだ。
しかし、そんな研究結果は夢物語に終わるだろう。
そう、この愛は決して実らない。
セイは脳内に浮かんで止まないエドアルドとの蕩けるような生活を早々に追い払うと、唇を噛みながら密かに運命の対へ決別を告げるのだった。
広大な土地の中央に聳える中世の様式美を残した屋敷は、一般人など決して入ってこられない厳重なセキュリティと高い門塀に囲まれ、かつ二十四時間多くの強面たちが、わずかな異変も見落とさぬよう鋭い目を光らせている。不審者が侵入しようものなら、ものの数秒で蜂の巣だ。
そんな緊張しかない空気の中を、陽だまりのような青年が、温かな春風を連れながら静かに歩いていた。
優しげな眼差しに、柔らかなエメラルド色の瞳。ふんわりとしたミルクティーの髪は、白い肌とティーンエージャーのような幼顔によく似合っていて見る者を穏やかな気持ちにさせる。少々だぶついたパステルイエローのカーディガンもまた、彼の人畜無害な印象をより際立たせた――――が、この屋敷を守るいかつい男たちの中では少々、いや、かなり浮いて見えた。
しかし、そんな悩みなど今に始まったことじゃないと、慣れきった顔のセイ=ファンタネージがヴィートの執務室の前に辿り着いた時。
「おい」
ノックしようと伸ばした手を突然、扉番の男に強く掴まれた。
だが、セイは痺れるような痛みを顔に表すことなく、威圧的な表情の男に視線を遣る。
「……何か?」
「今、ドンは大切な商談中だ。場に相応しくない人間が無断で入るな」
「商談ということは『表』の仕事だよね。だったら僕は関係してると思うけど?」
セイが口にした表とは、一般人が働く企業と同じように会社を経営して利益を得る仕事を指す。マフィアと聞けば銃の密売や暴力による縄張り抗争など、暗く危険な稼業ばかりしていると思われがちだが、実際は販売業や不動産業など、日の当たる仕事にも多く携わっているのだ。表の裏の割合に関しては各ファミリーによって変わってくるが、スコッツォーリはちょうど半々といったところである。
セイはその中で組織の収入源の半分を担う企業運営の統括指揮と、新事業の立ち上げを任されているため、ボスの執務室で行われているのが商談であるなら、参加する必要があるのだ。
それなのに。
「関係あるなしの問題じゃない。卑しいオメガには、ドンの部屋に入る資格がないと言ってるんだ」
オメガ。男から投げつけられた剥き出しの悪意に、セイは感情なく目を細めた。なるほど、この男はアルファ至上主義者か。ならば真面目に話をするだけ無駄だろう。しかし。
――――またこれか。
聞き慣れすぎた言葉に乾いた溜息と、積年の不満を並べたくなった。どうしていつも自分はアルファだのオメガだのという言葉に、振り回されなければいけないのだろう。
アルファ、オメガ、そしてベータ。いつの時代からかは分からないが、地球上に生きる人間の身体に突然変異として現れた第二の性・バース。
男女の性をさらに三つのグループに分けるこの三種性は、知力、体力ともに秀でていて、生まれながらにして人の上に立つ資質を有するアルファ性を筆頭に、身体的に特出した特徴がないかわりに目立った欠陥もない、所謂どこまでも普通の人間であるベータ性、そしてアルファの対極ともいわれるオメガ性で区別されている。
セイのバースでもあるオメガ性の人間は他の二種と比べて体力や体格が大きく劣り、身体が弱く病気がちな者が多い。知力の方は努力次第でどうにかなるものの、それでもアルファと比較されると及ばないことが多いため、実力社会では日の目が見られないと言われている。そんな性質からオメガは社会人として軽視されがちなのだが、決してそれが蔑みの目で見られる理由ではない。
一番の原因は、三ヶ月に一度の間隔で訪れる、『オメガの発情期』だ。
俗にヒートと呼ばれるその現象は第二次性徴を迎えると必ず現れるもので、男女ともに子を成すことができるオメガは発情期に入ると約一週間の間、全身から甘い香りのフェロモンを発してアルファを誘うようになる。そして盛りのついた猫のように、繰り返し性交を求める獣となるのだ。
そういった姿が浅ましく映るとのことでオメガは汚れた慰み者と呼ばれ、近代までずっと迫害の対象となっていた。
だがそれも昔の話。今では発情を抑える薬が多種に渡って開発されたため、自我を失うこともなくなったし、ヒートの時期を調節することだってできるようにもなった。随分とオメガが暮らしやすい時代になったのだが、それでもこの男のように昔の名残を引きずったまま生きている者もまだ多い。マフィアの世界は特に、だ。
「そう、なら商談が終わった後にまた改めるよ」
セイは男にこれ以上関わるまいと、踵を返そうとする。しかし掴まれた腕は、まだ痛みを訴えたままだった。
「まだ何か?」
「お前、自分の立場をきちんと弁えてるのか? 少しばかりボスに気に入られてるからっていい気になりやがって。いいか、お前の本来の仕事は俺たちアルファに足を開くこと。それをちゃんと頭に入れておけ」
オメガに対するあからさまな嫌悪。この男はオメガ絡みで何か嫌なことでもあったのだろうか。なんてことを考えながらも決して冷静さを失わず、かつ考察も加えながらセイは平穏にやり過ごす手段を思案する。
できれば早くこの手を振りほどいて、この場から立ち去りたい。でないと――――。
脳裏に浮かぶ厄介な光景に、セイの眉根がわずかに寄る。
執務室の扉が内側から開いたのは、その時だった。
「セイっ!」
中から明るい声とともに出てきたのは、狼のような金色の目と人懐っこそうな表情が印象的な青年で、彼はセイを目にするなり子どものように瞳を輝かせて笑顔を咲かせた。
「やぁ、セイおかえり」
「ヴィー」
「ヴィート様っ」
突然現れたドンの姿に、セイと同時に声を出した男の顔が恍惚に染まる。
きっとこの扉番はシチリア一とも言われる巨大ファミリーを束ねるヴィートに、心底惚れ込んでいるのだろう。顔を見ただけで読み取れた。
しかしヴィートはセイを見つめたまま、門番の男には一切目を向けない。
「帰ってきたなら、すぐに顔を見せてくれればよかったのに。俺、深刻なセイ不足で死にそうだったんだよ?」
「視察で一日空けてただけでしょう? 大げさだよ」
「一日だって十分長いよ! 信じられないなら、昨日の俺がどれだけ使い物にならなかったか、事細かに説明してあげようか?」
「謹んで遠慮しとく」
何故帰ってきてすぐにドンの無能ぶりを聞かされなければならないのだ。はっきり言ってごめんである、とセイは温かみのない笑顔をヴィート向ける。
「酷い! セイが俺に冷たいっ! ねぇ、もう俺に愛はなくなったの? だから君はこんな近距離で浮気なんかするの?」
イヤイヤ、と駄々を捏ねる子どものようにダークブラウンの髪を左右に揺らし、泣いた振りまで見せる。セイと同じで今年二十三にもなろう男の泣き真似なんて、正直あまり見たくない光景だ。
「何言ってるの、僕が浮気するわけないだろ? ってか浮気って何? そもそも僕たちはそういう関係じゃ……」
「うん、そうだよね。俺がセイを愛していると同じ分、セイも俺のことを愛してくれているもんね」
どうやら話を聞く気はないらしい。生まれた時からの付き合いであるがゆえ、大体は予想していたが、どこぞの付き合いたての恋人同士だという甘ったるい台詞に、セイは呆れた顔を浮かべる。が、次の瞬間、舞台劇の早替えのようにヴィートの柔らかな笑みが、冷刃のごとき微笑に変わった。
「で、君はいつまで俺の宝に触れてるの?」
「ひっ……」
即座に射殺さんと言わんばかりの鋭利な視線に、扉番は慌てて掴んでいたセイの手を離し、後ろへ一歩下がった。
「俺の許可なくセイに触るなんて、よほど命が惜しくないみたいだ」
ヴィートは凍てつく睨みを収めないまま、指の痕が赤く残ったセイの手首を掬い上げて口づける。
「ヴィート様、私は……」
「言い訳は必要ない。それに聞いたって意味はない。君は今すぐこの世からいなくなる人間だからね」
ヴィートがゆっくりと空いている手を、ダブルスーツの胸ポケットに差し入れる。
――――ダメだ。何とか止めなければ。
次の行動を察したセイが咄嗟に二人の間へと入り、服越しにヴィートの手を抑える。
「やめて、ヴィー。こんな場所で無駄に血を流さないで。彼はまだ新人で、僕たちのことをよく分かっていなかったんだ」
「おや、こいつを庇うの? まさか……本当に二人は懇意の仲だったとか? だったら尚更、こいつは許さないよ。殺して死体の口に石を詰めるだけでも飽き足らない」
無慈悲な言葉に、男はとうとう真っ青な顔で唇を痙攣させながらその場に尻餅を着いた。
「違うよ。ヴィーを止めたのは、君の部屋の前を血で汚したくなかったから。本当にそれだけなんだ」
「だけど……」
「それとも僕のこと、信じられなくなっちゃった?」
言いながらセイはヴィーの頬を柔らかく撫でる。そして上質の筋肉がついている肩に手を置き、唇が触れそうな距離で見つめると、たちまち頬を赤く染めたヴィートが降参だと肩を竦めた。
「……まったく、セイは狡いな。俺が君のおねだりに勝てないのを知っていて、仕掛けてくるんだから」
幼馴染みの力なのかどうかは分からないが、ヴィートは昔からこうして甘えたような素振りを見せると、文句も言わずに折れてくれる。だからといって乱用するつもりはないのだが、今はその効力を利用すべき状況と言ってもいいだろう。
「分かったよ、今回は君の言葉を信じよう――――ということだ、お前はセイに命を救われたことを魂に刻みながら、今すぐ消えろ」
「ひっ、は、はいっ」
ヴィートの威嚇にすっかり怯えきってしまった男が、床を這いずるようにして逃げていく。その後ろ姿が廊下の角を曲がり、完全に見えなくなったところでヴィートがこちらに軽く笑ってみせた。
「マフィアの幹部のくせに無駄な殺生を嫌うなんて、セイは本当に甘いね」
掴まれたことで赤く色づいたセイの手首にもう一度キスを落としながら、ヴィートがやれやれといった顔をする。どうやら、セイの心中はとっくに見抜かれていたようだ。
「酷いな、今の平和な時代に進んでファミリーに入ってくれる人間は貴重なんだから、大切にしたいだけだよ。ほら、それより商談中だったんだろ? 僕と話してて大丈夫なの?」
「ああ、それなら話の大枠と契約内容は決まったから、あとは詳細を煮詰めていくだけ。俺の仕事は終わったから、後は君にバトンタッチだ」
「次の仕事も、僕が指揮を取っちゃっていいの?」
前回の仕事はロシアでも有名な組織と合同で事業を興すという、かなり大がかりなものだったが、セイならと任せて貰えた。こちらとしては経営関連の仕事にやりがいを感じているため嬉しい限りなのだが、ヴィートも裏稼業ばかりでなく、たまには表の仕事もしたいのではないかと視線で問うと、躊躇うことなく首を横に振った。
「君に任せれば、確実に成功させてくれるからね。表稼業の方は今回も丸投げさせて貰うよ」
「何それ、そんなに誉めたところで何も出ないよ」
「純粋に尊敬してるんだから、言葉のまま取って。もう、本当にセイは疑り深いんだから」
ほら行くよ、とヴィートに手を握られたまま引かれ、執務室へと足を踏み入れる。と、すぐに執務室のソファーに座る男の背中が見えて――――。
「え…………」
瞬間、ドクン、とセイの鼓動が今まで体感したことがないほど大きく跳ねた。
何だ、この感覚は。そして何だ、この鼻腔を一気に通り抜け、肺に達した途端に全身の毛穴を粟立たせる、キンモクセイのような心を緩やかにする香りは。
――――なんていい香りだろう。
心臓の高鳴りが止まらない。まるで静脈に直接アルコールを注がれたように、血管が甘く沸騰している。
最初はソファーに座っている男がつけている香水かと思った。だがこの芳香は人工的に作られたものなどではない。そう結論づけたのは酔いそうなほど強い香りが部屋中に充満しているのにも関わらず、神経質なヴィートが何も反応を示していなかったからだ。
不可思議としか言えない状況に、セイは首を傾げる。すると、こちらに背を向けていた男が急に双肩をビクっと揺らし、弾かれるように立ち上がってこちらを振り向いた。
「あ……」
目があった瞬間、頭の中で限界まで膨らんだ風船がパァン、と割れる音が響き渡る。
そうして全てを理解した。
――――ああ、彼は僕の『運命の番』だ。
バース三種性のアルファとオメガには、番という特殊な繋がりが存在する。形としては男女の婚姻制度に似ているが、それよりももっと強固なもので、性交中にアルファがオメガの項を噛むことで二人の間に二度と解消できないパートナー関係が成立する。それを番契約というのだが、運命の番はそういった理性で繋がる間柄ではなく、自分の意思ではどうすることもできない、『本能』で惹かれあうものなのだ。
言葉どおり、運命で繋がることが定められた相手。
――――まさか、自分が魂の番と巡り会えるなんて。
ずっとお伽噺の一種だと思っていた。目があった瞬間に心を奪われ、恋に落ちる。自分の全てを捨ててでも相手と添い遂げたいと願うようになり、他の人間が一切目に入らなくなる。そんな非現実的なことが、実際に起こるはずないと考えていたけれど、数メートル先にいる初めて会った男の姿に本能が歓喜に打ち震え、今すぐ駆け寄って抱きしめ合いたいと訴えている。
まるで誰も解けない数学の問題の答えを、途中の数式を飛ばして教えられたような、そんな気分だ。
おそらく、向こうも同じように思っているだろう。
――――この場で即座に項を噛まれたら、どれだけ幸せだろうか。
心のままに想像するも、セイは沸き立ちそうな感情を瞬時に押し止めた。
目の前にヴィートがいるからだ。
「どうしたの、セイ。急に固まっちゃって。体調でも悪くなった?」
何も言わず立ち尽くしてしまったことに、ヴィートが首を傾げて心配そうな顔を浮かべる。様子から察するに、まだ彼は二人のことに気づいていないようだ。
「いや……別に、ちょっと忘れてたことを思い出した……だけだよ」
「へぇ、セイが物忘れなんて珍しいね」
「ごめんね、最近覚えていなくちゃいけないことが多くて。それより彼が新しい事業のパートナー……でいいんだよね?」
「ああ、彼はエドアルド=マイゼッティー。マイゼッティーファミリーの若きドンで、年は二十七歳。彼も経営力に長けていて、いくつもの会社を成功させた有能な男だよ」
マイゼッティー。名前を聞いたところで、記憶から情報を素早く引き出す。
確かシチリア北東部のメッシーナに拠点を置くマイゼッティーは、数代前から裏稼業よりも企業経営に力を入れて組織を成長させた穏健派のファミリーだ。
危ない仕事はしない、暴力や抗争も好まない。そんな姿勢に昔は「マフィア界の恥曝し」とも言われていたが、様々な組織が表の仕事をするようになってからは逆に注目されるようになった。
頭の中の整理が終わったところで、セイは続けてヴィートが告げた『若きドン』という言葉に意識を向ける。二十代で歴史あるファミリーのドンを名乗っているということは、おそらくヴィートと同じように先代の早すぎる死によって長の席についたのだろう。エドアルドも辛い過去を乗り越えた男の一人だ。
「エドアルド、彼がさっき話した僕の右腕のセイだ」
ヴィートに仲介される形で、二人の距離がゆっくりと近づく。
先ほどは遠目で細かくまでは見えなかったが、エドアルドは驚くほど美しい男だった。
翡翠色の涼しげな瞳に鼻筋の通った彫りの深い顔は、まさに甘いマスクという言葉がぴったりで、緩く波打った鎖骨までの長髪もよく合っている。背もモデルのようにすらりと高く、柔らかな仕立てのカジュアルスーツを無駄なく着こなしてしまっている姿を見ていると、正直、マフィアとして裏の世界に留めておくのが惜しいと思えてしまった。
「貴方が……セイ……」
セイの目の前で止まったエドアルドが、熱の籠った眼差しで見つめてくる。
エドアルドが、いや、魂の番が激しいまでに愛を伝えようとしてくれているのが分かった。
まだ出会ったばかりだというのに、あたかも長年会うことが許されなかった恋人を見つけたみたいに、今すぐ抱き締めたいと願ってくれている。言葉を交さずとも聞き取れたエドアルドの心の声に、セイの胸も張り裂けそうになった。
が――――、セイはグッと拳を握りしめて踏み出しそうになる足を止める。
ダメだ、ここで感情を露わにしてはいけない。
「初めまして、ドン・マイゼッティー。セイです。貴方のような有能な方と知り合えて光栄です」
挨拶をしながら、ゆっくりと手を差し出す。すると目の前の男は緊張した面もちと、切なげな瞳をない交ぜにした表情でセイの手に触れた。
「……エドアルドです。ヴィートから貴方の手腕は聞きました。これまでいくつもの事業を大成させたそうですね」
「これまでは運がよかったんです。毎回同じように、とはいかないかもしれませんので、至らないところがありましたら、ご指摘いただけると助かります」
「こちらこそ、不手際があった時は遠慮せずに言ってくださいね」
お互い、相手が自分の運命だと知りながら必死に仮面を被り、他人行儀な会話に徹する。この場にもし二人の真相を知る者がいたら大いに首を傾げるだろうが、ここではこれが正解だった。
マフィアの世界の規律は途轍もなく厳しい。その中でもファミリー間に定められたものは特に重く、裏切りや謀略を防ぐためという理由の下、許可なしに別々の組織の人間同士が会うことすら禁じている。つまりいくら運命の番といえ、ファミリーとファミリーの壁は容易に越えられないのだ。セイもエドアルドも、それを痛いほど理解しているのだ。
それに、とセイは視線だけで隣にいるヴィートを見遣った。
――――思ったとおり、警戒している。
一見、二人の間で穏和な表情を浮かべているように見えるが、よくよく観察して見ると浮かべる笑顔の下の瞳が氷色に染まっていた。おそらく彼なりに何かを感じ取って、アルファであるエドアルドがセイに必要以上に近づかないよう目を光らせているのだろう。
ヴィートの執着心はかなり強い。それは生まれた時から隔離された世界で生きることを義務づけられた彼の中で、幼なじみであるセイが唯一の理解者であり特別な存在に位置づけられているからだろう。
ヴィートはどんな理由であれ、セイを手放すという選択はしない。だから。
――――やはり、彼との将来は考えない方がいい。
心の相性も身体の相性もこれ以上ないというほど合うと言われる運命の番は、出会えば百パーセントの確立で婚姻を結ぶものとされている。誰にも引き裂くことができない関係であると、学術書にも書いてあるぐらいだ。
しかし、そんな研究結果は夢物語に終わるだろう。
そう、この愛は決して実らない。
セイは脳内に浮かんで止まないエドアルドとの蕩けるような生活を早々に追い払うと、唇を噛みながら密かに運命の対へ決別を告げるのだった。
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