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16.桃葉だっていろいろあるの
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今年のクリスマスは、充実していたと、桃葉は思う。楓が二十四日になった瞬間に投稿した動画「サンタになってポプリくんをこき使う」をくり返し見て長文の感想コメントを送信したり、楓が二十四日の夜七時からはじめた配信「クリスマス耐久☆格ゲー大会」を翌朝九時まで視聴したりして、楽しく過ごすことができた。ただ、そのあと仮眠を取ろうと思ったのが間違いで、起きたら二十五日の夜十時、クリスマスはすっかり終わりに近付いていた。
ソファの上で目を覚ましたとき、桃葉の頭の中には、去年のクリスマスの映像が鮮明に浮かんでいた。夢でも見ていたのかもしれない。雪子と二人で見に行った、港のイルミネーション。
「もし来年のクリスマス、わたしか雪子に彼氏ができてたらさ、その人も連れて、またいっしょに来ようよ」
桃葉が思わずそんなことを言うくらい、東京のイルミネーションは綺麗だった。まわりはカップルだらけのなか、雪子は笑って、
「じゃあ四人で来られるといいね」
そう言った。
残り二時間になったクリスマスを、桃葉はそんなことを思い出しながら、ぼんやりと過ごした。
クリスマスが過ぎると、母からの電話が多くなった。いつ帰ってくるの、という母の声――叱るようなそれではなく、心から楽しみにしているそれが、桃葉には重く感じられた――を何度も聞かされ、年の瀬も迫った十二月三十日、桃葉はしかたなく、実家の門をくぐった。
「そういえば、サークルの発表って、どうだったの?」
リビングのこたつに入り、落ち着かない気持ちでテレビを眺めていると、熱いお茶と茶菓子をしずしずと出しながら、母が尋ねた。
「うん、成功したよ」
こたつの天板の傷を爪でなぞりながら、桃葉は答える。確かこの傷、カッターを使っていてうっかりつけてしまったんだっけ、などと考えながら。
一人っ子の桃葉は、かつて母と、姉妹のように仲がよかった。好きな人のことも、今夢中になっているもののことも、何でも話してきた。こんなふうに、母の目も見ず、話をすることなどなかった。
「桃葉のおどってるところ、見たいな。何かで見られないの?」
桃葉は机の傷をくり返しなぞりながら、
「本番だけの発表なんだから、見られるわけないじゃん」
と、ほとんど独り言のように答えた。母の目がどんなに哀しく染まっていたか、知ることもなかった。
夕食は、桃葉の好きなハンバーグだった。付け合わせの甘いにんじんもあった。だけど桃葉は食べ終わると、すぐに二回の自分の部屋にあがってしまった。何もわかっていない、わたしの今の好物は、焼き鳥なのにと、そう思いながら。だって、楓くんの好きな食べ物は焼き鳥だって、このあいだの配信で言ってた。
年を越して、一月一日の昼頃――正確には午前十一時五十八分――には、桃葉はそれほど多くない荷物を持ち、東京行きの新幹線に乗りこんでいた。自由席に腰かけ、抑えきれない苛立ちを、右足のかかとにぶつけながら。
「お父さん、桃葉が帰ってくるの、ほんとうに楽しみにしていたのよ。きっと寂しかっただけだと思うの」
だから、もう少し家にいてよ。母がそう続けたいのはわかっていたが、桃葉は母の運転する車の助手席で、窓の外を見たまま、通り過ぎる木々を睨み続けていた。元日の朝から父に怒鳴られたせいで、桃葉の機嫌は、最低に悪い。
十時頃までは、深夜三時に始まった配信「初日の出を見に行くドライブ」で、楓の運転する姿を初めて目にすることができ、最高に幸せな一年になることを確信していた。
結局、海に着く前に朝日が昇ってしまい、初日の出を見るということは叶わなかった。しかし楓は、かわりに横浜中華街に行って肉まんを食べると言いだし、しばらく高速道路を走らせた。運転に疲れた楓が、
「次のサービスエリアでソフトクリーム買ってくる」
と言ったちょうどそのとき、大きな音を立てて桃葉の部屋の扉が開かれ、あろうことか娘の部屋に、父がずかずかと入ってきた。
「え、なに、どうしたの」
父は唇を震わせて、怒りを全身で表す小学生みたいに重心を低くして、何か怒鳴った。なにか、というのは、声はひっくり返るわ早口で話すわで、何を言っているのかわからなかったからだ。
ともかく、何かをして父に怒られた経験こそあるが、何もした覚えがないのに怒られるのは初めてだったので、桃葉は口をぽかんと開け、父の次の言葉を待つしかなかった。しかしいつまで待っても父は次の言葉を発さない。困っていると、どたどたと階段をあがる足音が聞こえ、
「何やってるの、いいでしょうもう、桃葉だっていろいろあるのよ」
と、母が部屋に飛び込んできた。
母が言うには、せっかく帰省した娘が部屋にこもっていたことが、父にとって気にくわなかったのだという。正月独特の澄み切った空気を、新幹線の窓越しに眺めながら、桃葉は再びどんと足を踏みならす。少ない乗客がみな、桃葉を一瞥する。
実家にいたって、いいことなどない。落ち着くどころか、自由に楓の配信を見ることすらできない。
ソファの上で目を覚ましたとき、桃葉の頭の中には、去年のクリスマスの映像が鮮明に浮かんでいた。夢でも見ていたのかもしれない。雪子と二人で見に行った、港のイルミネーション。
「もし来年のクリスマス、わたしか雪子に彼氏ができてたらさ、その人も連れて、またいっしょに来ようよ」
桃葉が思わずそんなことを言うくらい、東京のイルミネーションは綺麗だった。まわりはカップルだらけのなか、雪子は笑って、
「じゃあ四人で来られるといいね」
そう言った。
残り二時間になったクリスマスを、桃葉はそんなことを思い出しながら、ぼんやりと過ごした。
クリスマスが過ぎると、母からの電話が多くなった。いつ帰ってくるの、という母の声――叱るようなそれではなく、心から楽しみにしているそれが、桃葉には重く感じられた――を何度も聞かされ、年の瀬も迫った十二月三十日、桃葉はしかたなく、実家の門をくぐった。
「そういえば、サークルの発表って、どうだったの?」
リビングのこたつに入り、落ち着かない気持ちでテレビを眺めていると、熱いお茶と茶菓子をしずしずと出しながら、母が尋ねた。
「うん、成功したよ」
こたつの天板の傷を爪でなぞりながら、桃葉は答える。確かこの傷、カッターを使っていてうっかりつけてしまったんだっけ、などと考えながら。
一人っ子の桃葉は、かつて母と、姉妹のように仲がよかった。好きな人のことも、今夢中になっているもののことも、何でも話してきた。こんなふうに、母の目も見ず、話をすることなどなかった。
「桃葉のおどってるところ、見たいな。何かで見られないの?」
桃葉は机の傷をくり返しなぞりながら、
「本番だけの発表なんだから、見られるわけないじゃん」
と、ほとんど独り言のように答えた。母の目がどんなに哀しく染まっていたか、知ることもなかった。
夕食は、桃葉の好きなハンバーグだった。付け合わせの甘いにんじんもあった。だけど桃葉は食べ終わると、すぐに二回の自分の部屋にあがってしまった。何もわかっていない、わたしの今の好物は、焼き鳥なのにと、そう思いながら。だって、楓くんの好きな食べ物は焼き鳥だって、このあいだの配信で言ってた。
年を越して、一月一日の昼頃――正確には午前十一時五十八分――には、桃葉はそれほど多くない荷物を持ち、東京行きの新幹線に乗りこんでいた。自由席に腰かけ、抑えきれない苛立ちを、右足のかかとにぶつけながら。
「お父さん、桃葉が帰ってくるの、ほんとうに楽しみにしていたのよ。きっと寂しかっただけだと思うの」
だから、もう少し家にいてよ。母がそう続けたいのはわかっていたが、桃葉は母の運転する車の助手席で、窓の外を見たまま、通り過ぎる木々を睨み続けていた。元日の朝から父に怒鳴られたせいで、桃葉の機嫌は、最低に悪い。
十時頃までは、深夜三時に始まった配信「初日の出を見に行くドライブ」で、楓の運転する姿を初めて目にすることができ、最高に幸せな一年になることを確信していた。
結局、海に着く前に朝日が昇ってしまい、初日の出を見るということは叶わなかった。しかし楓は、かわりに横浜中華街に行って肉まんを食べると言いだし、しばらく高速道路を走らせた。運転に疲れた楓が、
「次のサービスエリアでソフトクリーム買ってくる」
と言ったちょうどそのとき、大きな音を立てて桃葉の部屋の扉が開かれ、あろうことか娘の部屋に、父がずかずかと入ってきた。
「え、なに、どうしたの」
父は唇を震わせて、怒りを全身で表す小学生みたいに重心を低くして、何か怒鳴った。なにか、というのは、声はひっくり返るわ早口で話すわで、何を言っているのかわからなかったからだ。
ともかく、何かをして父に怒られた経験こそあるが、何もした覚えがないのに怒られるのは初めてだったので、桃葉は口をぽかんと開け、父の次の言葉を待つしかなかった。しかしいつまで待っても父は次の言葉を発さない。困っていると、どたどたと階段をあがる足音が聞こえ、
「何やってるの、いいでしょうもう、桃葉だっていろいろあるのよ」
と、母が部屋に飛び込んできた。
母が言うには、せっかく帰省した娘が部屋にこもっていたことが、父にとって気にくわなかったのだという。正月独特の澄み切った空気を、新幹線の窓越しに眺めながら、桃葉は再びどんと足を踏みならす。少ない乗客がみな、桃葉を一瞥する。
実家にいたって、いいことなどない。落ち着くどころか、自由に楓の配信を見ることすらできない。
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