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成長

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 午後になって瑞紀の容態は回復の兆しを見せた。とはいってもまだ予断は許せない状況に代わりはない。
 しかしその頃にはやっと両親も駆けつけ、状態の説明をすることができた。二人は不安そうな顏をしていたが、和臣が夜通しで付き添っていたこと、そしてこれからもこまめに見に来ることを告げると、少しだけ安心した様子で頭を下げた。

 病室を出た和臣はそのまま勤務へと入り、瑞紀の容態を伝えるために西条を探す。
 
「西条を見なかったか?」

 だが今日は病棟勤務だと言っていたのにどこを探しても見つからず、仕方なく和臣はナースステーションにいた看護師に西条の居場所を聞いた。すると看護師の顔がたちまち曇りーーーー。
 
「あの、西条先生は今ちょっと……」
「何かあったのか?」
「脳腫瘍で治療中の星也君の検査結果が出て……」

 患者の名前を言われ、西条が担当する子の顏を思い出す。確か前のカンファレンスで、次の検査結果によって今後の方針を決めることになっていたはずだ。
 
「結果は?」 

 歯切れ悪く言葉尻を萎めてしまった看護師を見て、嫌な予感がした和臣は簡潔に問う。と、表情で答えを告げるように看護師は眉を垂らした。

「……今朝のカンファレンスで、今後は緩和ケアをメインにしていこうという話になりました」
「っ……そうか……」

 緩和ケアとは、痛みや苦しみを和らげることを目的に行われる医療行為。つまり病気の根治治療を続けても希望のある結果が期待できない患者に行われるものだ。
 その決定がなされたということは、即ちそういうことなのだろう。

「西条は面談室か?」
「御家族と話し合ってます」

 頷く看護師を見て、和臣は唇の裏側を噛む。
 きっと今、西条が患者の家族に伝えているのは、無情な余命宣告だ。あと数年、いや、数ヶ月しかもたない可能性が高いため、これからは子どもが楽しく過ごせるようにサポートしていく。絶望に声を上げて泣く家族の様子を見ながら、残酷な言葉を形にしていることだろう。

「そう、か……」
 
 想像するだけで喉が詰まりそうな苦しさが起こる。和臣もこれまで幾度と経験してきたが、この瞬間ばかりはいつも医師を辞したいと考えるぐらいだ。

 西条は懸命に平静を努めながら深い悲しみと戦っているはず。こういう時、感情を表に出すことが許されない医師は、助けられない悔しさも不甲斐なさもすべて飲み込みながら堪え忍ぶしかない。

 ――辛いだろうな。

 患者の家族はもとより、西条を気持ちを考えて胸が締めつけられた和臣は、すぐに勤務予定を確認した。
 今日は夜勤のため、西条を支えてやることができない。しかし明日になれば二人とも日勤だから、夜には時間を合わせることができる。

 ――明日までもつだろうか。

 不安を抱きながら和臣はナースステーションから出て面談室へと向かう。すると、部屋の入口にはちょうど話を終えて出てきたであろう西条の姿が見えた。
 
「西条っ」
「あ、先生……」

 小走りで傍に近寄ると、案の定優しすぎる男の目は真っ赤に染まっていた。しかし涙を零した跡は見えない。
 多分、必死に涙を堪えたのだろう。一目で分かる姿に、和臣は目を細めながら静かに声をかけた。

「話聞いた。……大丈夫か?」
「……っ、はい。ちゃんと伝えました」
「ああ……お疲れさま」

 腕をそっと撫でてやると、身体の横で握られた西条の拳が小刻みに震え始めた。
 それでも必死に嗚咽を零さずにいるのは、西条の仕事がこれでおしまいではないからだ。
 医師は患者が最期を迎えるそのその日まで、家族とともに見守らなければならない責務がある。
 その辛い試練を乗り切るためにも、西条は自分が支えなければ。


「大丈夫か?」
「……はい」
「無理するな。今夜は夜勤だから難しいけど、明日の夜ならーーーー」
「あのっ……」
「ん?」

 見上げた先の顔が、不器用な微笑みを作った。

「今回は……いいです」
「え?」

 唐突に突きつけられた言葉に、和臣の時間が一瞬止まる。
 今、西条は何と言った。
 
「俺、今回は一人で何とかしますから」
「西……条……?」

 微塵も予想していなかった返答が、和臣の声を封じる。西条を見つめる視界が揺れたのは、気のせいか。

「ずっと考えてたんです……いつまでも先生に寄りかかってちゃダメだって。一人前の医者になるには、もっと強くならなきゃって。だから…………これからは、どれだけ辛くても一人で乗り切ります」

 西条の言葉が一つ一つ耳を通って脳に辿り着く度、胸に一本ずつ針が刺さっていく痛みが起こった。
 ツキン、ツキン、ズキン、ズキンと痛みがどんどん増し、穴の空いた場所から血が噴き出していくかのように全身が冷え始める。
 
 これからは一人で。
 その言葉だけが延々と頭の中で回る。
 ゆるり、ゆるりと視界に寒色が降りてくるのが分かった。
 いつの間にか音すらなくなった世界で立ち尽くしていると、ふと耳の奥で回っていた言葉が別の形に変わる。
 
 
 もう、お前は必要ない。
 
 ――嘘だ、そんな。
 
  
「けど、お前……まだ……」
「正直一人で乗り切れるかどうか自信はありません。でも、いつかは必ず通らなければいけない道なので」

 頑張ってみます、と西条は和臣の横をすり抜け歩き出してしまう。

「まっ……」

 嫌だ、まだ終わらせたくない。早く引き止めろ。絆せ、狡猾な言葉で繋ぎ止めるんだ。今ならまだ間に合うかもしれないから。

 和臣はすぐさま西条を引き留めようと、足を一歩踏み出した。しかし、西条のまっすぐと伸びた背中が目に入った瞬間、すべての言葉は泡となって消えた。
 ――――ダメだ、届かない。
 
 距離的にはそれほど離れていないのに、驚くほど西条が遠くに感じてしまって、和臣はそれ以上近づくことができなかった。
 おそらく今、西条に何を言っても無駄だ。確かな直感を覚えた和臣は伸ばそうとした腕の力を抜き、その場に佇んだ。






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