ゆううつな海のはなし

七草すずめ

文字の大きさ
上 下
2 / 26

セイレーンのうたとねこ(一)

しおりを挟む
 波が岩に当たる音にまじって歌声がきこえてきたので、いよいよ人魚にであえるぞと思ったら、ねこでした。
 わあ、うたが上手なねこだなぁ、と思って近づいたわたしを見て、ねこはたいへんえらそうに、
「きみはだれだね?」
と言いました。
「おうたが上手だと思って。おしゃべりまでこんなに上手だとは、思っていなかったけれど」
 ほめられたのが初めてだったのでしょう、ねこは舌を出してしきりに毛づくろいをし(きっと照れ隠しです)、秘密を教えてくれました。
「にんげんをのろいたくて、言葉とうたを練習したんだよ」
「ああ、それじゃあセイレーンみたいなものだね」
 海岸で出会ったねこが、結果的に人魚のようなものだったのですから、わたしはうれしくなりました。
 せいれーん? と首をかしげたねこは、また毛づくろいをしながら、「きみが知っているせいれーんが、ぼくの知ってるせいれーんと同じかわからないから、いちおう説明してくれたまえ」と言いました。
「セイレーンは、海のかいぶつだよ。人間の下半身がお魚なの。むかしは下半身が鳥だったらしいんだけど」
 ねこは目をきらきらさせ、下半身が魚なんてすてきだねえ、君もせいれーんになればいいじゃない、とうっとりしました。
「だけどギリシア神話でセイレーンは、美しい歌声をつかって船乗りを魅了するのよ。彼女のまわりは、魅了されたひとたちの骨であふれているの。その歌声を聴きたいと願ったオデュッセウスは、部下に自分を縛り付けさせるんだけど、声を聞いたとたんに縄を解けってさわいだらしいわ」
「ところできみ、やけにセイレーンに詳しいねぇ」
 ねこはおしりを高く上げあくびをしています。長い話に飽きたのでしょう。さびいろの体がこれでもか、とのびていきます。
「だって、セイレーンを探していたんだもの。まぁ、もう探す必要はなくなったみたいだけど」
 ねこは、はっとした表情でわたしを見ました。緑がかった目がまんまるく開いています。なんて察しがいいのでしょう。ねこは目を泳がせながら、ぼく、まだのろいのうたをうたえないんだけど、とつぶやきました。
 ということで、わたしはその日から、海岸に通うことになったのです。
 朝は「もう覚えた?」「むずかしくてまだうたえない」というやりとりを、夕方は「今日はあの子を殺したいと思った」「いそいでおぼえるからまってて」というやりとりを、なんどもなんども繰り返しました。だけど何日たっても、ねこはのろいのうたをうたえません。よほど難しいものなのでしょう。
 ある夕方、いつものように今日の報告を終えたわたしをじっと見たねこは、どうしてそんなにたくさんの人をのろいたいと思えるんだい、と尋ねました。
「ということは、ねこさんがのろいたいのは一人なんだねえ」
「まぁ、そういうことになるね」
 ふうん、と言ったあとは、しばらく波の音だけになりました。ねこが何を思っていたのかは知りませんが、わたしは昨夜の、おいしくないカレーのことを考えていました。
「ぼくはかいぬしだったひとをのろいたいんだ」
 ねこはひとりで話しはじめました。だけどわたしの頭のなかでは、鍋にのこったおいしくないカレーの山と、かばんの中に入ったびりびりの教科書がくるくるおどっています。
「ぼくのおかあさんが事故でしんじゃったのに、かいぬしはしたいを探しにこなかった」
 びりびりになった教科書を、カレーで直すことはできるでしょうか。いや、いっそ細かく切った教科書にカレーをかけてしまった方がたのしそうです。
「おかあさん、スーパーのふくろみたいなのにいれられて、もっていかれたんだ」
 じゃあ、今日はスーパーで手動のシュレッターを探してみようかな。そんなことを考えていたら、ちょっときみ、聞いている? とおこられてしまいました。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

憂鬱症

九時木
現代文学
憂鬱な日々

からかぜ

七草すずめ
現代文学
ダンスが好きな普通の大学生・桃葉。平凡だったキャンパスライフは、動画配信者・楓との出会いで静かに狂いはじめる。ずれていく生活リズム、減り続ける預金残高も厭わずに、有償で手に入る愛の言葉を求める桃葉。そんな彼女を現実に引き戻すことができるものとは? ◆2020年太宰治賞一次通過作品です。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

処理中です...