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第21話:明日への第一歩(2)

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 ベッドから動けない幸輝に代わって誠一と連絡を取ってくれた玲二は、「一時間程で病院に着くそうだ」と伝えてから帰って行った。
 多分、気を利かせてくれたんだろう。
 玲二が帰った後、幸輝は誰もいない部屋で誠一の到着を待つ。
 しかし、その胸中は不安で埋め尽くされていた。玲二には誠一を取り戻すと約束したし、自分もそのつもりだがやはり恐怖は拭えない。例えどんな理由であれ、幸輝が誠一を裏切ったことに変わりはないのだから。
 
もし玲二を助けたかったという行動を許してくれたとしても、他の男に抱かれた身体を受け入れてくれなかったらどうしよう。抱き締めてくれなくなっていたら、どうしよう。
 一人でいると、悪いことばかりしか頭に浮かばない。気付くと震えている指はシーツを握ることで抑えられるが、心の方はどうすることも出来なかった。

 五分、十分、と時計の針を見る度に誠一に会える喜びと、拒絶される不安が交互に幸輝を襲う。そんな時間を小一時間過ごしていた頃、とうとう幸輝の病室に来訪者を告げるノックが響き渡った。

「っ!」

 ビクリと、身体が大きく震える。手の震えは一段と大きくなったが、幸輝は覚悟を決めて声をかけた。

「……はい、どうぞ」

 入室を許された来訪者が、扉を開ける。ゆっくりと開かれた扉の向こう側に立っていたのは、襟の高い黒のコートに身を包んだ誠一だった。

「誠一……さん……」
「幸輝……」

 直前まで不安でいっぱいだったはずなのに、誠一の顔を見た途端、そして声を聞いた途端に色々なものが全て吹き飛んでしまう。どの順番で事を説明すればいいかとか、それよりもまず一番に謝らなきゃとか、ちゃんと頭の中で考えていたはずなのに、ただ誠一の温もりに触れたいという感情だけが先に立ち、幸輝はその場でじっとしていることが出来なかった。

「誠一さんっ……っ……」

 ベッドを飛び出し、スリッパを履くことも忘れて裸足で誠一の元へと駆け出そうとする。しかし、動いた瞬間に打撲の痛みと貧血に襲われ、幸輝はその場でふらついてしまう。
 そんな幸輝を見て驚愕した誠一が、持っていた紙袋を落としてこちらに駆け出した。

「幸輝っ!」

 伸ばされた誠一の腕に身体を掬われ、そのまま抱き留められる。一気に身体が密着したことで、幸輝は嗅ぎ慣れた誠一の香りに包まれた。

「あ……っぶねぇ……。オイッ、いきなり走り出す奴があるか! 点滴だってついてるのに!」
「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめん……なさい」

 誠一の怒声に対して、幸輝は息次ぐ間もなく謝罪の言葉を繰り返す。しかし、それはいきなり飛び込んだことを謝っているのではない。これまでのこと、裏切ったこと、全てに対しての謝罪だった。

「……ったく、とにかく謝るのとかは後にして、ベッドに戻れ。今は動くなって言われてるんだろ?」

 玲二に状態を聞いたのだろう。誠一がどうにかして幸輝をベッドに戻そうとする。だが幸輝は、誠一にしがみついたまま動こうとしなかった。両手で必死に誠一のコートを掴み、イヤイヤと首を横に振って離れたくないことを無言で訴える。
 ここで手を離してしまったら、もう二度と触れることが出来ない。そんな気がして堪らなかったのだ。
 誠一がフゥッと溜息を吐き、その後、子供をあやすかのように背中を優しく撫でられる。

「俺はどこにもいかねぇ。ちゃんと隣にいてお前の話聞くから……な?」
「…………はい……」 

 誠一にそこまで譲歩されてしまっては、これ以上我が儘は言えない。幸輝は、身体を震わせながらゆっくりと離れた。
 すると、少しだけ屈んだ誠一が幸輝の背中と膝の裏に腕をくぐらせ、そっと抱き上げる。そのままお姫様抱っこの形でベッドに戻され、先程の玲二と同じように病人と見舞い人の距離で向かい合った。

「貧血は落ち着いたか?」
「はい……」

 誠一の温もりを失った途端に元気をなくした幸輝が、覇気のない声で返事をする。
すると、あからさますぎる態度に、目の前から少しだけ呆れたような苦笑が零れた。しかし誠一は幸輝をバカにすることなどなく、徐にシーツの上に落ちた血色の悪い手を取る。そして両手で包んだ幸輝の甲を、誠一は労るように撫でた。
骨ばった指で不器用に、しかし酷く愛おしそうに。

「すっかり痩せちまったな」

 少しの間、誠一は辛そうな表情を浮かべて撫で続けていたが、不意に動きを止めると静かに口を開いた。

「八雲さんから一通りの話は聞いた。父親同様の八雲さんの将来を守る為に、相手の言うことを聞いてたんだってな?」

 幸輝は無言のまま頷く。

「お前の生い立ちから考えると、選択は間違ってないんだろうって思う。……まぁ、恋人としては、かなりきついけどな」
「ごめんな……さい」
「謝んなって。他に方法がなかったんだろ?それに比べて……器が小さかったのは俺の方だ。お前が他の男と会ってたってことだけに腹を立てて、お前の言葉をすぐに信じてやることが出来なかった」

 自分が不甲斐ないと、誠一は視線を落とした。

「あの時は怒りに任せて、お前を責めることしか出来なかった。だがよくよく考えてみたら、あの時のお前は――――いや、もっと前か……どこかおかしかった。何かに苦しんでる顔をしてた」

 一つの疑問から、どんどん別の疑問が湧き、結果、幸輝に何かがあったのかもしれないという考えに至ったのは、二日も経った後だった。誠一は幸輝の手を握ったまま、後悔を口にする。

「恋人なのに、すぐに気付けなかったなんて情けねぇよな……」
「いいえ、誠一さんに間違ってたところなんて一つもありません。間違っていたのは全部僕です。あの人に脅されて……他の解決策を考える前に屈したことは、誠一さんへの裏切りと同じです」

 誠一に悪いところなんて一つもないのに、そんな言葉を言わせてしまった幸輝は、慌てて否定した。

「けど俺が責めた時、お前は自分が好きなのは俺だけだとはっきり言ってくれたじゃねぇか。それでも信じなかった俺だって、お前を裏切ったようなもんだ」
「それでも……先に誠一さんを裏切ったのは僕ですから」

 二人が揃って自分が悪いと言う。これでは平行線のまま交わることはない。そんな空気の中、先に解決案を提示したのは誠一だった。

「……じゃあさ、今回は二人共に悪かったってことにしねぇか?」
「え……二人…‥?」

 幸輝では考えもつかなかった解決案に、意表を衝かれて顔を上げる。
 目の前では、誠一が穏やかな笑顔を浮かべていた。

「そう。どっちが先とか後とかも関係ない。二人共未熟だったってことにして、反省し合ってそれで終わりにしようぜ」
「終わ……り……」

 終わりという言葉に、幸輝が顕著な反応を示す。
 やはり誠一は、他の男と関係を持った幸輝を抱きしめることは出来ないのだろうか。恐れていた現実がまた目の前でちらついて、幸輝の心を不安に染める。
 しかし、じわりと眦に涙が浮かんだところで、すぐさま誠一に小突かれた。

「バカ。何、変な勘違いしてんだ。俺が終わりにしようって言ったのは今回のことで、俺とお前の関係じゃねぇよ」

 幸輝を小突いた指がそのまま降りて来て、眦に溜まった涙を拭う。 
 煙草の香りが染みついた指は、これまで何度も幸輝が流した涙を優しく拭ってくれた。今回も勿論、前と変わらない優しさが込められている。それは誠一の心もまた、前と変わっていないことを証明しているのと同じだった。

「なぁ、幸輝」
「はい……?」
「俺な……例えお前が誰かに抱かれようと、やっぱりお前のこと手放せねぇ。この年になるまでずっと探して、やっと見つけた最高の相手なんだ。だから俺の最後の相手は、お前以外考えられない」

 少し照れくさそうに、だがそれでも真剣な目で誠一はそう告げた。

「誠一……さん……?」

 誠一から贈られた言葉で、幸輝の瞳にみるみると生気が宿っていく。

「本当に? 僕で……いいですか? 僕を……許してくれますか?」
「ああ、幸輝でいい。いや、もう俺は幸輝しかいらない。だからお前の最後の相手も俺にしてくれ」
「はい……っ、はい!」

 誠一がまた受け入れてくれたことが嬉しくて、幸輝は子供のように目を輝かせて返事をした。
 二人は何を言うまでもなく見つめ合うと、磁石のように引き寄せられ、唇を重ねる。

「ん……」

 柔らかに触れたキスはすぐに深くなり、まるで離れていた時間を埋めるように貪り合うものになる。

「誠一さ……んっ……僕……も、誠一さん以外……いらない……」

 口腔を全て飲み込むかのような誠一の舌に、幸輝は己の舌を絡めながら想いを告げた。更に誠一の首に腕を回すと、離れないように絡み付く。

「こら……これ以上煽るな。ここ、どこだと……思ってるんだ」

 これ以上深く触れたら、衝動を抑えられなくなってしまう。危惧した誠一が離れようとするが、幸輝は痩せ細った腕で必死に抱き寄せて離れるのを拒んだ。

「や……誠一さんと、もう離れたくない」
「俺だって同じだよ。……ったく、今すぐ食い尽くしたいと思ってるの、お前だけだと思うなよ」

 密着した状態で、誠一が幸輝の瞼に唇を落とす。

「けどな、いい子だから今は我慢してくれ。ここで無理させて入院が長引いたら、俺が八雲さんに叱られる」

 幸輝の体調と、場所。そして何より玲二の異常な過保護さを考えると、ここはお互い我慢した方が得策だと誠一に諭され、幸輝は渋々腕を解く。幸輝もまた、ここで体調を悪化させて玲二に怒らせることが、後にどれだけ不都合なことになるか知っているのだ。

「…………はい」

 素直に頷いた幸輝の頭を撫でた後、誠一は「ちょっと待ってろ」とベッドから離れ、先ほど床に落とした紙袋のもとへと行く。中には安定性のあるものが入っているのか、慌てて落としたにも関わらず、紙袋は横に倒れることなく床の上に鎮座していた。それを持って、誠一が戻って来る。

「これ、今食えるかどうか分からないけど……」

 そう言った誠一に渡された小さな紙袋は、底が少し温かかった。

「これは……?」

 紙袋の口を開けて覗くと、中にはプラスチック製の白いタッパーが入っていた。そこから微かに食欲を刺激する匂いが、香って来る。

「肉じゃがだよ。八雲さんからお前が栄養失調で入院するって聞いて、きっとまたメシ食べられなかったんだろうと思ってな。急いで作ってきたんだけど……」
「誠一さんの、肉じゃがっ?」

 驚いた幸輝が紙袋の中からタッパーを取り出し、蓋を開ける。中にはジャガイモと人参、そして玉葱と牛肉がたっぷり入った肉じゃがが入っていた。さすがに男の料理なのか、入っている野菜が全て大きい。きっと煮るのに時間が掛かったことだろう。

「美味しそう……」

 鼻を擽る甘い香りが、更に食欲をそそる。

「食えそうなら、少しだけでも食えよ。…………あ、でも、入院中って医者の指示したものしか食っちゃ駄目なんだっけか?」
「別にそんなことはないと思います。多分、僕の場合は食べられるなら逆に食べろって言われると思うし。それに……これ、食べたいです」

 ずっと食べたいと思っていた誠一の肉じゃがが目の前にあるというのに、食べないなんて勿体ない。

「そっか。でも、あんまり無理するなよ。急に食ったら胃がびっくりしちまうからな」
「はい」

 紙袋の中に一緒に入っていた箸を取り出した誠一が、タッパーの中のジャガイモを掴む。

「ほら」

 口の前まで持ってきて貰ったジャガイモをそのまま頬張ると、口全体に甘さが広がった。紛れもなく、それは幸輝の一番好きな肉じゃがの味だった。

「誠一さん、美味しいです」

 最高に幸せだった。幸せすぎて、涙がボロボロと勝手に零れてしまう。

「全く……泣くか笑うか食うかのどれかにしろよ」

 誠一は苦笑を浮かべながらも、嬉しそうに幸輝の涙を拭っては、肉じゃがを繰り返し口に運んだ。






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