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67話:無風のひとりごと<聖界皇太子>
しおりを挟む「おおっ、皇太子様だ」
「あのお方が伝説の龍化を遂げたという……」
「なんと麗しいお姿だろうか」
聖界ではどこを歩いても、そんな声が聞こえてくる。こちらに向けられる顔はどれも笑顔ばかり。
自分は忌み子として捨てられた人間なのに、今では行く先々で温かな言葉がかかる。それがどんな気分かといえば、正直、複雑だ。
白龍族皇族の血を継ぐ者。
本音を言ってしまえば、そんな肩書きなんて必要ない。いくら蔑まれようが、邪界にいた時の身分で構わないと今でも思っている。
けれど自分はこの道を選び、進み始めた。
すべては愛するあのお方のため。
だから、あの時の選択に後悔はない。
・・・
目を覚ましたら、聖界にいた。
白く輝く石で造り上げられた天井の高い宮殿に、黄金の調度品に食器、朱子織で縫われた天井飾り。そして窓から見える青色の空と太陽。
それらを見て初めて覚えた感想は、目がチカチカする、だった。
ここにあるものすべてが、邪界と違う。漂う香の匂いだって慣れ親しんだものと違って、違和感を覚える。
どうして自分はこんなところにいるんだ。状況を把握しようと酷い倦怠感が残る身体に鞭を打ったところで、ちょうど近くにいた白い袍服を纏った男たちが突然、驚愕の事実を告げてきた。
「お帰りをお待ちしておりました、殿下」
当然、頭の中が混乱で真っ白になったのは言うまでもない。
自分は白龍族で、聖君の血を継ぐ者だった。出生の秘密を知らされたのちに案内された聖君の宮殿で、自分は実母だという皇后に抱き締められ、聖君からは深い謝罪を伝えられた。
しかし、正直なんの実感も沸かなかった。
自分にとって産みの母は幼い頃に亡くなった女性だし、育ててくれたのは主人である蒼翠様。過不足のないこれまでの人生に、いきなり『本当の親』なんて真実を与えられても、受け入れる余地なんてないというのが本音だ。
それなのに周囲はどんどん新たな『真実』ばかりを突きつけてくる。
どうやら自分には双子の兄がいて、その兄は皇太子だったのだが邪界の皇太子に討たれ、亡くなってしまった。
今、この聖界には聖君の世継ぎが一人もいない。
と、真実云々はさておき、ここまで聞けば誰だって自ずと自分に何を求められているのか分かってしまう。
案の定、次に続く言葉はこうだった。
「どうか聖界に帰還し、正式に皇太子に就任して欲しい」
当然、酷く戸惑った。でもそれは仕方のないことだ。自分が白龍族であるという事実だけでもまだ飲み込めていないのに、聖界の皇太子だなんて
一瞬、聖君や皇后が高慢な人間ならよかったのに、と思ってしまった。
もしここで聖君が尊大な態度で命を下してきたのなら「ふざけるな」と一蹴できただろう。そして憂なく背を向けることもできた。彼らは自分に対してそれほどまでのことをしたのだから、当然の話だ。
けれど過去の謝罪とともに頭を下げられてしまったことで逆に感情の置き所に困ってしまう。
「突然のことで戸惑っております。申し訳ありませんが、もう少し考える時間をいただけますか」
自分はどうするべきなのか。とりあえず今は考える時間が欲しいと、聖君には待って貰うことにした。
だが自分には考える時間などなかったことに、すぐに気づかされることになる。
「お前さんの主が牢に入れられた。おそらくあやつは処刑されることになるだろう」
自分の命よりも大切な主の危機を教えてくれたのは、聖界の宮殿まで様子を見にきてくれた白のお師匠様だった。
そうだ、自分はあの時、炎禍殿下に斬られそうになって。
でもそれを蒼翠様が守って下さって。
白のお師匠様によると、自分の代わりに斬られてしまった蒼翠様を見て我を失った自分は、無意識下で力を暴走させ、大惨事を起こしてしまったそうだ。蒼翠様はその責任を負わされ、牢に入れられたのだという。
一刻も早く、蒼翠様をお助けしなければ。その思いに駆られた自分はすぐにでも聖界を飛び出そうとしたが、周囲がそれを許してはくれなかった。
「貴方様は聖君に次ぐ尊きお方、そして古より奇跡とされる龍化まで成し遂げられた唯一無二の存在です。そんなお方を邪界に行かせるなどできません」
聖君の臣下や皇后に止められ、挙げ句の果てには軟禁に近い状態にまでなり、動けなくなってしまったのだ。
これではいけない。
皇太子も龍化も自分にとってはどうでもいいことで、一番に考えなければいけないのは蒼翠様のこと。迷うことなくすぐに動くことを決めた自分は、見張りの兵を薙ぎ倒してでも出て行こうと立ち上がった。
それを止めたのは、白のお師匠様だった。
「衝動のまま飛び出すのも構わんが、それでおぬしはどうするんじゃ?」
「もちろん、蒼翠様をお助けに行くのです」
「ふむ、では助けた後、どうするのじゃ?」
「え……?」
「あやつは邪界では重罪人じゃ。たとえおぬしが牢から助け出せたとしても、邪君の追手はあやつを捕えるまで追ってくるぞ」
「そうなったとしても、どこまでも逃げるのみです」
「ほほっ、まだまだ若いのぉ。それで? 一生逃げきれる算段はあるのか?」
「それは……」
もし邪界の軍が蒼翠様を追ってきたとしても、何度だって戦って追い払ってやるつもりだ。蒼翠様は自分の命に替えてでも守ってみせる。
ただ――――一生守るとは言いきれても、逃げきれるかと問われるとほんの指先程度であるが戸惑いを覚えてしまった。
「今のおぬしは強い。きっと聖君や邪君にすら匹敵するぐらいの力はもっておるじゃろう。じゃが今の状態で主を連れて逃げれば、邪界からだけでなく聖界の者たちからも生涯追われ続けることになる。そんな生活を主に強いて、それを『守る』と言えるのか? とワシは聞きたいんじゃ」
白のお師匠様の言葉に何も返すことができなかった。確かにそのとおりだ。きっと追手を気にしながら送る生活は、辛いものになるだろう。毎日のように微かな音に怯えながら暮らし、居所を整えても危険が迫ればすべてを捨てて身一つで逃げなければならない。
そんな窮屈な人生に、蒼翠様を追いやる。
それではたとえ命は守れても、決して蒼翠様自身を守ることにはならない。
「しかし……では、私にどうしろと……」
力はあるのになす術が見つからない。
「そうじゃな、今のお前さんにできるのは覚悟を決めることぐらいじゃ」
「覚悟……?」
「主と一緒に生涯逃げ続ける覚悟か、はたまたあやつのすべてを守るための力を手にする覚悟か……それはおぬしが決めることじゃがな」
蒼翠様のすべてを守るために必要な力。
それは紛うことなく、たった一つしかない。
白のお師匠様が何を言わんとせんか、すぐに気づくことができた自分は、即座に心の中で一つの決断を下した。
こんなことに悩む必要なんてない。
「白のお師匠様、ありがとうございます!」
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。礼には及ばんて」
決断を見届けた白のお師匠様は、まるで何もなかったかのようにそのまま宮殿の出口に向かい歩いて行く。その背から「あやつはワシにとっても大事な茶飲み仲間じゃからのう。あやつからお前さんの自慢話を聞かんと、なんだか物足りんのじゃ」との言葉が続いた。
やはり白のお師匠様も、蒼翠様のことを大切に思ってらっしゃるのだ。その温かさに、自分は決して一人ではないと勇気を貰った気分になった。
「ありがとうございます……必ず、蒼翠様のすべてをお守りします」
決意をもう一度言葉にしてから、歩き出す。
こうして私は聖界の皇太子になった。
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