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2話:ようこそ、中国ドラマの世界へ!
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高い場所に建てられた建物の窓から外を眺めると、視線の先には見渡す限りの森林が広がっていた。
所狭しと並ぶ木々はすべて白樺。枝に纏う葉は通常の緑ではなく鮮やかな牡丹色や菫色、露草色に染まっていて、そこに在るだけで幻想的な美しさを醸し出している。
もしこの景色にうららかな陽の光が射せば、どれほど映えることだろうか。
これまで何度かそう考えたことはある。
しかし残念なことにこの国は霧が濃く、空も万年厚い雲に覆われてしまっているせいで、望んだ光景を一度も目にしたことがない。
全体的にくすんだ世界。それゆえ鼻に届く自然の香りも、肌に触れるひんやりとした空気にもいつだって重く感じる。
毎日が息苦しく、憂鬱で億劫。
目に映るこの景色はまるで、この国の内情そのものを表しているかのようだ。
この国ーー邪界は、陰謀が正義であり、生まれの早さだけが尊さであり、後ろ盾が命の重さを決める。
優しき者は裏切られ、力なき者は容赦なく淘汰され、逆に心の中に多くの悪を飼えば飼うほどに頂へと近づけるため、毎日が騙し騙されの繰り返しだ。
本当に、忌ま忌ましいにもほどがある。
と、そこまで思い浮かべたところで葵衣ははて、と首を傾げた。
――あれ? なんで俺そんなこと知ってるんだ?
眼前の景色が見慣れた高層ビル群や商業施設でないのは一目瞭然であるし、この場所に家族旅行で来た覚えもない。なのになぜ目に映るものすべてを自分は知っているのだろうか。
――ってか、そもそも俺、なんでこんなとこにいるんだ……。
まずここは一体どこなのか、と周囲をぐるりと見回す。
葵衣がいたのは壁も天井も床も、すべて木で作られた屋敷の中だった。木造となると日本家屋を想像するが、造りや内装が和室のそれではない。
ふと見上げると、二階分はあろうかという高い天井から鮮やかな朱色の薄布が何枚も垂れ下がっていて、風で優雅に踊っていた。
花模様が描かれた丸窓に、硝子ランプや赤珊瑚が並べられた飾り棚。隣には蓮の透かし彫り格子が美しい収納櫃が、そして部屋の奥には、これまた細部まで丁寧に彫られたオリエンタル調のベッドが置かれている。
ーーここは誰かの部屋かな。
整いすぎというぐらい整っていて映画のセットみたいだが、生活感はある。であるなら誰の部屋だろうか、と手がかりをさがすためいくつも並べられた置物を一つ一つ順に見ていく。
と、その時。
葵衣は驚くべきものを見つけてしまった。
ーーこれ、知ってる。
棚に置かれた調度品の数々の中、一番目立つ場所に飾られた翡翠の天馬。
この置物も葵衣は知っていた。無論、これの持ち主も。
――この天馬は確か『あの人』が何よりも大切にしてる、母親の形見だ。
気づくと同時に葵衣はハッと目を見開き、もう一度ぐるりと室内を見渡す。するとたちまち縺れていた系が一気に解けるように、様々な記憶が脳内に蘇った。
ーー全部知ってる。
いや、知ってるどころの話ではない。
「ここ、まさかっ……って、はぁぁぁー?」
思わず飛び出た声に続いたのは、素っ頓狂な疑問符だった。
しかしそれも無理はない。今、喉から出たのは明らかに自分の声ではなかったからだ。
しかも、この“男にしては少々高めでよく通る声”には聞き覚えがありすぎる。
なぜなら『この人』の声は、ここ数ヶ月毎日のように聞き込んでいて、最近では脳内で余裕で再生できるまでになっていたからだ。
「嘘、だろ……」
瞬間、嫌な予感とおかしな高揚感が葵衣の中で同時に芽吹いた。
前者はそうであって欲しくないと強く願う気持ち。そして後者は熱意と興奮からきた感情だ。
まさか。
いや、そんなはずはない。
でも。
葵衣は落ち着きなく視線を巡らせ、角机の上に銅板鏡を見つけると、一直線に駆け出し、勢いのまま覗きこむ。するとーー。
「あ……」
銅板鏡に映ったのは、滴るような色気を放つ美しい男だった。
気位の高い黒猫を思わせる韓紅色のアーモンドアイに、影が落ちるほどの長い睫。ぽってりと厚みのある赤い唇は熟れきった果実のようで、一瞬にして目を奪われてしまう。
腰の長さまである髪は葵衣が動くたびにサラサラと揺れ、しかも光が当たると漆黒の表面に少しだけ艶やかな朱が混ざって、それはそれは自分自身で触れたくなるほどに美しかった。
身を包む深衣――着丈の長い、袖口と裾が大きく広がっている着物を、幅広の腰帯で留めたもの――は上から下まで鴉のごとく真っ黒であったが、淡藤色の羽織の合わせから覗く襟元の朱雀の刺繍が蠱惑的で、この男の妖しい色気を一層引き立てている。
息を呑むほどの優美とは、このことをいうのだろう。
鏡の中にいる男に見惚れ、葵衣は思わずホゥっとため息を吐く。
が、感動はほんの一瞬だけのことだった。
ため息を吐き終わるとほぼ同時に現実に戻った葵衣が、驚愕と絶望を最大限にまで膨らませ、絶叫を轟かせる。
「うそだろぉぉぉぉぉぉーーーーー!」
まさか。まさか。まさか。まさか。まさか。
いつの間にか自分が、心から愛して止まない中国ドラマ・金龍聖君の世界に入り込んでしまっていたなんて。
しかもーーーーまさか自分がドラマ一極悪非道のキャラクターであり、最終回で主人公に殺される運命にある邪界の第八皇子・蒼翠になってしまっただなんて。
「い、い、い……いやだぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーー!」
なんで、どうして、の疑問を押し退けて出てきた堪えきれない絶叫が、再び霧に濁る邪界の空に響き渡る。
くすんだ色彩の木々から、大量の烏が慌てふためくように一斉に飛び立った。
そのせいで鼠色の空が異様なまでの黒に染まったが、今の葵衣にはそんな珍景にかまえるほどの余裕なんて、これっぽっちもなかった。
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所狭しと並ぶ木々はすべて白樺。枝に纏う葉は通常の緑ではなく鮮やかな牡丹色や菫色、露草色に染まっていて、そこに在るだけで幻想的な美しさを醸し出している。
もしこの景色にうららかな陽の光が射せば、どれほど映えることだろうか。
これまで何度かそう考えたことはある。
しかし残念なことにこの国は霧が濃く、空も万年厚い雲に覆われてしまっているせいで、望んだ光景を一度も目にしたことがない。
全体的にくすんだ世界。それゆえ鼻に届く自然の香りも、肌に触れるひんやりとした空気にもいつだって重く感じる。
毎日が息苦しく、憂鬱で億劫。
目に映るこの景色はまるで、この国の内情そのものを表しているかのようだ。
この国ーー邪界は、陰謀が正義であり、生まれの早さだけが尊さであり、後ろ盾が命の重さを決める。
優しき者は裏切られ、力なき者は容赦なく淘汰され、逆に心の中に多くの悪を飼えば飼うほどに頂へと近づけるため、毎日が騙し騙されの繰り返しだ。
本当に、忌ま忌ましいにもほどがある。
と、そこまで思い浮かべたところで葵衣ははて、と首を傾げた。
――あれ? なんで俺そんなこと知ってるんだ?
眼前の景色が見慣れた高層ビル群や商業施設でないのは一目瞭然であるし、この場所に家族旅行で来た覚えもない。なのになぜ目に映るものすべてを自分は知っているのだろうか。
――ってか、そもそも俺、なんでこんなとこにいるんだ……。
まずここは一体どこなのか、と周囲をぐるりと見回す。
葵衣がいたのは壁も天井も床も、すべて木で作られた屋敷の中だった。木造となると日本家屋を想像するが、造りや内装が和室のそれではない。
ふと見上げると、二階分はあろうかという高い天井から鮮やかな朱色の薄布が何枚も垂れ下がっていて、風で優雅に踊っていた。
花模様が描かれた丸窓に、硝子ランプや赤珊瑚が並べられた飾り棚。隣には蓮の透かし彫り格子が美しい収納櫃が、そして部屋の奥には、これまた細部まで丁寧に彫られたオリエンタル調のベッドが置かれている。
ーーここは誰かの部屋かな。
整いすぎというぐらい整っていて映画のセットみたいだが、生活感はある。であるなら誰の部屋だろうか、と手がかりをさがすためいくつも並べられた置物を一つ一つ順に見ていく。
と、その時。
葵衣は驚くべきものを見つけてしまった。
ーーこれ、知ってる。
棚に置かれた調度品の数々の中、一番目立つ場所に飾られた翡翠の天馬。
この置物も葵衣は知っていた。無論、これの持ち主も。
――この天馬は確か『あの人』が何よりも大切にしてる、母親の形見だ。
気づくと同時に葵衣はハッと目を見開き、もう一度ぐるりと室内を見渡す。するとたちまち縺れていた系が一気に解けるように、様々な記憶が脳内に蘇った。
ーー全部知ってる。
いや、知ってるどころの話ではない。
「ここ、まさかっ……って、はぁぁぁー?」
思わず飛び出た声に続いたのは、素っ頓狂な疑問符だった。
しかしそれも無理はない。今、喉から出たのは明らかに自分の声ではなかったからだ。
しかも、この“男にしては少々高めでよく通る声”には聞き覚えがありすぎる。
なぜなら『この人』の声は、ここ数ヶ月毎日のように聞き込んでいて、最近では脳内で余裕で再生できるまでになっていたからだ。
「嘘、だろ……」
瞬間、嫌な予感とおかしな高揚感が葵衣の中で同時に芽吹いた。
前者はそうであって欲しくないと強く願う気持ち。そして後者は熱意と興奮からきた感情だ。
まさか。
いや、そんなはずはない。
でも。
葵衣は落ち着きなく視線を巡らせ、角机の上に銅板鏡を見つけると、一直線に駆け出し、勢いのまま覗きこむ。するとーー。
「あ……」
銅板鏡に映ったのは、滴るような色気を放つ美しい男だった。
気位の高い黒猫を思わせる韓紅色のアーモンドアイに、影が落ちるほどの長い睫。ぽってりと厚みのある赤い唇は熟れきった果実のようで、一瞬にして目を奪われてしまう。
腰の長さまである髪は葵衣が動くたびにサラサラと揺れ、しかも光が当たると漆黒の表面に少しだけ艶やかな朱が混ざって、それはそれは自分自身で触れたくなるほどに美しかった。
身を包む深衣――着丈の長い、袖口と裾が大きく広がっている着物を、幅広の腰帯で留めたもの――は上から下まで鴉のごとく真っ黒であったが、淡藤色の羽織の合わせから覗く襟元の朱雀の刺繍が蠱惑的で、この男の妖しい色気を一層引き立てている。
息を呑むほどの優美とは、このことをいうのだろう。
鏡の中にいる男に見惚れ、葵衣は思わずホゥっとため息を吐く。
が、感動はほんの一瞬だけのことだった。
ため息を吐き終わるとほぼ同時に現実に戻った葵衣が、驚愕と絶望を最大限にまで膨らませ、絶叫を轟かせる。
「うそだろぉぉぉぉぉぉーーーーー!」
まさか。まさか。まさか。まさか。まさか。
いつの間にか自分が、心から愛して止まない中国ドラマ・金龍聖君の世界に入り込んでしまっていたなんて。
しかもーーーーまさか自分がドラマ一極悪非道のキャラクターであり、最終回で主人公に殺される運命にある邪界の第八皇子・蒼翠になってしまっただなんて。
「い、い、い……いやだぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーー!」
なんで、どうして、の疑問を押し退けて出てきた堪えきれない絶叫が、再び霧に濁る邪界の空に響き渡る。
くすんだ色彩の木々から、大量の烏が慌てふためくように一斉に飛び立った。
そのせいで鼠色の空が異様なまでの黒に染まったが、今の葵衣にはそんな珍景にかまえるほどの余裕なんて、これっぽっちもなかった。
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