上 下
6 / 81

5話:小さな無風との初対面

しおりを挟む
 そういえば、どうして日本人である自分が普通に中国語を話せ、理解しているのだろう。確かに母親に呆れられるぐらい金龍聖君こんりゅうせいくんを見ていたし、大学では第二外国語履修で中国語を選択していたが、正直分かることといえば、
 
「你好(こんにちわー)」
「謝謝(ありがとう)」
「皇上駕到(皇帝のおでましー)」
「万歳万歳万万歳(皇帝バンザーイ)」


 あとはどう書くかは知らないが、
 
「ウォーミンバイ(わっかりましたー)」
「チャンザイ(ここにいますよ)」
「ハラハラー(はいはい。わかったわかった)」

 なんて、時代劇でよく聞く用語くらいだ。だが、ここでは日本語をそのまま喋っている感覚で会話しても通じてしまっている。どうしてなのかは正直わからないが、高校生の時に見た異世界転生もののアニメも、そこらへんは言及していないことが多かったし、なにより自分は蒼翠そうすいそのものになっている。ということはきっと、そういった言語スキルも自然と引き継いだのだろう。うん、そういうことにしておく。
 
 
 あまり細かいことを深く考えすぎると頭がパンクしそうになるので、言語問題を半ば強引に解決した。
 ということで次の問題だ。
 蒼翠そうすいは、言語問題で現実逃避させていた視線を、ゆっくり寝台の上へと移した。
 

 日に焼けていない白く柔らかそうな頬に、形のいい唇。長い睫は瞼を閉じているせいもあって一段と長く見える。幼児特有のサラサラな黒髪はまだ伸ばしている途中なのか肩の辺りまでしかないが、綺麗な天使の輪がくっきりと浮かんでいた。
 
 
 眠っているのにテレビに出てくる子役のように可愛い。けれど目の前の幼子には殴られたせいでできた痣が全身に点在していて、見ているだけで痛々しかった。栄養も足りていないようで、粗末な綿布の服から覗く腕や足はほとんど骨の形をしている


「確か育ての母だった侍女が死んでから、満足に食事も取れなかったんだっけ……」


 一般的な六歳児と比べてはるかに小さい無風むふうを見つめ、ドラマでの彼の苦労を思い出す。
 無風は白龍族はくりゅうぞくが治める聖界せいかいの王・聖君せいくんとその皇后の間に生まれた皇子だった。しかし双子の弟であったがため「一族に害をなす凶星となる」という、昔の古くさいしきたりにより、誕生後すぐに名誉の死を賜うことが決まってしまった。が、無風を命がけで産んだ皇后はその決定を拒み、大切な息子を守るため信頼の置ける侍女とともに辺境の村へと逃がした。

 そうして死を免れた無風は、皇后の侍女を育ての母として平穏無事に生きていくはずだったが、六歳の誕生日直後に侍女が流行病で死亡。天涯孤独となったところを蒼翠にさらわれ、青年になるまで長きにわたり酷い虐待を受け続けることとなった。


「せめて、もうあと少し早い時期に転生させてくれたらよかったのに」


 目覚めたのがもっと前であればなんとか無風と出会わない人生計画を組むことだってできたのに、こんな最悪な状態からのスタートだなんて。どう考えたってバリバリのハードモードだ。
 蒼翠の寝台の上で眠る無風を見て、長い溜息が勝手に零れる。

「詰んだかなぁ……俺の人生……」

 栄養が足りないにしてはまだ柔らかさが残る無風の頬を、指先で突いてみる。
 
「しっかし可愛いなぁ……」

 見つめれば見つめるほど、顔がにやけてしまう。ドラマの蒼翠はこんな愛らしい存在に過酷な労働を強いたり、逃げ回る姿が面白いからと獰猛な犬に襲わせたりしていたが、心は痛まなかったのか。
  
 いや、痛まないか。アイツは相当のクズだった。
 
 あのクズ、もとい本物の蒼翠は容姿こそ傾城けいせい美妃びきと称された母親譲りの美麗であったが、あまりにも残虐非道すぎてドラマのファンから「あんなクソキャラにイケメン俳優を起用するなんて無駄遣いでしかない!」と異例のブーイングが起こったほど。そんなキャラが自責の念なんて覚えるはずがない。

 
「この子があの無風かぁ」


 テレビ画面越しに何十時間も見ていた、憧れのキャラが目の前にいる。なんだか自分の危機的状況も忘れて感動を覚えてしまった。

 
「こんな可愛い子が将来、芸術品みたいなイケメンになるんだよなぁ」


 ドラマに出てくる女性キャラだけでなく、当然視聴者もイチコロの。
 しみじみ感じ入りながら頬を突き続けていると、不意に無風が「ううん……」と微かな唸りを零しながら身動いだ。
 もしかして起きるのか、それともただの寝言か。緊張に息を止めながら見定めていると長い睫がふるふると揺れたのち、双眸がゆっくりと開いた。
 
 瞼の裏から現れたのは、この世の白をすべて吸い込むかのような美しい黒の瞳。

「そうか、今はこっちの色だったな……」 

 白龍族の皇族は本来、透き通るような金の瞳を持って生まれる。当然無風も生まれた時は金色だった。だが無風の母である聖界皇后が無風を逃す際、「この目の色では、すぐに身分が悟られてしまう」と術をかけて髪と同じ濡羽色ぬれはいろに変えたのだ。だからドラマの蒼翠も、無風を攫った時には正体に気づかなかった。


「お……起きたか?」


 蒼翠は、目覚めた無風の顔をゆっくり覗きこんだ。すると無風は瞼をパチパチと数度瞬かせながら、まだ虚ろさの残る目をこちらに向けた。
 そうして二人の視線が重なった、その瞬間。

「ヒッ……」

 無風は弾かれたかのように飛び起き、寝台の端まで転がった。逃げたのでなく咄嗟に転がったのは、おそらく蒼翠の配下に殴られた傷が痛んだからだろう。激痛を堪えつつ瞬時に最適な逃走手段を選び取ったのは、子どもながらにさすがとしか言えない。と、蒼翠は内心で感心したが、脳内は大騒ぎだった。
 
 
 ――ですよねー! やっぱ怖いですよねー!


 身体を守るように蹲り、全身を震わせながら怯えた目でこちらを覗く無風の姿に、蒼翠は思い切り項垂れる。
 
 ――そりゃそうだよ。起きてすぐに蒼翠の顔があったら、俺だって飛んで逃げるわ。
 
 
 育ての母を失った途端に冷酷面の男にさらわれ、怖くて泣いたら暴力を受けた。これで「大丈夫、俺は無害だ」なんて、一体誰が信じる。
 
 ――でも、だからってこのままじゃダメなんだよな。
 
 最終回で殺されないためには、ここからの努力が重要だ。

「そんなに怖がる必要はない。傷の具合を診るだけだ」

 口調だけ蒼翠を演じつつ、そっと無風に手を伸ばす。ゆっくり、ゆっくり、生まれたばかりの子猫に触れるように慎重に指を頬に近づける。そしてもうあと数センチで指先が頬に届こうかという時、
 
「痛っ」
  
 指に鋭い痛みが走った。
 突然のことに驚いて手を引いてしまう。一体何が起こったのだと指先を見れば、そこには小さいがくっきりとした歯形がついていた。どうやら恐怖に耐えかねた無風に噛まれたらしい。
 
 蒼翠は溜息を一つ零し、どうしようかと思案する。と、時を置かずして今にも消え入りそうな謝罪が聞こえてきた。

「め……さ……。ごめ、な……さい……」
「無風……」

 
 まさかこんなにも怯えている幼子から、謝られるとは思ってもいなかった蒼翠は絶句した。
 先に傷つけたのはこちらなのに。それでも噛んでしまったことを悔やんで謝ってくれたこの子は、なんて優しい子なのだ。
 
 
「大丈夫だ、怒ってはいない。こちらも断りもなく触れようとして悪かった。傷は痛むか? 傷に効く薬を用意したから飲むといい」


 寝台横の小さな机から茶色の薬が入った碗を取り、差し出す。けれど、全身を震わせている無風は、わずかも動こうとしなかった。

 ――わぁ……めちゃくちゃ警戒してる。


 無風の気持ちは痛いほど分かるが、そうであっても今は怪我をどうにかしなければいけない。考えた蒼翠はよし、と心の中だけで意気込むと、持っていた碗を自らの口に運んだ。
 そして一口含んで尻込みせず嚥下する。
 
 
「うげっ、にっが!」


 そこらへんに生えている青草をそのまま潰したような苦みの強い味に、思わず本音が出てしまった。きっと本物の蒼翠なら苦いと思っても自尊心から無表情で飲み干すだろうが、やくとうルビ初心者には無理だった。

 顔をひどく顰めながら、げほ、げほ、と盛大に咳き込む。あまりの苦さに涙まで出てきたがそれでも最優先は無風だと、震える碗を無風に向けた。
 
 
「大……丈夫だ。少々苦、いが、害はない……」


 それから、しばしの沈黙が二人の間に降りた。

 無風は怯えた表情のまま、目の前の碗と蒼翠の顔を交互に見ている。きっとどうしようか、どうしたらいいのかを必死に考えているのだ。

 あとは無風の決断次第であるため、蒼翠はこうして碗を差し出し続けるしかできない。そのままの姿勢で待ち続けていると、ふと無風の視線が蒼翠と向き合った形で止まった。

「ん? どうした?」

 先ほどより怯えの色が薄まったような気がして、蒼翠は頬を緩ませる。と、ゆらゆらと不安に揺れていた瞳が驚いたように見開かれた。

「あ……の……」
「ん?」
「えっ……と……」
「ゆっくりでいい」
「…………はい」

 蒼翠の手の中から碗が消えたのは、そのあとすぐだった。





しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺(紗子)
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

この道を歩む~転生先で真剣に生きていたら、第二王子に真剣に愛された~

乃ぞみ
BL
※ムーンライトの方で500ブクマしたお礼で書いた物をこちらでも追加いたします。(全6話)BL要素少なめですが、よければよろしくお願いします。 【腹黒い他国の第二王子×負けず嫌いの転生者】 エドマンドは13歳の誕生日に日本人だったことを静かに思い出した。 転生先は【エドマンド・フィッツパトリック】で、二年後に死亡フラグが立っていた。 エドマンドに不満を持った隣国の第二王子である【ブライトル・ モルダー・ヴァルマ】と険悪な関係になるものの、いつの間にか友人や悪友のような関係に落ち着く二人。 死亡フラグを折ることで国が負けるのが怖いエドマンドと、必死に生かそうとするブライトル。 「僕は、生きなきゃ、いけないのか……?」 「当たり前だ。俺を残して逝く気だったのか? 恨むぞ」 全体的に結構シリアスですが、明確な死亡表現や主要キャラの退場は予定しておりません。 闘ったり、負傷したり、国同士の戦争描写があったります。 本編ド健全です。すみません。 ※ 恋愛までが長いです。バトル小説にBLを添えて。 ※ 攻めがまともに出てくるのは五話からです。 ※ タイトル変更しております。旧【転生先がバトル漫画の死亡フラグが立っているライバルキャラだった件 ~本筋大幅改変なしでフラグを折りたいけど、何であんたがそこにいる~】 ※ ムーンライトノベルズにも投稿しております。

異世界転生先でアホのふりしてたら執着された俺の話

深山恐竜
BL
俺はよくあるBL魔法学園ゲームの世界に異世界転生したらしい。よりにもよって、役どころは作中最悪の悪役令息だ。何重にも張られた没落エンドフラグをへし折る日々……なんてまっぴらごめんなので、前世のスキル(引きこもり)を最大限活用して平和を勝ち取る! ……はずだったのだが、どういうわけか俺の従者が「坊ちゃんの足すべすべ~」なんて言い出して!?

処理中です...