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第15話(第二部スタート):恋人になった彼は。

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 誠一と結ばれた後、幸輝は自分の生い立ちを全て告白した。
 母親が幸輝を十四歳で生んだこと、そのせいで厳しい環境で育ったこと、母親には一度も会ったことがないこと、そして玲二が精神的な父親代わりだったということも全て。

 誠一は聞かされる話、全てに驚いていた。だが、最後には「教えてくれてありがとう」と礼を言ってくれた。
 誠一が幸輝のことを知っていくのと同時に、幸輝もまた誠一のことが一つずつ分かっていくようになった。

 まず、誠一は恋人になった人間に甘い。これは前とそう変わらないように見えるが、恋人未満と恋人では天地程の違いがあるのだ。
 二人で過ごす休日、ふと雑誌を読んでいる誠一に視線を向けると、すぐに「一人にさせて悪ぃ」と言って抱き締めてくれるし、風呂の後で髪を乾かさずにいたりすると、わざわざドライヤーを持ってきて乾かしてくれる。セックスする時も、誠一は絶対に自分の欲求を優先させない。必ず幸輝が痛がらなくなるまで念入りに解してから、繋がろうとする。

 本当に、どこまでも幸輝に甘いのだ。これは玲二と良い勝負になるかもしれない。
 ただ、その代わりではないが、誠一の束縛は彼が言っていた通り、かなり強いものだった。

 休日は必ず会う。会えない時は、連絡が必須。誰かと会う時は、前もって了解を得ること。基本的に、玲二以外の男を会うことは禁止。果てには仕事で他の社員と話しているのを見るだけで、どうにかなりそうだとも言われた。
 確かに普通の女性からしてみれば、誠一の束縛は重いだろう。だが幸輝には、逆にそれが心地好かった。

 誠一が抱き締めるように束縛してくれる限り、自分はその胸に寄り掛かって彼に依存することが出来るから。誠一もそれは分かっているようで、どれだけ幸輝が頼って甘い我が儘を言っても、可能な限り聞き入れてくれるのだ。
 重すぎる束縛に、重すぎる依存。二人が持つ二つの欠点は、面白いことに交わると相殺されてしまうらしい。だから、もっともっと束縛して欲しかった。

 そしてもう一つ、誠一には彼自身も気づいていない強烈な癖がある。それは誠一がどんな場所にいても、まるで身体を重ねている時のような目で幸輝を見るという癖だ。
 時には飢えた猛獣のように、時には恋に焦がれる純情な少年のように、誠一の目は幸輝の身体を貫く。

 多分、誠一は己の内側で燃え盛る感情を持て余しているのだろう。誠一にとって、幸輝は初めて欠点を受け入れてくれた人間。それを頭で分かっていながらも、これまでの失敗を思い浮かべては、自分の熱すぎる感情をどこまでぶつけていいのか、思いあぐねているに違いない。

 ──別に、全てぶつけてくれればいいのに。

 今現在も、仕事中だというのに幸輝は熱い視線に囚われている。しかも、時刻は既に終業時間を越えているものの、未だ多くの人間が残っている職場で。
 じりじりと服の上からでも感じる熱い欲情に、幸輝はまるで視姦されている気分になった。

「――――すみません、飲み物買いに行きたいので、十分だけ休憩頂いても良いですか?」

 身体の芯に熱を抱いたまま幸輝が立ち上がると、問われた職員は「月瀬君は昼休みも返上で頑張ってるから、ゆっくり休憩してきなよ」と快く承諾してくれた。どうせ誠一のいない昼休みに休憩しても、時間を持て余すだけだと仕事をしていた甲斐があった。
 幸輝は席から離れ、外へと続く扉に向かって歩き出す。その途中に誠一の机がある為、こちらを見ていた誠一とは必然的に顔を合わすことになった。

「各務さん、お疲れ様です」
「お疲れ。どっか行くのか?」
「はい、飲み物を買いにコンビニへ。各務さん、何か必要なら買ってきますよ」

 仕事仲間として不自然にならない会話で話し掛けながらも、ほんの僅かな隙を狙って二人だけの時の笑顔を浮かべる。すると、途端に誠一の熱い視線がより強くなった。

「あー……俺も煙草が切れたから休憩がてら一緒に行くわ」

 誠一もまた立ち上がり、周りに座る同僚達に休憩を伝える。と、心ない同僚達から「じゃ、俺コーヒー」やら「俺は緑茶」など、お構いなしの注文が入った。それでもその中に苦言がなかったのは、偏に誠一が真面目に仕事を取り組んでいるからだろう。
 ただ二人同時に席を立つと、どうしても誠一は周囲から「おい各務、新人泣かすなよ」なんて不名誉なことを言われてしまうが。 
 そんな冗談交じりの野次を躱しつつ、二人は事務所から出て人通りのない廊下を歩く。
 角を右に曲がれば、階段があってそこから玄関に通じるエントランスに出られる。いつもその階段を使う幸輝はそちらに向かって足を進めようとした。
 だが、その時。

「悪い」

 誠一に突然腕を掴まれ、幸輝は階段とは逆の通路へと連れて行かれる。そのまま誠一が向かったのは、廊下の一番端にある小会議室だった。今は全く使われていないその会議室は、古くなった資料置き場になっていて埃が溜まっている。しかし、ここなら誰も入って来ないし、監視カメラもなかった。

「誠一さん?」

 上目遣いで見つめた瞬間に身体を引き寄せられ、幸輝は深い口付けを与えられた。

「ん、ンンッ……」

 慣れ親しんだ煙草の匂いが強くなると同時に、誠一の体温も強くなる。それら全てが愛おしくて堪らない幸輝は誠一の首に腕を回し、足も絡ませた。

「誠一さん、もっと……」

 二人の欲に火が付く予感に、誠一は身体を離そうとするが、幸輝が離すまいと腰を押し付ける。
 どうやら相手を熱く求めていたのは、誠一だけではなかったらしいと、幸輝は自分で気付く。

「これ以上煽んな……。止められなくなっちまう」

 まだ仕事が終わってないんだと言われ、絡めた身体を離される。こういう時、仕事人の恋人が少しだけ憎らしく思えるが、仕事をしている誠一も好きなのでここは文句を抑え込む。

「ごめんなさい」

 素直に謝ればご褒美に、と瞼に小さくキスを落とされる。そういえば、瞼にキスするのも誠一の癖だ。

「ってかさ、気付いてただろ。俺が見てたの」
「……はい。それで僕も我慢できなくなっちゃって」
「そっか。でも、連れ出してくれて助かった……正直、幸輝不足でどうにかなりそうだったからな」

 強く抱き締められ、今度は髪の毛に口付けされる。そのまま喋られると、耳に息が掛かって腰が砕けそうになった。シャツから香る煙草の匂いに、低くて甘い声。更に官能を刺激する熱い吐息がすぐ近くにあるのに、何故ここは職場なのだろう。あまりのお預け状態に、頬を膨らましたくなった。

「僕もです。ねぇ、誠一さん……今日、誠一さんの部屋行ってもいいですか?」
「これから一件顧客と会う約束があるから、帰るの遅くなるぞ?」

 終業時間が過ぎているのに、誠一にはまだこれからの仕事が残っている。だが、それも仕方のない話だった。
 保険会社にとって、間もなく突入する十一月は忙しい。社員達の間では十一月戦とも言われ、その期間は外勤の必須契約数、つまりノルマも格段と増える。元から個人の必須契約数を大幅に上回っている誠一には関係のない話にも聞こえるが、実はそうでもない。必須契約数は営業所単位で決まっている為、契約が取れない他の外勤の分も誠一は任されているのだ。

「それでもいいです。少しだけでもいいから、誠一さんと二人きりで過ごしたい」
「んだよ、可愛いこと言いやがって。今夜、寝かせられなくなるじゃねぇか」
「フフッ、望むところです」

 笑い合って、今度は軽いキスを交わす。職場ではこれ以上のことが出来ないが、後のお楽しみと考えれば何とか衝動を抑えられた。

「それじゃ、仕事終わったら連絡下さい。そちらに行きますから」
「あー、そのことなんだけどよ……ホラ、これ」

 やにわに掬われた手に、金属のような硬いものを握らされる。誠一の手が離れた後、手の中のものを見てみるとそこには銀色に光る鍵があった。

「誠一さん、これ……」
「わざわざ一度帰るのも面倒だろ? このまま部屋に行ってろよ。あと……それ……その、合い鍵だから返さなくてもいい」
「いいんですか? 僕が受け取っちゃって」

 幸輝は鍵を握る指を震わせながら、確認した。
 今だって頻繁にお互いの部屋を行き来しているのだから、今更合い鍵を貰ったところで物理的には何も代わらない。しかし、心理的な意味合いでは全く違った。
 家族以外の人間に合い鍵を渡すということは、即ち自分の個人領域に足を踏み入れる権利を渡すことと同じ。つまり誠一にとっての幸輝は、心を許せる存在だと認められたのだ。

「お前しか渡す相手なんかいねぇよ。だからさ、これからも寂しい時は、いつでも俺のところに来い。遠慮なんかするな」
「誠一さん……っ……」

 幸輝は鍵を強く握り締めたまま、神に祈るように俯いて肩を震わせた。

 ──ああ、神様。この人を僕に与えてくれて感謝します。
 
 自分は敬虔な教徒ではないが、今は神様に感謝せずにはいられなかった。

「おいおい、んな、泣くようなことでもないだろ」
「だって、嬉しくて……」
「ったく、こんな顔で仕事場帰したら、やっぱり俺が泣かせたって言われるじゃねぇかよ」

 誠一は穏やかに笑いながら、幸輝の頭を軽く小突く。

「ホラ、これで泣き止め」

 両手首を柔らかく掴まれ、重ねていた手を開かされる。俯いていた為、視界に映ったのは床だったが、すぐに腰を屈めた誠一の顔が飛び込んで来た。
 唇が近付き、そして視界が誠一だけになる。
 誠一とのキスは大好きだ。一度するだけで、心が驚くほど潤う。が、今回は逆効果だった。 
 心は幸せでいっぱいなのに、涙が止まらない。それだけ、誠一の特別になれたことが嬉しかったのだ。
 誠一から贈られた鍵を、宝物のように両手で包む。そして心の中で、幸輝は絶対に誠一を手放さないことを強く誓った。


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