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七月八日|すべすべさらさらの肌
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お姉ちゃんの肌はすべすべのさらさらなのに、どうしてわたしの肌はブツブツのザラザラなのだろう。お姉ちゃんは例えるならフランス人形みたいで、美しいという言葉がぴったり合う。わたしだって顔はそこそこかわいいはずなのに、肌が汚いせいで、寂れたおもちゃ屋で十年間売れ残っている人形みたいに見える。家族四人で撮った写真は、わたしだけどこかで拾われてきたように汚くて、直視できない。
これでお姉ちゃんが意地悪だったらまだ救いようがある。美人だけど性格が悪いお姉ちゃんなら、おとぎ話だと結局不幸になって、幸せを掴んだわたしを睨むだろう。悔しそうに、ハンカチなんかを噛みながら。だけど残念ながらお姉ちゃんは心もきれいで、劣等感にまみれたわたしでは歯が立たない。
お姉ちゃんは校内でわたしを見かけると、無邪気に両手を振ってくる。最初、友達はそれを見て驚いていた。「あんた姫様と知り合いなの?」苗字が同じなのに、わたしたちは姉妹だと気付かれない。学校中の生徒に姫様と呼ばれ憧れられるお姉ちゃんと、苗字にさんをつけて呼ばれるわたし。それも全部、汚い肌のせいだと思う。
だから、同じクラスの男の子に突然名前を呼ばれたときはびっくりした。
「すごい器用なんだね」
そのときわたしは、技術の時間に作った木の箸に紙やすりをかけていた。授業はもう次の単元に入っていて、みんなはとっくに箸を持ち帰っていたけれど、わたしは磨くのをやめられずにいた。紙やすりをかけていると、妙に心が落ち着くのだ。彼は箸の出来栄えを褒めた。そして「俺、努力する子が好きなんだ」と言った。
わたしたちはすぐに付き合うことになった。彼はわたしの汚い肌ではなく、内面の美しさを見てくれる。彼といるだけで心は穏やかなので、その日を境に箸を磨かなくなった。だけど、思わぬ形でその平穏を失うことになる。彼に、体育館裏でキスされそうになったのだ。わたしは両手で顔を隠しながら、「肌がきれいじゃなくて」と俯いた。彼の手がわたしの頬に触れるのも、彼の目がわたしの顔に近付くのも怖かった。彼が「汚い肌」と言い放てば、わたしは生きていけない。だけど、彼の欲望は満たしてあげたいという思いもある。どうすればいいかわからなかった。
「それなら、いい方法があるよ」
彼はわたしのために、あるアイディアを出した。わたしの家に行き、わたしの部屋のカーテンを閉めて、真っ暗な中でキスしようというのだ。「それなら肌も見えないだろ?」彼にそう言われ、うれしさのあまりわたしは泣いた。
家に誰もいないことを確かめて、彼を部屋に連れ込んだ。カーテンを閉めて電気を消したら、部屋の中は思ったよりも暗くなった。ドキドキする。男の子とキスすれば、美しいお姫様になれるかもしれない。服はドレスになり、ザラザラの肌はさらさらの手触りに変わるかもしれない。「目を閉じて。絶対開けちゃだめだよ」彼に言われ、ぎゅっと目をつぶった。しかし、いくら待っても唇に何かが当たる感触はない。
どうしたの、と目を閉じたまま聞くと、彼は「緊張してきちゃった。耳を塞いでもいい?」と言った。うん、と返事するよりも早く、ヘッドホンのようなものが耳に当てられた。唇をどんな形にするか迷い、そわそわしながら突き出したり戻したりを繰り返して彼の唇を待った。たっぷり十五分くらい待った気がする。不意に、まぶたの裏が赤く染まった。電気がついたのだ。目を開けると、わたしの前には彼の両足があった。彼はヘッドホンのようなものを外し、わたしを見下ろして言った。
「今日はやっぱりやめよう。緊張しすぎて疲れちゃった」
次の日から、彼はわたしに近寄らなくなった。メッセージは既読にならないし、話しかけてもあからさまに無視をする。あんなにわたしを愛してくれたのに、どう考えても変だった。やっぱり、肌が汚いのが嫌になったのだろうか。
変といえば、もうひとつおかしなことが起きていた。お姉ちゃんの下着がすべて盗まれたのだ。干してあったものだけでなく、部屋のクローゼットに入っていたものもなくなっていたので、警察にも相談したらしい。盗まれたのはお姉ちゃんの下着だけで、財布や通帳は被害に遭わなかった。パパとママに「何か知らない?」と聞かれたけれど、わたしは首をかしげるだけで何も言わなかった。
彼を失ったわたしは、また箸を磨き始めた。箸は裏切らない。磨くほど表面はすべすべさらさらになり、つやがでる。わたしの肌も、手を加えただけ綺麗になればいいのに。そう思いながら、放課後になってもひとり磨き続けていた。
いつの間にかあたりは薄暗くなっていた。もう帰ろうと思って一歩踏み出した足は、気付けば彼のロッカーに向かっていた。別に悪いことをするわけじゃない。心のもやもやを晴らすために、少し確認するだけだ。自分にそう言い聞かせ、手を伸ばした。
ロッカーの中には、巾着袋がふたつ入っていた。ひとつは体育着入れ、もうひとつはサッカーボール入れだった。そろそろと手を動かし、指を四本差し込んで、巾着をゆっくり開く。メルヘンチックな水色の布が目に入った。もうひとつの巾着には、淡いピンクの花柄が入っていた。どちらもお姉ちゃんのパンツだった。
そうか、そうだよな。笑いがこみ上げる。ブツブツザラザラ肌の女と付き合いたい人なんていない。愛されるのはすべすべさらさら肌だ。巾着を覗いてにやにやする彼の姿と、努力する子が好きと言った彼の顔、ふたつが交互に浮かんで消えた。
嘘つき嘘つき。笑いは叫び声になった。ブツブツザラザラが憎らしく、肌を全部はがしたい。嫌だ嫌だ、自分が嫌いだ。過呼吸になりそうだった。心を落ち着かせなければと思い、箸と紙やすりを手に取った。が、つやつやに磨きすぎた箸はつるんと手から滑り落ち、床とロッカーの隙間に転がっていった。どうしようどうしよう、パニックを起こしかけたそのとき、閃いた。そうだ、わたしには磨くべきものがある。紙やすりを右頬に当てた。どうかわたしも、すべすべさらさらの肌になりますように。そう祈りながら何度も何度も頬をこすると、不思議と心が穏やかになった気がした。
これでお姉ちゃんが意地悪だったらまだ救いようがある。美人だけど性格が悪いお姉ちゃんなら、おとぎ話だと結局不幸になって、幸せを掴んだわたしを睨むだろう。悔しそうに、ハンカチなんかを噛みながら。だけど残念ながらお姉ちゃんは心もきれいで、劣等感にまみれたわたしでは歯が立たない。
お姉ちゃんは校内でわたしを見かけると、無邪気に両手を振ってくる。最初、友達はそれを見て驚いていた。「あんた姫様と知り合いなの?」苗字が同じなのに、わたしたちは姉妹だと気付かれない。学校中の生徒に姫様と呼ばれ憧れられるお姉ちゃんと、苗字にさんをつけて呼ばれるわたし。それも全部、汚い肌のせいだと思う。
だから、同じクラスの男の子に突然名前を呼ばれたときはびっくりした。
「すごい器用なんだね」
そのときわたしは、技術の時間に作った木の箸に紙やすりをかけていた。授業はもう次の単元に入っていて、みんなはとっくに箸を持ち帰っていたけれど、わたしは磨くのをやめられずにいた。紙やすりをかけていると、妙に心が落ち着くのだ。彼は箸の出来栄えを褒めた。そして「俺、努力する子が好きなんだ」と言った。
わたしたちはすぐに付き合うことになった。彼はわたしの汚い肌ではなく、内面の美しさを見てくれる。彼といるだけで心は穏やかなので、その日を境に箸を磨かなくなった。だけど、思わぬ形でその平穏を失うことになる。彼に、体育館裏でキスされそうになったのだ。わたしは両手で顔を隠しながら、「肌がきれいじゃなくて」と俯いた。彼の手がわたしの頬に触れるのも、彼の目がわたしの顔に近付くのも怖かった。彼が「汚い肌」と言い放てば、わたしは生きていけない。だけど、彼の欲望は満たしてあげたいという思いもある。どうすればいいかわからなかった。
「それなら、いい方法があるよ」
彼はわたしのために、あるアイディアを出した。わたしの家に行き、わたしの部屋のカーテンを閉めて、真っ暗な中でキスしようというのだ。「それなら肌も見えないだろ?」彼にそう言われ、うれしさのあまりわたしは泣いた。
家に誰もいないことを確かめて、彼を部屋に連れ込んだ。カーテンを閉めて電気を消したら、部屋の中は思ったよりも暗くなった。ドキドキする。男の子とキスすれば、美しいお姫様になれるかもしれない。服はドレスになり、ザラザラの肌はさらさらの手触りに変わるかもしれない。「目を閉じて。絶対開けちゃだめだよ」彼に言われ、ぎゅっと目をつぶった。しかし、いくら待っても唇に何かが当たる感触はない。
どうしたの、と目を閉じたまま聞くと、彼は「緊張してきちゃった。耳を塞いでもいい?」と言った。うん、と返事するよりも早く、ヘッドホンのようなものが耳に当てられた。唇をどんな形にするか迷い、そわそわしながら突き出したり戻したりを繰り返して彼の唇を待った。たっぷり十五分くらい待った気がする。不意に、まぶたの裏が赤く染まった。電気がついたのだ。目を開けると、わたしの前には彼の両足があった。彼はヘッドホンのようなものを外し、わたしを見下ろして言った。
「今日はやっぱりやめよう。緊張しすぎて疲れちゃった」
次の日から、彼はわたしに近寄らなくなった。メッセージは既読にならないし、話しかけてもあからさまに無視をする。あんなにわたしを愛してくれたのに、どう考えても変だった。やっぱり、肌が汚いのが嫌になったのだろうか。
変といえば、もうひとつおかしなことが起きていた。お姉ちゃんの下着がすべて盗まれたのだ。干してあったものだけでなく、部屋のクローゼットに入っていたものもなくなっていたので、警察にも相談したらしい。盗まれたのはお姉ちゃんの下着だけで、財布や通帳は被害に遭わなかった。パパとママに「何か知らない?」と聞かれたけれど、わたしは首をかしげるだけで何も言わなかった。
彼を失ったわたしは、また箸を磨き始めた。箸は裏切らない。磨くほど表面はすべすべさらさらになり、つやがでる。わたしの肌も、手を加えただけ綺麗になればいいのに。そう思いながら、放課後になってもひとり磨き続けていた。
いつの間にかあたりは薄暗くなっていた。もう帰ろうと思って一歩踏み出した足は、気付けば彼のロッカーに向かっていた。別に悪いことをするわけじゃない。心のもやもやを晴らすために、少し確認するだけだ。自分にそう言い聞かせ、手を伸ばした。
ロッカーの中には、巾着袋がふたつ入っていた。ひとつは体育着入れ、もうひとつはサッカーボール入れだった。そろそろと手を動かし、指を四本差し込んで、巾着をゆっくり開く。メルヘンチックな水色の布が目に入った。もうひとつの巾着には、淡いピンクの花柄が入っていた。どちらもお姉ちゃんのパンツだった。
そうか、そうだよな。笑いがこみ上げる。ブツブツザラザラ肌の女と付き合いたい人なんていない。愛されるのはすべすべさらさら肌だ。巾着を覗いてにやにやする彼の姿と、努力する子が好きと言った彼の顔、ふたつが交互に浮かんで消えた。
嘘つき嘘つき。笑いは叫び声になった。ブツブツザラザラが憎らしく、肌を全部はがしたい。嫌だ嫌だ、自分が嫌いだ。過呼吸になりそうだった。心を落ち着かせなければと思い、箸と紙やすりを手に取った。が、つやつやに磨きすぎた箸はつるんと手から滑り落ち、床とロッカーの隙間に転がっていった。どうしようどうしよう、パニックを起こしかけたそのとき、閃いた。そうだ、わたしには磨くべきものがある。紙やすりを右頬に当てた。どうかわたしも、すべすべさらさらの肌になりますように。そう祈りながら何度も何度も頬をこすると、不思議と心が穏やかになった気がした。
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