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七月三十一日|くじ引き屋さん
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首から下げた財布の中にはもう五十円しか入っていない。ママからもらったお金の半分はキャラクターのうちわと金魚と水鉄砲になって手元に残っているけれど、もう半分はたこ焼きとかき氷とスイカになっておなかの中に消えてしまった。お祭りの屋台は値段が高い。一番安い線香花火だって、五本で百円だ。わたしは妹に言った。
「もうお金ないから、そろそろ帰ろう」
黄昏の空にはオレンジの入道雲がきらきら輝き、東側は少しずつ深い青色に染まりだしていた。夏の夜は始まったばかりだ。祭りの本番はこれからだけど、お小遣いが尽きたわたしたちの夏祭りはここまでだ。でも妹は、唇をとがらせて首を横に振った。
「やだ、まだあそぶ。しゅわしゅわのむ」
「ラムネのこと? 炭酸まだ飲めないでしょ」
「じゃあおさかなとるやつもういっかいやる」
「あのね、もうお金ないの」
九歳離れた妹は、ずっと握っていたわたしの手を振りほどくと、その場に座り込んだ。「ひまわりのワンピース、汚れちゃうよ」わたしが言っても、妹は「もっとおまつり」と言って立ち上がろうとしない。困り果てていると、誰かに声をかけられた。
「五十円でくじ引きできるよ」
「えっ」
おどろいてすぐに振り返ったけれど、そこには誰もいなかった。確かに声がしたと思ったのに、と不思議に思っていると、いきなり妹が走り出した。
「待って、迷子になっちゃう」
妹は、まだ小さいくせに足が速い。わたしは人をかき分け、薄暗い木陰を通り抜け、妹を見失わないよう必死になりながら走った。妹は人影のない場所まで来ると、ぴたりと足を止めた。
「おみせあったよ」
妹の視線の先には、確かに屋台があった。でも、ここは祭り会場から離れているし、屋台骨もずいぶんと錆びている。
「これはね、お店じゃないの」
「ごじゅうえんだって!」
妹はわたしの言葉を無視し、屋台を指してうれしそうに叫んだ。妹の指す場所を見ると、確かに「五十円」と書かれた張り紙があった。だけど肝心の看板は、あまりに達筆な字で書かれていて読み取れない。少なくともお好み焼きやとうもろこしのような、お祭りでよく見る文字じゃないことだけはわかった。
「五十円なのはいいけど、この店、本当にやってるの?」
つぶやくように言うと、どこからか「くじ引き屋さんだよ」という声が聞こえた。まさか人がいるとは思っていなかったわたしは、びっくりしてあたりを見まわした。すると、透明な謎の生き物がひょっこり顔を出した。
「うわ、……くらげ?」
くらげのようなその生き物は、水もないのにぷかぷか浮かび、わたしたちの前に躍り出た。硬直するわたしと裏腹に、妹は手を叩いて喜んだ。「くらげさん、なにがあたるくじうってるの?」妹の質問に、くらげは得意げに答えた。
「お話のくじを売ってるよ。不思議なお話がたくさん揃ってるよ」
よく見ると、屋台の後方には瓶がずらりと並んでいた。瓶の中には紙が入っていて、海を漂流するボトルメールのようにも見えた。
「おはなし? あまのがわのおはなしとか?」
妹が聞くと、くらげは少し馬鹿にしたように笑った。
「そんなありきたりな物語じゃないよ。ここにある瓶たちは、並々ならぬ人生の標本なんだよ。人間たちをよく観察して、記録してきたんだよ」
妹は首を傾げてわたしを見たけれど、わたしだって何を言っているのかわからなかった。にもかかわらず、くらげは一人でしゃべり続けた。
「滴る汗を愛した女、さらさらの肌に憧れた妹、夢のような切手を買って詐欺にあった男……いろんな人がいたよ」
「くじ、ひく!」
妹はわたしの腕を引き、お金をねだった。よくわからないまま五十円玉を出すと、くらげはゆらゆらとわたしの前に泳いできてお金を受け取り、代わりに屋台の奥から箱を出した。妹はよろこんで片手をつっこみ、しばらくがさがさしたあと、一枚の紙を引いた。
「さんじゅういち、ってかいてある」
「おめでとう、夏祭りのお話が当たったよ」
くらげは奥の瓶の中からひとつを選び取り、妹に手渡した。受け取った妹がそれを開けようとすると、くらげは「おうちに帰ってからあけてね」とそれを制止した。
これで完全にお金がなくなったわたしたちは、家に帰ることにした。「またねー」妹はくらげに両手を振り、くらげもふわふわ揺れてそれに応えた。くらげに背を向けて一歩歩いたところでふと思い出し、わたしは振り返った。
「そういえば、それ、なんて書いてあるの?」
達筆すぎて読み取れなかった看板を指して聞くと、くらげは笑った。顔はないのに、笑ったのがはっきりとわかった。くらげはゆっくりした口調で言った。
「これはお店の名前だよ。『七月の七等星』って書いてあるんだよ」
「もうお金ないから、そろそろ帰ろう」
黄昏の空にはオレンジの入道雲がきらきら輝き、東側は少しずつ深い青色に染まりだしていた。夏の夜は始まったばかりだ。祭りの本番はこれからだけど、お小遣いが尽きたわたしたちの夏祭りはここまでだ。でも妹は、唇をとがらせて首を横に振った。
「やだ、まだあそぶ。しゅわしゅわのむ」
「ラムネのこと? 炭酸まだ飲めないでしょ」
「じゃあおさかなとるやつもういっかいやる」
「あのね、もうお金ないの」
九歳離れた妹は、ずっと握っていたわたしの手を振りほどくと、その場に座り込んだ。「ひまわりのワンピース、汚れちゃうよ」わたしが言っても、妹は「もっとおまつり」と言って立ち上がろうとしない。困り果てていると、誰かに声をかけられた。
「五十円でくじ引きできるよ」
「えっ」
おどろいてすぐに振り返ったけれど、そこには誰もいなかった。確かに声がしたと思ったのに、と不思議に思っていると、いきなり妹が走り出した。
「待って、迷子になっちゃう」
妹は、まだ小さいくせに足が速い。わたしは人をかき分け、薄暗い木陰を通り抜け、妹を見失わないよう必死になりながら走った。妹は人影のない場所まで来ると、ぴたりと足を止めた。
「おみせあったよ」
妹の視線の先には、確かに屋台があった。でも、ここは祭り会場から離れているし、屋台骨もずいぶんと錆びている。
「これはね、お店じゃないの」
「ごじゅうえんだって!」
妹はわたしの言葉を無視し、屋台を指してうれしそうに叫んだ。妹の指す場所を見ると、確かに「五十円」と書かれた張り紙があった。だけど肝心の看板は、あまりに達筆な字で書かれていて読み取れない。少なくともお好み焼きやとうもろこしのような、お祭りでよく見る文字じゃないことだけはわかった。
「五十円なのはいいけど、この店、本当にやってるの?」
つぶやくように言うと、どこからか「くじ引き屋さんだよ」という声が聞こえた。まさか人がいるとは思っていなかったわたしは、びっくりしてあたりを見まわした。すると、透明な謎の生き物がひょっこり顔を出した。
「うわ、……くらげ?」
くらげのようなその生き物は、水もないのにぷかぷか浮かび、わたしたちの前に躍り出た。硬直するわたしと裏腹に、妹は手を叩いて喜んだ。「くらげさん、なにがあたるくじうってるの?」妹の質問に、くらげは得意げに答えた。
「お話のくじを売ってるよ。不思議なお話がたくさん揃ってるよ」
よく見ると、屋台の後方には瓶がずらりと並んでいた。瓶の中には紙が入っていて、海を漂流するボトルメールのようにも見えた。
「おはなし? あまのがわのおはなしとか?」
妹が聞くと、くらげは少し馬鹿にしたように笑った。
「そんなありきたりな物語じゃないよ。ここにある瓶たちは、並々ならぬ人生の標本なんだよ。人間たちをよく観察して、記録してきたんだよ」
妹は首を傾げてわたしを見たけれど、わたしだって何を言っているのかわからなかった。にもかかわらず、くらげは一人でしゃべり続けた。
「滴る汗を愛した女、さらさらの肌に憧れた妹、夢のような切手を買って詐欺にあった男……いろんな人がいたよ」
「くじ、ひく!」
妹はわたしの腕を引き、お金をねだった。よくわからないまま五十円玉を出すと、くらげはゆらゆらとわたしの前に泳いできてお金を受け取り、代わりに屋台の奥から箱を出した。妹はよろこんで片手をつっこみ、しばらくがさがさしたあと、一枚の紙を引いた。
「さんじゅういち、ってかいてある」
「おめでとう、夏祭りのお話が当たったよ」
くらげは奥の瓶の中からひとつを選び取り、妹に手渡した。受け取った妹がそれを開けようとすると、くらげは「おうちに帰ってからあけてね」とそれを制止した。
これで完全にお金がなくなったわたしたちは、家に帰ることにした。「またねー」妹はくらげに両手を振り、くらげもふわふわ揺れてそれに応えた。くらげに背を向けて一歩歩いたところでふと思い出し、わたしは振り返った。
「そういえば、それ、なんて書いてあるの?」
達筆すぎて読み取れなかった看板を指して聞くと、くらげは笑った。顔はないのに、笑ったのがはっきりとわかった。くらげはゆっくりした口調で言った。
「これはお店の名前だよ。『七月の七等星』って書いてあるんだよ」
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