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*夜の街
夜の街の星たち
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星空ミュージアムのあるビルは、夜の街のどの建物よりも高く、屋上からは、街そのものを見下ろすことができる。
「川だ」
しろくま号がつぶやいた言葉の意味を、わたしも理解することができた。四方へ伸びた、光の川。それは、道路を走る車のライトたちだった。
「夜の街は、光の街でもあるんです。みんな、人工的な光の美しさに魅了されてしまいました。だって、星よりもずっと、つよく輝いているんですから」
街の光が、黒い空を照らす。星は確かにそこにあるはずなのに、たったひとつの一等星も見つけられない。
さっきまで威勢のよかったヒナタは、今やすっかり眉を下げていた。わたしだって、どうしたらいいのかわからない。
どうしたってアオを救うことができないのだと、うすうすみんな、わかっているはずだった。
「どうしてみんな、つよいものにばかり惹かれるんだろう。ちいさくてよわっちくて、でも素敵なものって、たくさんあるのに」
しろくま号が言ったのは、そこにいる誰にむけた言葉でもないようで、だけど、そこにいる誰もが胸のなかで、その言葉をくりかえしていたと思う。
「忘れちゃってるだけなら」
遠くの光から目を離さずに、ヒナタが言った。小さすぎて、聞き落としてしまいそうな声。
「忘れちゃってるだけなら、思い出させられるかもしれないよ」
言葉がすすむに連れ大きさを増していく声に、わたしはしろくま号と、顔を見合わせる。ヒナタの眉は、気付けばもう、下がっていない。
「でも」
弱々しくつぶやくアオに、ヒナタは微笑んでみせた。そうして、今度はいたずらっこの笑みをうかべると、
「しろくま号は、どこにでも連れて行ってくれるんだよね?」
と、しろくま号のまるい目を見て、訊いた。
「すごいですね、本物の車みたい」
驚きと不安の混じった、それでいて少し高揚した様子のアオは、後部座席でそわそわとしながら、窓の外とバックミラーを交互に見ていた。
「みたいじゃなくて、本物の車なんだよ」
となりに座るヒナタが、なぜか得意げになって、アオに応える。わたしは助手席で、左肘を窓枠につきながら、一言も発さずに外をながめていた。
屋上で、何やら思いついたらしいヒナタは、こそこそとしろくま号に耳打ちをした。ふたりはそれを共有すると、「それ、いいかも」「でしょ」と、にやにやを隠すことなく言い合った。
アオにないしょにするのはまだわかるけれど、どうしてわたしにも教えてくれないのか。それが不服で、黙りこくったまま、とびらにもたれている。サイドミラーを見ると、むすっとした自分と目が合った。
「シートベルトしめた? 出発するよ」
はーい、とのんきなヒナタの返事に、え、というアオの不安げな声。動揺するのも当たり前だ。だってここは屋上で、道などないのだから。
「じゃあ、行きまーす」
これまたのんびりしたしろくま号の声が、車内に響く。どこへ、というアオの言葉が、エンジンの音でかき消される。
ゆっくりと動き出したしろくま号は、エンジンの音を大きくしながら、徐々に加速する。しろくま号の計らいで、窓がゆっくりと開いた。
コンクリートの地面が、のこり十五m、十m、一m。風がわたしの前髪を揺らす。
「ひゃあ!」
アオが悲鳴をあげ、わたしは目をぎゅっとつむった。ヒナタだけが、いけっ、と声高々にさけぶ。しろくま号は、どこへだって連れて行ってくれる。それが夢のなかだろうと、海のそこだろうと、空のうえだろうと。
三人を乗せたしろくま号は、夜の街にうかびあがり、悠々と、ビルの上空を駆けだした。羽で目を隠していたアオが、おそるおそる窓の外に目をやり、また悲鳴をあげる。
「すごい、飛んでる!」
ばたばたと音を立てる強い風。それにも負けないアオのさけび声からは、うれしさがにじみ出ていた。
「ぼく、ペンギンだから、空を飛ぶのは初めてです!」
「おれ、しろくまなのに、飛んじゃってるけどね」
黒い空を背景に、あたたかいクリーム色の車体が疾走する。目指すは、街のもっともっと上空。しろくま号は、らせんを描くように昇っていく。
街あかりがはるか下で輝いているのが見えた。ひっくり返してしまった宝石箱を、見下ろすようなながめだ。
「しろくま号、そろそろ、幌あけて!」
ヒナタが言い、しろくま号がそれに応える。
「落ちないでね!}
機械音をたてて、夜の色をした幌が開いた。風がそれまで以上に強く、わたしの頬をたたく。
「はい、じゃあミツキもアオも、手、出して!」
ヒナタに言われるがまま両手を差し出すと、受け止めきれないほどたくさんの、甘い匂いの欠片が乗せられた。アオの両の羽にも、同じように、色とりどりの欠片が乗る。
風で飛びあがった細かなそれが数個、わたしの口に入った。じんわりと広がる、いちごの味と、みかんの味。
「これ、飴?」
「そうだよ、ぼくの大事なキャンディ!」
ヒナタはお魚ポシェットをぽんぽんと叩き、えへへ、と笑う。
「しろくま号に頼んで、こなごなにしてもらったの」
なんのために、と訊く前に、わたしはすべてを理解した。アオはまだ、首をかしげているけれど。
突然、風の音がぴたりとなくなった。
「そろそろだね」
さっきまで、さけぶようにして話していたしろくま号の声が、今はしんとした空間のなか、クリアに響いている。ついに、大気圏の外まできたのだ。
「ミツキ、アオ、準備はいい?」
「まかせて!」
「準備って、なんの……」
「はい、いくよ、せーの!」
ヒナタのかけ声にあわせて、わたしはキャンディの欠片を、ぱらぱらと街に向かって放り投げた。ヒナタも同じように、小さな欠片たちを、勢いよく投げつける。
そうして夜の街に向かうキャンディは、ミツキたちの目の前で、赤や黄色、青の流れ星にかわった。
「今日のお天気は、飴の流れ星!」
あかりなんてほとんどないはずの、夜の街の上空は、街へ向かうきらきらのキャンディで、輝いていた。ようやく状況を理解したアオも、二人をまねて、キャンディをばらまく。
空の高いところで、しろくま号はしばらく、円を描いて走り続けた。ミツキたちも、飽きることなく、欠片を星に変え続けた。
その日、夜の街では、ばんそうこうがたくさん売れた。空を見上げたひとたちが、うっかりつまづき転んでしまったからだ。
「ヒナタ、見て! ニュース!」
ソファでうたたねしているヒナタのせなかをたたき、テレビを指す。
「えー? うーん……」
「昨日のことやってるの! アオが出てる!」
アオの名前を出したとたん、ヒナタはバネのように飛び起きる。
「どこ!」
画面の向こうでは、アオが星空学者として、昨日の出来事について話をしていた。
夜の街で、何十年ぶりに流星群が観測されたということ。一瞬の天体ショーに、夜の街の住人たちが、しばし見とれたということ。
「きっとすぐに、星空の見られる街になるよ」
コーヒーカップを置いたしろくま号が、新聞を開きながら、言った。
「そうしたら、また遊びに行こうね」
星空ミュージアムの入場制限をなくすというアオの発表が聞こえた。次はレアなチケットが当たらなくても、あの場所に行けるだろう。
窓際に置かれた入場記念のラピスラズリが、お日様の光をあびてきらめいた。
「川だ」
しろくま号がつぶやいた言葉の意味を、わたしも理解することができた。四方へ伸びた、光の川。それは、道路を走る車のライトたちだった。
「夜の街は、光の街でもあるんです。みんな、人工的な光の美しさに魅了されてしまいました。だって、星よりもずっと、つよく輝いているんですから」
街の光が、黒い空を照らす。星は確かにそこにあるはずなのに、たったひとつの一等星も見つけられない。
さっきまで威勢のよかったヒナタは、今やすっかり眉を下げていた。わたしだって、どうしたらいいのかわからない。
どうしたってアオを救うことができないのだと、うすうすみんな、わかっているはずだった。
「どうしてみんな、つよいものにばかり惹かれるんだろう。ちいさくてよわっちくて、でも素敵なものって、たくさんあるのに」
しろくま号が言ったのは、そこにいる誰にむけた言葉でもないようで、だけど、そこにいる誰もが胸のなかで、その言葉をくりかえしていたと思う。
「忘れちゃってるだけなら」
遠くの光から目を離さずに、ヒナタが言った。小さすぎて、聞き落としてしまいそうな声。
「忘れちゃってるだけなら、思い出させられるかもしれないよ」
言葉がすすむに連れ大きさを増していく声に、わたしはしろくま号と、顔を見合わせる。ヒナタの眉は、気付けばもう、下がっていない。
「でも」
弱々しくつぶやくアオに、ヒナタは微笑んでみせた。そうして、今度はいたずらっこの笑みをうかべると、
「しろくま号は、どこにでも連れて行ってくれるんだよね?」
と、しろくま号のまるい目を見て、訊いた。
「すごいですね、本物の車みたい」
驚きと不安の混じった、それでいて少し高揚した様子のアオは、後部座席でそわそわとしながら、窓の外とバックミラーを交互に見ていた。
「みたいじゃなくて、本物の車なんだよ」
となりに座るヒナタが、なぜか得意げになって、アオに応える。わたしは助手席で、左肘を窓枠につきながら、一言も発さずに外をながめていた。
屋上で、何やら思いついたらしいヒナタは、こそこそとしろくま号に耳打ちをした。ふたりはそれを共有すると、「それ、いいかも」「でしょ」と、にやにやを隠すことなく言い合った。
アオにないしょにするのはまだわかるけれど、どうしてわたしにも教えてくれないのか。それが不服で、黙りこくったまま、とびらにもたれている。サイドミラーを見ると、むすっとした自分と目が合った。
「シートベルトしめた? 出発するよ」
はーい、とのんきなヒナタの返事に、え、というアオの不安げな声。動揺するのも当たり前だ。だってここは屋上で、道などないのだから。
「じゃあ、行きまーす」
これまたのんびりしたしろくま号の声が、車内に響く。どこへ、というアオの言葉が、エンジンの音でかき消される。
ゆっくりと動き出したしろくま号は、エンジンの音を大きくしながら、徐々に加速する。しろくま号の計らいで、窓がゆっくりと開いた。
コンクリートの地面が、のこり十五m、十m、一m。風がわたしの前髪を揺らす。
「ひゃあ!」
アオが悲鳴をあげ、わたしは目をぎゅっとつむった。ヒナタだけが、いけっ、と声高々にさけぶ。しろくま号は、どこへだって連れて行ってくれる。それが夢のなかだろうと、海のそこだろうと、空のうえだろうと。
三人を乗せたしろくま号は、夜の街にうかびあがり、悠々と、ビルの上空を駆けだした。羽で目を隠していたアオが、おそるおそる窓の外に目をやり、また悲鳴をあげる。
「すごい、飛んでる!」
ばたばたと音を立てる強い風。それにも負けないアオのさけび声からは、うれしさがにじみ出ていた。
「ぼく、ペンギンだから、空を飛ぶのは初めてです!」
「おれ、しろくまなのに、飛んじゃってるけどね」
黒い空を背景に、あたたかいクリーム色の車体が疾走する。目指すは、街のもっともっと上空。しろくま号は、らせんを描くように昇っていく。
街あかりがはるか下で輝いているのが見えた。ひっくり返してしまった宝石箱を、見下ろすようなながめだ。
「しろくま号、そろそろ、幌あけて!」
ヒナタが言い、しろくま号がそれに応える。
「落ちないでね!}
機械音をたてて、夜の色をした幌が開いた。風がそれまで以上に強く、わたしの頬をたたく。
「はい、じゃあミツキもアオも、手、出して!」
ヒナタに言われるがまま両手を差し出すと、受け止めきれないほどたくさんの、甘い匂いの欠片が乗せられた。アオの両の羽にも、同じように、色とりどりの欠片が乗る。
風で飛びあがった細かなそれが数個、わたしの口に入った。じんわりと広がる、いちごの味と、みかんの味。
「これ、飴?」
「そうだよ、ぼくの大事なキャンディ!」
ヒナタはお魚ポシェットをぽんぽんと叩き、えへへ、と笑う。
「しろくま号に頼んで、こなごなにしてもらったの」
なんのために、と訊く前に、わたしはすべてを理解した。アオはまだ、首をかしげているけれど。
突然、風の音がぴたりとなくなった。
「そろそろだね」
さっきまで、さけぶようにして話していたしろくま号の声が、今はしんとした空間のなか、クリアに響いている。ついに、大気圏の外まできたのだ。
「ミツキ、アオ、準備はいい?」
「まかせて!」
「準備って、なんの……」
「はい、いくよ、せーの!」
ヒナタのかけ声にあわせて、わたしはキャンディの欠片を、ぱらぱらと街に向かって放り投げた。ヒナタも同じように、小さな欠片たちを、勢いよく投げつける。
そうして夜の街に向かうキャンディは、ミツキたちの目の前で、赤や黄色、青の流れ星にかわった。
「今日のお天気は、飴の流れ星!」
あかりなんてほとんどないはずの、夜の街の上空は、街へ向かうきらきらのキャンディで、輝いていた。ようやく状況を理解したアオも、二人をまねて、キャンディをばらまく。
空の高いところで、しろくま号はしばらく、円を描いて走り続けた。ミツキたちも、飽きることなく、欠片を星に変え続けた。
その日、夜の街では、ばんそうこうがたくさん売れた。空を見上げたひとたちが、うっかりつまづき転んでしまったからだ。
「ヒナタ、見て! ニュース!」
ソファでうたたねしているヒナタのせなかをたたき、テレビを指す。
「えー? うーん……」
「昨日のことやってるの! アオが出てる!」
アオの名前を出したとたん、ヒナタはバネのように飛び起きる。
「どこ!」
画面の向こうでは、アオが星空学者として、昨日の出来事について話をしていた。
夜の街で、何十年ぶりに流星群が観測されたということ。一瞬の天体ショーに、夜の街の住人たちが、しばし見とれたということ。
「きっとすぐに、星空の見られる街になるよ」
コーヒーカップを置いたしろくま号が、新聞を開きながら、言った。
「そうしたら、また遊びに行こうね」
星空ミュージアムの入場制限をなくすというアオの発表が聞こえた。次はレアなチケットが当たらなくても、あの場所に行けるだろう。
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