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第11話:堪えきれない不安
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じっとパソコンの画面を見つめながら、赤のペンで記された訂正箇所が全て直っているか確認する。しかし確認作業も途中で集中が途切れてしまった。
昼休みにあんな話を聞いてからというもの、幸輝は殆ど仕事が手につかず至るところでささいな失敗を繰り返した。そのせいで上司から叱責されたが、一つとして言葉が耳に入らなかった。結局、失敗の修正をしている内に仕事が押してしまって、いつもよりかなり遅い時間になってしまった。
既に事務所内には誰もいない。
ただ、今日はそれで良かったのかもしれない。気持ちを整理するには、一人になるのが一番だ。そう思っていた時、突然、頬に冷たいものが触れた。
「お疲れさん」
「わっ!」
驚愕して振り向くと、買ったばかりのコーヒー缶を持った誠一もまたびっくりした顔でこちらを見ていた。
「びっ……くりした……」
「悪い。そんなに驚くと思わなかったからよ」
「す、すみません、大声上げて。あの、帰られたんですか?」
「ああ、最後までごねた顧客が一人いてな。本当はそのまま帰ろうと思ったけど、お前がいるならこっちに戻って来て正解だったな」
そう言って誠一は幸輝に持っていた缶コーヒーを幸輝に差し出した。残業をしている幸輝の姿を見かけてすぐに、廊下の自動販売機で買ってきてくれたそうだ。幸輝はありがたく受け取って、笑顔を浮かべた。
「今日も誰かの書類待ちか?」
「いえ、ちょっと自分の方で失敗が続いちゃって」
「お前が失敗なんて珍しいな」
その失敗の根本的な原因は、目の前にいる人物なのだが。心で思うも、口には出さない
「そんなことないですよ。僕なんて……失敗ばかりです」
「謙遜するなって。……まぁ、でもあまり根詰め過ぎるなよ。お前は少し真面目過ぎるからな」
周囲に誰もいないからか、いつも二人でいる時みたいに誠一が幸輝の頭をくしゃりと撫でる。それから残務処理をすると言って、誠一は自分の席へと戻っていった。
その背中を、幸輝は横目で盗み見るようにして見つめた。
やはり、誠一は格好良い。
細身だがしっかりとした筋肉がついた身体に、長い手足。それらを包むスーツは幸輝が好んで着るようなスリムスーツではなく普通の型のものだが、誠一は身長が高いから立ち姿が凜としていて、よく見惚れてしまう。
それに誠一は長年スーツを着ているから着慣れているのではなく、ちゃんと着こなしているのだ。多分、顧客と会うことを意識する内に自分に合った物を自然と選んでいるのだろう。選ぶ色も色合いの暗いもので、彼にはとても似合っていた。
そして次に目を奪われるのが、誠一の指の仕草だ。誠一は何かを思案している時、無意識に机を指で叩く癖があるが、その指の形がまた綺麗なのだ。更に数ある指の仕草の中で幸輝が一番気に入っているのが、煙草を扱っている時だ。吸う時は二本の指で軽く挟んで口に運び、火が付いていない時は器用に長い指の間で転がす。そんな仕草を目にした時、幸輝は駄目だと思いつつも目が離せなくなってしまう。
きっと誠一は、自分が何をすれば格好良く見えるかかが知らず知らずの内に分かっているに違いない。
あと、普段の顔は知らない人が見たら避けるほど強面なのに、時折、隙を突いたように出て来る笑顔がとてつもなく優しいところも外せない。特に休日、幸輝が不意に見上げた時に浮かべてくれる柔らかな笑顔は格別だ。
これで面倒見がいい兄貴肌だというのだから、正直、ずるいとしか言いようがない。
これは惚れた欲目とかではなく、誠一は絶対に女性受けがいいはずだ。
何故誠一が未だ独り身を貫いているのかは分からないが、これまで想いを寄せる女性は大勢いたはずだと、幸輝は確信していた。
事実、あの女の子も、誠一の魅力に気付いていたぐらいなのだから。
「……っ……」
思い掛けず昼間の一件を思い出してしまった幸輝の胸が、チクンチクンと痛んだ。
自然と視線が下に下がる。
あの子は、いつ誠一に想いを告げるか。考えただけで、泣きそうになる。しかしすぐ近くに誠一がいる場所で、泣くことなんて出来ない。幸輝は緩む涙腺に必死抗う為、掌で口元を覆った。
その時――――。
「オイ」
思っていたより近い場所で声を掛けられ、幸輝は思わず振り返る。するとついさっきまで自分の席にいた誠一が、いつの間にか距離にして数歩先の位置にいた。
「やっぱり。お前、何で泣いてるんだよっ?」
「い、いえ、別に泣いてなんかいませんよ。これは欠伸して……」
いきなりのことに我ながら下手だと思いつつ言い訳をしてみるが、誠一には通じなかった。目を合わせ辛いからと逸らした顔を、身体ごと誠一の方へと向かされてしまう。
「誰かに何か言われたのか? それとも何かされたのかっ?」
焦りと苛立ちを混ぜた様子で、こちらに問い掛けてくる。いや、これはもう問い詰められていると言った方が正しい。
「本当に、何でも……ないんです」
「……俺には、話せないことか?」
やはり誠一はずるい。肩を掴まれて逃げられない状態なのに、そんな辛そうな顔まで見せられたら余計に涙が止まらなくなるではないか。幸輝はせめてもの抵抗とばかりに、唯一自由になる頭を下げて零れる涙を隠した。
「ごめんなさい。僕、今……ちょっと不安定で……」
「本当にそれだけか?」
「はい……」
誠一に嘘を吐くのは申し訳ないが、ここで本心を告げるわけにもいかない。
「そうか」
誠一が幸輝の肩から手を離す。だがそれで終わりではなかった。誠一は代わりに膝を着き、幸輝の濡れた頬を両手で包んだ。
「じゃあ聞き方を変える。俺は、お前に何が出来る?」
骨張った親指の腹で涙を拭われた後、下から覗き込む形で問われる。誠一の指から、よく知った煙草の香りがした。
真の理由は話さなくて良いから、今、一番叶えて欲しい願いを言え。そう言われた途端、幸輝の中から誠一に甘えてしまいたい衝動が生まれた。
「あの……今夜、一緒にいてくれませんか……?」
素直な気持ちが口から飛び出た途端、目の前の誠一がふわりと優しい笑顔で笑った。それからクシャクシャと子供をあやすように頭を撫でられる。
「それぐらいでいいなら、いくらでも一緒にいてやるよ」
誠一の純粋な優しさが心から嬉しくて、でも同じだけ胸の奥が痛かった。
昼休みにあんな話を聞いてからというもの、幸輝は殆ど仕事が手につかず至るところでささいな失敗を繰り返した。そのせいで上司から叱責されたが、一つとして言葉が耳に入らなかった。結局、失敗の修正をしている内に仕事が押してしまって、いつもよりかなり遅い時間になってしまった。
既に事務所内には誰もいない。
ただ、今日はそれで良かったのかもしれない。気持ちを整理するには、一人になるのが一番だ。そう思っていた時、突然、頬に冷たいものが触れた。
「お疲れさん」
「わっ!」
驚愕して振り向くと、買ったばかりのコーヒー缶を持った誠一もまたびっくりした顔でこちらを見ていた。
「びっ……くりした……」
「悪い。そんなに驚くと思わなかったからよ」
「す、すみません、大声上げて。あの、帰られたんですか?」
「ああ、最後までごねた顧客が一人いてな。本当はそのまま帰ろうと思ったけど、お前がいるならこっちに戻って来て正解だったな」
そう言って誠一は幸輝に持っていた缶コーヒーを幸輝に差し出した。残業をしている幸輝の姿を見かけてすぐに、廊下の自動販売機で買ってきてくれたそうだ。幸輝はありがたく受け取って、笑顔を浮かべた。
「今日も誰かの書類待ちか?」
「いえ、ちょっと自分の方で失敗が続いちゃって」
「お前が失敗なんて珍しいな」
その失敗の根本的な原因は、目の前にいる人物なのだが。心で思うも、口には出さない
「そんなことないですよ。僕なんて……失敗ばかりです」
「謙遜するなって。……まぁ、でもあまり根詰め過ぎるなよ。お前は少し真面目過ぎるからな」
周囲に誰もいないからか、いつも二人でいる時みたいに誠一が幸輝の頭をくしゃりと撫でる。それから残務処理をすると言って、誠一は自分の席へと戻っていった。
その背中を、幸輝は横目で盗み見るようにして見つめた。
やはり、誠一は格好良い。
細身だがしっかりとした筋肉がついた身体に、長い手足。それらを包むスーツは幸輝が好んで着るようなスリムスーツではなく普通の型のものだが、誠一は身長が高いから立ち姿が凜としていて、よく見惚れてしまう。
それに誠一は長年スーツを着ているから着慣れているのではなく、ちゃんと着こなしているのだ。多分、顧客と会うことを意識する内に自分に合った物を自然と選んでいるのだろう。選ぶ色も色合いの暗いもので、彼にはとても似合っていた。
そして次に目を奪われるのが、誠一の指の仕草だ。誠一は何かを思案している時、無意識に机を指で叩く癖があるが、その指の形がまた綺麗なのだ。更に数ある指の仕草の中で幸輝が一番気に入っているのが、煙草を扱っている時だ。吸う時は二本の指で軽く挟んで口に運び、火が付いていない時は器用に長い指の間で転がす。そんな仕草を目にした時、幸輝は駄目だと思いつつも目が離せなくなってしまう。
きっと誠一は、自分が何をすれば格好良く見えるかかが知らず知らずの内に分かっているに違いない。
あと、普段の顔は知らない人が見たら避けるほど強面なのに、時折、隙を突いたように出て来る笑顔がとてつもなく優しいところも外せない。特に休日、幸輝が不意に見上げた時に浮かべてくれる柔らかな笑顔は格別だ。
これで面倒見がいい兄貴肌だというのだから、正直、ずるいとしか言いようがない。
これは惚れた欲目とかではなく、誠一は絶対に女性受けがいいはずだ。
何故誠一が未だ独り身を貫いているのかは分からないが、これまで想いを寄せる女性は大勢いたはずだと、幸輝は確信していた。
事実、あの女の子も、誠一の魅力に気付いていたぐらいなのだから。
「……っ……」
思い掛けず昼間の一件を思い出してしまった幸輝の胸が、チクンチクンと痛んだ。
自然と視線が下に下がる。
あの子は、いつ誠一に想いを告げるか。考えただけで、泣きそうになる。しかしすぐ近くに誠一がいる場所で、泣くことなんて出来ない。幸輝は緩む涙腺に必死抗う為、掌で口元を覆った。
その時――――。
「オイ」
思っていたより近い場所で声を掛けられ、幸輝は思わず振り返る。するとついさっきまで自分の席にいた誠一が、いつの間にか距離にして数歩先の位置にいた。
「やっぱり。お前、何で泣いてるんだよっ?」
「い、いえ、別に泣いてなんかいませんよ。これは欠伸して……」
いきなりのことに我ながら下手だと思いつつ言い訳をしてみるが、誠一には通じなかった。目を合わせ辛いからと逸らした顔を、身体ごと誠一の方へと向かされてしまう。
「誰かに何か言われたのか? それとも何かされたのかっ?」
焦りと苛立ちを混ぜた様子で、こちらに問い掛けてくる。いや、これはもう問い詰められていると言った方が正しい。
「本当に、何でも……ないんです」
「……俺には、話せないことか?」
やはり誠一はずるい。肩を掴まれて逃げられない状態なのに、そんな辛そうな顔まで見せられたら余計に涙が止まらなくなるではないか。幸輝はせめてもの抵抗とばかりに、唯一自由になる頭を下げて零れる涙を隠した。
「ごめんなさい。僕、今……ちょっと不安定で……」
「本当にそれだけか?」
「はい……」
誠一に嘘を吐くのは申し訳ないが、ここで本心を告げるわけにもいかない。
「そうか」
誠一が幸輝の肩から手を離す。だがそれで終わりではなかった。誠一は代わりに膝を着き、幸輝の濡れた頬を両手で包んだ。
「じゃあ聞き方を変える。俺は、お前に何が出来る?」
骨張った親指の腹で涙を拭われた後、下から覗き込む形で問われる。誠一の指から、よく知った煙草の香りがした。
真の理由は話さなくて良いから、今、一番叶えて欲しい願いを言え。そう言われた途端、幸輝の中から誠一に甘えてしまいたい衝動が生まれた。
「あの……今夜、一緒にいてくれませんか……?」
素直な気持ちが口から飛び出た途端、目の前の誠一がふわりと優しい笑顔で笑った。それからクシャクシャと子供をあやすように頭を撫でられる。
「それぐらいでいいなら、いくらでも一緒にいてやるよ」
誠一の純粋な優しさが心から嬉しくて、でも同じだけ胸の奥が痛かった。
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