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第9話:戦争
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夜が更けてからソフィアに声をかけて僕は教会を出た。
目を覚ましたソフィアは落ち着いた様子で僕が帰ることを了承してくれた。
教会を出た僕はそして街をまわって人々のことを【鑑定】で調べた。
その結果、以下のことが分かった。
『カレー依存症:調べたほとんどの人が中程度の症状
発作:およそ四割の人が発作を経験』
カレー依存症は進行していて、ほとんど全ての人が中度だった。
軽度の人は商人や旅人だったのでまだカレーを食べる回数が多くないのかもしれない。
多くの人が強いストレスを感じていて、それが限界に達すると溜まっていたものを爆発させてしまうようだった。
症状は人それぞれのようだけれど、この感情の高まりがカレー依存症の発作状態ということで間違いはなさそうだ。
また、最近街で喧嘩が増えているということも分かった。
噂を辿って当事者に会うとみんなが発作を経験しており、ちょっとしたことをきっかけに感情を制御できなくなってしまい、喧嘩に発展しているのだろうと推測できる。
人々のストレスが急速に高まったのはカレーの中毒成分を突然摂取できなくなったからだろう。
極めて迅速に全てのカレースパイスから成分を除去したので、混乱を招いてしまったと考えるのがやはり良さそうだ。
いまや世界の流通はつながっているので、中毒成分を除去したカレーへの置き換えもすぐに可能だった。そのためこの現象は世界中で起きていると思った方が良いだろう。
調査を続けながら僕はまた灼熱に焼かれているかのような痛みをみぞおちに感じた。
そのまま転げ回って全てを忘れたい気分に駆られるけれど、それでは解決しない事はよく分かっている。
王城に帰ってから僕はこの事態の対処法を考え続けた。
カレー依存症の根本的な治療法があれば良いのだが精神症状への有効な対処法は一向に見つからない。
当初僕はカレー依存症をアルコールやタバコの依存症と似たようなものだと考えていた。
元の世界で誰も気づかないうちに世界中のお酒がノンアルコールドリンクになってしまったと考えるとそれはそれで恐ろしいと思うけれど、カレー依存症にはもっと奇妙なところがある。
いつのまにかみんながカレーを信望するようになっているし、みんなカレーの欠点を絶対に認めない。
自分が依存症だと自覚することができないのだ。
このままでは世界はカレーのせいでおかしくなってしまう。
放置することはできない。
途方に暮れながら僕は現実的な手段を立てようと毎日調査を行い、情報をまとめていった。
そんなとき、予期せぬ情報が舞い込んできた。
◆
「⋯⋯戦争?」
「えぇ、フェランドレン帝国と神聖シオネル王国が開戦しそうだという情報が入ったわ」
エレノアが緊急の話があると言ったので聞いてみれば、それは戦争の情報だった。
僕がいるピネン王国の隣にフェランドレン帝国があり、さらにその隣に神聖シオネル王国が存在する。
二国間の仲は良好とは言えなかったが即座に戦争に踏み切るほど悪いわけではなかったはずだ。
「どうして急に仲が悪化したんだ? あまりに早すぎないか?」
「⋯⋯カレーが原因よ」
「へ?」
「先月、神聖国でもカレーを神の食事と見なすという宣言があったのは知ってると思うけど、我が国との仲も良いとは言えないから供給量は多くなかったでしょ?」
そんな宣言のことは知らなかったけれど、カレーが原因というあり得ない発言が気になったので僕はとりあえず頷いた。
「両国の会談の時にそのことを帝国の使者が揶揄したようなのよ。神の国なのにカレーが少ないとは何事かってね。その話を聞いた神聖国の王様が激昂したみたいで、開戦を決断したと聞いたわ」
「⋯⋯嘘でしょ?」
「嘘ではないわ。帝国はカレーの供給量が多いから自慢したい気持ちは分かるけれど、かなり配慮に欠けた発言をしてしまったことは間違いないわね。いま神聖国が国を上げて開発している薬の供給も止められたそうよ」
僕は目眩を感じた。カレーのせいで戦が起きようとしているようだ。そしてそのことを我が国の王女様は当然の成り行きのように話している。
僕は疑問に思ってエレノアに聞いた。
「エレノアは神聖国が短慮だと思うのではなく、帝国が短慮だという認識なんだよね?」
「えぇ、そうね。国際的な認識もそうなるでしょう。おそらくいま帝国内では外交官の処罰が検討されていると思うわ。神聖国がここまで早く開戦に踏み切るのは意外だったけれど、それだけ同調する人が多かったのね」
エレノアはにっこり笑っているけれど、そんなに嬉しそうに言わないで欲しい。
急速に常識が塗り替えられているように思うけれどその自覚がなさそうで怖い。
「僕が神聖国に売るカレーの量を増やすと言っても意味はないんだよね?」
「そうね。それを始めてしまったらキリがないからね。あと、もう一つ気になる情報があるの」
「⋯⋯どんなこと?」
「いま詳しく調べているところなんだけれど、どうも帝国では初期に得られたカレースパイスを神聖視する派閥があるようなの。その派閥では最初期から取引をしていた国を『神に選ばれし国』と言っていると聞いたわ」
「⋯⋯」
「後から流通するようになったカレースパイスは模倣品で、聖人ユウトが作ったオリジナルは『神に選ばれし国』にしか配られていないということを主張しているようね」
また変なことを言い出している集団がいると思って聞いていたけれど、彼らの話に正しい部分があると気がついた。
もしカレーの中毒成分の存在に気づける人がいるならそういう主張をしてもおかしくない。だって以前のカレーは実際に精神作用があったけれど今はその効果がないのだから。
「エレノア、その話を早急に調べて教えてくれないか? 僕の方でも調査してみるよ」
「えぇ、情報を掴んだらすぐにユウトに共有するわね。⋯⋯神の食事を侮辱するなんて許せないのは私も同じだから」
そういうわけではないのだがエレノアが怖いので僕は話を変えることにした。
「それで、この国はどういう対応を取る予定なの?」
「傍観が基本ね。私たちがどちらかについたら他の国も追従するだろうから身動きが取れないのよ」
「それって実質的にこの国の判断が戦争の行方を決めるっていうことじゃない⋯⋯?」
「そう言っているのよ。いまカレースパイスの流通を止められた国は『神に見離された国』になってしまうから、表向きだけでも私たちに協力しなければならないような情勢よ」
それってこの国が世界の覇権を取っているということじゃないか?
そう思ったけれど僕は聞くのをためらった。
「エレノアの見立てでは戦いはいつになりそう?」
「国境付近で小規模な戦いがすでに始まっているみたいだけど、大きな戦いは早くて一ヶ月かしらね。遅くても三ヶ月以内には両国の戦いは激化するでしょうね」
「それは避けられないんだよね?」
「そうね。手がないわけではないけれど、大人しくしているのが良いと思うわ⋯⋯」
そう言うとエレノアは目を瞑って考え事を始めた。
こういう状態になるとエレノアは思索に集中し始めるので、僕は部屋を出ることにした。
邪魔をしてはいけないと思ったけれど、僕はふと思ったことをつい口に出してしまった。
「ねぇ、もし今回みたいに他の国からカレーのことを侮辱されたらどうする——」
「潰すわ」
エレノアは珍しく僕の言葉を遮った。
おそるおそる彼女の顔を見ると目の瞳孔が完全に開いていた。
目を覚ましたソフィアは落ち着いた様子で僕が帰ることを了承してくれた。
教会を出た僕はそして街をまわって人々のことを【鑑定】で調べた。
その結果、以下のことが分かった。
『カレー依存症:調べたほとんどの人が中程度の症状
発作:およそ四割の人が発作を経験』
カレー依存症は進行していて、ほとんど全ての人が中度だった。
軽度の人は商人や旅人だったのでまだカレーを食べる回数が多くないのかもしれない。
多くの人が強いストレスを感じていて、それが限界に達すると溜まっていたものを爆発させてしまうようだった。
症状は人それぞれのようだけれど、この感情の高まりがカレー依存症の発作状態ということで間違いはなさそうだ。
また、最近街で喧嘩が増えているということも分かった。
噂を辿って当事者に会うとみんなが発作を経験しており、ちょっとしたことをきっかけに感情を制御できなくなってしまい、喧嘩に発展しているのだろうと推測できる。
人々のストレスが急速に高まったのはカレーの中毒成分を突然摂取できなくなったからだろう。
極めて迅速に全てのカレースパイスから成分を除去したので、混乱を招いてしまったと考えるのがやはり良さそうだ。
いまや世界の流通はつながっているので、中毒成分を除去したカレーへの置き換えもすぐに可能だった。そのためこの現象は世界中で起きていると思った方が良いだろう。
調査を続けながら僕はまた灼熱に焼かれているかのような痛みをみぞおちに感じた。
そのまま転げ回って全てを忘れたい気分に駆られるけれど、それでは解決しない事はよく分かっている。
王城に帰ってから僕はこの事態の対処法を考え続けた。
カレー依存症の根本的な治療法があれば良いのだが精神症状への有効な対処法は一向に見つからない。
当初僕はカレー依存症をアルコールやタバコの依存症と似たようなものだと考えていた。
元の世界で誰も気づかないうちに世界中のお酒がノンアルコールドリンクになってしまったと考えるとそれはそれで恐ろしいと思うけれど、カレー依存症にはもっと奇妙なところがある。
いつのまにかみんながカレーを信望するようになっているし、みんなカレーの欠点を絶対に認めない。
自分が依存症だと自覚することができないのだ。
このままでは世界はカレーのせいでおかしくなってしまう。
放置することはできない。
途方に暮れながら僕は現実的な手段を立てようと毎日調査を行い、情報をまとめていった。
そんなとき、予期せぬ情報が舞い込んできた。
◆
「⋯⋯戦争?」
「えぇ、フェランドレン帝国と神聖シオネル王国が開戦しそうだという情報が入ったわ」
エレノアが緊急の話があると言ったので聞いてみれば、それは戦争の情報だった。
僕がいるピネン王国の隣にフェランドレン帝国があり、さらにその隣に神聖シオネル王国が存在する。
二国間の仲は良好とは言えなかったが即座に戦争に踏み切るほど悪いわけではなかったはずだ。
「どうして急に仲が悪化したんだ? あまりに早すぎないか?」
「⋯⋯カレーが原因よ」
「へ?」
「先月、神聖国でもカレーを神の食事と見なすという宣言があったのは知ってると思うけど、我が国との仲も良いとは言えないから供給量は多くなかったでしょ?」
そんな宣言のことは知らなかったけれど、カレーが原因というあり得ない発言が気になったので僕はとりあえず頷いた。
「両国の会談の時にそのことを帝国の使者が揶揄したようなのよ。神の国なのにカレーが少ないとは何事かってね。その話を聞いた神聖国の王様が激昂したみたいで、開戦を決断したと聞いたわ」
「⋯⋯嘘でしょ?」
「嘘ではないわ。帝国はカレーの供給量が多いから自慢したい気持ちは分かるけれど、かなり配慮に欠けた発言をしてしまったことは間違いないわね。いま神聖国が国を上げて開発している薬の供給も止められたそうよ」
僕は目眩を感じた。カレーのせいで戦が起きようとしているようだ。そしてそのことを我が国の王女様は当然の成り行きのように話している。
僕は疑問に思ってエレノアに聞いた。
「エレノアは神聖国が短慮だと思うのではなく、帝国が短慮だという認識なんだよね?」
「えぇ、そうね。国際的な認識もそうなるでしょう。おそらくいま帝国内では外交官の処罰が検討されていると思うわ。神聖国がここまで早く開戦に踏み切るのは意外だったけれど、それだけ同調する人が多かったのね」
エレノアはにっこり笑っているけれど、そんなに嬉しそうに言わないで欲しい。
急速に常識が塗り替えられているように思うけれどその自覚がなさそうで怖い。
「僕が神聖国に売るカレーの量を増やすと言っても意味はないんだよね?」
「そうね。それを始めてしまったらキリがないからね。あと、もう一つ気になる情報があるの」
「⋯⋯どんなこと?」
「いま詳しく調べているところなんだけれど、どうも帝国では初期に得られたカレースパイスを神聖視する派閥があるようなの。その派閥では最初期から取引をしていた国を『神に選ばれし国』と言っていると聞いたわ」
「⋯⋯」
「後から流通するようになったカレースパイスは模倣品で、聖人ユウトが作ったオリジナルは『神に選ばれし国』にしか配られていないということを主張しているようね」
また変なことを言い出している集団がいると思って聞いていたけれど、彼らの話に正しい部分があると気がついた。
もしカレーの中毒成分の存在に気づける人がいるならそういう主張をしてもおかしくない。だって以前のカレーは実際に精神作用があったけれど今はその効果がないのだから。
「エレノア、その話を早急に調べて教えてくれないか? 僕の方でも調査してみるよ」
「えぇ、情報を掴んだらすぐにユウトに共有するわね。⋯⋯神の食事を侮辱するなんて許せないのは私も同じだから」
そういうわけではないのだがエレノアが怖いので僕は話を変えることにした。
「それで、この国はどういう対応を取る予定なの?」
「傍観が基本ね。私たちがどちらかについたら他の国も追従するだろうから身動きが取れないのよ」
「それって実質的にこの国の判断が戦争の行方を決めるっていうことじゃない⋯⋯?」
「そう言っているのよ。いまカレースパイスの流通を止められた国は『神に見離された国』になってしまうから、表向きだけでも私たちに協力しなければならないような情勢よ」
それってこの国が世界の覇権を取っているということじゃないか?
そう思ったけれど僕は聞くのをためらった。
「エレノアの見立てでは戦いはいつになりそう?」
「国境付近で小規模な戦いがすでに始まっているみたいだけど、大きな戦いは早くて一ヶ月かしらね。遅くても三ヶ月以内には両国の戦いは激化するでしょうね」
「それは避けられないんだよね?」
「そうね。手がないわけではないけれど、大人しくしているのが良いと思うわ⋯⋯」
そう言うとエレノアは目を瞑って考え事を始めた。
こういう状態になるとエレノアは思索に集中し始めるので、僕は部屋を出ることにした。
邪魔をしてはいけないと思ったけれど、僕はふと思ったことをつい口に出してしまった。
「ねぇ、もし今回みたいに他の国からカレーのことを侮辱されたらどうする——」
「潰すわ」
エレノアは珍しく僕の言葉を遮った。
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