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七月二十日|入道雲の秘密
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入道雲が食べ物だと知っている人は、おそらくほとんどいないだろう。僕はこの真実を、軍事関連に詳しい知人から直接聞いた。知人によると、日本は食糧難に陥ったときのために食料を備蓄しているのだという。では、食料が不足したときに必要とされるのは何か。そう、エネルギーの元となる糖分だ。ここで、話は入道雲に繋がる。
入道雲は、綿菓子なのである。信じられないかもしれないが、そう考えるとすべての辻褄が合う。入道雲が立体的に見えるのは、実際に綿菓子という立体がそこにあるからだ。立体的に見える、ではなく立体なのである。そして、入道雲が夏にだけ現れるのは、その時期に備蓄倉庫の整理をするからだ。賞味期限が切れた綿菓子を全て空に放出し、新しいものを倉庫にしまう。そんなことが毎年、夏の暑い時期に行われているそうだ。
「これはごく一部の人間しか知らない日本の秘密だから、絶対にしゃべるなよ」
知人はとても真剣な表情でそう言いながら、僕にこの秘密を教えてくれた。だから僕はこれまで口を閉ざしてきたし、これからもずっと秘密を守っていくつもりだった。
ある夏の日、駅で電車を待っているときだった。三歳くらいの少女が、突然叫んだ。
「あっ、わたあめ!」
少女の指差す先には、立派な入道雲があった。僕は冷静さを装いながらも、ばくばく跳ねる心臓を抑えられずにいた。まさか、こんな小さな女の子が、日本の秘密を知っているのか。そんなはずはないと思いながらも聞き耳を立てていると、母親らしき人物の「そうだね」という声が聞こえた。そこで僕は、この親子が秘密を知っているこちら側の人間だと確信した。
「あなた方も知っているんですね、真実を」
思わず話しかけてしまったのは、秘密を抱える者同士で語り合いたいと思ったからだ。日本の重大な秘密を知っておきながら、それを隠し続けるのは正直辛かった。しかし、母親は僕に向かって一言、「は?」と言った。僕は、ちょっと伝わりにくい言い回しだったかなと反省し、言い直した。
「入道雲の秘密です。僕は軍事関連に詳しい知人に教えてもらって……」
「人違いです」
僕の説明は、母親の見当違いな言葉に遮られた。「でも」僕が食らいつくと、母親は少女を守るように体の向きを変え、無視を決め込んだ。そのときは正直、なんだこいつと思った。でも、今となっては僕が悪かったと反省している。公共の場で秘密事項を話すのはよくなかった、せめて喫茶店などに連れていって話すべきだった。
さて、問題なのはここからだ。その出来事をきっかけに、誰かとこの秘密について語り合いたいという思いが芽生えてしまった。だけど、秘密を誰かにバラすわけにはいかない。考えた末、僕は思いついた。この話を教えてくれた知人と語り合えばいいのだ。彼にDMを送るとすぐに返事が来て、僕たちは数年ぶりに会うことになった。場所はファミレス。二度目のオフ会である。
「あの秘密知ってから、綿菓子見ると入道雲を思い出すようになっちゃった」
にやにやしたい気持ちを抑え、まずはジャブのつもりで「秘密を知る者あるある」を言ってみた。が、知人は「は? 秘密?」と怪訝な顔をした。どうやらうまく伝わらなかったようだ。今度はもっとわかりやすいように、
「備蓄してある綿菓子って全部白なのかな。ピンクの入道雲とか見たことないよね」
と「秘密を知る者の疑問あるある」を言ってみた。しかし知人は「綿菓子? ピンク? マジでなんの話?」と顔をしかめるばかりだ。そこで僕はようやく理解した。秘密を知る者は、その秘密を守り通すために、何も知らないふりをしなくてはならないのだと。
それから僕は猛省し、知らんぷりができるよう努力を重ねた。その甲斐あって、今ではすっかり「はて、なんのこと?」という顔ができるようになった。だけど、立派な入道雲がそびえ立つのを見ると、思わず秘密を叫びたくなってしまうことがある。
もしあなたが夏の暑い日、入道雲を見て「綿菓子!」と叫ぶ男を見たら、それは僕かもしれない。
入道雲は、綿菓子なのである。信じられないかもしれないが、そう考えるとすべての辻褄が合う。入道雲が立体的に見えるのは、実際に綿菓子という立体がそこにあるからだ。立体的に見える、ではなく立体なのである。そして、入道雲が夏にだけ現れるのは、その時期に備蓄倉庫の整理をするからだ。賞味期限が切れた綿菓子を全て空に放出し、新しいものを倉庫にしまう。そんなことが毎年、夏の暑い時期に行われているそうだ。
「これはごく一部の人間しか知らない日本の秘密だから、絶対にしゃべるなよ」
知人はとても真剣な表情でそう言いながら、僕にこの秘密を教えてくれた。だから僕はこれまで口を閉ざしてきたし、これからもずっと秘密を守っていくつもりだった。
ある夏の日、駅で電車を待っているときだった。三歳くらいの少女が、突然叫んだ。
「あっ、わたあめ!」
少女の指差す先には、立派な入道雲があった。僕は冷静さを装いながらも、ばくばく跳ねる心臓を抑えられずにいた。まさか、こんな小さな女の子が、日本の秘密を知っているのか。そんなはずはないと思いながらも聞き耳を立てていると、母親らしき人物の「そうだね」という声が聞こえた。そこで僕は、この親子が秘密を知っているこちら側の人間だと確信した。
「あなた方も知っているんですね、真実を」
思わず話しかけてしまったのは、秘密を抱える者同士で語り合いたいと思ったからだ。日本の重大な秘密を知っておきながら、それを隠し続けるのは正直辛かった。しかし、母親は僕に向かって一言、「は?」と言った。僕は、ちょっと伝わりにくい言い回しだったかなと反省し、言い直した。
「入道雲の秘密です。僕は軍事関連に詳しい知人に教えてもらって……」
「人違いです」
僕の説明は、母親の見当違いな言葉に遮られた。「でも」僕が食らいつくと、母親は少女を守るように体の向きを変え、無視を決め込んだ。そのときは正直、なんだこいつと思った。でも、今となっては僕が悪かったと反省している。公共の場で秘密事項を話すのはよくなかった、せめて喫茶店などに連れていって話すべきだった。
さて、問題なのはここからだ。その出来事をきっかけに、誰かとこの秘密について語り合いたいという思いが芽生えてしまった。だけど、秘密を誰かにバラすわけにはいかない。考えた末、僕は思いついた。この話を教えてくれた知人と語り合えばいいのだ。彼にDMを送るとすぐに返事が来て、僕たちは数年ぶりに会うことになった。場所はファミレス。二度目のオフ会である。
「あの秘密知ってから、綿菓子見ると入道雲を思い出すようになっちゃった」
にやにやしたい気持ちを抑え、まずはジャブのつもりで「秘密を知る者あるある」を言ってみた。が、知人は「は? 秘密?」と怪訝な顔をした。どうやらうまく伝わらなかったようだ。今度はもっとわかりやすいように、
「備蓄してある綿菓子って全部白なのかな。ピンクの入道雲とか見たことないよね」
と「秘密を知る者の疑問あるある」を言ってみた。しかし知人は「綿菓子? ピンク? マジでなんの話?」と顔をしかめるばかりだ。そこで僕はようやく理解した。秘密を知る者は、その秘密を守り通すために、何も知らないふりをしなくてはならないのだと。
それから僕は猛省し、知らんぷりができるよう努力を重ねた。その甲斐あって、今ではすっかり「はて、なんのこと?」という顔ができるようになった。だけど、立派な入道雲がそびえ立つのを見ると、思わず秘密を叫びたくなってしまうことがある。
もしあなたが夏の暑い日、入道雲を見て「綿菓子!」と叫ぶ男を見たら、それは僕かもしれない。
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