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74話:踏み出した、最初の一歩

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 聖君せいくんとの謁見後、東宮殿に通された蒼翠そうすいは無風自らの手によって湯浴みや着替えの世話をして貰った。
 久しぶりの二人きりの時間は胸が弾むぐらい嬉しくて、つい無風の顔ばかり見てしまい時間すら忘れるほどだったのだが、手を引かれ寝所まで案内されたところでハッと気づく。
 無風は蒼翠を慈心宮じしんきゅうに戻すつもりがないことを。

 
「な、なぁ無風、俺やっぱり……」


 警備のためにも寝る時は慈心宮に戻ったほうがいいんじゃないか、と言うも無風は首を横に振るだけで聞き入れてはくれなかった。


「今回のことは蒼翠様を悪意からお守りできなかった私の責任です。もう二度とこのようなことが起こらぬよう、これからは可能な限りずっと蒼翠様のお傍にいるつもりです」
「いや、だけど」
「それに…………蒼翠様と離れることを、私のほうが我慢できないのです」
「無風……」
「ご安心ください、蒼翠様を特例で東宮殿に迎え入れることは、きちんと父上からもお許しをいただけましたので」


 蒼翠は今や鳳凰の主として、数多から崇拝されるほどの存在となった。聖界としてはそんな蒼翠を失うわけにはいかないゆえ、多少の無理も通るようになったのだと無風は言う。
 ちなみに蒼翠に続いて要人ならぬ要獣待遇となった鳳凰こと色つきヒヨコには、東宮殿の別棟が充てられることになったそうだ。最初、別棟の庭に放った時は駄々を捏ねるかのように騒いだが、寝台に蒼翠の匂いがついた服を置いたらどうにか大人しくなってくれた。
 余談だが蒼翠の服を渡した時、無風が渋い顔を見せたのだがそこは見なかったことにしておく。
 今頃、ふかふかな寝床で気持ちいい夢を見ている頃だろう。
 
 
「お許しって……お前婚姻の許可もそうだけど、まさか父君を間接的に脅したりとかしてないよな?」
「そんなことしておりませんから、ご心配なさないでください」 
「まぁお前のことは信じるけどさ……あまり無茶だけはするなよ」
「はい、肝に銘じます」


 無風のことは一から百まで全部信じると決めたから、これ以上は何も言わない。
 

「ただ、ここで俺が寝起きするとして……寝台をどうするかだよな」


 突然の決定でまだ用意できていないのは仕方ないとして、寝具をもう一揃い持ってきて貰えれば一晩ぐらい長椅子でもいけるか。唇に指を充てながら考えていると、隣からぎこちない咳払いが聞こえた。


「蒼翠様あの……」
「ん?」
「寝台なのですが……」
「うん、どうした?」
「こ、今夜からその……私とともに……」
「…………へ?」


 無風と一緒に。言葉を聞いた瞬間、蒼翠の頭に過ったのは仙人が贈ってくれたあの房中術ぼうちゅうじゅつの特殊指南書だった。
 いくら鈍感王の名を欲しいままにした蒼翠とて、婚姻すると決めた相手と同じ寝台に入ることの意味ぐらい分かる。それによくよく見ればこちらの様子を窺う無風の顔が、ほんのりと朱くなり強張ってもいる。
 それは男なら誰でも察しがつく、隠しきれない情欲。
 そう、無風は蒼翠との同衾を求めているのだ。


「え……あ……えっと……」


 無風の全身から性欲を刺激するような淫靡な空気を感じ取った蒼翠は、強い戸惑いを覚えた。
 無風と、身体を重ねる。これまでまったく想像しなかったわけではないが、いざ現実を目の前にすると恥ずかしさに顔を背けたくなってしまう。だけれども同じぐらい愛おしい恋人の体温に触れ、蕩けてしまいたい。そんな気持ちにもなった。
 

「一つ……確認していいか?」
「はい」
「聖界に婚前交渉を禁止する掟は?」


 古代中国では時代や皇帝によって許されていた時もあるが、基本的に婚前交渉を禁忌とすることが多かった。ドラマで見ていた金龍聖君の世界ではあまり深く描かれていなかったものの、邪君じゃくんの後宮や邪界貴族じゃかいきぞくの家においては厳しく禁止する決まりはあった。無論、それは皇族に不浄の血を入れないためで、理にかなった掟だ。しかしそれより下位の者たちは性に奔放だった気がする。
 聖界はどうなのだろうか。白龍族は儒教思想が強そうだから否定的な気もするのだが、もしそうなら無風には婚姻まで待ってもらわなければいけない。
 そう考えての質問だったが、返ってきたのは意外な答えだった。


「白龍族にとって情交は魂の婚姻とされています。ですので将来を誓った仲であるなら罪にはなりません」
「そうなのか?」
「はい」
「うん…………ならいい」
「ご安心できましたか?」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
「え?」
「お前が困ることにならないなら、その……”いい“と言ってるんだ」


 ゆっくりと無風の手を掬い、両手で包み込む。
 するとようやく蒼翠が言いたいことに気づいたのか、無風の表情がみるみるうちに満開の笑みへと変化した。

「蒼翠様!」
 
 蒼翠はそのまま長い腕に抱きしめられ、早鐘のように高鳴った鼓動に深く包まれる。

「本当に……本当によろしいのですか?」
「うん……いいよ、お前なら」


 温かな胸の中で小さく頷き返事をかえす。と、言葉よりも雄弁な無風の心臓は一層大きな拍動を刻み、蒼翠に溢れんばかりの歓喜を伝えた。





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