8 / 26
光彩は今もうつくしく
しおりを挟む
ねえ、きこえる?
だれかがぼくを呼ぶ声がする。目を覚まさなきゃ、と思うけれど、きもちがよくて起きられない。
「そこにいるの?」
目を閉じたまま手を伸ばし、声にたずねる。何にもふれない指。怖くなって、再び手を引きよせる。
「うん、いるよ」
「ね、ここ、どこなんだろう。目を開いてるのに、ひらいてないみたいなんだ」
「こわいよね、でもだいじょうぶだよ、今は見えていないだけで、ほんとはとてもきれいなところにいるから」
「きれいなところ?」
ぼくの記憶に刻まれたきれいなところが、ふっと浮かんでくる。路地裏をゆくと突然海が目の前に広がったあのまち。たくさんの人が眠る、光の粒をちりばめた夜。森の奥でよりそい眠るカブトムシ。一本だけはやく咲いてしまった桜。
「ぼく、きれいなところはすきだ」
「だったらきっと、ここも好きになる」
「ならはやく目を開けたいよ」
「そうだね」
そういえば体を動かしてもベッドはきしまないし、だるさも眠さも何も感じない。
「本当はすぐにでも見せてあげたいんだけど、心の準備が必要だと思うんだ」
「心の準備?」
「そう。プールに入る前に、準備運動をする、あんなかんじで」
「ああ、それは確かに必要だね」
「まずはじめに聞くよ。きみは人がすき?」
「そりゃあ、まあ、すきだよ」
「たいせつなひとはいる?」
「うん、もちろん。離れるなんて考えられない、大事な人がいる」
「それって、どんな人?」
「ぼくの知る限り一番すてきな人。チョコレートと杏仁豆腐が似合うかわいい人だよ」
「どんなところがすてきなの?」
「ぼくが眠れないと、鈴のような声でうたってくれるんだ」
「ねえ、それ、本当に人かなあ」
「え?」
ぱっと体を起こした、つもりだったのに、ぼくの体はそのままくるりと一回転してしまう。浮力がない水の中みたいな、夢の中みたいな。
「その人は、どんな花が好き?」
「かすみ草。淡くて白い色がいとおしいって言っていたよ」
「どんなことをするのが好き?」
「休みの日に、昼まで眠るのが好きなんだって」
ふわふわと浮かんでいるみたいなぼく、それから頭の中もふわりふわりとやわらかくなっていく。大切な君の輪郭がぼんやりしていく。
「ねえ、それ、本当にいる人かな?」
「……」
「ところできみは、だれ?」
「ぼくはぼくだよ。堤防で寝転がるのが好き。六月のあじさいが好き。犬のいる道を通るのが好き」
「それ、本当にきみかな?」
「……」
とじたまぶたを通して、あたりが明るくなっているのがわかる。浮かんでいた体は、絵の具がにじむようにまわりに広がって、境界をなくしていく。
「ここは、とてもきれいなところなんだよ」
「ぼく、きれいなところはすきだ」
「ゆっくりと目を開けて」
ぼくの体がもうないことになんて、ちっとも驚かなかった。目の前に広がる青い光がすべてだったから。
「地球だよ」
「すごい。こんなに大きいのに、静かにまわるんだね」
「宇宙には空気がないんだ」
「地球儀とは全然ちがう、地球って生きているんだね」
「人が細胞でできているのとおんなじことだよ」
「こんなに美しいのを知ったら、だれだって守りたいと思うのに」
「そうしたら、それが当たり前になるだけだ」
「だけど、見せてあげたいなあ」
「誰に?」
「だれに?」
「誰に見せたいの?」
「たいせつなひとに?」
「大切な人って?」
「……」
そっと目を閉じたけれど、ぼくの目の前には青い地球が広がったままだった。ここにいたまま宇宙の果てまで行けるということも、遠くの星々はぼくだということも、教えられてもいないのに全てがわかった。
「ねえ、誰に見せてあげたい?」
広がるぼくの境界線と、その声の響きがぴたりと重なる。零コンマ二秒のあいだに、ぼくは聞いた。鈴のように澄んだ、うつくしい子守歌。
だれかがぼくを呼ぶ声がする。目を覚まさなきゃ、と思うけれど、きもちがよくて起きられない。
「そこにいるの?」
目を閉じたまま手を伸ばし、声にたずねる。何にもふれない指。怖くなって、再び手を引きよせる。
「うん、いるよ」
「ね、ここ、どこなんだろう。目を開いてるのに、ひらいてないみたいなんだ」
「こわいよね、でもだいじょうぶだよ、今は見えていないだけで、ほんとはとてもきれいなところにいるから」
「きれいなところ?」
ぼくの記憶に刻まれたきれいなところが、ふっと浮かんでくる。路地裏をゆくと突然海が目の前に広がったあのまち。たくさんの人が眠る、光の粒をちりばめた夜。森の奥でよりそい眠るカブトムシ。一本だけはやく咲いてしまった桜。
「ぼく、きれいなところはすきだ」
「だったらきっと、ここも好きになる」
「ならはやく目を開けたいよ」
「そうだね」
そういえば体を動かしてもベッドはきしまないし、だるさも眠さも何も感じない。
「本当はすぐにでも見せてあげたいんだけど、心の準備が必要だと思うんだ」
「心の準備?」
「そう。プールに入る前に、準備運動をする、あんなかんじで」
「ああ、それは確かに必要だね」
「まずはじめに聞くよ。きみは人がすき?」
「そりゃあ、まあ、すきだよ」
「たいせつなひとはいる?」
「うん、もちろん。離れるなんて考えられない、大事な人がいる」
「それって、どんな人?」
「ぼくの知る限り一番すてきな人。チョコレートと杏仁豆腐が似合うかわいい人だよ」
「どんなところがすてきなの?」
「ぼくが眠れないと、鈴のような声でうたってくれるんだ」
「ねえ、それ、本当に人かなあ」
「え?」
ぱっと体を起こした、つもりだったのに、ぼくの体はそのままくるりと一回転してしまう。浮力がない水の中みたいな、夢の中みたいな。
「その人は、どんな花が好き?」
「かすみ草。淡くて白い色がいとおしいって言っていたよ」
「どんなことをするのが好き?」
「休みの日に、昼まで眠るのが好きなんだって」
ふわふわと浮かんでいるみたいなぼく、それから頭の中もふわりふわりとやわらかくなっていく。大切な君の輪郭がぼんやりしていく。
「ねえ、それ、本当にいる人かな?」
「……」
「ところできみは、だれ?」
「ぼくはぼくだよ。堤防で寝転がるのが好き。六月のあじさいが好き。犬のいる道を通るのが好き」
「それ、本当にきみかな?」
「……」
とじたまぶたを通して、あたりが明るくなっているのがわかる。浮かんでいた体は、絵の具がにじむようにまわりに広がって、境界をなくしていく。
「ここは、とてもきれいなところなんだよ」
「ぼく、きれいなところはすきだ」
「ゆっくりと目を開けて」
ぼくの体がもうないことになんて、ちっとも驚かなかった。目の前に広がる青い光がすべてだったから。
「地球だよ」
「すごい。こんなに大きいのに、静かにまわるんだね」
「宇宙には空気がないんだ」
「地球儀とは全然ちがう、地球って生きているんだね」
「人が細胞でできているのとおんなじことだよ」
「こんなに美しいのを知ったら、だれだって守りたいと思うのに」
「そうしたら、それが当たり前になるだけだ」
「だけど、見せてあげたいなあ」
「誰に?」
「だれに?」
「誰に見せたいの?」
「たいせつなひとに?」
「大切な人って?」
「……」
そっと目を閉じたけれど、ぼくの目の前には青い地球が広がったままだった。ここにいたまま宇宙の果てまで行けるということも、遠くの星々はぼくだということも、教えられてもいないのに全てがわかった。
「ねえ、誰に見せてあげたい?」
広がるぼくの境界線と、その声の響きがぴたりと重なる。零コンマ二秒のあいだに、ぼくは聞いた。鈴のように澄んだ、うつくしい子守歌。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。



ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる