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38話:格好いい男とは何かを教えてあげましょう②
しおりを挟む大慌てで振り返ろうとしたが、無風の大きな掌で頬を包まれ動くことができない。
「無風、ちょっ、待……」
「蒼翠様はとてもお綺麗です。黒く艶やかな髪もクチナシのような白い肌も、蓮花のごとき薄紅の唇も。すべてがこの世に一つとない至高の宝で、私の心をいつだって魅了してやみません」
蜜を煮詰めたような甘い声で語りながら、無風は頬に触れていた指を蒼翠の唇に移す。
指先で薄い皮膚を撫でられると、蒼翠の意思とは関係なく触れられた肌が震えた。
「お、お前……っ」
「貴方様のようなお美しいかたのお傍にいることを許されている私は、誰よりも幸せ者です」
無風の吐息に耳朶を柔く擽られる。
心臓が、有り得ないぐらい飛び跳ねた。
ただでさえ声も耳心地よく響く低音美声の持ち主なのに、こんな近くで囁かれたら女性でなくても気持ちが揺さぶられてしまうではないか。
「お、おい、無風、誰が俺相手に囁けと……」
「蒼翠様が魅力的な男というものを、教えて下さるんですよね?」
「それはそうだが……」
「でしたら、この次はどうすればよろしいですか?」
どうすればと教えを請われても、こんな状況で一体何ができようか。ここは一先ず言い訳を並べて一旦逃げたほうが、と考えた蒼翠だったが、無風に真っ直ぐ懇願され、早々に機会を逃した。
――仕方ない、もう少し頑張るか。
なんとか、というよりも強引に意識を切り替え、これまで見てきた数多の恋愛ドラマを頭の中で再生する。
「そ、そうだな、きっと相手は近づくと恥ずかしがって逃げようとするから、優しく捕まえて慎重に迫るといいだろう。この時、無理強いは絶対にだめだぞ」
押しも必要だが、気持ちを押しつけるばかりでは上手くはいかない。男には忍耐も必要だと、蒼翠は無風に色事のイロハを語る。
すると間を置かずに無風の長い腕が伸びてきて、蒼翠の身体を包み込んだ。
先ほどよりもずっと近くなった距離に、また動揺が飛び出そうになる。
「――私は貴方様のことを、ずっと前からお慕い申し上げておりました」
熱の籠もった告白が耳から伝わった脳に響き渡る。
その時、蒼翠は全身を緊張に固めながらもはハッと気づいた。
そうだ、無風は修行でもそうだが、実践しながら覚えていくタイプの人間だった。きっとこれもそうなのだろう。
「ですが尊い身分の貴方様は、きっと私など何とも思っていないでしょう。けれど、どうか今宵だけは私の想いに免じて抱き締めることをお許し下さいませんか?」
どうやら身分差設定らしい。本来の無風だったら身分なんて関係ないが、今の立場だとそうなるのも仕方ない。とりあえず役に立てるかどうかは分からないが、将来無風が困らないためにもここは付き合うのが師の役目だろうと考えて、蒼翠は無風の話に乗ることを決めた。
「ほぉ、身分に差があるからと簡単に諦めると。お前の覚悟はそれだけのものだったんだな」
「そんなっ! そんなことはありません! 私は……私は……」
抱き締める力が強くなる。と、ドン、ドンと太鼓を打ち鳴らしているのかと思うほど大きな無風の鼓動が、触れている部分から身体に響いてきて自分の心臓の音と混ざった。
「貴方様さえ受け入れて下さるのなら、私はすべてを捨て、生涯をかけて愛し抜くと誓います」
「フン、言葉だけならなんとでも言える。仮に頷いたとして、こちらのほうが失うものが多いのだぞ?」
「確かに……不自由な思いをさせてしまうでしょう。ですが、失ったもの以上の愛で必ず貴方様の心を満たしてみせます」
「どうやって?」
無風は相手にどんな愛を与えるのか。興味が湧いて聞いてみる。
「そうですね……私たちが暮らす屋敷の庭には、年中花を欠かさないよう手入れを欠かせないようにします。視界いっぱいに咲き乱れる花木の中に東屋を用意し、そこへ貴方様の好きな茶と菓子を毎日運びますから一緒に花見をいたしましょう」
貴方様を一時だって退屈させない、と無風は強く断言する。
「暑い時期には山から氷塊を取り寄せ、氷菓をたくさん作ります。紅葉の季節には極上の酒を買ってきますので、移りゆく時を眺めながらの月見酒もいいですね」
「それは至れり尽くせりだな。だが花も紅葉もない雪の時期はどうする?」
「貴方様に冷えを寄せぬよう毎晩私が抱き締め、身体を温める蜜入りの生姜湯を口元までお運びします」
勿論サンザシ飴だってたくさん作ります、と無風が耳の近くで微笑んだのが分かった。
なるほど、無風は相手に尽くすタイプらしい。これなら女性も心を奪われるはず。
合格だ。ここまでできれば失敗することはないだろう。確信した蒼翠は満足げに頷いた。
「うむ――――よし、このくらいでいいだろう。お前の深い愛情は伝わった。あとは相手の瞳を真っ直ぐ見つめながら口づけでもしてやれば完璧だな」
口調を戻し、寸劇を締める。
しかしその次の瞬間、驚きの速さで視界がくるんと一回転した。
気がつくと寝台の上に仰向けで押し倒されていて、蒼翠は目を丸める。
「……え?」
何が起きたのだ。蒼翠が頭を打たないよう寝台との間に添えられた無風の手の温もりを感じながらハテナマークを浮かべていると、この世の雅をすべて集結させたような美麗顔がどんどん近づいてくるのが見えた。
――ああ、やっぱ無風は綺麗だな。
思わず状況を忘れて見入ってしまう。
すると形まで絵画みたいに完璧な無風の唇が、蒼翠の唇に触れ――――。
「うわぁっ!」
そうになった瞬間、なんとか我を取り戻して掌を二人の唇の間に差し込む。
「おおおおおおお前、びびびっくりするだろう!」
主の威厳丸潰れの情けない叫び声だったが、正直、そんなことを気にしている余裕などなかった。
――あぶなかった。もう少しで無風とキスするところだった。このイケメンすぎる顔ヤバイよ。俺、男だけど一瞬いいかなって思っちゃったよ。いや、別に無風とキスすることに嫌悪とかはないんだけど、ん? 嫌悪がなくていいのか? ちょっとよく分からないけど、無風とキスは絶対にダメだ。日本国中の全中国ドラマファンを敵に回すことになる。
無風は皆の無風だし、この世界では隣陽のもの。脱・悪役で、できれば師匠枠、それがダメならモブ枠でいたい自分が間に入っては色々と支障がでてしまう。
そう考えてやんわりと無風の身体を押し返す。
「蒼翠様……」
無風は抗うことなく離れてくれたが、どうしてか少しの間、意味ありげな視線をこちらに寄越してきた。
何か残念そうな、それでもって何かを言いたそうな。
「無風?」
「……驚かせてしまってすみません」
「いや、別に怒ってるとかではないから心配するな」
まだ心臓はバクバクと爆音を奏でているが、おそらく真面目な無風のことだから芝居にも全力投球しすぎてしまっただけのことだろう。許す許さないなんて話は必要ない。
「あの、蒼翠様」
「ん?」
「今はまだ未熟ですが、いつかかならず貴方様に認められるような魅力的な男になってみせます」
「え……?」
まっすぐの目で宣言され、蒼翠は瞠目する。
「ですから、どうか蒼翠様のお傍にいさせてください」
これからも努力を続けると意気込む無風は、近い将来、宣言どおり魅力的な男になるだろう。蒼翠は疑うことなく確信できた。
勿論、それは嬉しいことだし、あれだけ好きだった美麗なキャラを間近で堪能できることは、金龍聖君ファン冥利に尽きるというものだ。
ただ問題が一つだけある。
――無風が今よりいい男になったら、俺、死ぬんじゃないかな?
女性は元より、すでに同性ですら魅了しかけている美の集結を直視して、はたして自分の心臓はもつのか。
いまだに治らない高鳴りに意識を向けながら、蒼翠は一抹の不安を覚えるのであった。
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