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1巻

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 目が覚めたら湖になっていました



 ただボーッとして、緩やかな時間に身を任せるのが好きだった。
 そんな俺――冴島凪さえじまなぎは、クラスメイトたちがガヤガヤとしゃべり出す中、机に身体を預けていつものように外を眺めていた。
 生まれてから十六年間、ずっとこの調子な俺は、親からはあきれられ、親戚しんせきじいちゃんばあちゃんからは変な子扱い。
 何かに興味や好奇心を持つことがまれなのだろうと自覚している。
 春の穏やかな陽射ひざしが、俺の眠気を刺激する。
 ゆるりと流れる真っ白な雲をながめながらあくびを一つすると、俺は目をつむった。


 次に気がつくと、俺は水の中にいた。
 さっきまで学校の教室にいたはずなのに……なんで!?
 俺が戸惑とまどっていると、水面の近くに角のえたうさぎらしい生き物がやってきた。
 その兎が水面に口をつけて、水を飲み始めたその時、一瞬だけ俺の身体が吸い寄せられた。
 いつものように手足を動かそうと思っても、あきらかに感覚がおかしい。
 もしかして、俺は水の中にいるんじゃなくて、!?
 直後、俺の頭の中に膨大ぼうだいなこの世界の知識が流れ込んでくる。
 ここが俺がいた日本とは別の異世界であるということ。
 その世界で、俺は湖を本体とした水の大精霊になったこと。
 それらの数々の知識と一緒に、穏やかで心地いい声が脳裏に響く。
 ″あなたに祝福を……〟
 湖の奥底で一瞬神聖な気配を感じた気がして、同時に、湖の底から優しく抱きしめられる感覚がした。
 何かの意思を察知したが、正体は分からずじまい。
 ともあれ、俺は水の大精霊というものになってしまったみたいだ。


 存在が湖――大精霊になって幾日いくにちかが経過した。
 何も考えずにボーッとすることが好きな俺には、この生活はピッタリだ。
 陽光ようこうが降り注ぐ穏やかで暖かい水の中から、上空を眺める。
 自分が転生して最初のうちは、元の世界のことを考えて多少慌てたり、湖ってどう生活すればいいんだと悩んだりもした。
 今の姿は、湖の底がはっきりと見えるほどんだ水。そこに俺の意思が宿っている状態だ。
 人間だった頃の面影おもかげはない。
 転生して得た知識の中に、精霊は自分の意思で望んだ姿を形成するという能力があるのだと知ったが、今のところ湖に来るのは動物ばかりだ。
 人間の姿になる必要はなさそうだった。
 その野生の動物たちは、俺の湖で水を飲んでいく。
 水を飲みに来る動物たちの姿は様々だった。
 最初にやって来た角の生えた兎、風景に擬態ぎたいする鹿しか、腕が四本もあるくま、それから白銀の毛並みで翼の生えたおおかみ
 それらの動物たちがゴクゴクと美味おいしそうに俺を飲み、元気になっていく。
 最初のうちは、彼らが水分補給するたびに身体が吸われる感覚があったが、今はそれにも慣れた。
 消失感などは特にない。
 彼らがやってくる時だけが、俺が異世界にいることを実感できる時間だ。


 そんなある日、俺は湖の周辺に動物以外のお客さんの気配を感じ取った。
 人間の男の子と女の子だ。

「この世界で初めて人間と遭遇そうぐうするなぁ」

 おそらく兄妹きょうだいだろうその子たちは、獣道けものみちを進んで湖の手前まで来る。
 男の子はかごを背負いながら、右手で女の子の手をぎゅっとにぎっている。
 ボロボロの服装でせた姿をしており、かなり貧しそうだ。
 体中にはきずが見られ、この湖にたどり着くまでに無茶をしてきたのだろう。
 その兄妹は湖畔こはんひざまずくと、祈りをささげ始める。

「精霊様……どうかお母さんの病気を治してください……助けてください……」
「たしゅけてくだしゃい」

 俺はその子たちの声に意識を向ける。
 必死に強く願う二人。
 俺にお願いされてもどうすることもできないけど……と思ったところで、再び脳裏に異世界の知識が流れ込んできた。
 それは水の大精霊の力についての説明だった。
 どうやら今の俺には、水を自在に操る力と、やしを与える能力があるようだ。
 しかも俺は特別な存在で、その癒やしの能力が極端に高いみたいなのだ。
 これならこの子たちの願いを叶えることは可能だろう。
 よく考えたら、俺の水を口にした動物の傷が治っていくのを何度も目にしたことがある。
 あとは俺の水を子供たちに持っていってもらえさえすればいいのだが……俺の水が癒やしの力にあふれていることを知らない子供たちは、水を汲もうとせずただひたすらに祈るばかりだ。
 もどかしい気持ちでいると、子供たちの茂みがガサガサと揺れ、そこから狼が顔を出す。
 えているのだろうその狼は、兄妹を見てうなり声を上げた。
 そして牙をして、よだれを垂らしながら近付いていく。
 後ろを振り向いた兄妹は恐怖した様子で、互いに抱き合った。

「グルルルルルルル……グラァ!」

 狼が大きな口を開けて女の子に勢いよくみつこうとした瞬間――
 俺は湖の水を操ってすかさず水の壁を作り出した。
 狼と兄妹を隔てるように現われた壁を見て、狼は後退あとずさる。
 何が起きたか分からない兄妹は、ポカンと口を開けていた。
 狼が兄妹から離れている隙に、俺は自らの姿を作り上げる。
 顕現けんげん――自分の描いたイメージ通りに姿を形成する精霊の能力だ。
 しばらく水のままで過ごしていたから、自分の姿を詳細に思い出すのに手間取ってしまった。
 まずは高校時代の自分の背丈や容姿を反映して、それから服のイメージを思い浮かべる。
 服装は異世界に溶け込めそうな賢者のような衣装を作っていく。
 そして湖の中で俺の姿が出来上がった。

『こんなもんでいいか』

 俺は湖の中から浮かび上がり、岸にいる兄妹のもとへ向かう。
 先ほどまでの出来事への恐怖で、ギュッと目を瞑っていた兄妹に、俺は優しく声をかける。

「大丈夫?」

 二人はおそるおそる目を開けて、俺に目を向ける。
 兄妹はホッとしたのか、俺に抱きつきながら泣き出した。
 この世界に来て初めての発声で不安もあったが、上手くしゃべれてよかった。
 言葉も問題なく通じているようだ。
 俺は二人の頭を優しく撫でながら、水壁の向こうにいる狼を一瞥いちべつした。
 様子をしばらくうかがっていた狼だったが、俺がシッシッと追い払うような仕草をすると、何かを察したのか慌てて逃げ去っていった。
 再び俺は兄妹に優しく告げる。

「狼はもういないよ」

 恐怖から解放された安堵あんどからか、しばらく二人は泣き止まなかった。
 二人が落ち着くまで背中を擦っていると、兄が俺を見上げる。

「あ、あの……お兄ちゃんは誰ですか?」

 妹も兄にならって俺を見つめている。

「俺は……ナギっていうんだ。よろしくね」

 一瞬答えに迷ったが、深く考えずに元の世界での名前を使うことにした。

「ナギお兄ちゃん……僕たちを助けてくれてありがとう!」

 俺が答えると、兄がお辞儀じぎをする。
 そして顔を上げた後、キラキラした純粋な目で尋ねてきた。

「ところで、ナギお兄ちゃんは精霊様ですか!?」

 異世界の知識によれば、精霊は滅多めったに人間の前に姿を表さないとあったが、ここまでの光景を見られてしまっているから、今さら隠しても意味がないだろう。
 俺は素直に答える。

「そうだよ。俺はこの湖の精霊ナギ」

 そして身をかがめ、兄妹の体にある傷を撫でた。
 撫でた箇所かしょはあっという間に傷がふさがり、それを見た兄妹が目を丸くする。
 一拍置いて、兄が叫んだ。

「お願いします! お母さんを助けてください!」

 兄の言葉を聞いた女の子も、慌てて頭を下げる。
 俺は兄妹に目線を合わせて口を開いた。

「いいよ。でも俺が精霊だってことは誰にも喋っちゃだめだよ」
「うん! 絶対に誰にも言わない! 約束する!」
「しゅる!」

 兄妹はパアッと満面の笑みを浮かべて大きくうなずく。
 俺は二人の手をとり、彼らの家へ向かった。
 道中では兄妹が、俺のもとに来た経緯について話してくれた。
 男の子は、この前六歳になったばかりのお母さん思いの優しい子でルミナといい、三歳の妹は、ナーシャという名前だった。
 お父さんはずっと家に帰ってこないそうで、その間ずっとお母さんが頑張って仕事をしていたのだが、病気で倒れてしまい、困り果てた末にこの湖を訪れたとのことだった。
 村を訪れる冒険者が話した、森林に精霊がいるという言い伝えを信じて、やって来たのだとか……
 そんな彼が背負っている籠には、薬草がたくさん入っていた。
 もし精霊に出会えなかったとしても、お母さんを少しでも元気にできるように頑張って集めていたらしい。
 健気けなげな兄妹に俺は胸を打たれる。
 帰り道でも薬草や果物を採取していたので、ルミナの籠は子供が持ち上げられないほどの重さになっていた。
 俺はそのパンパンになった籠を代わりに持つと、兄妹の案内で先へ進むのだった。


 森を出た頃には、すっかり夕暮れ時だった。
 目の前に村が見えてくる。

「あそこがお母さんと一緒に住んでる村かな?」

 俺が確認すると、ルミナが元気よく答えてくれる。

「そうだよ! ノルシュ村っていうんだ!」

 そして俺の腕を取ってグイグイと引っ張った。
 ここから森まで往復した疲れや、狼の魔物に遭遇した恐怖もあったはずなのに……ルミナは強い子だな。
 村の入口に到着したところで――

「止まれ! 何者だ!?」

 篝火かがりびそばにいた見張りらしき男に呼び止められた。
 彼は、見ず知らずの俺に対して警戒心をあらわにしているようだ。

「ミルおじちゃん、俺だよ! ルミナだよ!」
「ただいま、ミルおじちゃん!」

 そんな見張りのもとに、兄妹が駆け寄っていく。

「ルミナ!? それにナーシャ! どこ行ってたんだ! 心配したんだぞ!」

 見張りの男は、二人の声に驚きながらルミナたちを抱きとめた。
 そのまま俺に目を向けて、再び問いかける。

「それで、あんたは誰なんだ?」
「……俺はこの辺りを旅していた者で、ナギといいます。そこの森でこの子たちに出会い、心配だからとここまで送りにやってきました」

 とりあえずこれで上手く誤魔化ごまかせただろうか。
 ミルの様子を窺うと、彼は急に兄妹たちを叱り始めた。

「お前たち! ルナシア大森林は危険な場所だから行っちゃだめだと、何度も言ってるだろ!」

 ミルにとっては、俺の正体よりも子供たちが森に入ったことの方が引っかかったようだった。

「だって! お母さん助けたかったんだもん! 早く元気になってほしくて……」

 ルミナの声がだんだん震えていき、最後には泣き出してしまった。
 ナーシャも兄につられて泣いている。
 ミルは困ったような表情で二人をなだめながら、俺に言った。

「俺はミル……悪かったな、兄ちゃん。この子たちを送り届けてくれて感謝する。お礼と言っちゃなんだが、もうこんな時間だし、今日は俺の所に泊まっていってくれ」

 ミルは立ち上がって頭を下げた。
 子供たちと一緒に村の中に入ると、俺はミルの家へと案内される。
 ルミナとナーシャとは、別の男の人が引き取りに来て、別れてしまった。
 目的はルミナのお母さんを治すことだから、兄妹たちと一緒にいた方がよかったんだけど……寝静まった頃にでも、隙を見てルミナの家に行こう。
 おのぼりさんみたいにキョロキョロと村を見回していたところで、ミルの家に着いた。

「あら、あなたおかえりなさい。今日は見張りの番じゃなかったの?」

 玄関に入ると、若い女性が出迎えてくれた。

「ルミナとナーシャが見つかったから撤収してきた。まぁ、見つかったというより、このナギが、ここまで連れて来てくれたんだけどな。あいつら、母親のためにルナシア大森林に行っていたみたいだ」
「まぁ! 本当にありがとうございます!」
「旅をしていたところ、たまたまあの子たちを見かけて、心配だったので……当然のことをしたまでです」
「そんでまぁ、あいつらの恩人だし、こんな時間だから今日はうちに泊まっていってくれってことで連れてきたんだ」

 ミルの説明に、奥さんが笑顔で頷く。

「そういうことだったんですね。さぁさ、上がってください」

 家の中は土間、居間、寝室に分かれていて、簡素な造りになっていた。
 ミルと彼の奥さんは、慣れた様子でぱぱっと俺の分の寝床を作ってくれる。
 この世界の人は、日が暮れたらすぐに就寝するようで、あっという間に二人とも眠ってしまった。
 俺は寝床に横になりながら、意識を湖に戻す。
 今の俺の身体は分身体で、本体はあくまで湖だ。だから、意識だけならこうして自由に行き来できる。少し休んでから再び俺は意識を分身体へと戻す。
 そろそろルミナたちの母親の様子を見に行くか。
 静かに体を起こして、お世話になったお礼の書き置きを残してから、ミルの家を出る。
 それから、俺は小走りでルミナとナーシャの家を目指す。
 家がどこにあるか分からなくても、俺ならルミナとナーシャの二人の気配を感じ取れるので、迷うことはなかった。精霊は気配にかなりするどいのだ。
 ルミナとナーシャ、そして二人の母親らしき人の弱々しい気配を感じる家にたどり着いた。
 身体を一時的に水に変化させると、扉の隙間から中に入り込む。
 周囲を見回すと、母親に抱きついて寝ている兄妹の姿が視界に入った。
 兄妹の言う通り、母親はやせ細っていて、かなり身体が弱っている。
 命の灯火ともしびが消えそうになっているのも感じ取れるくらいに、危険な状態だ。
 俺は寝ている母親の前に手を出すと、その口元に人差し指からしずくを垂らす。
 雫は彼女の唇に当たり、そのまま口の中へ。
 そうして何滴か口に入れると、母親の身体に変化が表れた。
 やまいによって弱まっていた彼女の鼓動こどうが強くなっていく。
 そして顔色も良くなり、浅かった寝息が深くなる。
 無事に病気は完治したようだ。
 ほっとしてその場から立ち去ろうとしたところで、ルミナが目をこすって起き上がった。

「ん~……そこにいるのだれぇ……」

 彼は寝ぼけた声で、誰にともなくそう言った。
 どうやらこの子は気配に敏感なようで、俺がいることに何となく気付いたようだ。
 突然いなくなったら、怖がらせてしまうかもしれないし、挨拶せずにいなくなるのはかわいそうだよな。
 キョロキョロと周囲を見るルミナに、俺は小声で話しかける。

「俺だよ」

 今の言葉でルミナは目が覚めたらしい。

「ナギおに……ムグッ」

 声を出しかけたルミナの口を慌てて押さえる。

「シー。皆起きちゃうからね」

 俺がそう言って手を離すと、ルミナは自分の口を両手で押さえて、コクコクと頷く。
 ナーシャと母親を起こさないように、俺はヒソヒソ声でルミナに話す。

「お母さんの病気はさっき治したよ。朝起きたら昨日採った果物を食べさせてあげてね」

 俺の言葉に、ルミナは目を輝かせる。

「ほんと!? ありがとう、ナギお兄ちゃん!」
「それで、約束は覚えているかな?」
「うん! お兄ちゃんが精霊なのは秘密にすること、だよね?」
「そう。ちゃんと覚えててえらいね。あと村の人たちに心配かけないように、あの森には大人になるまで入っちゃだめだよ?」
「分かった! 約束する」
「うん。それじゃあ、俺はそろそろあの湖に帰るよ」

 そう言って頭を撫でてやると、ルミナが急に悲しそうな顔になった。

「え……もう行っちゃうの……?」

 目に涙を浮かべるルミナ。

「俺がここに長居したら、お母さんもびっくりしちゃうからね。またルミナが大人になったら会えるよ」
「……うん」

 頷くルミナの瞳から大粒の涙が流れる。
 流石さすがにこのまま帰るのはかわいそうだな……とはいっても俺は湖に戻らないといけないし。
 そこで一つのアイデアが思い浮かんだ。

「それじゃあ、この子を置いていくから、友達になってあげてよ」

 俺は小さな精霊を生み出して、ルミナの目の前に出した。
 大精霊は、眷属けんぞくとして自分の属性の精霊を作ることができる。
 ナギの目の前に現われた精霊は、空中で俺にお辞儀をした。
 見た目は、透き通った水でできた男の子だ。

「見える?」

 俺が尋ねると、ルミナはブンブンと首を横に振る。

「見えないけど、ナギお兄ちゃんと同じ不思議な気配は感じてるよ」
「その子が俺の友達みたいなものなんだけど、ルミナも友達になってくれるかな?」
「なる!」
「それじゃあ、この子を俺の代わりに置いていくね。でも、この子についても他の皆には内緒だよ」
「分かった! 名前はなんていうの?」

 名前かぁ。考えてなかったな……
 パッと思いついたものを答えることにした。

「……ルーだよ。この子の名前はルー」

 俺の眷属第一号のルーは、名付けられたことがうれしかったのか、宙で小躍こおどりする。
 ルミナはその様子をうっすらと理解したようで、微笑みを浮かべた。

「よろしくね、ルー。凄く喜んでるのが伝わってくるよ」

 ルーも、ルミナの方を向いてぺこりと頭を下げる。
 ナギはルミナを再びベッドに横にさせると、頭を撫でた。

「さぁ、いい子はしっかり寝ないとね。おやすみなさい」
「おやすみ、ナギお兄ちゃん、ルー」

 ルミナは、安心したのか、あっという間にスウスウと寝息を立て始めた。
 俺はぎわにルーに呼びかける。

『ルー、ルミナたちのことをよろしくね』

 ルーはコクコクと頷き、俺に向かって敬礼のポーズをした。
 これで大丈夫かな。
 俺は静かにルミナの家を出て、村を去った。
 辺りは真っ暗で、誰もいない。
 人間のままでいる必要もないな、と考えた俺は、パシャと水の球に姿を変化させると、湖にひとっ飛びする。
 湖にたどり着くと、俺は満天の星空を眺めてから、眠りにつく。
 異世界での初めての人との交流は、こうして終わったのだった。


 それから数十日が経過した。
 眷属と視界や意識を共有できる力を使って、この前会ったルミナ一家の様子を観察をしていた。
 そんな中、俺はこの湖に何者かの気配が三つ近付いてくるのを察知する。
 魔物や動物ではないし、なんだか弱々しい。
 それらに集中して意識を傾けると、怪我をしていることが分かった。
 しばらくすると、奥の茂みがガサガサと揺れて、そこから三人の人影が現れた。
 褐色の肌に銀色の髪、赤い瞳と尖った耳。ダークエルフというやつだろう。大人の男女と幼い男の子の組み合わせで、おそらく親子と思われる。
 大人たちはところどころ怪我をしていて、男の子の方は呼吸が浅い。
 ダークエルフたちは水際みずぎわまで来ると、男の子を寝かせてから湖に向かって土下座した。

「大精霊様、どうかお助けください! 私たちは人間どもに迫害され、命からがら逃げ延びてまいりました。そんな中この森に入ったところで、大精霊様の気配を強く感じて、必死の思いでここにたどり着いたのです!」
「どうか私たちを……この子をお助けください……どうか……」

 深々と頭を下げて祈る二人。
 俺はそれに応えるように、湖面から水の球を浮かび上がらせると、少年の口元まで運んでいく。
 大人の二人は、突然向かってきた水の球に驚きを隠せない様子だ。
 二人が見守る中、水が男の子の口の中に入っていった。
 男の子の苦しそうな表情が一転して元気を取り戻す。
 ルミナの母親の時と同様に、男の子の体内にあったやまいの気配が消えていく。
 呼吸もすぐに安定し始めた。

「おお……おおお! ありがとうございます! 大精霊様のご慈悲、感謝申し上げます!」
「ありがとうございます!」

 ダークエルフの親は、二人揃って何度も何度も地面にひたいをつけて、感謝の言葉を口にした。
 彼らが子供たちの回復を喜んでいる間に、俺は以前流れ込んできた異世界の知識から、ダークエルフに関するものを呼び起こす。
 ダークエルフは、精霊との親和性が高く、大半が声を聞いたり、姿を見たりすることができるそうだ。その他のエルフたちとも仲がいい。しかし人間たちからは迫害されており、その理由は、闇魔法を得意としている点や見た目などから魔族の一種として捉えられているためだ。
 決して魔族側ではなく、むしろ魔族と敵対している種族であるのだが、人間から一方的に敵対視されているのだとか……
 彼らもさっき迫害と言っていたから、これから行くあてもないのだろう。
 見かねた俺は、湖の状態のまま声をかけた。

『あーあー、聞こえる? おーい』

 ダークエルフはビクリと体を震わせた後、緊張した様子で頭を下げ直した。

『そんなかしこまらなくていいからさ、楽にしてよ』
「で、ですが……」
『いいからいいから。頭上げて。あと、君たちも怪我がひどいんだから、湖の水を飲んでね』

 言いよどむ父親のダークエルフに、俺は明るく水を勧める。
 二人はおそるおそる頭を上げると、手で水をすくって飲み始めた。
 二人の怪我があっという間に癒えていく。

『で、事情は聞いたけど、君たちはこれからどうするつもり?』

 俺の問いに押し黙るダークエルフたち。
 その沈黙が、行くあてがないことを意味しているのは明白だ。

『……湖を汚さないと約束できるなら、この辺りに住んでもいいよ』
「よ、よろしいのですか!?」
『うん。またあちこち彷徨さまよって怪我とか病気になっちゃうってのも心配だし。でも、資材集めや生活は自分たちで頑張るんだよ』
「ありがとうございます!」
「ところで、君たちのことはなんて呼べばいいかな?」
「精霊様の前ですぐに名乗らず、失礼しました! 私はエトナで、こちらが妻のリュナです。それから子供はヘーリオといいます」
『よろしく、エトナ、リュナ、へーリオ。俺はナギ。知っての通り、この湖の大精霊だよ』

 挨拶が済んだ後、俺はエトナたちに住処すみかを作ってもいい場所を示した。
 すぐに彼らは自分たちの住居造りに取り掛かるのだった。

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