ゆううつな海のはなし

七草すずめ

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しあわせの群れに(一)

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「いつもあついね」
 目を閉じて空を仰ぐと、まぶたを通して太陽の強い存在を感じる。屋上のコンクリートは、じりじりと音が聞こえてくるくらいに焦がされて足に熱を伝える。
「涼しいとこに行かないの?」
 図書館とか涼しいよ、と言ってみても、君は静かに笑っているだけだ。柵に向かって海を眺める君がまんがやアニメのヒロインみたいだったから、僕もそれらしく寝そべってみようかとも思ったけれど、少しコンクリートに触れてやめた。こんなところで寝たら目玉焼きになってしまう。
 熱中症での死者も珍しくなくなった夏の日。いくら君だって、暑いにちがいないと思うけれど。
「はやくくらげの時期にならないかなぁ」
 飛行機が遠くの空を、音もなくわたっていく。僕の大好きな海が、すまし顔をしているのが見える。ずらりと並んだ色とりどりのパラソルや、シャチや浮き輪や県外のナンバープレートは、なぜか面白くない。はやくくらげがたくさん浮かぶ海になればいい。いくつもの夏を、そんな思いで過ごしてきた。
 君の制服のスカートはクラスの女子みたいに短くないし、なんの飾りもない長い髪の毛は無造作に風になびいている。だけど君は他のどんな女の子よりきれいだ。
「僕、今日はもう帰るね。また明日来るよ」
 黙って立ち去るのは気がひけるから声をかけるようにしているけれど、きっと君には聞こえてはいない。だまって重い扉を引くと、ぎぎぎ、と音が鳴る。閉める前にもう一度君を見ても、相変わらずこちらに背を向けて、海だけを見つめ続けている。ばたん、と扉を閉めてしまえばコンクリートの階段は薄暗い。ここに初めて来た時のことを思い出す。魂が抜けてしまったお母さんと二人で花火を見たのは、もう何年前になるだろう。
 夕飯は、チャーハンにした。暑いから、と素麺をゆでようとするお母さんを止めて、僕が作った。空気の冷えたリビングで食べるなら、さっぱりしたものより脂っこいものの方がおいしい。
「荷物。お義父さんたちに見つからないようにまとめておいてね」
 CMに切り替わったテレビから目を離さず、お母さんはつぶやいた。おじいちゃんもおばあちゃんもとっくに寝てるのに、見えない何かから隠れるように、ひっそりと。
 わかってるよ。そう答えた僕の声は、きちんと言葉のまま響いただろうか。本当はちっともわかってないって、お母さんは気付いただろうか。
 壁にかかったカレンダーの「六日」に、かすかな爪の跡。僕は、今年のくらげに出会えない。
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