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【勇者が仲間になりたそうにこちらを見ている④ ~連合軍vs連合軍~】
【第三十四章】 都市奪還七番勝負⑥ 使命vs本能
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~another point of view~
サントゥアリオ本城を出た白十字軍第六部隊が目的地であるフローバー町へ到着したのは昼を過ぎて間もなくのことだった。
部隊を率いるはサントゥアリオ共和国が誇る国防組織、王国護衛団のトップに立つ戦士、エレナール・キアラ総隊長である。
齢二十三にして国家最強の戦士と呼ばれ、八千にも及ぶ兵士を纏める立場にあるキアラ隊長の名を知らない者は国内はおろか国外にも居ないといっても過言ではない。
キアラ隊長がこの肩書きを得たのは十六の時だ。
この若さにして総隊長になってすでに七年が経っているという事実は、現国王であるパトリオット・ジェルタールが十代で国王になったことと合わせて国内外問わず当時の大きな話題となった過去がある。
当時から非凡な才能を持っていたキアラ隊長は前総隊長であり現副隊長であるヘロルド・ノーマンの降格をきっかけに当時の上級大臣の推薦と任命を受けて総隊長の座を引き受けた。
周囲の目に臆することなく強さや正義感を遺憾なく発揮し、結果として国民からの信頼を得るための時間もそう必要とせず、就任時に伝説の武具【雷神の槍】を与えられたことも大きな要員となって【雷鳴一閃】という異名は瞬く間に世に広まったのだった。
「では打ち合わせ通り戦闘態勢を維持し、ここで待機していてください」
広く大きな城壁に囲まれた町を前にキアラは馬を下りると全軍に向けて声を張った。
各部隊の担当都市を決める折、移動に時間が掛かるフローバーと純粋に本城からの距離が一番長いダンジュを自国の部隊で引き受けたため到着時間が遅くなることは予め分かっていたことだ。
ゆえに出発前と道中の小休止の時間を利用して効率よく作戦と指示を伝え、決戦に備えた。
既にこれは戦争へと発展した争いだ。
揺れることなく、揺らぐことなく、己に出来る全てを国と民の未来のために。
それが総隊長を引き受けると決めた時にキアラが立てた誓いであった。
総勢三百の兵士達の敬礼を確認し背を向けると短い金色の髪を靡かせ、その足で町へと歩いていく。
ランスに分類される大きな槍が背負われた背中を兵士達はしばらくその体勢で見送った。
都市を囲む城壁を目の前にしたところで、やはりキアラもその足を止める。
微かに感じる魔力。
それは何度も報告で聞いた侵入を阻む敵が転移するための結界魔法だ。
占拠された計七つの主要都市。
過去十数回、護衛団の部隊が奪還を試みては返り討ちに遭っている。
つい数日前にもまさにこの地に向かった一軍が退けられたばかりだった。
死者は百を超え、負傷兵も後を絶たない悲惨な状況は一向に好転の兆しを見せていない。
帝国騎士団が魔王軍と手を組んだというのが事実であれば、それは既に侵略行為に他ならない。客観的に見ればもはや一国家の内乱で済む問題ではないだろう。
しかしそれでも、キアラは他国の手を借りなければ国や民を守ることが出来ない己の無力さを痛感せずにはいられなかった。
「ふぅ……」
一つ息を吐いて呼吸を整え、キアラは槍をその手に取った。
果たして誰が現れるか。
もしもあの戦争麒麟児であれば死闘は必至。
そうでなくても二番隊、三番隊、五番隊の隊長の誰かであればエリオット・クリストフと実力に大きな差はない。
二十日ほど前、二番隊の副隊長を名乗る女戦士を一対一で破り捕縛して投獄したばかりだ。
副隊長を名乗る誰かであったならまず遅れを取ることはないだろう。
いずれにしても、負けるわけにはいかない。
他の部隊の、特に異国の戦士達は大層な強者揃いだ。
彼等がこの国のために戦い、そして勝って帰る可能性が高いとなればこの国を背負って戦う者の一人として、その代表たる己が負けることなど許されない。
そんな気持ちがキアラを奮い立たせていた。
しかしそれでも、唯一の不安の種があるとするならばそれは部下のコルト・ワンダーの存在だった。
都市に到着したという報告を受けて以来コルトからの連絡がない。
何かあれば逐一報告するように伝えてあるはずにも関わらずそれが無いということは今なお交戦の最中なのか、それとももう……。
ふと過ぎったそんな思考をキアラは頭を振るうことでどうにか否定する。
そんなはずはない。
いくら魔法力で国内一、二を争うだけのものを持っているとはいえまだ若く、元来戦に向くタイプでもなければ部隊を率いる経験や人間性を持っていないコルトにはいつだって自身の無事を第一に考える様に強く言い聞かせてきた。
今回の遠征においてもクロンヴァール王の決めた方針に沿って単独での戦闘をする必要はないと伝えている。
そのために護衛団の中でも経験の長い者や腕利きの兵士を重点的にコルトの部隊に配置するようにノーマン副隊長に命じた。
いずれは第一線で国を守る戦士になってもらわなければならない人材であることは間違いない。
しかし今はまだ、何かを背負って立つには早い。
それは異国のコウヘイという少年にすら指摘されたことだ。だからこそ肩書きに押しつぶされないように気に掛けてきたのだ。
もっとも、その異国の少年はコルトと一つしか歳が違わない身でありながら国王代理や元帥の肩書きを与えられているのだがそれは別の話としておくべき事情だろう。
とにかく、戦果を度外視さえすればコルトのことは心配いらない。いつもの様に部隊長としての指揮にいっぱいいっぱいになって他のことに頭が回らない状態にでもなっているだけだ。
まるで自分に言い聞かせる様に脳内で完結させ、キアラは微かに感じる結界の中へと足を踏み入れた。
まず考えるべきは自らの役割を全うすること。
そんな思考の切り替えと同時に転送魔術によって突如目の前に現れたのは、予想通り帝国騎士団の中でも特に恐れられている隊長を名乗る戦士のうちの一人だった。
肩と胸部に黒い鎧を纏い、顔の上半分のみが鉄仮面によって覆われているスラリとした体型の男だ。
直接会ったのは初めてのことだったが、この国に仕える戦士なら誰もが知っている【鉄面鬼】と呼ばれている狂戦士であることにキアラが気付かぬはずもない。
両手で槍を構え、キアラはその表情が読めない風貌がより警戒心を抱かせる目の前の男に向かって語りかけた。
「貴方が……三番隊隊長ユリウス」
「いかにも。まさか栄えある総隊長殿と相見えることになろうとは、俺の運もまだ捨てたものではないらしい」
嘲るように言葉を返すユリウスもまた、すぐに腰から剣を抜いた。
「言っている意味が分からないわね」
「貴様の首を手土産に王都へ攻め込めばこれ以上ない絶望をこの国の者共に与えてやることが出来る。ただそれだけの意味でしかない」
「どこまでいっても命の奪い合いをしなければ気が済まないと、そう言うのね。それがどれだけ愚かしい行為か……なぜ貴方達は理解しようとしない」
「さすがは英雄と呼ばれる女傑だけのことはある。そうやって正義のご高説を掲げることで己の地位を守り、血統による差別と排除を正当化してきたというわけだ。その結果がこの戦争を生んだというのだから皮肉なものだな、血で血を洗うのが好きなのは果たしてどちらの勢力か分かったものではない」
「どんな理由であれ、争いに加っている以上は一方の視点から正義を語るつもりはない。正義のためではなく、私は私の守るべきもののために戦うだけ。例え神や閻魔に捌かれることになろうとも、目の前で助けを求めている一人を救うためなら私は喜んで地獄に堕ちる覚悟がある」
「要らぬ心配だな。お前を地獄に叩き落とすのは今、この場で俺がすることだと既に決まっている」
「武器を収め、都市を開放するつもりはないということね。このタイミングを逃せば争い以外の方法で解決する道はなくなってしまうでしょう。それが分かっていてなぜ殺し合う方法を選ぶ……どちらかが滅びるまで戦い続ければ満足だと、それが正しいことだと貴方は本気で思っているの?」
「ふっ」
「答えなさい、ユリウス!」
「今更和睦を持ち掛けてこようとは笑わせる。だが、それも相手が悪かったな。歴史や血統など俺の知ったことではない。本能と衝動の赴くままにこの国を滅ぼす、ただそれだけだ。どちらが正義か、誰の主張が正しいか、そんなものは後世の評論家にでも語らせておけ」
「それが貴方の答えと言うなら、こちらも退く気はないわ。全ては助けを待つ民のため……貴方の命、頂戴します」
そこで会話は途切れ、風の吹く音だけが辺りに流れる中で両者が武器を構えたまま向かい合う状態となった。
方や大きな槍を、方や細身の剣をそれぞれ両手で持ち、共に先手を打つはどちらであるかを思案している。
キアラは相手の動きへ即座に反応するために目を反らさず、黙考を重ねた。
兵士達の数ある報告の中にユリウスが特異な能力を操るという情報はない。
それでいてただの一人で何十人もの兵士を死に至らしめ、何百人の兵士を切り伏せている事実が逆に剣術一つがいかに突出しているかを物語っていた。
帝国騎士団の動きが活発化し、国王パトリオット・ジェルタールが掃討作戦の実行を決断してはや数十日。
まるでその根城であるグリーナへの大軍の派遣を事前に阻止せんとするかの様に先手を打って七つの都市を次々と占拠していった。
それに加えて魔王軍と協力関係を結んでいることが濃厚という状況と自軍も同盟国と連合を組んでいる状況とが合わさることでこの戦争はすぐに歯止めが利かなくなるだろう。
王都への攻撃がほとんど無い状態であるとはいえ、ただの三百人足らずの反乱軍を相手に劣勢である状態が既に異常なのだ。
これ以上この国の平穏を脅かされたままにしておくわけにはいかない。
その断固たる決意がキアラの闘争心を駆り立てていた。
対して、ユリウスの心に宿る意志はただ一つ。
この女はここで殺す。
それだけだった。
現在では旧サントゥアリオ帝国の生き残りと表現される帝国騎士団にあって、三番隊隊長を務めるユリウスには他の団員達との大きな隔たりがある。
戦う理由は等しく復讐心によるものではあったが、ユリウスにとって騎士団の意志や亡き先人達の存在など気に留める価値もない程度のことでしかなかった。
ただ己の欲望を満たすためだけにこの国を血に染め、その度に心に宿る鬼がさらなる阿鼻叫喚を求めて人を殺せと呻きを上げる。
そんな殺戮と破壊の衝動を本能として受け入れ、殺す為に戦うことがユリウスにとっての進むべき修羅の道であった。
元来徒党を組むことすら虫酸が走る質だ。
団長であるクリストフと出会っていなければ騎士団に加わることすらなかっただろう。
いつしか部下になったアリフレート副隊長の存在がなければ間違いなく先に騎士団の誰かを血祭りにあげていたであろうことも間違いない。
それでも数年もの間を堪え忍んだのは全てにおいて今この瞬間の、言い換えればこの国を奪い返すのではなく、滅ぼした上で我等が物にするのだと、かつてそう言ったエリオット・クリストフと交わした共通の目的を果たすためだ。
クリストフはいつかの約束通りその舞台を作り上げた。
さして意味のない小競り合いの様な戦いではなく真の決戦を、それも世界を巻き込みつつある規模での戦争をついに実現してみせた。
人ならざる輩と何かしらの取引をしているようだが、そんなものはどうだっていい。
戦争が始まったならば、あとは本能と欲求に従い立ちはだかる者全てを殺すだけだ。
そんな思考がユリウスの脳内を埋め尽くしていた。
ゆえに、ユリウスは先手を打って攻撃を仕掛ける。
心と武器を持つ腕の両方が疼き、共和国最強の戦士であるキアラの死がこの国にどれだけの絶望を与えられるかと考えただけで凡そ対等以上の相手と戦うにあたっての慎重さなど消えてなくなっていた。
しかし、その制御不能な憎しみが生む殺意による攻撃はユリウスにとって隙と誤算をもたらすこととなる。
エレナール・キアラという女戦士が天武七闘士に数えられている理由は志の立派さでもなければ与えられた肩書きの重要性でもない。
偏にその強さを以て世界に名を知らしめているという事実を配慮に値しないと切り捨てたとなれば、それは必然とも言える結果だった。
世に伝説とまで呼ばれている雷神の槍の使い手であること、その能力に関わらず槍である以上は突きに特化していること、それらを無視して正面から襲い掛かりほとんど真上から剣を振り下ろしたユリウスの初撃はあっさりと防がれる。
それどころか太刀を浴びせ続けることで敵の攻撃の攻め手を潰していくことが基本的なユリウスの戦術であったが、その目すらも最初の攻撃によって奪われていた。
一太刀目を防がれたと同時に一瞬動きが鈍ったユリウスの隙を見逃さず、キアラはすかさず二度の突きを放つ。
辛うじてそれを弾いたユリウスは後方に飛び退きし、どうにか距離を置いた。
「…………」
顔の半分を覆う鉄仮面の奥で、ユリウスは苦々しい表情を浮かべていた。
一見すれば一度を防がれ、二度を防いだだけの攻防。
しかし、ユリウスの体は本来あるはずのない大きなダメージを負っている。
それはキアラの持つ槍による特性によるものであり、まさしく自らの隙が生んだ結果でもあった。
雷神の槍という武器は文字通り雷を操る能力を持っていることが最大の強みである。
キアラは一連の攻防の間、絶えず槍に雷を帯びさせており、それが武器同士が触れただけでユリウスに雷撃のダメージを与えていた。
初撃に加え、キアラの反撃を加えてそれが計三度。
想定外であったこともさることながら、決して軽度とは言えないだけの攻撃を重ねて受けた事実がユリウスの体の痛みを増長させ、同時にその心を苛立たせた。
己の迂闊さを今になって自覚し、それを除いても攻守の両方において取り得る手段が浮かばないことも理由の一つではあったが、雷鳴一閃の異名は伊達ではないらしいとここにきて初めて認識を改めたものの強敵であると認めた分だけ殺意も増していく。
本来の冷静さを徐々に取り戻しつつあったユリウスは、それでも衝動を抑え込むことが出来てはいない。
そして、相手に対する認識を改めたのはキアラも同様であった。
三度の雷撃を体に受けて平然と立っている人間など未だかつて見たことがない。
それがキアラの抱いた率直な感想であり、同時に驚くべき事実でもあった。
顔が隠れているその風貌がそう感じさせる部分もあるだろう。
しかしそれでも、例え攻撃を防がれたところで全身を襲う痛みに苦しみ膝を突くだけのダメージであることに間違いはない。
無防備に攻撃を仕掛け、武器が触れ合い雷撃を受けることで一瞬動きが鈍ったものの、その後の攻撃を防ぐだけではなく待避し直立を保ったまま今なお武器を構えている。
ユリウスのそんな姿が、本来であれば間違いなく追撃を仕掛けている状況でキアラにそれを自重させた。
この男は強い。
ならば、ダメージを刻んでいくよりも渾身の一撃で勝負を決する。
それがキアラの出した結論だった。
正面に構える雷神の槍を覆っている無数の稲光がバチバチと音を立てる。
追撃をしない代わりにその時間の全てを限界値まで雷の威力を蓄えることに費やした効果だ。
自らの消耗も大きくはあるが、この状態の一撃を受けて無事でいられた相手は過去に存在しない。
同じ人間相手にそれを見舞うことは初めての経験。それでも、戦場に身を置くキアラの覚悟がぶれることはなかった。
「終わりにしましょう。平和の礎を守る我が使命のため、貴方の屍を越えさせてもらいます」
キアラは地面を蹴る。
そして槍を片手に持ち替え、素早い動きで眼前の敵へと真っ直ぐに向かっていきつつ突きを放つ構えを取った。
対してユリウスもまた、ダメージの残る体でキアラを迎え撃つべく前へ出る。
既にその行動は思考によって左右されていない。
直前の攻防による判断ミスも、キアラの能力への対策も、考える気すらなかった。
ここで背を向けることは己の半生を否定することと同義だ。
忌まわしき敵がそこにいるならば、力でねじ伏せ正面から叩き潰す。
他ならぬキアラ総隊長が相手であることが全ての意志を放棄させ、ユリウスの体を本能によって突き動かした。
瞬く間に距離が詰まっていく。
急速に接近した二人は同時に渾身の突きを放った。
互いの武器の切っ先同士がぶつかり合うその瞬間、まるで落雷があったかのような轟音と目映い閃光が辺りを包む。
刹那、ユリウスの体を尋常ではない衝撃が襲った。
キアラの繰り出せる限界値の威力を持つ雷撃が武器同士の接触を通じて全身を穿ったのだ。
疑う余地もなく雷系統極大呪文を遙かに超える威力であり、常人なら即死か、そうでなくとも一瞬で意識など失ってしまうレベルの一撃必殺。
ゆえにユリウスが攻撃を選択した時点でキアラは己の優勢を疑うことはなかった。
しかし、次の瞬間。
その確信が誤算に変わる。
「っ!?」
どういうわけか、それだけのダメージを受けているはずのユリウスを押し切ることが出来ず、それどころか伝わってくる突きの威力が一瞬にして増した。
そんなことがあるはずがない、と。キアラは唖然とし目を見開いた。
だからといって油断をしていたわけでもない。
しかし、覚悟を以て手加減を捨てたことがここにきて災いしてしまっていた。
強力過ぎる己の武器、能力の影響によって微かに痺れ、握力が低下していたキアラの片腕ではユリウスの執念とも言える一撃に耐え切ることが出来ず、武器を介した力比べに押し負けた結果雷神の槍はその手を離れて遙か後方へ弾き飛ばされる。
追撃を恐れて咄嗟に間合いを取ったキアラは今一度目の前の光景に唖然とした。
「そんな馬鹿な……なぜ立っていられるというの」
槍を目で追うこともせず、キアラは目の前にある光景をただ見つめている。
重ねて攻撃を仕掛けてくることはなかったものの、ユリウスは未だ二本の足で立っていた。
鉄仮面のせいでその表情から読むことは出来ないが、口元を見るに苦しんでいるようにも見えない。
この男にはダメージという概念がないのか。そんな愚かな憶測さえもがキアラの脳裏を過ぎっていた。
問うまでもなく、そんな事実はない。
倒れなかったことに強靱な肉体と精神力がそれを拒絶した以外の要因はなく、ユリウスの全身は間違いなく深刻なダメージに包まれていた。
雷撃が皮膚を焼いたのか、その体の至る所からうっすらと煙が登っている。
しかしそれでも体は動く。
加えて敵は丸腰の状態だ。
殺すならばこの機をおいて他にない。
その決断の下、ユリウスは下げたままの腕を上げて再び剣を構えた。
攻撃の意志を剥き出しにし、全身から溢れ出る殺気は増していく。
まさに再び地面を蹴ろうとした時、その目に映ったキアラの姿がもたらす微かな違和感がその足をすんでの所で止めた。
「…………」
頭を過ぎる疑問がユリウスを思い留まらせる。
この少しの間があれば武器を拾いにいけたはず。なぜこの女はそれをしない。
下らぬ矜恃が背を向けることを嫌ったか、それとも俺が戦闘不能であるとでも思っているのか。
一瞬見せた驚きの表情から後者の線は薄い。
この期に及んで弱った敵となら駆け引きが出来るつもりでいるのか。
命が惜しければ退けなどと舐めたことを口にしようものならば、それを貴様の最後の言葉にしてくれる。
そんな思考の末に出した結論はやはり攻撃の一手であったが、その読みの全てが誤りであったことに気付いたのは、まさにその瞬間のことだった。
突如として響いた轟音と共に目の前が光に包まれる。
ユリウスに感じることが出来たのはただそれだけだった。
視覚と聴覚から得たその認識と同時に再び全身を痛烈な衝撃が襲う。
苦しげな声を漏らしながらよろめき、膝から崩れ落ちたユリウスは剣を突くことで辛うじて倒れ込んでしまうのを防いだ。
見下ろした地面に見える僅かな焦げ跡がキアラの攻撃を受けたのだと理解させる。
そしてその読みの通り、天より落ちし雷がユリウスの体を貫いた。それが現実に起こった出来事の全てだった。
「これでもまだ倒れないとは、どこまでも恐ろしい男」
キアラは未だ膝を突いたままの状態でどうにか体勢を維持するユリウスとの距離を維持している。
その手には変わらず雷神の槍は持たれていない。
目の前の不可解な光景と膝を突く自分に苛立ち、ユリウスは傷む体で憎々しげに言葉を返した。
「くっ……馬鹿な、なぜ武器も持たぬお前が……」
「奥の手は取っておくもの、ということよ。私が雷鳴一閃という二つ名で呼ばれるようになったのは雷神の槍を授かったことが理由ではない」
生まれながらにして雷を操る能力を持っていたがゆえのことよ。
キアラはそう続けた。
それは同じ王国護衛団の部下ですらどれだけ知っている者がいるかというレベルの話だ。
隠しているわけでこそなかったが、槍を扱うようになって以来使うことも少なくなった力であることもあって古くからの同僚や近しい兵士以外の多くの者が雷神の槍とその異名をイコールであると認識している。ユリウスがその事実を知るわけもなかった。
「今度こそ、命運は尽きた。いくら貴方が強い肉体を持っていても、その体で私の技に耐える事は出来ない」
「国家の飼い犬が風情が……この俺に大言を吐くな!」
ユリウスはふらつきながらも、声を荒げながらどうにか立ち上がる。
怒りや憎しみを露わにすること自体が稀なユリウスにとって、いかにこの状況が屈辱的であるかを物語っている。
対するキアラは怯むことも躊躇うこともなく、両の掌を胸の前で合わせ、既に次なる術の発動を開始していた。
合わせた手がバチバチと音を立てる無数の雷光を帯び始めると、徐々に強さ大きさを増していくその光はやがてキアラの全身を包むまでに肥大していく。
幾度となく雷によるダメージを受けたユリウスはその動向の前に安易に動く事が出来ず、鉄仮面越しに何を始めようとしているのかと見極めようとしながらただ機を窺っている。
キアラの術の発動が完了したことを示したのはまるでその体から生み出だされたかの様に現れた光り輝く獣の姿をした何かだった。
頭部に長く鋭い一角を持つ、人の数倍はあろうかという体躯の狼の様な風貌をしたその巨大な何かはキアラの傍らでユリウスを睨み付けている。
キアラが真の奥の手として生み出したのは雷の幻獣だ。
「実体の無い雷であるこの幻獣から逃れる術はない。ユリウス、貴方が奪ってきた多くの命に対する償い……今この場でしてもらいます」
「小癪……ゆえに、ここで死ぬのはお前だ」
「何とでも言いいなさい。行けっ、雷獣!」
キアラは右手でユリウスを指し、号令を発した。
同時に雷の幻獣が真っ直ぐにユリウスへと襲い掛かっていく。
それを見たユリウスもまた、武器を手に雷獣へと突進することを選んだ。
日頃の寡黙で冷静なユリウスを知らないキアラにはどこまでも憎悪によって直接的な攻撃を打つだけの男がただ哀れに映った。
もう少し冷静な頭脳と性格を持っていれば遙かに手強い相手になっていた。それは同時に戦争を避けることが出来た可能性にも繋がったかもしれないのに。
そんな考えが過ぎると、それだけでいかにこの国の負の連鎖が根深いのかを痛感し心が痛んだ。
僅かに表情が曇ったキアラの目の前では今まさにユリウスと雷獣が接触しようとしている。
先程の轟鳴の霹靂の比ではない濃度の雷で形成されているのだ。
いかに強い肉体を持っていようとも、あれの攻撃を受ければ流石に生きてはいられまい。
そう確信すればこそ、己の手で命を奪うことになる相手の最後を見届けることもまた自分が負うべき責任であると、キアラはその瞬間を目に焼き付けようとした。
光り輝く一角の獣と生身の人間であるユリウスの距離がゼロになった瞬間、その目に映ったのはその確信に反して真っ二つに切り裂かれた雷獣の姿とその間を突き抜けてくるユリウスの姿だった。
「なっ!?」
無意識に驚愕の声が漏れる。
雷そのものである幻獣を斬るなどということが現実に起こり得るわけがない。
そんな思考と共に我が目を疑うキアラだったが、目の前で起きた非現実に対しそれ以上の分析をする暇はなく、そのまま突進してくるユリウスはまたしても真上から剣を振り下ろした。
武器を持たないキアラに防ぐ術はなく、ギリギリのところでどうにかそれを躱す。
しかし、ユリウスは空振ったことで一度地面を叩いた剣を素早く逆手で振り抜いた。
手負いとは思えぬスピードと動きに二度目の斬撃を躱し切ることが出来ず、その剣先がキアラの左肩をかすめる。
傷口から血しぶきが飛沫する中、どうにかして距離を置かなければまずいと精一杯考えを巡らせるキアラだったが、雷獣の召還によって大きく消耗した体がそれを困難にさせていた。
すぐさま繰り出された三度目の攻撃である顔面への突きを反射的に躱し、ならばと空を切ったユリウスの腕を右手でがっちりと掴んだ。
キアラはその手から直接雷撃を見舞おうと力を振り絞ったが、やはり魔法力が足りないぜいで発動することはなく、それでも攻撃の手は止めることが出来たはずだというせめてもの成果さえも直後に腹部を襲った衝撃によって意味を失うこととなる。
ユリウスは腕を掴まれた瞬間に空いている左手による掌底を繰り出していた。
腕を取られてから掌底を繰り出すまでの時間の短さが証明する戦闘センスの高さは結果的にキアラに対処する時間を与えず、その体を後方に弾き飛ばした。
一瞬宙に浮いた体でどうにか体勢を立て直したものの、キアラは着地と同時に苦しげな表情で膝を突く。
一見すれば到底筋肉質には見えないユリウスだが、色濃く血統の恩恵を受け、人間離れした腕力と肉体の強さ、自己治癒力を持っている。
その渾身の一撃をまともに、それも魔法力のほとんどを消費し肉体を消耗しているせいで本来の力が入りきらない状態で受けたことが腹部だけではなく僅かながら内臓にもダメージを与えていた。
しかし、痛む腹部を抑えながら表情を歪めるキアラの思考が向く先は自らの体のことではない。たった今目の前で起きたあるはずのない現象のことしか頭にはなかった。
「あり得ない……雷を斬るだなんてことが出来るわけが」
そこまで言って、キアラは少し離れた位置に立つユリウスの体に現れてる異変に気が付いた。
いつからそうなっていたのか、その全身に加え手に持つ剣までもが青白い光を帯びている。
キアラの持つ情報にその正体に関するものはなく、ただその異様さだけを感じ取っていた。
「青い……オーラ? それは一体……」
「何を驚くことがある。他ならぬお前自身が言ったことだろう、奥の手は取っておくものだとな」
「奥の……手」
「煉蒼闘気と名付けた能力だ。それ以上の情報はこれから死ぬお前には必要ない」
ユリウスは一歩、また一歩とキアラの方へと近付いていく。
一片の迷いもなく、その命を奪うことだけを考えていた。
ユリウスを含む帝国騎士団の隊長、副隊長のみが知る事実として、都市奪還を阻止せんとする騎士団の作戦において団長であるエリオット・クリストフから戦いに臨むそれらの肩書きを持つ戦士達に下された指令が一つだけある。
それは『敵の主戦力はまだ殺すな』というものだった。
魔王軍との取引に関係があるらしく、他の大国を巻き込んでの大戦を実現するためにはその準備段階で痛手を与えこの国から撤退させてしまっては意味がない、という魔王軍側の都合であるという説明を受けた記憶がユリウスにも確かに存在している。
しかしそれでも、この場に来てから今に至るまでにキアラを生かしておく気など微塵も持っていなかったユリウスにとって、そんな指令のことなどどうでもよかった。
誰かを殺せという指令ならいざ知らず、殺すなという指令に従う理由はない。
この国に生かす価値のある人間など居ない。
殺したい者を殺すためだけに組織に身を置いているのだ。それを咎められるような下らない組織であるならば袂を分かつだけのこと。
その価値観こそがユリウスたる所以だった。
自身もダメージが残り、その度合いでいえばキアラを遙かに上回っている状態であるにも関わらずその本能が揺らぐことはない。
その怨念とも言える行動原理が今にも襲い掛かってくるのではないかという危機感を与え、加えてユリウスの全身を覆う青い闘気とまるで執念が肉体を動かしているようにさえ映る鬼気迫る雰囲気を感じ取ったキアラは迷わず背を向けた。
出来る限りの力で駆け出した先にあるのは後方に転がる雷神の槍だ。
もはや素手のままでは勝機は無い。
動きが鈍っているという点においては大差はないはず。ならば追ってきたところでこちらの方が早い。
少なくとも槍があれば魔法力を必要とせずに雷を繰り出すことが出来る。
反動もあるとはいえ、こうなれば差し違える覚悟で臨む以外に勝つ道も負けない道も存在しないだろう。
ある種の捨て身の覚悟を以て雷神の槍に迫るキアラだったが、ユリウスがそれを見逃すことはなかった。
愛用の武器の直前まで来たところで背中に叩き込まれた一撃がその体を再び吹き飛ばす。
離れた位置から放ったユリウスの斬撃波がキアラの背の中心へまともに直撃していた。
「ぐ、うぅ……」
受け身を取ることも出来ず、前のめりに地面に倒れ込んだキアラは辛うじて意識を保っていたものの、もはや体の自由が効く状態になかった。
この国には斬撃を飛ばすという技法は存在しない。
ゆえに剣士であるユリウスが遠距離攻撃を仕掛けてくる可能性を考慮していなかったことが隙を生み、その結果がキアラの思惑を阻止させる形となってしまった。
満身創痍の体から放たれた一撃は本来の威力に遠く及ばないものではあったが、防御体勢を取っていなかったことに加え鎧を身に着けず服の下に防刃アーマーを着ているだけのキアラには十分なダメージを与えた。
すぐ目の前には自身の武器が転がっている。
這ってでも進まなければと槍に手を伸ばしたが震える腕が槍に触れることはなく、その手がそのまま地面へと落下していくと同時にキアラは意識を失った。
倒れたまま動かないキアラの姿にユリウスは今度こそ勝利を確信する。
あとは息の根を止めるだけだ。
この国の希望を絶つという、悲願とも言えるその瞬間を前に剣を握る腕にも力が増した。
ユリウスはキアラが武器の下に向かったことで開いた距離を再び詰めていく。
しかし、二転三転と優劣が入れ替わり続けたこの戦いは、ここでまたしても様相を変えた。
足を進めるユリウスの前方から無数の矢が降り注いだのだ。
何十もの矢が絶えることなく雨霰とユリウスへと襲い掛かる。
その目に映ったのは後方で待機していた兵士達が隊列を組み、矢の雨が途切れない様に入れ替わり立ち替わりで弓を引く姿だった。
当初からその存在を認識してはいたものの手を出してくるとは思ってもおらず、存在そのものを捨て置いていたユリウスは矢の直撃を避けるために後ずさりながら剣で弾き落としていく以外に動き様がなくなる。
「くっ……雑兵共がっ」
今にもあの女を殺すところだったというのに。
その思いがユリウスの心を乱す。
怒気を孕んだその言葉を掻き消す様に聞こえてきたのは馬が疾走する足音だった。
上空から外せずにいる視界の片隅に映ったのは二頭の馬とそれに跨る二人の兵士だ。
間違いなくこちらに向かってきている。
群れの数だけが強みの虫けら如きが小細工を利用して俺を攻撃しようというのか。
そんなユリウスの予想は大きく外れ、二人の白十字軍兵士は前方で足を止めるとキアラとその傍らに転がる雷神の槍を確保し馬に跨ってすぐさま引き返していく。
その光景にようやくユリウスは全てを理解した。
「この矢はそのための時間稼ぎ……舐めた真似を」
未だ収まる様子のない降り注ぐ矢を払いのけながら呟いた言葉には闘争心は感じられない。
馬の移動速度に追い付く術を持たないユリウスが遠ざかっていくキアラを乗せた馬を見守る他ない現実を理解していないはずがなかった。
やがて二頭の馬が後方の部隊と合流すると、そのまま数百の兵士達は撤退を始める。
その段階まできてようやく止んだ矢の嵐はのべ五百を数えていた。
完全に見えなくなるまで一度も目を反らさずに敵の姿を凝視していたユリウスはしばらく立ち尽くしたのち、歯痒さを胸に武器を収め自身も撤収することを決める。
こうして、大都市フローバーを巡る死闘は双方に大きな深手を残し、ユリウスにとっては皮肉にも敵を追い払うという団長の指令を遂行する形で幕を閉じた。
サントゥアリオ本城を出た白十字軍第六部隊が目的地であるフローバー町へ到着したのは昼を過ぎて間もなくのことだった。
部隊を率いるはサントゥアリオ共和国が誇る国防組織、王国護衛団のトップに立つ戦士、エレナール・キアラ総隊長である。
齢二十三にして国家最強の戦士と呼ばれ、八千にも及ぶ兵士を纏める立場にあるキアラ隊長の名を知らない者は国内はおろか国外にも居ないといっても過言ではない。
キアラ隊長がこの肩書きを得たのは十六の時だ。
この若さにして総隊長になってすでに七年が経っているという事実は、現国王であるパトリオット・ジェルタールが十代で国王になったことと合わせて国内外問わず当時の大きな話題となった過去がある。
当時から非凡な才能を持っていたキアラ隊長は前総隊長であり現副隊長であるヘロルド・ノーマンの降格をきっかけに当時の上級大臣の推薦と任命を受けて総隊長の座を引き受けた。
周囲の目に臆することなく強さや正義感を遺憾なく発揮し、結果として国民からの信頼を得るための時間もそう必要とせず、就任時に伝説の武具【雷神の槍】を与えられたことも大きな要員となって【雷鳴一閃】という異名は瞬く間に世に広まったのだった。
「では打ち合わせ通り戦闘態勢を維持し、ここで待機していてください」
広く大きな城壁に囲まれた町を前にキアラは馬を下りると全軍に向けて声を張った。
各部隊の担当都市を決める折、移動に時間が掛かるフローバーと純粋に本城からの距離が一番長いダンジュを自国の部隊で引き受けたため到着時間が遅くなることは予め分かっていたことだ。
ゆえに出発前と道中の小休止の時間を利用して効率よく作戦と指示を伝え、決戦に備えた。
既にこれは戦争へと発展した争いだ。
揺れることなく、揺らぐことなく、己に出来る全てを国と民の未来のために。
それが総隊長を引き受けると決めた時にキアラが立てた誓いであった。
総勢三百の兵士達の敬礼を確認し背を向けると短い金色の髪を靡かせ、その足で町へと歩いていく。
ランスに分類される大きな槍が背負われた背中を兵士達はしばらくその体勢で見送った。
都市を囲む城壁を目の前にしたところで、やはりキアラもその足を止める。
微かに感じる魔力。
それは何度も報告で聞いた侵入を阻む敵が転移するための結界魔法だ。
占拠された計七つの主要都市。
過去十数回、護衛団の部隊が奪還を試みては返り討ちに遭っている。
つい数日前にもまさにこの地に向かった一軍が退けられたばかりだった。
死者は百を超え、負傷兵も後を絶たない悲惨な状況は一向に好転の兆しを見せていない。
帝国騎士団が魔王軍と手を組んだというのが事実であれば、それは既に侵略行為に他ならない。客観的に見ればもはや一国家の内乱で済む問題ではないだろう。
しかしそれでも、キアラは他国の手を借りなければ国や民を守ることが出来ない己の無力さを痛感せずにはいられなかった。
「ふぅ……」
一つ息を吐いて呼吸を整え、キアラは槍をその手に取った。
果たして誰が現れるか。
もしもあの戦争麒麟児であれば死闘は必至。
そうでなくても二番隊、三番隊、五番隊の隊長の誰かであればエリオット・クリストフと実力に大きな差はない。
二十日ほど前、二番隊の副隊長を名乗る女戦士を一対一で破り捕縛して投獄したばかりだ。
副隊長を名乗る誰かであったならまず遅れを取ることはないだろう。
いずれにしても、負けるわけにはいかない。
他の部隊の、特に異国の戦士達は大層な強者揃いだ。
彼等がこの国のために戦い、そして勝って帰る可能性が高いとなればこの国を背負って戦う者の一人として、その代表たる己が負けることなど許されない。
そんな気持ちがキアラを奮い立たせていた。
しかしそれでも、唯一の不安の種があるとするならばそれは部下のコルト・ワンダーの存在だった。
都市に到着したという報告を受けて以来コルトからの連絡がない。
何かあれば逐一報告するように伝えてあるはずにも関わらずそれが無いということは今なお交戦の最中なのか、それとももう……。
ふと過ぎったそんな思考をキアラは頭を振るうことでどうにか否定する。
そんなはずはない。
いくら魔法力で国内一、二を争うだけのものを持っているとはいえまだ若く、元来戦に向くタイプでもなければ部隊を率いる経験や人間性を持っていないコルトにはいつだって自身の無事を第一に考える様に強く言い聞かせてきた。
今回の遠征においてもクロンヴァール王の決めた方針に沿って単独での戦闘をする必要はないと伝えている。
そのために護衛団の中でも経験の長い者や腕利きの兵士を重点的にコルトの部隊に配置するようにノーマン副隊長に命じた。
いずれは第一線で国を守る戦士になってもらわなければならない人材であることは間違いない。
しかし今はまだ、何かを背負って立つには早い。
それは異国のコウヘイという少年にすら指摘されたことだ。だからこそ肩書きに押しつぶされないように気に掛けてきたのだ。
もっとも、その異国の少年はコルトと一つしか歳が違わない身でありながら国王代理や元帥の肩書きを与えられているのだがそれは別の話としておくべき事情だろう。
とにかく、戦果を度外視さえすればコルトのことは心配いらない。いつもの様に部隊長としての指揮にいっぱいいっぱいになって他のことに頭が回らない状態にでもなっているだけだ。
まるで自分に言い聞かせる様に脳内で完結させ、キアラは微かに感じる結界の中へと足を踏み入れた。
まず考えるべきは自らの役割を全うすること。
そんな思考の切り替えと同時に転送魔術によって突如目の前に現れたのは、予想通り帝国騎士団の中でも特に恐れられている隊長を名乗る戦士のうちの一人だった。
肩と胸部に黒い鎧を纏い、顔の上半分のみが鉄仮面によって覆われているスラリとした体型の男だ。
直接会ったのは初めてのことだったが、この国に仕える戦士なら誰もが知っている【鉄面鬼】と呼ばれている狂戦士であることにキアラが気付かぬはずもない。
両手で槍を構え、キアラはその表情が読めない風貌がより警戒心を抱かせる目の前の男に向かって語りかけた。
「貴方が……三番隊隊長ユリウス」
「いかにも。まさか栄えある総隊長殿と相見えることになろうとは、俺の運もまだ捨てたものではないらしい」
嘲るように言葉を返すユリウスもまた、すぐに腰から剣を抜いた。
「言っている意味が分からないわね」
「貴様の首を手土産に王都へ攻め込めばこれ以上ない絶望をこの国の者共に与えてやることが出来る。ただそれだけの意味でしかない」
「どこまでいっても命の奪い合いをしなければ気が済まないと、そう言うのね。それがどれだけ愚かしい行為か……なぜ貴方達は理解しようとしない」
「さすがは英雄と呼ばれる女傑だけのことはある。そうやって正義のご高説を掲げることで己の地位を守り、血統による差別と排除を正当化してきたというわけだ。その結果がこの戦争を生んだというのだから皮肉なものだな、血で血を洗うのが好きなのは果たしてどちらの勢力か分かったものではない」
「どんな理由であれ、争いに加っている以上は一方の視点から正義を語るつもりはない。正義のためではなく、私は私の守るべきもののために戦うだけ。例え神や閻魔に捌かれることになろうとも、目の前で助けを求めている一人を救うためなら私は喜んで地獄に堕ちる覚悟がある」
「要らぬ心配だな。お前を地獄に叩き落とすのは今、この場で俺がすることだと既に決まっている」
「武器を収め、都市を開放するつもりはないということね。このタイミングを逃せば争い以外の方法で解決する道はなくなってしまうでしょう。それが分かっていてなぜ殺し合う方法を選ぶ……どちらかが滅びるまで戦い続ければ満足だと、それが正しいことだと貴方は本気で思っているの?」
「ふっ」
「答えなさい、ユリウス!」
「今更和睦を持ち掛けてこようとは笑わせる。だが、それも相手が悪かったな。歴史や血統など俺の知ったことではない。本能と衝動の赴くままにこの国を滅ぼす、ただそれだけだ。どちらが正義か、誰の主張が正しいか、そんなものは後世の評論家にでも語らせておけ」
「それが貴方の答えと言うなら、こちらも退く気はないわ。全ては助けを待つ民のため……貴方の命、頂戴します」
そこで会話は途切れ、風の吹く音だけが辺りに流れる中で両者が武器を構えたまま向かい合う状態となった。
方や大きな槍を、方や細身の剣をそれぞれ両手で持ち、共に先手を打つはどちらであるかを思案している。
キアラは相手の動きへ即座に反応するために目を反らさず、黙考を重ねた。
兵士達の数ある報告の中にユリウスが特異な能力を操るという情報はない。
それでいてただの一人で何十人もの兵士を死に至らしめ、何百人の兵士を切り伏せている事実が逆に剣術一つがいかに突出しているかを物語っていた。
帝国騎士団の動きが活発化し、国王パトリオット・ジェルタールが掃討作戦の実行を決断してはや数十日。
まるでその根城であるグリーナへの大軍の派遣を事前に阻止せんとするかの様に先手を打って七つの都市を次々と占拠していった。
それに加えて魔王軍と協力関係を結んでいることが濃厚という状況と自軍も同盟国と連合を組んでいる状況とが合わさることでこの戦争はすぐに歯止めが利かなくなるだろう。
王都への攻撃がほとんど無い状態であるとはいえ、ただの三百人足らずの反乱軍を相手に劣勢である状態が既に異常なのだ。
これ以上この国の平穏を脅かされたままにしておくわけにはいかない。
その断固たる決意がキアラの闘争心を駆り立てていた。
対して、ユリウスの心に宿る意志はただ一つ。
この女はここで殺す。
それだけだった。
現在では旧サントゥアリオ帝国の生き残りと表現される帝国騎士団にあって、三番隊隊長を務めるユリウスには他の団員達との大きな隔たりがある。
戦う理由は等しく復讐心によるものではあったが、ユリウスにとって騎士団の意志や亡き先人達の存在など気に留める価値もない程度のことでしかなかった。
ただ己の欲望を満たすためだけにこの国を血に染め、その度に心に宿る鬼がさらなる阿鼻叫喚を求めて人を殺せと呻きを上げる。
そんな殺戮と破壊の衝動を本能として受け入れ、殺す為に戦うことがユリウスにとっての進むべき修羅の道であった。
元来徒党を組むことすら虫酸が走る質だ。
団長であるクリストフと出会っていなければ騎士団に加わることすらなかっただろう。
いつしか部下になったアリフレート副隊長の存在がなければ間違いなく先に騎士団の誰かを血祭りにあげていたであろうことも間違いない。
それでも数年もの間を堪え忍んだのは全てにおいて今この瞬間の、言い換えればこの国を奪い返すのではなく、滅ぼした上で我等が物にするのだと、かつてそう言ったエリオット・クリストフと交わした共通の目的を果たすためだ。
クリストフはいつかの約束通りその舞台を作り上げた。
さして意味のない小競り合いの様な戦いではなく真の決戦を、それも世界を巻き込みつつある規模での戦争をついに実現してみせた。
人ならざる輩と何かしらの取引をしているようだが、そんなものはどうだっていい。
戦争が始まったならば、あとは本能と欲求に従い立ちはだかる者全てを殺すだけだ。
そんな思考がユリウスの脳内を埋め尽くしていた。
ゆえに、ユリウスは先手を打って攻撃を仕掛ける。
心と武器を持つ腕の両方が疼き、共和国最強の戦士であるキアラの死がこの国にどれだけの絶望を与えられるかと考えただけで凡そ対等以上の相手と戦うにあたっての慎重さなど消えてなくなっていた。
しかし、その制御不能な憎しみが生む殺意による攻撃はユリウスにとって隙と誤算をもたらすこととなる。
エレナール・キアラという女戦士が天武七闘士に数えられている理由は志の立派さでもなければ与えられた肩書きの重要性でもない。
偏にその強さを以て世界に名を知らしめているという事実を配慮に値しないと切り捨てたとなれば、それは必然とも言える結果だった。
世に伝説とまで呼ばれている雷神の槍の使い手であること、その能力に関わらず槍である以上は突きに特化していること、それらを無視して正面から襲い掛かりほとんど真上から剣を振り下ろしたユリウスの初撃はあっさりと防がれる。
それどころか太刀を浴びせ続けることで敵の攻撃の攻め手を潰していくことが基本的なユリウスの戦術であったが、その目すらも最初の攻撃によって奪われていた。
一太刀目を防がれたと同時に一瞬動きが鈍ったユリウスの隙を見逃さず、キアラはすかさず二度の突きを放つ。
辛うじてそれを弾いたユリウスは後方に飛び退きし、どうにか距離を置いた。
「…………」
顔の半分を覆う鉄仮面の奥で、ユリウスは苦々しい表情を浮かべていた。
一見すれば一度を防がれ、二度を防いだだけの攻防。
しかし、ユリウスの体は本来あるはずのない大きなダメージを負っている。
それはキアラの持つ槍による特性によるものであり、まさしく自らの隙が生んだ結果でもあった。
雷神の槍という武器は文字通り雷を操る能力を持っていることが最大の強みである。
キアラは一連の攻防の間、絶えず槍に雷を帯びさせており、それが武器同士が触れただけでユリウスに雷撃のダメージを与えていた。
初撃に加え、キアラの反撃を加えてそれが計三度。
想定外であったこともさることながら、決して軽度とは言えないだけの攻撃を重ねて受けた事実がユリウスの体の痛みを増長させ、同時にその心を苛立たせた。
己の迂闊さを今になって自覚し、それを除いても攻守の両方において取り得る手段が浮かばないことも理由の一つではあったが、雷鳴一閃の異名は伊達ではないらしいとここにきて初めて認識を改めたものの強敵であると認めた分だけ殺意も増していく。
本来の冷静さを徐々に取り戻しつつあったユリウスは、それでも衝動を抑え込むことが出来てはいない。
そして、相手に対する認識を改めたのはキアラも同様であった。
三度の雷撃を体に受けて平然と立っている人間など未だかつて見たことがない。
それがキアラの抱いた率直な感想であり、同時に驚くべき事実でもあった。
顔が隠れているその風貌がそう感じさせる部分もあるだろう。
しかしそれでも、例え攻撃を防がれたところで全身を襲う痛みに苦しみ膝を突くだけのダメージであることに間違いはない。
無防備に攻撃を仕掛け、武器が触れ合い雷撃を受けることで一瞬動きが鈍ったものの、その後の攻撃を防ぐだけではなく待避し直立を保ったまま今なお武器を構えている。
ユリウスのそんな姿が、本来であれば間違いなく追撃を仕掛けている状況でキアラにそれを自重させた。
この男は強い。
ならば、ダメージを刻んでいくよりも渾身の一撃で勝負を決する。
それがキアラの出した結論だった。
正面に構える雷神の槍を覆っている無数の稲光がバチバチと音を立てる。
追撃をしない代わりにその時間の全てを限界値まで雷の威力を蓄えることに費やした効果だ。
自らの消耗も大きくはあるが、この状態の一撃を受けて無事でいられた相手は過去に存在しない。
同じ人間相手にそれを見舞うことは初めての経験。それでも、戦場に身を置くキアラの覚悟がぶれることはなかった。
「終わりにしましょう。平和の礎を守る我が使命のため、貴方の屍を越えさせてもらいます」
キアラは地面を蹴る。
そして槍を片手に持ち替え、素早い動きで眼前の敵へと真っ直ぐに向かっていきつつ突きを放つ構えを取った。
対してユリウスもまた、ダメージの残る体でキアラを迎え撃つべく前へ出る。
既にその行動は思考によって左右されていない。
直前の攻防による判断ミスも、キアラの能力への対策も、考える気すらなかった。
ここで背を向けることは己の半生を否定することと同義だ。
忌まわしき敵がそこにいるならば、力でねじ伏せ正面から叩き潰す。
他ならぬキアラ総隊長が相手であることが全ての意志を放棄させ、ユリウスの体を本能によって突き動かした。
瞬く間に距離が詰まっていく。
急速に接近した二人は同時に渾身の突きを放った。
互いの武器の切っ先同士がぶつかり合うその瞬間、まるで落雷があったかのような轟音と目映い閃光が辺りを包む。
刹那、ユリウスの体を尋常ではない衝撃が襲った。
キアラの繰り出せる限界値の威力を持つ雷撃が武器同士の接触を通じて全身を穿ったのだ。
疑う余地もなく雷系統極大呪文を遙かに超える威力であり、常人なら即死か、そうでなくとも一瞬で意識など失ってしまうレベルの一撃必殺。
ゆえにユリウスが攻撃を選択した時点でキアラは己の優勢を疑うことはなかった。
しかし、次の瞬間。
その確信が誤算に変わる。
「っ!?」
どういうわけか、それだけのダメージを受けているはずのユリウスを押し切ることが出来ず、それどころか伝わってくる突きの威力が一瞬にして増した。
そんなことがあるはずがない、と。キアラは唖然とし目を見開いた。
だからといって油断をしていたわけでもない。
しかし、覚悟を以て手加減を捨てたことがここにきて災いしてしまっていた。
強力過ぎる己の武器、能力の影響によって微かに痺れ、握力が低下していたキアラの片腕ではユリウスの執念とも言える一撃に耐え切ることが出来ず、武器を介した力比べに押し負けた結果雷神の槍はその手を離れて遙か後方へ弾き飛ばされる。
追撃を恐れて咄嗟に間合いを取ったキアラは今一度目の前の光景に唖然とした。
「そんな馬鹿な……なぜ立っていられるというの」
槍を目で追うこともせず、キアラは目の前にある光景をただ見つめている。
重ねて攻撃を仕掛けてくることはなかったものの、ユリウスは未だ二本の足で立っていた。
鉄仮面のせいでその表情から読むことは出来ないが、口元を見るに苦しんでいるようにも見えない。
この男にはダメージという概念がないのか。そんな愚かな憶測さえもがキアラの脳裏を過ぎっていた。
問うまでもなく、そんな事実はない。
倒れなかったことに強靱な肉体と精神力がそれを拒絶した以外の要因はなく、ユリウスの全身は間違いなく深刻なダメージに包まれていた。
雷撃が皮膚を焼いたのか、その体の至る所からうっすらと煙が登っている。
しかしそれでも体は動く。
加えて敵は丸腰の状態だ。
殺すならばこの機をおいて他にない。
その決断の下、ユリウスは下げたままの腕を上げて再び剣を構えた。
攻撃の意志を剥き出しにし、全身から溢れ出る殺気は増していく。
まさに再び地面を蹴ろうとした時、その目に映ったキアラの姿がもたらす微かな違和感がその足をすんでの所で止めた。
「…………」
頭を過ぎる疑問がユリウスを思い留まらせる。
この少しの間があれば武器を拾いにいけたはず。なぜこの女はそれをしない。
下らぬ矜恃が背を向けることを嫌ったか、それとも俺が戦闘不能であるとでも思っているのか。
一瞬見せた驚きの表情から後者の線は薄い。
この期に及んで弱った敵となら駆け引きが出来るつもりでいるのか。
命が惜しければ退けなどと舐めたことを口にしようものならば、それを貴様の最後の言葉にしてくれる。
そんな思考の末に出した結論はやはり攻撃の一手であったが、その読みの全てが誤りであったことに気付いたのは、まさにその瞬間のことだった。
突如として響いた轟音と共に目の前が光に包まれる。
ユリウスに感じることが出来たのはただそれだけだった。
視覚と聴覚から得たその認識と同時に再び全身を痛烈な衝撃が襲う。
苦しげな声を漏らしながらよろめき、膝から崩れ落ちたユリウスは剣を突くことで辛うじて倒れ込んでしまうのを防いだ。
見下ろした地面に見える僅かな焦げ跡がキアラの攻撃を受けたのだと理解させる。
そしてその読みの通り、天より落ちし雷がユリウスの体を貫いた。それが現実に起こった出来事の全てだった。
「これでもまだ倒れないとは、どこまでも恐ろしい男」
キアラは未だ膝を突いたままの状態でどうにか体勢を維持するユリウスとの距離を維持している。
その手には変わらず雷神の槍は持たれていない。
目の前の不可解な光景と膝を突く自分に苛立ち、ユリウスは傷む体で憎々しげに言葉を返した。
「くっ……馬鹿な、なぜ武器も持たぬお前が……」
「奥の手は取っておくもの、ということよ。私が雷鳴一閃という二つ名で呼ばれるようになったのは雷神の槍を授かったことが理由ではない」
生まれながらにして雷を操る能力を持っていたがゆえのことよ。
キアラはそう続けた。
それは同じ王国護衛団の部下ですらどれだけ知っている者がいるかというレベルの話だ。
隠しているわけでこそなかったが、槍を扱うようになって以来使うことも少なくなった力であることもあって古くからの同僚や近しい兵士以外の多くの者が雷神の槍とその異名をイコールであると認識している。ユリウスがその事実を知るわけもなかった。
「今度こそ、命運は尽きた。いくら貴方が強い肉体を持っていても、その体で私の技に耐える事は出来ない」
「国家の飼い犬が風情が……この俺に大言を吐くな!」
ユリウスはふらつきながらも、声を荒げながらどうにか立ち上がる。
怒りや憎しみを露わにすること自体が稀なユリウスにとって、いかにこの状況が屈辱的であるかを物語っている。
対するキアラは怯むことも躊躇うこともなく、両の掌を胸の前で合わせ、既に次なる術の発動を開始していた。
合わせた手がバチバチと音を立てる無数の雷光を帯び始めると、徐々に強さ大きさを増していくその光はやがてキアラの全身を包むまでに肥大していく。
幾度となく雷によるダメージを受けたユリウスはその動向の前に安易に動く事が出来ず、鉄仮面越しに何を始めようとしているのかと見極めようとしながらただ機を窺っている。
キアラの術の発動が完了したことを示したのはまるでその体から生み出だされたかの様に現れた光り輝く獣の姿をした何かだった。
頭部に長く鋭い一角を持つ、人の数倍はあろうかという体躯の狼の様な風貌をしたその巨大な何かはキアラの傍らでユリウスを睨み付けている。
キアラが真の奥の手として生み出したのは雷の幻獣だ。
「実体の無い雷であるこの幻獣から逃れる術はない。ユリウス、貴方が奪ってきた多くの命に対する償い……今この場でしてもらいます」
「小癪……ゆえに、ここで死ぬのはお前だ」
「何とでも言いいなさい。行けっ、雷獣!」
キアラは右手でユリウスを指し、号令を発した。
同時に雷の幻獣が真っ直ぐにユリウスへと襲い掛かっていく。
それを見たユリウスもまた、武器を手に雷獣へと突進することを選んだ。
日頃の寡黙で冷静なユリウスを知らないキアラにはどこまでも憎悪によって直接的な攻撃を打つだけの男がただ哀れに映った。
もう少し冷静な頭脳と性格を持っていれば遙かに手強い相手になっていた。それは同時に戦争を避けることが出来た可能性にも繋がったかもしれないのに。
そんな考えが過ぎると、それだけでいかにこの国の負の連鎖が根深いのかを痛感し心が痛んだ。
僅かに表情が曇ったキアラの目の前では今まさにユリウスと雷獣が接触しようとしている。
先程の轟鳴の霹靂の比ではない濃度の雷で形成されているのだ。
いかに強い肉体を持っていようとも、あれの攻撃を受ければ流石に生きてはいられまい。
そう確信すればこそ、己の手で命を奪うことになる相手の最後を見届けることもまた自分が負うべき責任であると、キアラはその瞬間を目に焼き付けようとした。
光り輝く一角の獣と生身の人間であるユリウスの距離がゼロになった瞬間、その目に映ったのはその確信に反して真っ二つに切り裂かれた雷獣の姿とその間を突き抜けてくるユリウスの姿だった。
「なっ!?」
無意識に驚愕の声が漏れる。
雷そのものである幻獣を斬るなどということが現実に起こり得るわけがない。
そんな思考と共に我が目を疑うキアラだったが、目の前で起きた非現実に対しそれ以上の分析をする暇はなく、そのまま突進してくるユリウスはまたしても真上から剣を振り下ろした。
武器を持たないキアラに防ぐ術はなく、ギリギリのところでどうにかそれを躱す。
しかし、ユリウスは空振ったことで一度地面を叩いた剣を素早く逆手で振り抜いた。
手負いとは思えぬスピードと動きに二度目の斬撃を躱し切ることが出来ず、その剣先がキアラの左肩をかすめる。
傷口から血しぶきが飛沫する中、どうにかして距離を置かなければまずいと精一杯考えを巡らせるキアラだったが、雷獣の召還によって大きく消耗した体がそれを困難にさせていた。
すぐさま繰り出された三度目の攻撃である顔面への突きを反射的に躱し、ならばと空を切ったユリウスの腕を右手でがっちりと掴んだ。
キアラはその手から直接雷撃を見舞おうと力を振り絞ったが、やはり魔法力が足りないぜいで発動することはなく、それでも攻撃の手は止めることが出来たはずだというせめてもの成果さえも直後に腹部を襲った衝撃によって意味を失うこととなる。
ユリウスは腕を掴まれた瞬間に空いている左手による掌底を繰り出していた。
腕を取られてから掌底を繰り出すまでの時間の短さが証明する戦闘センスの高さは結果的にキアラに対処する時間を与えず、その体を後方に弾き飛ばした。
一瞬宙に浮いた体でどうにか体勢を立て直したものの、キアラは着地と同時に苦しげな表情で膝を突く。
一見すれば到底筋肉質には見えないユリウスだが、色濃く血統の恩恵を受け、人間離れした腕力と肉体の強さ、自己治癒力を持っている。
その渾身の一撃をまともに、それも魔法力のほとんどを消費し肉体を消耗しているせいで本来の力が入りきらない状態で受けたことが腹部だけではなく僅かながら内臓にもダメージを与えていた。
しかし、痛む腹部を抑えながら表情を歪めるキアラの思考が向く先は自らの体のことではない。たった今目の前で起きたあるはずのない現象のことしか頭にはなかった。
「あり得ない……雷を斬るだなんてことが出来るわけが」
そこまで言って、キアラは少し離れた位置に立つユリウスの体に現れてる異変に気が付いた。
いつからそうなっていたのか、その全身に加え手に持つ剣までもが青白い光を帯びている。
キアラの持つ情報にその正体に関するものはなく、ただその異様さだけを感じ取っていた。
「青い……オーラ? それは一体……」
「何を驚くことがある。他ならぬお前自身が言ったことだろう、奥の手は取っておくものだとな」
「奥の……手」
「煉蒼闘気と名付けた能力だ。それ以上の情報はこれから死ぬお前には必要ない」
ユリウスは一歩、また一歩とキアラの方へと近付いていく。
一片の迷いもなく、その命を奪うことだけを考えていた。
ユリウスを含む帝国騎士団の隊長、副隊長のみが知る事実として、都市奪還を阻止せんとする騎士団の作戦において団長であるエリオット・クリストフから戦いに臨むそれらの肩書きを持つ戦士達に下された指令が一つだけある。
それは『敵の主戦力はまだ殺すな』というものだった。
魔王軍との取引に関係があるらしく、他の大国を巻き込んでの大戦を実現するためにはその準備段階で痛手を与えこの国から撤退させてしまっては意味がない、という魔王軍側の都合であるという説明を受けた記憶がユリウスにも確かに存在している。
しかしそれでも、この場に来てから今に至るまでにキアラを生かしておく気など微塵も持っていなかったユリウスにとって、そんな指令のことなどどうでもよかった。
誰かを殺せという指令ならいざ知らず、殺すなという指令に従う理由はない。
この国に生かす価値のある人間など居ない。
殺したい者を殺すためだけに組織に身を置いているのだ。それを咎められるような下らない組織であるならば袂を分かつだけのこと。
その価値観こそがユリウスたる所以だった。
自身もダメージが残り、その度合いでいえばキアラを遙かに上回っている状態であるにも関わらずその本能が揺らぐことはない。
その怨念とも言える行動原理が今にも襲い掛かってくるのではないかという危機感を与え、加えてユリウスの全身を覆う青い闘気とまるで執念が肉体を動かしているようにさえ映る鬼気迫る雰囲気を感じ取ったキアラは迷わず背を向けた。
出来る限りの力で駆け出した先にあるのは後方に転がる雷神の槍だ。
もはや素手のままでは勝機は無い。
動きが鈍っているという点においては大差はないはず。ならば追ってきたところでこちらの方が早い。
少なくとも槍があれば魔法力を必要とせずに雷を繰り出すことが出来る。
反動もあるとはいえ、こうなれば差し違える覚悟で臨む以外に勝つ道も負けない道も存在しないだろう。
ある種の捨て身の覚悟を以て雷神の槍に迫るキアラだったが、ユリウスがそれを見逃すことはなかった。
愛用の武器の直前まで来たところで背中に叩き込まれた一撃がその体を再び吹き飛ばす。
離れた位置から放ったユリウスの斬撃波がキアラの背の中心へまともに直撃していた。
「ぐ、うぅ……」
受け身を取ることも出来ず、前のめりに地面に倒れ込んだキアラは辛うじて意識を保っていたものの、もはや体の自由が効く状態になかった。
この国には斬撃を飛ばすという技法は存在しない。
ゆえに剣士であるユリウスが遠距離攻撃を仕掛けてくる可能性を考慮していなかったことが隙を生み、その結果がキアラの思惑を阻止させる形となってしまった。
満身創痍の体から放たれた一撃は本来の威力に遠く及ばないものではあったが、防御体勢を取っていなかったことに加え鎧を身に着けず服の下に防刃アーマーを着ているだけのキアラには十分なダメージを与えた。
すぐ目の前には自身の武器が転がっている。
這ってでも進まなければと槍に手を伸ばしたが震える腕が槍に触れることはなく、その手がそのまま地面へと落下していくと同時にキアラは意識を失った。
倒れたまま動かないキアラの姿にユリウスは今度こそ勝利を確信する。
あとは息の根を止めるだけだ。
この国の希望を絶つという、悲願とも言えるその瞬間を前に剣を握る腕にも力が増した。
ユリウスはキアラが武器の下に向かったことで開いた距離を再び詰めていく。
しかし、二転三転と優劣が入れ替わり続けたこの戦いは、ここでまたしても様相を変えた。
足を進めるユリウスの前方から無数の矢が降り注いだのだ。
何十もの矢が絶えることなく雨霰とユリウスへと襲い掛かる。
その目に映ったのは後方で待機していた兵士達が隊列を組み、矢の雨が途切れない様に入れ替わり立ち替わりで弓を引く姿だった。
当初からその存在を認識してはいたものの手を出してくるとは思ってもおらず、存在そのものを捨て置いていたユリウスは矢の直撃を避けるために後ずさりながら剣で弾き落としていく以外に動き様がなくなる。
「くっ……雑兵共がっ」
今にもあの女を殺すところだったというのに。
その思いがユリウスの心を乱す。
怒気を孕んだその言葉を掻き消す様に聞こえてきたのは馬が疾走する足音だった。
上空から外せずにいる視界の片隅に映ったのは二頭の馬とそれに跨る二人の兵士だ。
間違いなくこちらに向かってきている。
群れの数だけが強みの虫けら如きが小細工を利用して俺を攻撃しようというのか。
そんなユリウスの予想は大きく外れ、二人の白十字軍兵士は前方で足を止めるとキアラとその傍らに転がる雷神の槍を確保し馬に跨ってすぐさま引き返していく。
その光景にようやくユリウスは全てを理解した。
「この矢はそのための時間稼ぎ……舐めた真似を」
未だ収まる様子のない降り注ぐ矢を払いのけながら呟いた言葉には闘争心は感じられない。
馬の移動速度に追い付く術を持たないユリウスが遠ざかっていくキアラを乗せた馬を見守る他ない現実を理解していないはずがなかった。
やがて二頭の馬が後方の部隊と合流すると、そのまま数百の兵士達は撤退を始める。
その段階まできてようやく止んだ矢の嵐はのべ五百を数えていた。
完全に見えなくなるまで一度も目を反らさずに敵の姿を凝視していたユリウスはしばらく立ち尽くしたのち、歯痒さを胸に武器を収め自身も撤収することを決める。
こうして、大都市フローバーを巡る死闘は双方に大きな深手を残し、ユリウスにとっては皮肉にも敵を追い払うという団長の指令を遂行する形で幕を閉じた。
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