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第5章:王立冒険者学校編(1)

第54話:皺

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 キトが部屋に入ると大きな机に座ったセーミアがいた。

 微笑を湛《たた》えながらキトを見ている。

 部屋は整然としていて机の上に物がない。
 研究者のイメージとはまるで正反対だけれど、セーミアはこれでうまく行っているのだろう。ユリアと同じタイプだ。

 キトはまず丁寧に挨拶をして、今日のお礼を言った。
 そして二、三の他愛ない話の後で、セーミアが問うてきた。

「それで、キトさん。急ぎの用事があるということだったけれども、どんなことかしら」

 来たとキトは思った。
 セーミアは優しいし、気遣ってくれるけれど、不必要なことは言わない。そして、どこか捉えどころがない。
 だからこそ、こちらから大きく踏み込まないといけない。

 逡巡しそうになる気持ちを抑えて、表面上は平静を装いながらキトは言った。

「セーミア先生、今夜、私を『スペルンカ』に連れて行ってください。先生ならば知っていると私は確信しています」

 それを聞いたセーミアは珍しくキッと目を細めた。

「どういうことかしら? 突然そう言われても分からないわ」

 キトはあえて空気を読まずに続けた。
 セーミアは遮らずに聞いてくれるだろうという目算だ。

「まさか『スペルンカ』が魔導学校の敷地内にあるとは思いませんでした。ですが、結果だけ見れば利便性は瞭然です。
教会関係者は易々と入れず、魔導関係者なら入りやすい場所ですからね。
私の予想では、『スペルンカ』は第二学生食堂の近くにあって、お酒や食事を出していると思うのですがいかがでしょうか?」

 キトは腹の底では震えていた。
 セーミアを見るとただ真っ直ぐにキトの方を見つめて話を聞いている。
 肯定も否定もされないことにキトはひどく苦しい気持ちを感じた。

 けれど、妄想のような推測を語り続ける。

「先生は図書館の閉架に何故かこの学校の名誉職員について書かれた本があるのをご存知ですか?
その本によれば、名誉職員であれば職員証が発行され、夜間であっても敷地内に入れるのだそうです。しかも付き人としてもう一人連れて入ることができるのだとか。
この規則が『スペルンカ』の秘匿性に大きく貢献していますね」

 キトはセーミアの瞳を覗き込んだ。
 セーミアは透き通った目でこちらを向いていた。

「では、その名誉職員が誰なのかということになりますが、これまた不思議なことにとある場所で名簿を見つけることができます。
一つは魔法化学準備室の資料棚、そしてもう一つは魔化結晶保管室、どちらもセーミア先生の管轄です。
その名簿によると『ファルマ』のアピアナさんはもちろんのこと、元枢機卿のグラディウス様、私の師匠であるユリアさんの名前もあります。
他にも高名な魔導士や薬師、魔道具師のお名前があります。
もちろんセーミア先生のお名前も」

 セーミアの微笑みが深くなり、興味深そうにキトのことを見ている。

「この名簿の全員が『スペルンカ』の場所をご存知なのかは分かりませんが、セーミア先生はご存知ですね?
今夜グラディウス様が『スペルンカ』に来ます。
改めてになりますが、私のことも連れて行っていただけないでしょうか。
私の推測は『試練』を超えるに足るものだったでしょうか。
どうか教えていただきたく思います」

 そう言ってキトは深く深く頭を下げた。

 心臓が激しく脈打っている。間違っていた時のことを想像すると胸の奥が苦しくて、顔に熱が昇ってくる。

「ふふふふふふ」

 突然笑うような声がしたので、キトは顔を上げた。

 セーミアが好奇心に染まった目でキトを見つめている。

「流石ね。私たちが散りばめた細かい手がかりを繋げて、よくそこまで推測したわ。ユリアの弟子じゃなかったら私の弟子にしたいくらいよ。ユリアとあなたが出会わなかったら此処には居ないと分かっていても、惜しく感じてしまうわね」

 セーミアはひどく優しい声で称賛した。

「でもね、キトちゃん。あなた、大きく勘違いをしているわ」

 諭すような声色に変わった。
 キトの心音が大きくなる。

「ああいう始まりだったから聞いていたけれど、あなたが事情をしっかり説明して、『スペルンカ』のことを教えて欲しいと言ったら、私は教えるつもりだったわ。だってあなたはユリアの弟子でしょう? 
ユリアがこの街にいたら必ずあなたを連れて行ったわ。ユリアが認めたんだもの。私が認めないわけにはいかないわよ。
あなたにとっての『試練』は私を説き伏せることではなく、あの堅物のユリアを認めさせたことだったのだから」

「へ?」

 キトは白目を剥きそうな気持ちになって間抜けな声を出した。

「それにね。グラディウスさんのせいで大事になっているようだけど、そんなことはないのよ? 教会内が大変な状況だというのは本当みたいだけれど、『スペルンカ』自体はただの仲間内の食事処なの。探ること自体は何の問題もないから、そこまで張り詰める必要はないわ」

 キトは呆然としそうなのをなんとか堪えて話を聞いている。

「けど、仲間には黙っていた方が良いわね。きっと面白いものが見れるから、楽しみにしていなさい」

 その言葉で会合は終わった。

 あとは集まる時間だけ確認して、キトは部屋を去った。

 慎み深いキトは決してそんなことはしないのだが、頭を掻きむしりながら廊下を走り、「ニャー」と叫び回りたい気分になった。

 気を持ち直したキトは、それから冒険者学校に行って、自分も『スペルンカ』に行けることになったと二人に伝えた。

 それ以外のことは余り聞かれなかったので解散し、現地で再び会うことになった。





 日が暮れた後、セネカがアピアナに会うために『ファルマ』に向かった後で、マイオルは冒険者学校の門に向かった。

 グレイは馬車で『スペルンカ』に向かうそうなので、大きな通りで待つことになる。

 遠くから馬車がやってくるのが見える。
 飾りがないので質素に見えるが、木は丈夫な材質だし、木目も整っている。

 馬車はマイオルの目の前で止まり、中からグレイが顔を出した。

「おう! マイオルちゃん。乗ってくれい」

 グレイは溌剌としていて歳を感じさせない。

 馬車の内装も装飾はほとんどない。しかし座席の質は良いし、揺れも少ない。マイオルの実家の馬車よりも質が良いようだ。

 グレイは馬車の中で、王都の美味い店屋に関する話をしてくれたのでマイオルは興味深く聞いていたが、すぐに馬車が停まった。

「着いたようじゃな。出るとしよう」

 マイオルは急いで服を整えて外に飛び出した。

 外に出てみると馬車用の門の前で、門番が立っている。
 門の意匠をマイオルはどこかで見た覚えがあった。

 グレイは門番のところに歩いていって金属製の札を取り出した。そこに魔力を流し込むと、札から虹の球が七つ飛び出して、ゆっくりと回り出した。

「ようこそお越しくださいました。そちらはお連れ様でしょうか?」

 門番は丁寧にお辞儀をしてからマイオルの方を見て尋ねた。

「あぁ、そうじゃ」

 グレイの言葉を聞くや否や門番は馬車用の大きな門を開いた。

「お通りください」

 馬鹿丁寧な対応にマイオルは目を丸くした。





 中に入って、キョロキョロしてみてからマイオルは確信した。ここは王立魔導学校だ。

 その様子を見ていたグレイが言った。

「さっきの虹を見たじゃろ? あれは一個一個の色が微妙に違うんじゃ。球同士の距離や回転速度は決まっていて、僅かな違いでもあの門番達は見分けることができる」

 マイオルは能天気に『綺麗だなぁ』としか思ってなかった。

「あの札はな。この王立魔導学校でしか作れんのじゃよ。名誉職員の証というやつじゃな」

 グレイはどうだと言わんばかりの勢いだったが、マイオルはやっぱりかと思った。

「なんじゃ、驚かんのか。面白くないのう。だが、楽しみはまだまだこれからじゃ」

 そう言ってグレイは門の近くにある小さな小屋の方に向かって景気良く歩き出した。

 小屋の扉には四角い窓が付いていて、グレイはまた札をその窓にかざし、魔力を込めた。すると『カタン』と軽い音がして開錠された。

 小屋の中に入ると中は階段になっていて、下った先には地下通路があった。

「王都の地下には特別な地下通路があるって言ったら信じるかい?」

「信じますよ。地下を【探知】して深くを調べると、魔力の流れがおかしくなって、どうなっているのか分からない領域があります。そこに地下通路があってもおかしくないですね」

「かっかっか。聡明で気の強いお嬢さんじゃなぁ」

 グレイはおおらかに笑った。

「王都の地下道のことはさておき、この通路は特殊な材質で出来ておってなぁ。通路全体が魔道具みたいなもんなんじゃよ。深く【探知】してみると良い」

 マイオルは言われた通りにスキルを使った。
 確かに壁の表層までは魔力の流れが分かるが、中を見ようとしてもうまくいかない。

 そして探知範囲に入っていたグレイを見て、マイオルは彼におかしな魔力反応があることに気がついた。

「あなたはいったい⋯⋯?」

「かっかっか。もうちょっとの辛抱じゃよ。そうすれば全てが明らかになる」

 スキップでもしそうな軽い足取りでグレイは地下道を進んで行った。





 セネカとキトはスペルンカの席についてマイオルを待っていた。

 横には『ファルマ』のアピアナと魔法化学教師のセーミアがいて、親しげに話し始めている。

 スペルンカはキトの推測通り、第二学生食堂の地下に位置しているとセーミアが言っていた。

 今日のスペルンカには四人の他に客はいない。アピアナの話によればグラディウスがそのような根回しをしたのだろうとのことだ。

 四人が揃ってから時間が経つがマイオルはなかなか来ない。セネカは焦れた気持ちを持つようになっていた。

 そんな時、個室の扉が開いた。
 入ってきたのは老人とマイオルだ。
 セネカはあの人がグレイさんなんだろうと思った。

 グレイの髪はほとんどが灰色だが、若干黒髪が混じっている。顔つきは精悍で、眉間には縦皺が深く刻まれ、険のある雰囲気だ。

 軽く挨拶をした後で、空いていた奥の席にグレイは座った。

「さぁ、それじゃあ今日の会合を始めようかのう」

 グレイはそう言ったけれど、まだグラディウスは来ない。

 セネカもキトもマイオルも疑問の声を上げようとした時、グレイが扉を指さして言った。

「おぉ、グラディウスが来たようじゃぞ!」

 三人は扉を見つめるが、人が入ってくる様子はない。

 いち早く視線をグレイに戻したセネカは我が目を疑った。

「えっ?」

 そこにグレイの姿はなく、綺麗な白髪の老人が座っている。
 眉間の縦皺は薄くなり、代わりに目尻の横皺が深く入っている。
 人の良さそうな顔だ。

 ハッとしたセネカは言った。

「グラディウスさん?」

 そこにいたのは、先日王都の教会で会ったグラディウスであった。
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