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第3章:銅級冒険者昇格編

第19話:刺繍病

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 セネカは冒険者としての活動に本腰を入れようとしていた。だが、そのことをマイオルに話すと次のように言われてしまった。

「ごめん、セネカ。このままだとあたしは足手纏いだから、少しの間、修行するわ。もう少しで何か掴めそうな気がするの。だからパーティでの活動はちょっと待って」

 セネカは喜んで了承した。
 仲間が前に進もうと力を費やすのが嬉しかったのだ。

 時間が空いてしまったので何をしようかと考えている時、寮に突然エミリーが訪ねてきた。

「セネカ! よかった! ここ数日って予定空いてたりしない? 突然輿入れの決まった貴族様がいるみたいで、大至急で用意しなくちゃいけないものがたくさんあるの。刺繍を頼めないかしら? 言っておくけど報酬は格別よ!」

「やるやる」

 セネカは渡りに船とばかりに軽い気持ちで了承した。
 しかし、それが間違いだった。





 孤児院の大部屋に布が大量に積まれている。

「多いとは言っても、たかが知れていると思った」

 セネカの弁である。

 作業場は大きい方がいいから孤児院の部屋を借りようとエミリーが言い出した辺りから嫌な予感がしていた。
 セネカは服に刺繍をする依頼だと思っていたのだが、用意されていたのは服用の布地だけではなかった。

 いまセネカは高級そうなテロテロした赤い布に何処かの貴族の家紋を刺繍しまくっている。
 円の中に鷲がいる意匠の家紋が隙間なく入った布が大量に必要だそうだ。
 意味がわからない。しかもそれを刺繍で作り出そうなんて烏滸おこがましいとセネカは思った。

 エミリーの話によれば、依頼人は「可能であればこの模様を刺繍で入れたい」という控えめな言い方で、無理なら別の手段を取るつもりだったようだ。
 依頼人は国中の裁縫店にこの依頼を持ちかけたらしいが、受けたのはセネカ擁するこの店だけだ。

 どうしてこうなったと思うが、考えれば考えるほどイライラしてきそうだったので、セネカは考えるのをやめた。

 【縫う】というスキルの基本は布を針で縫うことだろう。セネカは基本に立ち返ることで己のスキルを見直そうと思って頑張った。
 だがそれも二日が限界だった。あとは惰性で頑張っている。

 昨日はエミリーが進捗を確認しにきたが、トルガのお店の店員はみんなほとんど眠っていないらしい。
 エミリーも「今回だけは頼む」とトルガに頭を下げられて、長時間の労働をしているらしい。
 セネカもそれにつられて仮眠だけで頑張っている。

 この仕事にはそれだけの価値があるらしい。
 今回の報酬だけでトルガの店の年間の売上の何倍にもなるという噂で、みんな張り切っていた。

 セネカはなまじ体力があり、無尽蔵とも思える魔力を保持しているので、頑張り続けてしまった。
 その結果、三日目の夜、ついに夢の中でも刺繍をした。

 セネカは膨大な魔力を消費すれば粗っぽい並縫いを手放しで行うことができるようになっていたけれど、今回は全く役に立たなかった。
 こういう事態のためにも、考えるだけで針が思い通りに動くような力が欲しいと思った。しかし、それを実現するために必要な要素は膨大だ。

 セネカは妄想をやめて手元に集中した。
 末期の今、他に考えることは『この家紋を見たらいつか嫌がらせしてやる』という八つ当たりのことばかりである。

 お金を多くもらっても割り切れない気持ちというのは出てしまったりする。
 だが、仕事を受けたのは自分なのだと言い聞かせて、セネカは仕事に勤しむのだった。





 キトは最近勉強の合間にマイオルと会って話し合いをしている。
 議題はレベルアップについてだ。

 有史以来最速でレベルアップした人間が親友なのだ。考察を深めることで示唆を得ようとするのは当然だった。

 セネカのレベルアップについて知っている人は限られている。
 セネカとキトはユリアに伝えたが、誰にも漏らさないように厳命された。スキルを得てから十五ヶ月を超えるまではギルドにも黙っていることになっている。

 キトとマイオルは秘密の共有者であるので最近は二人で議論を深めている。セネカとも話すが、スキルが特殊すぎて難しい部分がある。

 二人でこれまで話し合った結果、セネカのレベルが一瞬で上がったのは、レベル2になってからでないと稼げないはずの上質な熟練度をセネカが得たからだという結論になった。

 レベルを上げるためには、レベル2になったら出来るはずのことをレベル1の時点で無理やり達成すれば良い。それが不可能なら準ずることをしていけば近道だろう。そういう話になった。





 キトはスキル【調合】を持った人の記録を集めて猛烈な勢いで読み耽った。
 そして今のキトでも数ヶ月ほどでレベル2に上がれそうな方法を思いついた。

 しかし、今はレベルアップを目指さないことにした。

 セネカとマイオルはレベルを上げたら良いとキトは思っている。【縫う】ことや【探知】することだけが二人の活動ではない。冒険者になるからにはそれ以外にも総合的な能力が求められる訳だから、すぐにレベルを上げるのが正解に思える。

 対してキトの場合、【調合】すること自体が活動の核だ。それなのに経験を積まずにレベルを上げてしまって良いものか分からない。
 レベル2までは良いが、それからの仕事やレベル3を目指す時のことを考えたら、今はまだ様子を見ていてもよいのかもしれないと考えた。

 そんな思いを抱いた後で、キトはふと自分が傲慢になっていたことに気がついた。
 レベル2になった後? レベル3?
 目指してみたいとは思っている。
 けれど、レベル3の薬師なんて王都でも数えるほどしかいない。
 自分がそんな人間に簡単になれるような気がしてしまったのだ。
 目標を高く持つのは良い。希望を抱くのも良い。だけど、傲慢になってはダメだ。夢想で終わらせてはダメだ。

 キトは時機がやってくるまでレベルを上げないことにした。
 しかし、レベルアップしたいと思った時に早めに上げられるように、控えめに上位の熟練度を稼いでいこうと決めた。





 マイオルは必死に考えていた。

 修行をするとセネカに言った手前、寮にいるわけにもいかず、わざわざ近くの森に行ってから考え事や調べ物をしていた。だが、刺繍をするためにセネカが孤児院に行ったので、今は寮で活動している。

 キトとの議論から、レベル2になって出来るようになることをレベル1の段階で達成すれば、レベルをあげられそうだと分かった。

 これは簡単ではない。
 莫大な魔力があるからといって、全魔力を使って革を縫ったセネカも大概だけれど、突出した特徴のない自分がその壁を越えようとするのはさらに困難だとマイオルは感じていた。
 けれども、レベルアップを目指す自分を止められない。

 正直、自分が英雄になるのなんて無理だと考えていた。
 王立冒険者学校の特待生というのも、殆どが意地で、心の底から目指していたのか今となってはわからない。
 だが、セネカに肯定されてしまった。認められてしまった。

 マイオルはそれが何より嬉しかった。
 だから、いまが最後の機会なのだと自分に何度も言い聞かせて頑張っている。

「今を逃したらもう夢を掴むことは出来ない。だから、滑稽でも不恰好でも良いから、前に進もう。足を踏み出そう」

 それだけのことを考えて、マイオルは日々を過ごしている。

 スキル【探知】を持つ者のレベルが上昇すると、まず探索範囲が広がる。基本的には範囲の広さが【探知】の能力の高低になる。しかし、いくら考えてもレベル2に相当するほど遠くの物をレベル1の時点で探知するのは不可能に思えた。これは諦めるしかない。

 他には、レベルが上がると獲得する情報の量が増えると知られている。探知できるものの種類も増えるし、まるで目で見ているかのように探知することができるそうだ。

 マイオルはこの部分に余地があるのではないかと思った。
 より精度の高い情報を取得し続けたらレベルアップが近づくのではないかと思ったのだ。

 スキルの性質を調べるため、マイオルは範囲が最大になるように【探知】を発動した。
 今は街中なので魔物の反応はないが、魔力の反応はある。一際大きな魔力反応が孤児院にあった。これはセネカだ。
 他にもちらほらと大きな魔力が検知されるが誰かはわからない。

 情報の細かさを改めて確認する。
 探知範囲の中心から三分の一くらいまでは情報の精度が高い。人が歩く動きを識別できる。
 さらに外側になると大きく移動していれば目立つが、なんとなく人っぽいとか、魔石のようなものかもしれないとか、その程度の情報しか得られない。
 範囲の端の方になると、何かが存在するだろうということぐらいしか分からず、精度は低い。

 マイオルはスキルの範囲を中心から三分の一までに絞って、改めて【探知】した。すると、今度はより詳細な情報が得られるようになった。
 セネカがものすごいスピードで手を動かしていることが分かる。何かを縫っているのだろう。

 広く探知すれば情報は薄くなり、狭く探知すれば詳細になる。やはり探知範囲内の情報の総量はある程度決まっているのかもしれないとマイオルは考えた。

 それなら探知範囲を狭めて、精度の高い情報を取得し続ければレベルアップが早くなるかもしれない。

 マイオルは限界まで探知範囲を狭めた。
 今は寮の部屋の範囲程度までしか絞れない。
 スキル【探知】を持つ者は通常、範囲をどんどん広げようとする。それによって得る利益が桁違いに大きいからだ。
 マイオルもスキルを得てからずっと探知範囲を広げるように努力していた。

 しかし、セネカと会ってからは逆行している。
 戦闘に活かすために範囲を絞った探知をするようになった。
 決められた範囲の中で魔物の動きを細かく把握し、相手の攻め手を早めに潰している。
 そんな経緯を持つ自分にとって、情報の精度を高めようとする修練は向いているのかもしれないとマイオルは思った。

 この方法で本当にレベル2になれるのかは分からない。マイオルにはあんまり時間がない。けれど、怖いのは失敗ではないとマイオルは思うようになった。本当に怖いのは、失敗を失敗のまま終わらせて無駄にすることだ。

 セネカはよく失敗するが、その失敗を踏まえて改善を続ける。失敗と改善を繰り返すことでいずれ正解に辿り着く。

 マイオルはそれを目の当たりにした。
 セネカがレベル2になったのは偶然の力も大きいのだろうが、それだけでは決してない。
 セネカは本当に特別なのだとマイオルは信じている。

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