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62話:告白①
しおりを挟む聖界の東宮殿は、それはそれは豪華な殿舎であった。
豪奢な造りの殿舎を支える円柱や斗栱、梁、屋根瓦に至るまですべてが白木で造られていて、縁取りは黄金が煌めいている。屋根の主棟には金龍の鬼飾りが、軒先には等間隔に吊された白銀の八角宮灯が見えるが、一目みただけで一級の芸術品だと分かった。
大門を抜けた先にある庭には清流の滝壺と浮島のある広い池があり、眼鏡橋の下では鮮やかな色の鯉が何十匹と泳いでいる。視界いっぱいに広がる庭園には光る玉砂利や色とりどりの草花が、東屋の周りには藤の木が満開に咲き乱れていて思わず言葉が止まった。
あの場所はきっと四季折々の情景を楽しめるように設計されているのだろう。
ここはどこに目を向けても美しいというしか言葉が出てこない。けれどたった一つだけ、東宮殿には蒼翠にとって酷く気まずいものがあった。それが警備兵だ。
将来の聖君となる皇太子の宮ともなれば警備は凄まじく厳重で、高い塀で守られた東宮殿は内外の至るところに長い槍を持った兵が常駐している。それゆえ、どこにいても誰かしらと目が合うのだ。
勿論、訓練された兵は敵以外なら誰が宮殿に来訪しようと表情一つ変えない。しかし、内心はどうだろう。
――きっと場違いな奴がきたって思ってるんだろうな……。
そう考えてしまうのは東宮殿に来るまでの間、蒼翠が相当な数の好奇に曝されたからだ。
今や無風は聖界にとって『白龍族の窮地を救うべく舞い降りた救世主』である。そこへ龍体化まで遂げたとなれば、陶酔と憧憬の対象になるのは当然の話。そんな男が従者のように甲斐甲斐しく手を引き、肩を抱き寄せ、蜜よりも甘い顔で見つめる者がいる。こんなの見るなというほうが無理な話だ。
蒼翠は居心地の悪さを必死に耐えながら廊下を進み、ようやく部屋に辿り着くと一気に疲れが押し寄せた。
「どうぞ、蒼翠様のお好きなお茶と菓子を用意しました」
到着するなり東宮殿の侍女たちを全員を下がらせた無風は、柔らかな毛氈を敷いた長椅子に蒼翠を座らせると、傍仕えだった時のようにゆっくりと膝をついた。それがあまりの自然な動作ゆえ蒼翠はいつもの癖で茶を受け取ってしまう。
きっとこんな光景を聖君にでも見られたりしたら、再びの牢獄行きが確定だ。でも今は二人以外誰もいないし、ほんの少しだけ以前の無風に浸る程度なら許されるだろう。
きっと今後はこんなふうに接することも少なくなるだろうから。
「やっぱり無風のお茶は美味しいな」
「ありがとうございます。お望みであれば茶菓子も食事も、いくらだってご用意します」
「おいおい……お前にそんなことされたら俺は非難の的だぞ」
ただでさえ厄介者なのに、と笑えば途端に無風は笑顔を内にしまった。
「蒼翠様を非難するような者がいれば、私が許しません」
「無風?」
「貴方様は私の大切な方。もし害するものがいれば……」
「いやいやいや、顔が怖いから!」
その顔で凄まれると冗談にならないからやめてほしい。
「ほ、ほら、俺のことはいいから、そろそろ話のほうに入らないか?」
「そうですね。失念していました、申し訳ありません」
「とりあえずお前も座って。なっ?」
さすがに話の間中、膝をつかせるのは忍びないと無風を隣に座らせる。と、最初は主と対等な場所に座ることを躊躇ったが、蒼翠が「俺の顔を立てると思って」と説得すると渋々だが納得してくれた。
「では。……仙人からお聞きになったかと思いますが、どうやら私は聖界皇族の血を継ぐ者だったようです」
「ああ……うん、それは驚いた。お前皇子だったんだな」
勿論、最初からすべて知っているが、話を合わせるため蒼翠は真実を閉ざす。
「少し長くなってしまいますが、私の出生の真相を聞いて下さいますか?」
「もちろん。全部教えてくれ」
その後の話は、蒼翠が知るとおりのものだった。
自分は聖君の子として生まれたが、掟により殺される予定だった。それを母である皇后に助けられ、本来なら逃げ延びた先の村で一生を終えるはずだったが無風の兄が炎禍に討たれたことで皇太子の席が空き、急遽迎え入れが決まった。
と、説明だけだと簡単なように聞こえるが、本人にとっては青天の霹靂だっただろう。無風の気持ちに寄り添いながら、蒼翠は語られる真相に静かに耳を傾けた。
「――――そうか、お前も大変だったんだな」
「正直、今でも実感がありません」
「そりゃそうだ。いきなりお前は白龍族の皇子だ、だもんな。俺だってすぐには噛み砕けない。けど、正式に聖界の皇太子になったんだよな?」
「はい」
「じゃあやはり俺も皇太子殿下と呼んだ方が……」
「そんなっ! 今でも違和感ばかりなのに、蒼翠様にまでそのように呼ばれたら……」
邪界にいた頃の大切な時間を否定されているようで辛い、と首を横に振られ蒼翠は何も言えなくなる。
確かに自分も蒼翠に転生したばかりの時は同じような違和感があったし、呼ばれ続けることで葵衣だった時間が消えてしまう感覚も覚えた。だから気持ちはよく分かる。
「……分かった、お前が望まないならやめておく。まぁ、お前もまだ聖界に来たばかりだし、人前でなければ大目に見てくれるだろう」
「本当ですか? ありがとうございます」
嬉しそうに笑う無風に、心が温かくなる。
「それで話の続きになりますが、本当は皇太子冊封を拒むつもりでした」
「拒む? どうして?」
「私は聖君の子である前に蒼翠様の従者であり、弟子ですから。それに聖界の掟がどうあれ、私を葬ろうとしたことは事実。当然ながら素直に受け入れられるはずがありません」
確かに無風の言い分は正しい。では本意ではないのに、どうやって受け入れたのか。ドラマでは黒龍族や蒼翠という怒りの対象になる存在が無風の背を押したが、今回はそういったものはないはず。
「ですが仙人から私のせいで蒼翠様が投獄されたことを聞き、考えを変えました」
「俺?」
「正直、蒼翠様をお救いすることだけなら私一人だけの力で十分でした。しかし助け出した後、従者の身分では蒼翠様の人生すべてをお守りすることが難しいと知り、ならば相応の立場を得ようと……」
「そんな……じゃあ俺のために?」
無風が皇太子になることは運命で決まってはいたが、だからと本人が望んでいないのであればそれは無理強いと同じ。そんな苦渋の選択を自分がさせてしまったのか。処刑の場に無風が現れた事実の裏側を知った蒼翠は申し訳なさに心が削られ、視線を伏せる。
すると無風が蒼翠の手を取り、柔らかく握った。
「蒼翠様を失わずに済むのであれば、私はどんな身分だって構いません。それに父上には跡継ぎとしての責を全うする代わりに、一番の願いも聞き入れていただけましたから」
聖君を蟠りなく父上と呼べるのも、その願いを叶えて貰ったからだと無風は語る。
「一番の願い?」
無風は一体父親に何を望んだのだろう。首を傾げていると、隣に座っていた無風が立ち上がり、再び蒼翠の前に膝をついた。そして緊張の面持ちのまま、こちらを見上げる。
「え、ちょっ……」
「蒼翠様」
「あ、はい」
「私と、婚姻を結んでいただけませんか?」
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