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27話:時には頼ってあげましょう②
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「仙人から聞いたのなら、俺がどんなことをしてきたのかも分かっているんだろう?」
「……はい」
「失望したか?」
「そんな! 私が蒼翠様に失望するなんて、絶対に有り得ません!」
「すごい勢いだな。でもまぁ……そう言ってくれるのは、ありがたい」
これが葵衣の世界だったら、確実に軽蔑される。
「蒼翠様は今……その……」
「なんだ、聞きたいことがあるなら聞けばいい」
「外のお仕事……お辛いですか?」
不安そうな眼差しで尋ねられ、蒼翠は目を丸くした。どうやら気を遣わせてしまったようだ。
まさか無風に慰められるとは、と蒼翠は笑う。
「辛い? ハハッ、お前は面白いことをいうな」
「え?」
「確かに今回の公務は気分が晴れないものだったが、それでもお前以上に辛く、不幸な目に遭ってる奴はいないだろう」
すると無風はきょとんとした表情を浮かべ、首を傾げた。
「私は不幸なのですか?」
「そうだろう? 幼くして親を亡くしたうえ、俺みたいな男に拾われ扱き使われてるんだから十分不幸だ」
「不幸……」
少しの間考え込んだ様子を見せた無風が、子ども特有の高く澄んだ声で答える。
「……親を早くに亡くした者は、私以外にも大勢います」
「まぁ、確かにそうだな。俺もお前と同じで母はもういない」
こんな殺伐とした世界では、親が二人揃っているだけで幸運だ。蒼翠だって父は存命だが、母親はすでに鬼籍に入っている。
ドラマの設定を思い出し、そっと天を見上げた。
蒼翠の母親は、それはそれはとても美しい人だった。
瞼を軽く降ろせば夜露が乗るほど長い睫に、大きく鮮やかな韓紅の瞳。魅惑的かつ艶美な彼女に見つめられた者は必ず心を奪われると言われていて、そこに紅が映える瑞々しい唇が合わさると、さながら名匠が描いた美人画のようだと称賛されていた。
ただ、彼女はあまり笑顔が得意ではないのか、蒼翠以外の前ではあまり笑みを零さなかった。常に遠くのほうばかりに視線を遣り、温度のない表情を浮かべていたため周囲から「愁いの妃」と呼ばれていたが、その神秘さが邪君の心をさらに虜にしたという。
しかし一国の王をも虜にした美貌を持つ彼女は、同時に苦労の人でもあった。それは彼女が宮女上がりの妃嬪であったからだ。
王の妃には、二タイプの人間が存在する。
一つは親の力によって後宮に入ってきた貴族の令嬢。
もう一つは王に見初められて妃となった庶民の女。
蒼翠の母は後者であったため、後宮内での地位は最下層に近かった。
貴族の親という後ろ盾がない母は、他の妃たちから「生まれの賤しい女」と執拗な嫌がらせを受ける。世話係の侍女や宦官からも裏で馬鹿にされる。加えて、本来なら王の子を産めば安泰だとも言われる地位も、皇子を産んだがために親子ともども命を狙われる日々の前では、何の気休めにもならなかった。
毎日のように毒殺と謀に怯え、だけれどもそれを邪君に伝えることもできない。
おそらく、そのような張り詰めた生活のせいで無理が祟ったのだろう。蒼翠の母は、蒼翠が三つの時に流行病にかかると、満開の花があっさり散るかのように逝ってしまった。
「蒼翠様も? やはり……その時は悲しかったですか?」
「無論だ。母親は誰にだって特別だからな」
蒼翠の幼少時代はほんの少しではあるがドラマで描かれていたから、知っている。ともに過ごせた期間は短かったが、母に甘えたり好物を食べ合ったりして過ごした時間はかけがえのないもので、蒼翠はずっと尊んでいた。
もしも母が生きていたら、蒼翠はそれだけでドラマのような悪辣な人格にはならなかったかもしれない。たとえ邪君の重臣たちに粗雑に扱われても、兄皇子たちに暴力を振るわれても、あそこまで捻くれなかったかもしれない。
そう考えると蒼翠も皇族という柵に、人生を狂わされた被害者なのだろう。
もちろん、こんなのはたられば論でしかないのだが。
現実というのは、いつだって厳しい。
遠い意識の中で考えていると、不意に無風に名を呼ばれた。
「蒼翠様、私は不幸なんかじゃありません」
「なぜそんなことを?」
「確かに母上を失ったことは悲しいです。ですが独りとなり、頼る術もなく行き倒れるしかなかった私を、蒼翠様が拾って下さったから今もこうして生きながらえることができています」
「生きているから不幸ではないと? ハハハッ、本当に面白いな、お前は。最近は冗談まで覚えたのか?」
「冗談などではなく本当です。私は蒼翠様のおかげでとても充実した楽しい毎日を送っています。なので――」
「ん?」
「蒼翠様にも、ずっと笑っていて欲しいです」
蒼翠のために何かしたい。無風は強い想いを真剣な眼差しに乗せ、こちらをじっと見つめる。
優しい子だ、と思った。
「笑うか。そうだな……」
笑顔を望んでくれる無風のために、笑ってやりたい。
未だ耳の奥には絶望が残ったままではあるが、少しずつ自分にできること――死にゆく者を助けることはできないが、せめて安らかに休めるよう小さな塚を作って遺品で弔らってやろう――をして気持ちを昇華していこう。
無風を見ていると、そう思えた。
「よし、では今夜は俺が笑えるよう、お前に協力でもして貰おうか」
「っ! はい! 私にできることでしたら!」
「何、そんなに難しくはない。今夜は冷えるからお前が隣に寝て私を温めてくれ」
「え? 私が、蒼翠様とですかっ?」
「なんだ、俺と一緒に寝るのは嫌か? お前がここに来たばかりの頃、夜一人で眠れなくて泣いてた時に、俺の寝床に入れてやっただろう?」
今さら恥ずかしがることでもないはずだ。
「い、いえ! 嫌だなんて少しも思っていません!」
突拍子もない命令に驚き、眼をこれでもかというほど見開いた無風だったが、すぐに首をブンブンと横に振った。その必死そうな様子が可愛くて、思わず吹き出してしまう。
「だったらほら、早く入れ」
「で、では失礼します」
二人で寝台に入り、並んで横になる。それから一時の間は仙人との修行の話などをして過ごしたが、小半時もしないうちに無風は微睡み、寝息をたて始めた。
さきほどは目が冴えてしまったなんて言っていたが、もしかしたら本当は眠らずに待っていてくれたのかもしれない。
――本当に、優しい子だな。
微笑みながら寝顔を見つめていると、どうやら子どもの柔らかな体温が睡魔を連れて来てくれたようで、蒼翠もまた微睡み、瞼を下ろした。
――今夜は無風のおかげで眠れそうだ。
明日は配下が朝の挨拶に来る前に無風を自室に返さねば、驚かれてしまう。そうならないよう早く起きようと固く心に誓い、蒼翠はゆっくりと夢の世界へと旅立つのだった。
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「……はい」
「失望したか?」
「そんな! 私が蒼翠様に失望するなんて、絶対に有り得ません!」
「すごい勢いだな。でもまぁ……そう言ってくれるのは、ありがたい」
これが葵衣の世界だったら、確実に軽蔑される。
「蒼翠様は今……その……」
「なんだ、聞きたいことがあるなら聞けばいい」
「外のお仕事……お辛いですか?」
不安そうな眼差しで尋ねられ、蒼翠は目を丸くした。どうやら気を遣わせてしまったようだ。
まさか無風に慰められるとは、と蒼翠は笑う。
「辛い? ハハッ、お前は面白いことをいうな」
「え?」
「確かに今回の公務は気分が晴れないものだったが、それでもお前以上に辛く、不幸な目に遭ってる奴はいないだろう」
すると無風はきょとんとした表情を浮かべ、首を傾げた。
「私は不幸なのですか?」
「そうだろう? 幼くして親を亡くしたうえ、俺みたいな男に拾われ扱き使われてるんだから十分不幸だ」
「不幸……」
少しの間考え込んだ様子を見せた無風が、子ども特有の高く澄んだ声で答える。
「……親を早くに亡くした者は、私以外にも大勢います」
「まぁ、確かにそうだな。俺もお前と同じで母はもういない」
こんな殺伐とした世界では、親が二人揃っているだけで幸運だ。蒼翠だって父は存命だが、母親はすでに鬼籍に入っている。
ドラマの設定を思い出し、そっと天を見上げた。
蒼翠の母親は、それはそれはとても美しい人だった。
瞼を軽く降ろせば夜露が乗るほど長い睫に、大きく鮮やかな韓紅の瞳。魅惑的かつ艶美な彼女に見つめられた者は必ず心を奪われると言われていて、そこに紅が映える瑞々しい唇が合わさると、さながら名匠が描いた美人画のようだと称賛されていた。
ただ、彼女はあまり笑顔が得意ではないのか、蒼翠以外の前ではあまり笑みを零さなかった。常に遠くのほうばかりに視線を遣り、温度のない表情を浮かべていたため周囲から「愁いの妃」と呼ばれていたが、その神秘さが邪君の心をさらに虜にしたという。
しかし一国の王をも虜にした美貌を持つ彼女は、同時に苦労の人でもあった。それは彼女が宮女上がりの妃嬪であったからだ。
王の妃には、二タイプの人間が存在する。
一つは親の力によって後宮に入ってきた貴族の令嬢。
もう一つは王に見初められて妃となった庶民の女。
蒼翠の母は後者であったため、後宮内での地位は最下層に近かった。
貴族の親という後ろ盾がない母は、他の妃たちから「生まれの賤しい女」と執拗な嫌がらせを受ける。世話係の侍女や宦官からも裏で馬鹿にされる。加えて、本来なら王の子を産めば安泰だとも言われる地位も、皇子を産んだがために親子ともども命を狙われる日々の前では、何の気休めにもならなかった。
毎日のように毒殺と謀に怯え、だけれどもそれを邪君に伝えることもできない。
おそらく、そのような張り詰めた生活のせいで無理が祟ったのだろう。蒼翠の母は、蒼翠が三つの時に流行病にかかると、満開の花があっさり散るかのように逝ってしまった。
「蒼翠様も? やはり……その時は悲しかったですか?」
「無論だ。母親は誰にだって特別だからな」
蒼翠の幼少時代はほんの少しではあるがドラマで描かれていたから、知っている。ともに過ごせた期間は短かったが、母に甘えたり好物を食べ合ったりして過ごした時間はかけがえのないもので、蒼翠はずっと尊んでいた。
もしも母が生きていたら、蒼翠はそれだけでドラマのような悪辣な人格にはならなかったかもしれない。たとえ邪君の重臣たちに粗雑に扱われても、兄皇子たちに暴力を振るわれても、あそこまで捻くれなかったかもしれない。
そう考えると蒼翠も皇族という柵に、人生を狂わされた被害者なのだろう。
もちろん、こんなのはたられば論でしかないのだが。
現実というのは、いつだって厳しい。
遠い意識の中で考えていると、不意に無風に名を呼ばれた。
「蒼翠様、私は不幸なんかじゃありません」
「なぜそんなことを?」
「確かに母上を失ったことは悲しいです。ですが独りとなり、頼る術もなく行き倒れるしかなかった私を、蒼翠様が拾って下さったから今もこうして生きながらえることができています」
「生きているから不幸ではないと? ハハハッ、本当に面白いな、お前は。最近は冗談まで覚えたのか?」
「冗談などではなく本当です。私は蒼翠様のおかげでとても充実した楽しい毎日を送っています。なので――」
「ん?」
「蒼翠様にも、ずっと笑っていて欲しいです」
蒼翠のために何かしたい。無風は強い想いを真剣な眼差しに乗せ、こちらをじっと見つめる。
優しい子だ、と思った。
「笑うか。そうだな……」
笑顔を望んでくれる無風のために、笑ってやりたい。
未だ耳の奥には絶望が残ったままではあるが、少しずつ自分にできること――死にゆく者を助けることはできないが、せめて安らかに休めるよう小さな塚を作って遺品で弔らってやろう――をして気持ちを昇華していこう。
無風を見ていると、そう思えた。
「よし、では今夜は俺が笑えるよう、お前に協力でもして貰おうか」
「っ! はい! 私にできることでしたら!」
「何、そんなに難しくはない。今夜は冷えるからお前が隣に寝て私を温めてくれ」
「え? 私が、蒼翠様とですかっ?」
「なんだ、俺と一緒に寝るのは嫌か? お前がここに来たばかりの頃、夜一人で眠れなくて泣いてた時に、俺の寝床に入れてやっただろう?」
今さら恥ずかしがることでもないはずだ。
「い、いえ! 嫌だなんて少しも思っていません!」
突拍子もない命令に驚き、眼をこれでもかというほど見開いた無風だったが、すぐに首をブンブンと横に振った。その必死そうな様子が可愛くて、思わず吹き出してしまう。
「だったらほら、早く入れ」
「で、では失礼します」
二人で寝台に入り、並んで横になる。それから一時の間は仙人との修行の話などをして過ごしたが、小半時もしないうちに無風は微睡み、寝息をたて始めた。
さきほどは目が冴えてしまったなんて言っていたが、もしかしたら本当は眠らずに待っていてくれたのかもしれない。
――本当に、優しい子だな。
微笑みながら寝顔を見つめていると、どうやら子どもの柔らかな体温が睡魔を連れて来てくれたようで、蒼翠もまた微睡み、瞼を下ろした。
――今夜は無風のおかげで眠れそうだ。
明日は配下が朝の挨拶に来る前に無風を自室に返さねば、驚かれてしまう。そうならないよう早く起きようと固く心に誓い、蒼翠はゆっくりと夢の世界へと旅立つのだった。
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