ゆううつな海のはなし

七草すずめ

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午後七時の独白

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 海よ。どうしてあなたは、わたしの心をこんなにも揺さぶるのですか。

 足下をすくわれる、という言葉があります。手元に辞書がないのでわかりませんが、たしかあまりよくない意味だったと記憶しています。悪意のもとに、失敗を導くというような。だれもが日々、足下をすくわれないように生活している。気を抜いたら、だまされてしまいます。そんな灰色の日常。
 だけどあなたになら、足下をすくわれても、気持ちがよい気すらするのです。そう、ちょうどこんな湿度の夕べ、七時のくせにずいぶんと明るい空におどろいた瞬間、おしよせた波で足下の砂がさらわれて、尻もちをつく。それならわたしも笑えると思うのです、ついでに転んで見上げた空がきれいだったりして、海鳥が視界をよこぎったりして。

 ねえ、だからそんなあなたには、ピアノが似合う。豪奢な楽器で奏でるオーケストラでも、情緒あふれるサウンドを放つバンドでもない、海辺のたった一台のピアノが、この世のなにより美しい。だれの目にも届かないところでぴちゃりと跳ねたトビウオが、地球上のすべての音楽をかき集めたよりもずっと素晴らしい音楽をうみだすのと同じように。
 それがグランドピアノなら、満月のように非の打ち所がないでしょう。だけど、いつか狭い友達の家で見たアップライトピアノでも、それは三日月のように魅力的なのです。あなたには思い出すら似合う。たとえそれが、苦さをはらんでいたとしても。

 どうして人は水に惹かれるのか。そんなことを考えてみたことがあります。たとえば電車に乗っていて川が現れると、たとえば湖のほとりに立つと、心がうずうずして体を乗り出してしまう。はるか昔から、文明は大河の近くでうまれてきました。くらしに水は必要なものです、飲み水にも運送にも、それから作物にだって。だから今でも、町なかの水を見ると気持ちがたかぶるのでしょう。だけどおかしな話です。しょっぱい海は飲むこともできず、作物だって育つはずがない。なのにどうして人は、あなたに惹かれるのでしょうか。
 わたしは思うのです。人間の体はほとんどが水なのですから、海を見て、自分の体の一部を見つけたような気持ちになるのではないかと。いや、もしくは、自分が海の一部であることを思い出すのかもしれません。

 母なる海、という言い回しがあります。さかなも、ひとも、すべてのいきものも、みんな海の子なのでしょう。そう、はるか昔、生命はみな海から誕生したのです。いのちのたまごは大きな海だったのです。
 ああ、つまりはそういうこと。海に抱かれて命を終えるのは、母親の子宮に帰ることと同じなのかもしれません。誰もが還りたいと願う場所、外敵も死の心配もない安寧の地。そこに思いを馳せることは当然のこと、決して悪ではないでしょう。太宰は玉川上水で死にましたが、葉蔵の心中未遂は鎌倉の海でした。暗い海に向かう様は、苦しいはずの死もどこかうつくしく見せたものです。太宰は本当に、満足ゆく最期をむかえられたのでしょうか。

 話が長くなりすぎたかもしれませんね。こうしてあなたに語りかけているのは気持ちの整理のためかもしれないし、時間稼ぎなのかもしれない。ただ、どんなに語りかけても何も答えない潮の匂いを前にして、わたしの気持ちは穏やかに荒れ狂っている。
 そう、こわいのです。心はこんなにも海を受け入れているのに、今すぐ溶けてあなたとひとつになりたいのに、脳が激しく拒絶する。たすけて、と脳がわたしの体に懇願するのを感じる。それを、心は一歩引いたところで見ているのです。
 わたしの体は哀れんで、震える足を一歩、一歩とうしろにさげました。へたりこんだわたしのふくらはぎにまとわりつく、じんわりと湿った砂。どこも怪我していないのに、心がたったひとりで海に囚われたまま、なににも触れないまま、体中のどこよりも痛む。なのにあなたは何食わぬ顔で、白い波を立て続けるのですね。母なる海は、わたしを受け入れることも拒絶することもなく、ただそこに、悠々と横たわり続けるのです。

 そこに還るという願いは、ついに叶いませんでした。海を背にして歩き出した瞬間、吹き抜けた突風。涙が止まりませんでした。わたしを見送った風のメロディは、耳の奥にこびりついたまま、今も離れない。
 ああ、それはきっと賛美歌であったと思うのですが、あなたはどう思いますか?
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