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39話:君のための香り

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蒼翠そうすい様、新しい香を用意いたしました」


 執務室に入ってきた無風が持ってきたのは、鳳凰の装飾が彫られた銀の香炉こうろだった。
 香炉は中に入れた香木を焚くと、いくつか穴の空いた蓋の部分から香りを纏った煙が出てくるといった、古代中国版のアロマディフューザーのようなもの。中国ドラマでもそうだったが、この世界でも高貴な人間が楽しむ嗜好品だ。


「こちらに置きますね」
「ありがとう」

 無風が執務机の上に既にあった古い香炉を退かし、新しく用意したものを置く。すると、すでに火が付けられている香炉からふんわりと甘く、華やかな香りが鼻をくすぐった。


「今日は上質な伽羅きゃらが手に入ったので混ぜてみました。蒼翠様お好きでしたよね?」
「ああ、好きだ。…………うん、やはりお前の香はいいな」


 深く息を吸って、香りを肺いっぱいに満たすと瞬時に幸せな気分に包まれた。
 葵衣の時に身近にあった香といえば線香だったが、こちらの世界に来て初めて香道なるものを知った。ここでの香は龍脳りゅうのう丁字ちょうじといった香原料と呼ばれるものを複数種混ぜて香りを作るらしいのだが、いい香りの原料をたくさん混ぜればいいというものではなく、相性のよさと絶妙な匙加減が良質な香には必要なのだという。

 ただ、蒼翠はどうもこういったことが苦手で、転生したばかりの時はどれをどう混ぜればいいのかさっぱり分からなかった。ゆえに半龍人はんりゅうじんの部下に一任していたものの、用意されたものはこれまた香りばかり強く、咽せてしまうものばかりで大変な思いをした。正直、「皇子はこんな苦行も我慢しなくてはいけないのか」と心の中で嘆いたぐらいだ。

 しかし、そんな蒼翠に救いの手を差し伸べてくれたのが無風だった。

 あれはまだ無風が幼子だった頃、香道こうどうに興味を持った無風に何気なく香原料を渡してみたら、驚くなかれ、これまで嗅いできた香は一体なんだったのだと逆に絶望したほど、上品で芳しい香を完成させてくれたのだ。
 以後、無風が蒼翠の専属の香担当になったのは言うまでもない。


「今日は森林のような香りも混ざっているが、調合を変えたのか?」
「さすが蒼翠様ですね。今日のものはつがというマツ科の常緑高木じょうりょくこうぼくを混ぜてみました」
「そうか。うん、これもいいな。また次もこれで作ってくれるか?」
「はい、もちろんです」


 新しい調合を誉められ、無風が嬉しそうに微笑む。その姿を見ていた時、不意に疑問が浮かんだ。


「そういえば、お前自身はどんな調合の香を使ってるんだ?」
「私ですか?」
「ああ。そういえばお前からはあまり強い香の匂いはしてこないなと思って」
「私はお支えする身なので頻繁には使いません」


 時折、衣類や書物の虫除けとして山奈さんなという多年草の根茎こんけいを乾燥させたものを使うことはあるが、それも貴重な原料であるため多くは使わないという。


「なるほど…………よし! じゃあ今からお前専用の香を作ろう!」
「…………はい?」
「ん? なに『コイツ何言ってんだ?』みたいな顔してるんだ。ほら、いいから早く香原料を持ってこい」
「いえ、そんな決して不遜なことは考えてませんが……しかし香原料は蒼翠様の香を作るものなので上等なものばかりでして……」
「そんなことは気にしなくていい。俺がやりたいんだ。だから、な?」


 そう言って首をわずかに傾げながら頼むと、無風は最初困惑と迷いを見せたものの、すぐに「わかりました」と原料を取りに部屋から出ていった。




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