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第5話:甘い肉じゃがは正義
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仕事を終えた二人が訪れたのは、誠一が通っているという和食が主体の居酒屋だった。
今日はもう顧客に呼ばれることはないだろうと、店に入った途端に誠一はスーツの上着を脱ぎ、ネクタイも緩めてしまう。
「お疲れさん」
「お疲れ様です」
グラス同士が合わさる音が響く。
飲み屋といえばこれ、と言わんばかりにビールで乾杯した二人は、同時によく冷えたほろ苦い炭酸を喉に通した。
まだ蒸し暑さが残る季節のせいか、店に着くまでにすっかり乾いてしまった喉にはビールの爽快さは最高で、幸輝は一気にグラスを空けてしまう。
「お、いい飲みっぷりじゃねぇか」
空になった幸輝のグラスに新たなビールを注ぎながら、誠一が飲みっぷりを褒める。先輩に御酌をして貰った幸輝は「ありがとうございます」と礼を言いつつ、自分も誠一のグラスにビールを注ぎ返した。
「仕事の後だからでしょうか、お酒が美味しくて」
「まぁ、酒が美味いのは当たり前なんだがよ、今の奴等って『とりあえずビール』が通じねぇだろ? ほら、ピーチなんちゃらとか、カルアなんちゃらとか舌がまわりそうな酒ばっかり頼みやがってさ。だから月瀬みたいにビールを美味そうに飲む奴は貴重だよ」
やっぱり最初はビールに枝豆だろう、と誠一は先付けで出された枝豆を摘まんだ。
「ああ、チューハイとかカクテルのことですよね。僕、そっちも飲みますよ。というか、お酒なら何でも飲みます」
「ん? 何だ、月瀬は酒飲みか?」
「ええ、まぁ……」
酒を飲む本当の理由は九割方眠気を誘発させる為だが、今そんなことを誠一に話さなくてもいいだろう。幸輝は笑って真相を隠した。
「各務さんはビール派ですか?」
「そうだな。それか、あとは焼酎が多い」
焼酎と聞いて、幸輝はすぐに頭の中に焼酎を飲む誠一の姿が描けた。
きっと誠一のことだから、ロックで飲むのだろう。長い指で時折グラスを傾けては氷が揺れる音を楽しむ。あまりにも似合いすぎる光景に溜息が出そうになった時、機を見計らったかのように注文していた食事が到着した。
届いたのは葱とミョウガがたっぷりのった冷や奴に、中まで味噌が染みこんでいるのが一目瞭然の鯖の味噌煮、そしてほくほくとした湯気が立ち昇った肉じゃがと、どれも空腹を刺激するものだった。
「凄く美味しそうですね。各務さんのオススメにして正解でした」
店に来たのは初めてだからと、注文を全て誠一に任せて良かった。幸輝は目の前の料理に目を輝かせた。更に、一人の時には全く鳴らない腹が、グゥっと音まで立てる。
「ああ、ここの大将の飯はどれも美味いぞ」
早く食ってみろよと促され、幸輝は取り分けて貰った肉じゃがを口に運ぶ。
「ん! 本当だ、凄く美味しい! それにこれ、僕の好きな甘いやつだ」
よく煮込まれたジャガイモは、口の中で溶けた瞬間に強い甘みが広がった。しかし、それはただ甘いだけじゃない。丁度良い出汁と醤油が全体の味を引き締めている為、後に嫌な甘さが全く残らないのだ。
肉じゃがというのは、使う材料や調味料が住む地域によって変わってくる為、味も様々だ。一番慣れ親しんだ幸輝の祖母が作る肉じゃがは勿論美味しかったが、残念なことに出汁が強くて甘みが弱かった。
それなら幸輝が好きだという肉じゃがはどこの物かというと、昔、祖母が風邪を引いた際に祖父と外で食べた肉じゃががそれだったのだ。確かあれは、実家の近くの定食屋だ。初めて食べて気に入った幸輝は、たまに連れていって貰えるその店で肉じゃがばかり食べていた記憶がある。
「何だ、お前も肉じゃがは甘め派か?」
「お前も、ということは各務さんもですか?」
「ああ、故郷のお袋が作ったやつが砂糖と玉葱がたっぷり入ったすげぇ甘いやつだったんだよ。それをずっと食って来たからな。でも東京の食いもんってしょっぱいものばっかりだろ? 肉じゃがも甘くないやつばかりでさ。色んな店を食べ歩いて、探し回ったぐらいだ」
どうやら肉じゃがに関しては、誠一も譲れない拘りがあるらしい。自分と似ている部分を見つけた幸輝は、それだけで嬉しくなった。
「それでやっと見つけた店がここだった、ということですね?」
「ああ」
「それじゃあ、僕はラッキーですね。探し回る前に辿り着けたんですから」
「そうだな。この肉じゃがが好きなら、他の物も口に合うはずだ。これからも好きな時に食べに来ればいいさ。ここの大将は気前のいい奴だから、常連になれば味の好みも聞いてくれるようになるぞ」
余程、店主を気に入っているのか、誠一は肉じゃが以外の料理も口にしながら、頻りに主の料理を褒めた。
客に合わせて味を変えてくれるなんて、何だか顧客第一の誠一の姿勢と似ている。多分そういう部分も含めて、この店を気に入っているのだろう。
「それは楽しみです。早く顔を覚えて貰わなきゃ」
一人で来ても食べられるかは若干心配だが、もしかしたら肉じゃがの魅力で胃も素直になってくれるかもしれない。そんな期待を込めて幸輝はほろほろのジャガイモを口に運ぶ。
「なぁ、月瀬」
夢中で頬張っていた幸輝は、唐突に呼ばれて顔を上げた。するといつの間にか煙草を咥えていた誠一が、幸輝をじっと見つめていた。
「は、は……い?」
気を抜いたら囚われそうになるぐらいの強い視線で真っ直ぐ見つめられた幸輝は、覚えず狼狽してしまう。
「お前さ、職場でもそうやって笑ってた方がいいぞ」
「えっと、それはどういう意味でしょうか?」
行儀が悪いと思いながらも、幸輝は箸の先を口に咥えながら首をわずかに傾けた。
「肉じゃが食った時の笑顔、すげぇいい顔だった。ああいう笑顔を職場でも見せれば、皆、もっとお前に近づいてくるんじゃねぇか?」
当たり前だが肉じゃがを食べている時に鏡を見ていない幸輝は、自分がどんな笑顔を浮かべていたか分からない。けれどその顔が会社にいる時のものとは違うのだと誠一が言うのなら、多分そうなのだろう。
「僕、そんなに職場での笑顔、硬いですか?」
「硬いっつーか、無駄に綺麗過ぎるんだよ。だから周りが緊張しちまう。今までもそうだったんじゃねぇか?」
「っ!」
誠一の指摘に、幸輝は思わず持っていた箸を落としそうになった。
そんな幸輝の前で誠一が、一度大きく煙草の煙を吸い込んで吐き出す。空調のせいか、それとも誠一が幸輝に掛からないように吐き出したからか、煙たさは感じない。だが、代わりに言われた言葉は痛いほど心に染みた。
言われて見ればそうだ。確かに自分は他人に対して笑いかける時、人に不快感を与えない無難な笑顔をとしか頭に置いていなかった。そんな笑顔はきっと、外から見たら他人行儀なものに映ったはずだ。
だから学生時代、同級生に「月瀬の笑顔は、見てるだけでいい」とか、「笑顔が綺麗過ぎて、何が言いたいのか分からなくなった」と言われたのだろう。
自分では笑顔を使い分けているつもりはなかったが、これまで歩んできた幸輝の人生が、誠一の言葉をしっかり肯定していた。
人に対して『顔で判断するな』と不満ばかり抱いていた癖に、自分は相手のことをまったくく考見ていなかったなんて。
同時に、幸輝自身も気付かなかった欠点を見抜いた誠一の着眼力にも、驚きを隠せなかった。
やはり誠一は、とても聡明な人間だ。
そして、他とは違う。
今まで誰も踏み込んでこなかった幸輝の内側に、こうして触れてくれるのだから。
「ま、月瀬だけが悪いわけじゃないけどな。周りの奴らも、同じ会社の人間相手に下手に遠慮して壁なんか作りやがってよ。月瀬が綺麗過ぎるから近づけないなんて、職場をなんだと思ってるんだか」
誠一の話を聞きながら、ビールの入ったコップを両手の指で包む。
「す……みません……」
容姿のせいで敬遠されてるのは慣れているが、実際の声を聞くとなるとやはり辛いものがある。幸輝は頭を垂れ、小さな声で謝った。
「オイオイ、お前がそこまで落ち込むことないだろ? みれくれなんて持って生まれたもんなんだから、しょうがないんだしよ」
誠一は煙が立つタバコの先を明後日の方向に指して、「悪のは向こうの方だ」と幸輝を敬遠する社員を批難した。
「でも、相手にそう思わせているのなら、僕にも悪い部分があるんだと思います」
「まぁ、お前がそう思ってるなら、さっきも言ったみたいに素で笑ってみろよ。あの人懐っこい笑顔なら、相手の気も緩んで壁もなくなるだろうからさ」
「人懐っこい笑顔……」
簡単に笑顔を変えてみろと言われても、普段笑顔に意識を向けていない幸輝にはかなり難しいものがあった。だが、難しいからと諦めるわけにはいかない。これからの付き合いのためにも、これは練習するしかないだろう。
努力を惜しまない性格の幸輝は、せっかくの機会だからと誠一に練習相手になって貰おうと考えた。
「こんな感じですか?」
人懐っこい笑顔、と頭の中で何度も繰り返しながら笑ってみる。すると、途端に誠一が目と口が大きく見開いた。同時に誠一の咥えていた煙草が、机の上にポロリと落ちる。心なしか頬が赤くなって見えるのは、酒のせいだろうか。
しかし幸輝の笑顔におかしな反応を返したのは誠一だけではなかった。何故かちょうど視界に入った他の客も、こちらを見て固まっている。
「ど、どうしました? 笑顔、やっぱりおかしかったですか?」
人の動きを止めるまでに、自分の笑顔は変だったのだろうか。幸輝は自分の不器用さに泣きたくなった。
「い、いや、違う。……ってかお前、男で良かったな」
誠一は机の上に落ちた煙草を拾うと、灰皿に押しつけてそのまま捨てた。その仕草は何故か少し動きがぎこちない。
「男?」
何故ここで性別の話で出てくるのかまったく読めない幸輝は、不思議そうな顔を向けた。
「いや、まぁそれはいいとして……とりあえずさ、笑顔に関しては少しずつ練習していきゃあいい。それ以外に、会社のことで何か困ったことあったら相談しろよ」
「各務さんに相談してもいいんですか?」
「俺ら仲間だろ? 遠慮すんなって。一応俺は二十年選手だし、少しぐらいは役に立つだろうさ」
「少しだなんて、とんでもない! 各務さんにそう言って貰えるなら、僕、もっと頑張れそうです」
最初から幸輝に対して壁を作らなかった誠一が力になってくれると言ってくれたことが嬉しくて、今すぐ大声で叫びたくなった。しかし、そんなことをすれば誠一にも店にも迷惑がかかってしまう。幸輝は衝動を抑えようと、普段よりもうんと早い速度でグラスの酒を空けていったのだった。
今日はもう顧客に呼ばれることはないだろうと、店に入った途端に誠一はスーツの上着を脱ぎ、ネクタイも緩めてしまう。
「お疲れさん」
「お疲れ様です」
グラス同士が合わさる音が響く。
飲み屋といえばこれ、と言わんばかりにビールで乾杯した二人は、同時によく冷えたほろ苦い炭酸を喉に通した。
まだ蒸し暑さが残る季節のせいか、店に着くまでにすっかり乾いてしまった喉にはビールの爽快さは最高で、幸輝は一気にグラスを空けてしまう。
「お、いい飲みっぷりじゃねぇか」
空になった幸輝のグラスに新たなビールを注ぎながら、誠一が飲みっぷりを褒める。先輩に御酌をして貰った幸輝は「ありがとうございます」と礼を言いつつ、自分も誠一のグラスにビールを注ぎ返した。
「仕事の後だからでしょうか、お酒が美味しくて」
「まぁ、酒が美味いのは当たり前なんだがよ、今の奴等って『とりあえずビール』が通じねぇだろ? ほら、ピーチなんちゃらとか、カルアなんちゃらとか舌がまわりそうな酒ばっかり頼みやがってさ。だから月瀬みたいにビールを美味そうに飲む奴は貴重だよ」
やっぱり最初はビールに枝豆だろう、と誠一は先付けで出された枝豆を摘まんだ。
「ああ、チューハイとかカクテルのことですよね。僕、そっちも飲みますよ。というか、お酒なら何でも飲みます」
「ん? 何だ、月瀬は酒飲みか?」
「ええ、まぁ……」
酒を飲む本当の理由は九割方眠気を誘発させる為だが、今そんなことを誠一に話さなくてもいいだろう。幸輝は笑って真相を隠した。
「各務さんはビール派ですか?」
「そうだな。それか、あとは焼酎が多い」
焼酎と聞いて、幸輝はすぐに頭の中に焼酎を飲む誠一の姿が描けた。
きっと誠一のことだから、ロックで飲むのだろう。長い指で時折グラスを傾けては氷が揺れる音を楽しむ。あまりにも似合いすぎる光景に溜息が出そうになった時、機を見計らったかのように注文していた食事が到着した。
届いたのは葱とミョウガがたっぷりのった冷や奴に、中まで味噌が染みこんでいるのが一目瞭然の鯖の味噌煮、そしてほくほくとした湯気が立ち昇った肉じゃがと、どれも空腹を刺激するものだった。
「凄く美味しそうですね。各務さんのオススメにして正解でした」
店に来たのは初めてだからと、注文を全て誠一に任せて良かった。幸輝は目の前の料理に目を輝かせた。更に、一人の時には全く鳴らない腹が、グゥっと音まで立てる。
「ああ、ここの大将の飯はどれも美味いぞ」
早く食ってみろよと促され、幸輝は取り分けて貰った肉じゃがを口に運ぶ。
「ん! 本当だ、凄く美味しい! それにこれ、僕の好きな甘いやつだ」
よく煮込まれたジャガイモは、口の中で溶けた瞬間に強い甘みが広がった。しかし、それはただ甘いだけじゃない。丁度良い出汁と醤油が全体の味を引き締めている為、後に嫌な甘さが全く残らないのだ。
肉じゃがというのは、使う材料や調味料が住む地域によって変わってくる為、味も様々だ。一番慣れ親しんだ幸輝の祖母が作る肉じゃがは勿論美味しかったが、残念なことに出汁が強くて甘みが弱かった。
それなら幸輝が好きだという肉じゃがはどこの物かというと、昔、祖母が風邪を引いた際に祖父と外で食べた肉じゃががそれだったのだ。確かあれは、実家の近くの定食屋だ。初めて食べて気に入った幸輝は、たまに連れていって貰えるその店で肉じゃがばかり食べていた記憶がある。
「何だ、お前も肉じゃがは甘め派か?」
「お前も、ということは各務さんもですか?」
「ああ、故郷のお袋が作ったやつが砂糖と玉葱がたっぷり入ったすげぇ甘いやつだったんだよ。それをずっと食って来たからな。でも東京の食いもんってしょっぱいものばっかりだろ? 肉じゃがも甘くないやつばかりでさ。色んな店を食べ歩いて、探し回ったぐらいだ」
どうやら肉じゃがに関しては、誠一も譲れない拘りがあるらしい。自分と似ている部分を見つけた幸輝は、それだけで嬉しくなった。
「それでやっと見つけた店がここだった、ということですね?」
「ああ」
「それじゃあ、僕はラッキーですね。探し回る前に辿り着けたんですから」
「そうだな。この肉じゃがが好きなら、他の物も口に合うはずだ。これからも好きな時に食べに来ればいいさ。ここの大将は気前のいい奴だから、常連になれば味の好みも聞いてくれるようになるぞ」
余程、店主を気に入っているのか、誠一は肉じゃが以外の料理も口にしながら、頻りに主の料理を褒めた。
客に合わせて味を変えてくれるなんて、何だか顧客第一の誠一の姿勢と似ている。多分そういう部分も含めて、この店を気に入っているのだろう。
「それは楽しみです。早く顔を覚えて貰わなきゃ」
一人で来ても食べられるかは若干心配だが、もしかしたら肉じゃがの魅力で胃も素直になってくれるかもしれない。そんな期待を込めて幸輝はほろほろのジャガイモを口に運ぶ。
「なぁ、月瀬」
夢中で頬張っていた幸輝は、唐突に呼ばれて顔を上げた。するといつの間にか煙草を咥えていた誠一が、幸輝をじっと見つめていた。
「は、は……い?」
気を抜いたら囚われそうになるぐらいの強い視線で真っ直ぐ見つめられた幸輝は、覚えず狼狽してしまう。
「お前さ、職場でもそうやって笑ってた方がいいぞ」
「えっと、それはどういう意味でしょうか?」
行儀が悪いと思いながらも、幸輝は箸の先を口に咥えながら首をわずかに傾けた。
「肉じゃが食った時の笑顔、すげぇいい顔だった。ああいう笑顔を職場でも見せれば、皆、もっとお前に近づいてくるんじゃねぇか?」
当たり前だが肉じゃがを食べている時に鏡を見ていない幸輝は、自分がどんな笑顔を浮かべていたか分からない。けれどその顔が会社にいる時のものとは違うのだと誠一が言うのなら、多分そうなのだろう。
「僕、そんなに職場での笑顔、硬いですか?」
「硬いっつーか、無駄に綺麗過ぎるんだよ。だから周りが緊張しちまう。今までもそうだったんじゃねぇか?」
「っ!」
誠一の指摘に、幸輝は思わず持っていた箸を落としそうになった。
そんな幸輝の前で誠一が、一度大きく煙草の煙を吸い込んで吐き出す。空調のせいか、それとも誠一が幸輝に掛からないように吐き出したからか、煙たさは感じない。だが、代わりに言われた言葉は痛いほど心に染みた。
言われて見ればそうだ。確かに自分は他人に対して笑いかける時、人に不快感を与えない無難な笑顔をとしか頭に置いていなかった。そんな笑顔はきっと、外から見たら他人行儀なものに映ったはずだ。
だから学生時代、同級生に「月瀬の笑顔は、見てるだけでいい」とか、「笑顔が綺麗過ぎて、何が言いたいのか分からなくなった」と言われたのだろう。
自分では笑顔を使い分けているつもりはなかったが、これまで歩んできた幸輝の人生が、誠一の言葉をしっかり肯定していた。
人に対して『顔で判断するな』と不満ばかり抱いていた癖に、自分は相手のことをまったくく考見ていなかったなんて。
同時に、幸輝自身も気付かなかった欠点を見抜いた誠一の着眼力にも、驚きを隠せなかった。
やはり誠一は、とても聡明な人間だ。
そして、他とは違う。
今まで誰も踏み込んでこなかった幸輝の内側に、こうして触れてくれるのだから。
「ま、月瀬だけが悪いわけじゃないけどな。周りの奴らも、同じ会社の人間相手に下手に遠慮して壁なんか作りやがってよ。月瀬が綺麗過ぎるから近づけないなんて、職場をなんだと思ってるんだか」
誠一の話を聞きながら、ビールの入ったコップを両手の指で包む。
「す……みません……」
容姿のせいで敬遠されてるのは慣れているが、実際の声を聞くとなるとやはり辛いものがある。幸輝は頭を垂れ、小さな声で謝った。
「オイオイ、お前がそこまで落ち込むことないだろ? みれくれなんて持って生まれたもんなんだから、しょうがないんだしよ」
誠一は煙が立つタバコの先を明後日の方向に指して、「悪のは向こうの方だ」と幸輝を敬遠する社員を批難した。
「でも、相手にそう思わせているのなら、僕にも悪い部分があるんだと思います」
「まぁ、お前がそう思ってるなら、さっきも言ったみたいに素で笑ってみろよ。あの人懐っこい笑顔なら、相手の気も緩んで壁もなくなるだろうからさ」
「人懐っこい笑顔……」
簡単に笑顔を変えてみろと言われても、普段笑顔に意識を向けていない幸輝にはかなり難しいものがあった。だが、難しいからと諦めるわけにはいかない。これからの付き合いのためにも、これは練習するしかないだろう。
努力を惜しまない性格の幸輝は、せっかくの機会だからと誠一に練習相手になって貰おうと考えた。
「こんな感じですか?」
人懐っこい笑顔、と頭の中で何度も繰り返しながら笑ってみる。すると、途端に誠一が目と口が大きく見開いた。同時に誠一の咥えていた煙草が、机の上にポロリと落ちる。心なしか頬が赤くなって見えるのは、酒のせいだろうか。
しかし幸輝の笑顔におかしな反応を返したのは誠一だけではなかった。何故かちょうど視界に入った他の客も、こちらを見て固まっている。
「ど、どうしました? 笑顔、やっぱりおかしかったですか?」
人の動きを止めるまでに、自分の笑顔は変だったのだろうか。幸輝は自分の不器用さに泣きたくなった。
「い、いや、違う。……ってかお前、男で良かったな」
誠一は机の上に落ちた煙草を拾うと、灰皿に押しつけてそのまま捨てた。その仕草は何故か少し動きがぎこちない。
「男?」
何故ここで性別の話で出てくるのかまったく読めない幸輝は、不思議そうな顔を向けた。
「いや、まぁそれはいいとして……とりあえずさ、笑顔に関しては少しずつ練習していきゃあいい。それ以外に、会社のことで何か困ったことあったら相談しろよ」
「各務さんに相談してもいいんですか?」
「俺ら仲間だろ? 遠慮すんなって。一応俺は二十年選手だし、少しぐらいは役に立つだろうさ」
「少しだなんて、とんでもない! 各務さんにそう言って貰えるなら、僕、もっと頑張れそうです」
最初から幸輝に対して壁を作らなかった誠一が力になってくれると言ってくれたことが嬉しくて、今すぐ大声で叫びたくなった。しかし、そんなことをすれば誠一にも店にも迷惑がかかってしまう。幸輝は衝動を抑えようと、普段よりもうんと早い速度でグラスの酒を空けていったのだった。
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