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【勇者が仲間になりたそうにこちらを見ている】

【第十六章】 勇者の居ないパーティー

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 意気軒昂。
 それぞれがそんな心持ちで挑んだこの試練という表現にも違和感の無い危機立ちはだかる道への第一歩。
 ほとんど洞窟と化している地下迷宮の半ばにある大きな空洞に足を踏み入れてなお、そんな気概を保ったままでいられた者は恐らく皆無だと言えた。
「な……なんなのよ、あれ」
 誰もが状況を把握しようと沈黙の、言い換えれば絶句の一瞬を経て最初に感想を漏らした春乃さんは僅かに後退り、恐怖のあまり目を見開いている。
 それもそのはず、目の前に居るそれは魔物というよりは化け物だった。
 一言で形容するのならただのムカデなのだが、問題はその大きさである。
 映画に出てくる大蛇の様な巨大なムカデが二匹、こちらに気付いていないのかノロノロとした動きで十数メートル先で蠢いていておいそれと先に進むことが出来ない。
 大きく長い足がにょろにょろと連なって不気味に動き、その口器には太く鋭い顎肢がはっきりと見えていた。
「さすがに……デカすぎじゃね?」
 いつもならテンションが上がったり我先に目立とうとする高瀬さんですら呆れた風に苦笑している。
 恐怖している感じではなさそうだが、それでも直前まで振り撒いていた気合いはどこかに飛んでいってしまったようだ。
「怖いとか怖くないとか以前にあれをどうにかする方法があるのかと疑問になるぐらいには大きいですね」
『ありゃジャイアント大ムカデだな。ここまでデカいのは俺も始めて見たぜ』
「ジャイアント大ムカデ……そりゃ大きいわけだ」
 むしろ【ジャイアント】と【大】という言葉が同時に付いている名称の生物がいることに驚きである。
 とはいえ誰かが大声を上げていたら不味いことになっていたのは明白なので皆よく我慢したものだと感心しちゃうレベルの化け物だという事実を否定する材料が無さ過ぎて悲しくなってくるけど。
『毒を持ってやがるから噛まれたらヤベェってことは頭に入れておけよ』
「いや、毒があろうと無かろうと噛まれた時点でアウトだと思う……あの大きさじゃ」
 どう見ても家にある包丁とかよりも長いもの。
 噛むというよりも刺すって言った方がしっくりくるもの。
「しかし、どっちにしろあの虫をどうにかしないと先に進めないんだぜ康平たんよ」
「そうですね。問題は二匹いるのをどうやってやっつけるかなんでしょうけど、位置関係からして二手に分かれるか一匹ずつに絞るか……どちらにしてもジャックの言うように近付き過ぎると危険なのでその辺も考えないといけないですね。みのり、大丈夫?」
 あっちから襲ってこないのが唯一の救いである状況で、先頭に立っている僕と高瀬さんの後ろにいる三人を振り返ってみる。
 つい先程まで幽霊に怯え続けていたみのりだ。
 きっと涙目で震えているに違い無い。と、思ったのだが、意外にもそこに怯えるみのりの姿は無かった。
「うん、危ないのは分かってるけど怖いとかは大丈夫だよ」
「あれ、意外だな。てっきりまた怖がってるかと思ったんだけど」
「わたし虫とかは割と平気なんだ。いつも厨房にいるからかな?」
「あれを虫だからって理由で割り切れるんだ……」
 僕よりよっぽど肝が太いよねそれ。
 そんな人間が見たこともない幽霊を怖がるかな普通。
「でも康ちゃん、春乃さんが……」
 ひとまずの安堵を漏らしたのも束の間、みのりは心配そうにもう一つ後ろを振り返る。
 そのみのりの服を指で掴み、陰に隠れる様にしている春乃さんは動揺を通り越して今にも泣きだしそうな顔で震えていた。
「は、春乃さん? 大丈夫ですか?」
「あはは……だ、大丈夫……とは言えないけど心配はしないで。逃げ出したりはしないから……でも、戦うのはちょっと無理そうかも……あたし虫だけはどうしても駄目でさ、もう足ガクガクだし」
 無理して笑ってみせる春乃さんの声は弱々しく、もはや何かに掴まっていないと立っている事も困難であろう程に腰が退けている。
 いくら性格が強くとも女性なのだ。
 無理をさせるさせるわけにも、危険な目に遭わせるわけにもいかないというのが一般的な男としての考えだろうとは思う。
 そりゃ許されるならば僕だって遠慮したいところだけど、今回ばかりは打算的に回避するわけにもいかなそうだ。
 きっとこんな状態でも春乃さんは逃げたり隠れたりを選ぶことはないだろう。
 セミリアさんを助けに行く。その目的のために、何があろうとも。
 そのためにはもう傍観者いることは出来ない。腹を括るしかない。
「高瀬さん」
「お?」
「さすがに僕達だけ逃げ出すわけにもいかなくなっちゃったみたいですよ?」
「ふっ、愚問だな康平たん。ハナから俺様の攻略本に逃げるのコマンドはないぜ」
「なんですか攻略本って……せめて辞書とか言って下さいよ」
「細かい事は気にするな。それよりジャッキー」
『ああ』
「奴を倒す上での現実的かつ有効な戦術は何なんだ?」
『そりゃ昆虫族である以上は火ってことになるだろうぜ。あんなナリじゃなけりゃ物理的攻撃も効果的だが、ありゃ例外と言っていいだろうしな』
「なるほど、炎系統か。ならばやはり俺様の出番というわけだ」
「でも高瀬さん一人じゃ危ないんじゃないですか? といっても僕に火を起こす術はないので出来てもサポートぐらいなんでしょうけど」
 僕は高瀬さんと違って火を吹く銃など所持していない。
 かといって一人で送りだそうというのは愚策過ぎる。
「心配は無用だ康平たん。なにせ俺様は既に炎の呪文で魔物を追っ払った経験があるんだぜ? 俺様のイグニッションファイアーに掛かればデカいだけの虫なんざ一発KOってもんよ」
 恐ろしく得意げな顔で親指を立てる高瀬さんは頼もしいように見えて、何故だか嫌な予感がプンプンした。
 とはいえ他に手段も無い以上ここは攻撃役を担ってもらうのが最良だろう。間違ってもコウモリの時のあれは呪文などではないと思うけど。
「というか、またスプレー攻撃なんですか? 銃を使わずに」
「さして威力は変わらないはずだからな。ならばあっちの方がテンションが上がるのがサバゲ好きってもんだろう」
「ではある程度近付く必要がありますし僕も付いていきます。同じ危ないなら盾がある分僕が居た方が万が一の時に対処出来るはずですから」
「例のバリアか。戦闘要員じゃない康平たんが壁役というのもおかしな話だが、今回ばかりは頭数的にも仕方ねえな。どのみちこの首飾りがありゃ死ぬ事はないらしいんだ、あとは気合いと根性と16連射で乗り切ろうじゃねえか」
「僕はそのどれも持ち合わせていないっぽいですけど、セミリアさんが心配であることに変わりはないですからね。やってみるしかないでしょう。ジャックもそれで異論は無い?」
『やむを得ねえだろう。確かにこのメンツで、かつ女二人を戦わせないようにするためにはそれしかねえ』
「じゃあ行きましょうか。みのり、春乃さんをお願いね」
「う、うん。それは大丈夫だけど、康ちゃん……危なくなったら逃げないと駄目だよ? 約束」
「大丈夫だよ。少し離れた位置から高瀬さんが火を吹きかけるだけだから。駄目そうだったらすぐ退散すればいいんだし」
 口にしてみると分かるが、仮にも生物である大ムカデに火を浴びせようとしているとはなんと残酷な話だろうか。
 人を襲い脅かす魔物だからという理由で割り切れてしまえるあたり僕もこの世界に適応し始めているのか、単に理屈的でありながら達観的な性格ゆえのことか。
「康平っち、おっさん、悪いけど……任せた」
 みのりの後ろから春乃さんが申し訳なさそうにこちらを見ている。
 虫を視界に入れないようにしながらも弱々しく拳をこちらに突き出した姿からも春乃さんなりの勇気をもってこの場に留まっていることは馬鹿にだって分かるというものだ。
 その場その場でそれぞれに役割が与えられるのであれば、それに呼応することが僕の今の役割だと思えない様な人間にはなりたくない。
「なんとかやってみます。虎の人、二人をお願いします」
「任されたトラぞ、ボーイズラブ。ひとまずはレディーマスターとゴールデンブラックの守護をするトラ。必要とあらばいつでも戦闘に参加してやるトラ」
 高瀬さんと違って見た目もその言葉も頼もしい限りである。
 自らを強いと言ってしまえるぐらいだ、万が一の時に二人を逃がしてくれるぐらいの事は心配しなくてもこなしてくれそうだ。
 その惜げもなく露わになっているムキムキの肉体からしても戦闘に参加してもらうべきなのだろうけど、この人はどう考えても肉弾戦向きだろう。
 ならば物理的な攻撃が効かないのであれば二人を守ってもらえる方が適材適所の配置といえる。
 ともあれ、いつの間にか見た目の色だけの呼称になってしまっている春乃さんのためにもやってみますか。
「高瀬さん」
「おう。たかがデカい虫程度じゃ中ボスと呼ぶには不相応だということをあいつらに教えてやろうじゃねえか」
 ニヤリと意味不明な言葉を添えて笑みを浮かべる高瀬さんは足を進め始めた。
 僕もすぐ後ろに付いてゆっくりとムカデに近付いていく。
 虫にも音が聞こえるらしいことを踏まえ、意味があるのかどうかは分からないが出来るだけ静かに、息を殺しながら。
 分かっていたこととはいえ、ムカデとの距離が縮まるに連れてその大きさと気味の悪さをより鮮明に認識させられる。
 一歩間違えれば大惨事。
 そんなヒリヒリとした緊張感に負けまいと生唾を飲んで神経を尖らせて足を進めていく。
 そのまま二、三メートルの位置まで近付いたところで、僕と高瀬さんの足が同時に止まった。
 僕達の位置から見て前後に重なるような位置にいる二体の大ムカデ。その手前の一体にどう見ても警戒と取れる動きがあったからだ。
 他所を向いていた体はこちらを向き、触覚がぴくぴくと動いている。
 これ以上近付くのはまずい。虫というジャンルに精通していなくともそう分かる挙動だった。
 あの高瀬さんも察するぐらいだから間違いないとみていいだろう。
 しかし、中距離から攻撃を仕掛けるには既に十分な距離まで来ていることは間違いない。
 高瀬さんもそのつもりらしく、あの巨大コウモリを撃退した時と同じ様に手に持っていたスプレー缶と簡易ガスバーナーをムカデに向けると、

「イグニッションファイアアアァァァァー!!!」

 例の意味不明な技名を合図に即席火炎放射器を発動させムカデに炎を浴びせた。静かに近付いてきたことを台無しにする雄叫びをあげながら。
 一瞬にして炎の体積は広がり、大きさが大きさだけに全身とはいかなくとも確実にその長い体の一角を覆っていった。
 思わず目を背けたくなる光景。
 しかし握った拳にグッと力を入れながらどうにか堪えて高瀬さんとムカデの一挙手一投足をに気を配ることに集中する。
 目を背けようものなら、その瞬間何をされるか分かったものじゃない。
 万が一の時には僕が高瀬さんの盾にならないといけないのだ。
「…………」
 見守っていた時間は恐らく十秒足らず。
 そんな僕なりの使命感も杞憂だったのか、炎の噴射が終わる頃にはムカデからは一切の動きがなくなっていた。
「へん、どんなもんでい」
 そこでムカデに向けた手を降ろした高瀬さんは達成感たっぷりだ。
 未だムカデには動く気配はない。
「ジャック、どうなの……これ」
『残念ながら、全くダメージは無さそうだぜ?』
「……なんだと? どういうことだジャッキー」
『どうもこうもねえよ。ヤツの体を見てみな、外傷なんざ微塵もねえ。それどころか……』
「「それどころか?」」
『向こう側に繋がる通路を見な。もう一匹出て来たぜ』
 ジャックの不吉な台詞に恐る恐る視線を胸元から奥に繋がる通路に向けてみる。
 その言葉通り、ほとんど同じサイズの大ムカデが奥に見える通路から丁度この空洞に入ってくるところだった。
「ふ……増えちゃってるし」
 二匹のうち一匹ですらどうにもなっていないというのに状況が悪化してしまった。
 そんな目の前の事実に思わず言葉が漏れていた。
 常に冷静に、そして思考で相手を上回ること。
 そんなジャックやノスルクさんのアドバイスを思い出しすぐに思考を巡らせてみるも、ジャックの言った通りあれだけの炎を浴びせて効果が無かったとなると次の手など考えられやしなかった。
 取り敢えずこの場に留まっては危険が増すだけだ。皆のところまで戻ってどうすべきかを相談した方がいいのではないかと高瀬さんに提案しようしたのだが……。
「ダーッシュ!!」
 既に高瀬さんはもの凄い勢いで走っていってしまっていた。
 慌てて僕もその後を追い背後から非難の言葉を投げつける。
「ちょっと、なに一人で逃げてるんですか! さっき攻略本がどうとか言ってたくせに」
「バッキャロー! 逃げてなんかないやい。戦略的撤退だ」
「色んな意味で最低ですね」
 なんて言ってる間に後ろで待っていたみのり、春乃さん、虎の人の位置まで戻って来た。
 すぐに緊張のせいか変に息が切れる僕の顔をみのりが覗き込む。
「康ちゃん、大丈夫?」
「まあ見ての通り僕はなんともないけど、あれ……どうしよう」
「あ、あはは……増えちゃったね」
 正直笑い事でもないのだけど、みのりに言っても仕方あるまい。
 とはいえどうしたものか。
「まあ、よくやったよ康平たんは。ドンマイ」
「……何で僕のせいで増えたみたいな感じにしようとしてるんですか」
「だって俺のせいじゃねーもん」
『珍獣のせいだとは言わねえが、きっかけはあの攻撃だったことは確かだろうぜ』
「……マジで?」
「効果は無かったとはいえ、攻撃を受けたことで周囲に警戒を呼び掛けているのはここからでも確認出来たトラ。それで奥にいたもう一匹も出て来たんだろうトラ」 
 ジャックに変わって補足したのは虎の人だ。
 僕としては誰の責任とかって話ではないと思うのだけど、状況が絶望的になっていることに違いは無い。
 そして虎の人の言葉を聞いてのことか、その絶望的な状況に一番絶望しているであろうみのりの後ろで震えていた春乃さんが絶望を通り越して……キレた。
「ちょっとおっさん! どうなってんのよこれ! やっつけるどころか増えてんじゃない!」
「うおっ、なに急にキレてんだゴスロリ」
「あんたあれだけ息巻いてたくせにぜんっぜん役に立たないじゃない! 何が一発KOよ! KOのこと【気持ち悪い・おっさん】の略だと思ってんじゃないでしょうね!? 違うわよバカ!」
「誰がおっさんだあぁぁ!」
「言ってる場合ですか二人とも……ジャックどうしよう」
「そうだっ、元はと言えばジャッキーのせいなんだぞ」
 突然怒りの矛先を変え、僕の胸元に怒鳴り始める高瀬さん。
 何故この状況で口論が出来るのだろう……ある意味羨ましい。
『何が俺のせいだってんだ』
「ジャッキーが炎が弱点って言ったんだぜ? だから俺たちゃ特攻したってのによ」
『別に嘘こいたわけじゃねえぞ? 単に威力の問題だろう。あのレベルの炎じゃダメージを与えるには遠く及ばなかったって話だ』
「そんな馬鹿な……」
 三体に増えたムカデがゆるりと蠢くのを遠目に眺めながら一層気が重くなるのを感じる。
 確かに高瀬さんの起こした炎はムカデの巨体からすれば小さなものだった。
 だが人間目線で見れば十分大やけどを負うだけの炎と言っていいだけの火力はあったはずだ。
 それが効果ゼロとなれば現実的に炎で攻撃するという手段は取れないのではないだろうか。
 そうなってしまえば何か他の方法を考えるしかない。
 その存在するかどうかも分からない他の案をジャックに聞いてみようとしたのと同じタイミングだった。
「くっくっくっくっ……」
 高瀬さんが急に高笑いを漏らし始めた。
 一同はそこにどんな理由があろうともドン引きである。
「なんなのこいつ……とうとう壊れちゃったわけ?」
『おいおい、どうしたってんだ。絶望してる場合じゃねえだろう。仲間が待ってるんじゃねえのか? しっかりしやがれ』
「案ずるな、俺は正気だ。それよりも、威力が足りないだって? 見くびるなよゴスロリ、ジャッキー。あれしきが俺様の本気だとでも? 舐められたもんだな」
『なにか奥の手でもあるってえのか?』
 ジャックが聞くと、
「お前達にこれだけは言っておいてやる」
 いかにもとっておきの奥の手がありそうな口ぶりの高瀬さんに皆が注目して言葉の続きを待つ。
 ニヤリとドヤ顔を維持したままのその口から出て来たのは、
「今のはメラゾーマではない……メラだ」
 案の定どうでもいい言葉だった。
 聞かなかったことにして作戦会議を再開する。
「ジャック、炎以外に何か効果的な方法は無いの?」
『何度も言うがあのサイズだ。斬撃や爆発系の呪文をそれなりの威力で扱えりゃ効果は大きいだろうが、お前達には無理だろうぜ。となれば炎が一番現実的だったんだが……』
「結局行き着く先はその威力をどうするか……ってことに戻るんだね」
『そういうこった。おいトラ助、おめえ炎系の特技ぐれえ習得しちゃいねえのかい』
「扱えるトラぞ」
 ……なんだって?
「え、ちょっと今なんと仰いました? あなた火を起こせるんですか?」
「うむ」
「…………」
 あっけらかんと答えた虎の人の言葉は僕の聞き間違いではないかと思うには十分な疑問だらけの肯定だった。
 人の非を咎めることだけは率先してやってくれる二人が居る残念なパーティーのおかげで、僕の疑問は口にするまでもなく春乃さんによってぶつけられる。
「はああ? ちょっとトラ! だったらなんで先に言わないのよ、そしたらこんな【動く気持ち悪い】に頼ったりしなかったのに!」
「誰が動く気持ち悪いだ! 石像みたく言ってんじゃねえよ! お前だって驚きすくみあがっていただけの役立たずのくせに」
「なんですってぇ!」
「事実だろうが」
 一転、二人は顔を付き合わせて睨み合いを始める。
 虎の人に対する怒りもさることながら、彼らの抱いた使命感や危機感はどこにいったのだろうか……。
 いい加減時と場合を考えて欲しい。という主張はとうに諦めているが、せめて目の前にあんな化け物がいる状況で大声を出さないでいただきたい。

 ゴン! ゴン!

 そんな切実な願いが通じたのか、二つの鈍い音が口論の声を遮った。
 理由は簡単。
 またしても虎の人の拳骨が二人の頭に落ちたからだ。
 落とされた二人は言わずもがな、傍に居た僕も一緒になって驚いたわけだけど、後ろであたふたしているみのりを見ての行動だったのだとすぐに悟った。
 二人は頭を抱えて仰け反りながらも、すぐに虎の人へと怒号を浴びせる。
「いったぁい! 何すんのよトラ!」
「なにすんだぁ!」
「口論している場合か! と、レディーマスターが言っているような気がしたトラ」
『トラ助と嬢ちゃんの言う通りだ。喧嘩してえなら帰ってからやれ。仲間も自分達も危機の中にいるってのに』
 100%の正論に二人はバツが悪そうに顔を見合わせる。
 勝手に自分のせいになっているみのりが後ろで『えぇぇ!?』とショックを受けていたが、こうでもしないと反省してくれないし必要な犠牲だったと思うことにしよう。
「わ、悪かったわよ。で? トラが火起こせるとして、これからどうすんの康平っち?」
「まず状況的にムカデが三体に増えちゃってるとこからして大問題ですよね。なので虎の人に聞きたいんですけど」
「なんだトラ?」
「あなたの起こせる火というのはどのぐらいの威力……というか規模なんですか?」
「あの程度の魔物なら確実に一体、無理をすれば二体は倒せると思うトラぞ?」
「だったら最初からゲレゲレがやればよかったんじゃね?」
 高瀬さんがジト目で呟いた。
 悲しきかなこればかりは同感せざるを得ない。
「今のオイラはレディーマスターと、ついでにブラックボンバーの守護が第一の役目だトラ。戦闘よりも全員が無事でいることが優先されると言ったのは参謀とやらのボーイズラブも言っていたはずだトラ」
「確かに言いましたけど……」
 そこは臨機応変にというか、せめて最初に言ってくれれば選択肢として組み込めたのでは……。
「……ていうかなんであたしはついでなわけ?」
 という春乃さんの抗議を掘り下げるとまた話が逸れていくのでスルーさせていただこう。
 いや、ほんと致し方なく。
「どっちにしろ配置換えはするしかないんだろ? 康平たん」
「そうですね、虎の人が本当にムカデをやっつけられるならその役目をお願いしたいんですけど、みのりもそれでいい?」
「うん。わたし達だけ無理に守ってもらってるよりみんなが無事にセミリアさんの所に行くことを優先したいから、わたしもそうしてもらった方がいいと思う。だから猫さん、康ちゃんの作戦を手伝ってあげてくれないかな」
「任されたトラ」
「ではお願いします。でも、任せられるのは一体か二体なんですよね?」
「レディーマスターの頼みだ。多少の無理をしてでも二体請け負おうトラ。だがそれ以上は難しいトラな。オイラの技の場合、性質上連発は出来ない。一体を残して時間を稼ぐ手もあるトラが、仲間が倒されたとあればその一体は確実にこちらに攻撃を仕掛けてくるトラ。そうなれば盾を持っているというボーイズラブを除いたとしても三人を同時に守るのは困難だろう…………トラ」
「なるほど……」
 確かにあんなのが突進でもしてこようものなら不思議な盾を持っている僕ですら身を守れるかどうか怪しいものだ。
 みのり、春乃さん、高瀬さんに関しては身を守る物を持ってすらいないので逃げる以外の選択肢がなくなってしまう。
「つまり……命がけの鬼ごっこをしながら時間を稼ぐか、一体は僕達でなんとかするしかないってわけですね」
「そういうことだトラ。どうするかはお前達が決めろトラ。ただし、いい加減時間のことも気にしなきゃいかんがな…………トラ」
「ということですけど、皆さんの意見はどうですか?」
 今なお数十メートル先では大きなムカデが三体、にょろにょろぐねぐねとしている。
 そんな中、いの一番に春乃さんが何かを言い掛けたのが目に入ったが、声に出す前に口を閉じてしまった。
 この場に限れば自分が協力出来ない立場だけに自分の主義主張を述べるのを躊躇ったのだろう。
 気にせず思ったことは言って欲しい。ということを伝えようとするも、それは高瀬さんの言葉に遮られてしまった。
「愚問だな康平たん。危ない橋一つ渡れない奴が勇者の仲間を名乗るなどちゃんちゃら可笑しいぜ。勇者たんを助けに行くんだろ? 前進あるのみだ」
 さっき真っ先に逃げたくせに……。
 と言いたいところだけど、どのみち選択肢などあってないようなものだ。
 形式的に意見を募っているが、実際には誰かにそう言ってもらうための問い掛けのようなものでしかない。珍しく空気を読んでくれたので不問にしておいてあげよう。
「高瀬さんや春乃さんならそう言ってくれると思っていました。僕も同意見なのでさっきと同じように僕と高瀬さんで残りの一体をどうにかする方向で……」
「でも康ちゃん、高瀬さんのなんとかファイアーよりも大きな火を起こさないと駄目なんでしょ? 何か方法はあるの?」
 ごもっともな疑問を呈するみのりは心配そうで不安そうな顔をしている。
 確かに勝算も無く行き当たりばったりでどうにかなる問題ではないのだが、残念なことにその方法なんてまったく考えつかない。
 どうしよう、全員が揃って僕の打開策待ちみたいな雰囲気になってるんですけど……と若干居たたまれない気持ちになっていると高瀬さんがドヤ顔を維持したまま鼻頭を指で擦った。
「方法……無いことはないぜ」
「本当ですか? 一体どんな方法なんです?」
「です?」
「こいつだ」
 みのりと揃って疑問符を浮かべると、高瀬さんは手に持っていたそれを差し出してくる。
 先程も使用していたお徳用……というかほとんど業務用の大きなコンロ用のガスボンベだ。
「またこれを使うんですか? でもそれじゃさっきと……」
「まあ聞け康平たん。イグニッションファイアーじゃなくこれ自体を爆発させるって戦法だ」
「そのガスボンベを……なるほど、そういうことか」
「問題はその確実性だな。そんなこともあろうかとガス銃ならもう一丁あるが、どうする?」
「うーん、考えつく方法としてはそのガス銃で……」
「康ちゃん康ちゃん」
「どうしたの?」
「ボンベを爆発させるってどういうこと?」
 高瀬さんの言わんとすることを理解し具体的な作戦を考えていると、意味が分かっていないらしいみのりが僕の服の袖を掴んで揺すった。
 ちなみにガスボンベ自体知らないらしいジャックは『ガスボンベってなんでい?』と言っていたが取り敢えず後回しだ。
「このボンベに外から衝撃を加えて破裂させれば当然ガスが漏れるでしょ? そこにさっき効果が無かった様な大きさでも火を起こして引火させれば業務用サイズな分さっきの炎よりもより大きな火を爆発を伴った上で発生させることが出来るって理屈だよ」
「そっか……それならなんとかなるかもしれない」
「ただ高瀬さんの言う様に確実性に欠ける。自分達が巻き添えにならない為にはある程度離れた位置からそれをやらなきゃいけない。そうなるとあのムカデの近くにボンベを設置するなり投げ付けるなりしなきゃならないんだけど、そんな距離から確実にボンベを破裂させるとなると……」
「こっちのガス銃なら威力的に缶に穴を空けるぐらいは出来るだろうが、流石に一発で当てれるかどうかは怪しいってのが正直なところだ。それでもよけりゃ任されるが……」
「それしかない、ですかね。本当は高瀬さんには破裂させた後にその銃で火を出して貰わないといけないので別の方法がよかったですけど。それに外してしまうとその攻撃がきっかけでムカデが位置を変えてしまわないとも限りませんし」
「もっともだが、もう考えてる暇も惜しい。分が悪くともやるしかないんじゃねえか康平たん?」
「そうみたいですね。じゃあ……」
 一か八かやってみましょう。
 と、話が纏まりかけた時。不意にみのりが挙手をしながら上擦った声でそれを制した。
「あ、あのっ……だったらわたしのパンチの衝撃波でボンベを壊すっていうのは……」
 言い辛そうにしている理由は不安からか反対される可能性を考慮してか。
 半ばから声が小さくなっていってる上に許可を求めるための、許しを請う様な顔は僕に向いたところで落ち着いた。
 これでも考え得るだけの方法とその有効性を必死に計算していた僕だ。第三者がその役目を担うという策とその該当者の選択肢もとっくに考えたさ。
「みのり、気持ちはありがたいけど上策ではないよ」
「ど、どうして? わたしだって……」
「うん。言いたいことは分かってる。でも単に危ないからとか女の子だからってだけの理由で言ってるんじゃないんだ」
「だったらどうして?」
 みのりは少し拗ねた感じの、どこか問い詰める様な口ぶりで首を傾げる。
 日頃の言動からしてもこうなった時のみのりは『ちゃんと説明してくれるまで引き下がらないからね』と言っているのと同じである。
 いつまでも自分だけが安全な立ち位置にいることにもどかしさを感じていることはすぐに分かったけど、僕自身の気持ちも含めて色々と事情があるのだ。
「よく考えてみて欲しいんだけど、みのりのその武器も離れた位置から狙うってことに違いはないでしょ? だとしたら命中率という点からしてもサバイバルゲーム経験のある高瀬さんより精度が高いって言い切れる?」
「それは……そうだけど」
「加えてこれはノスルクさんが言っていたことだけど、それはあくまで打撃を放出する武器であって打撃の形状は失われないって仕様だったはず。そうなると多少威力が強かったとしてもパンチでこの缶を破裂させられるかどうかの保証が無いんだよ。仮に命中する前提だったとして、缶がへこんだだけに終わったり、最悪その衝撃で缶自体がはじき飛ばされてしまう可能性もある。そうなった時点で作戦が失敗してしまうってわけ」
『ほう……大した知謀じゃねえか相棒』
「将棋は得意だからね」
『ショーギ?』
「やっぱり分からないか。要は計算が早いってことだよ」
 なんて軽口を叩いている間にみのりも観念したらしく、どこか悔しそうに肩を落とした。
「そういうことだったら……仕方ないよね」
「そう落胆するなってみのりたん、俺達に任せとけい。康平たんにも言ったが、何も戦うだけが仲間じゃねえぜ。俺のルミたんを見習ってラブを送ってれば勇気百倍アソパンマソってもんよ」
「高瀬さん……」
 みのりは自らの肩に手を置き、爽やかで晴れやかに意味不明な事を言う高瀬さんを見上げる。
 一見みのりを励ます仲間意識に溢れる光景にも見えるが、付き合いの長い僕にはみのりの頭に浮かぶ【?】が見えていた。
 恐らく気遣ってくれているのは理解しつつも、言っていることの意味は分かっていないのだろう。
 ともあれみのりも納得してくれたみたいなので今はよしとしよう。あとは僕達が頑張るだけだ。
「高瀬さん、じゃあいきましょうか」
「まかせろぜ。俺は銃でガスボンベを潰す、康平たんが先にそれを投げ付けるってことでオケなんだな?」
「ええ、あまりコントロールに自信は無いので僕だけさっきよりも少し近付いてみようと思います。最悪爆発に巻き込まれそうになっても防ぐ手立てがありますし」
 ノスルクさんとの練習以来使っていない盾を頼りにしすぎるのはどうかとも思うのだが、あれだけの化け物を前にして何の危険も無く、何のリスクも無くという考えは捨てなければもっと大きな後悔を呼ぶであろう事は容易に想像出来る。
 格好付けて命を懸ける勇気も、殺されかねない相手に正面から向かっていく度胸も無い僕だけど、謎だらけの世界で理解不能な化け物を相手に戦おうとしていることに理屈を求めるのを止めた瞬間から考えるべきはただ一つ。
 助けを求めてきたセミリアさんの手助けになれるように出来る事を最大限する。
 それが僕が決めた僕なりの覚悟であり、その覚悟は皆の信頼に答える事でのみ意味を持つのだ。
 すなわち、あらゆる可能性や選択肢とそれによって生じる結果や行動に伴うメリット、リスク、そして成功失敗それぞれの場合の対策、対処と次の行動に至るまで全てを天秤に掛けて最善を導き出さなければならない。
 ふぅ、と一つ息を吐いて道を阻む三匹の巨大生物に目を向ける。
 不思議と焦りも緊張も無い。
 勝利への過程は困難である程に燃える。
 普段のゲームならまだしも、今この場でそんな感情が芽生えてしまうのは不謹慎なのだろう。
 どんな勝負事においても、結果としての勝利のために背負うギリギリのリスクに身を委ねるその刹那の気の高ぶりは心地が良かった。
 それは今とて同じ事。
 少しの危険があろうとも最終的に全員無事でセミリアさんと合流することが勝利だとするならば、策や知能で上回ればいいだけの話だ。
「よし……高瀬さん、行きましょうか。そろそろ時間も惜しいです」
「うむ。劇場版の時だけ射的の才能が後付けされるのび太君さながらの銃撃っぷりを見せてやるぜ」
 言っている意味はよく分からないが、彼も臆してはいない様だ。
 少なくとも不安や恐怖を抱いたまま作戦に当たるよりはずっといい。
「康ちゃん……頑張って」
 真剣な面持ちのみのりの言葉に同じく気を引き締めて無言で頷き、そのまま高瀬さんと肩を並べて一歩目を踏み出す。
 ほぼ同時に後ろから声がした。
「待って」
 振り返ると声の主である春乃さんが強ばった表情でこちらに向かって来ていた。
 先程までの一番後ろに居たはずが僕達のすぐ傍にまで近寄って来ると、意を決した様な強い目力でまっすぐに僕を見る。
「どうしたんですか?」
「あたしも……行く。その役、あたしがやる」
「なに急にやる気になってんだ、ゴスロリボンバー」
「誰がゴスロリボンバーよ。おっさんの分際でとんぬらレベルのネーミングセンスを披露してんじゃないわよ」
「そんなことより、行くってどういうことですか春乃さん。無理しなくても丈夫ですよ、僕達がなんとかしますから」
 高瀬さんといつもの様に文句を言い合っている風ではあるが、その声音はいつも通りのものではない。
 だが、言い換えれば不安要素になりかねないので遠慮してくれという意味にもとれる僕の言葉に春乃さんが引き下がることはなかった。
「康平っちの気持ちは嬉しいよ、なんだかんだ言っても優しいよね。でもさ……やっぱガラじゃないんだよね。人任せにして見てるだけってのは。みんながあれこれ必死にやろうとしてるのに一人だけ傍観してられないじゃない。そりゃ怖くないって言ったら嘘になるけど、怖い思いをしないために何もしないぐらいなら……怖い方がずっといいもん」
「だからってお前が来ても大して変わら……」
「そんなことないわよ。きっとこの役はあたしが一番適任だもん。そうでしょ? 康平っち」
「む……そうなのか康平たん?」
 二人に加えてみのりと虎の人までもが僕を見ている。
 他の三人は別としても、春乃さんにそんな顔を向けられてはもう黙っている意味もなくなってしまっていた。
「理屈だけで言えば……確かに春乃さんの仰る通りです」
『その理屈ってのは?』
「難しい話ではないんだけど、単純にマシンガンの性質を持っている春乃さんのギターで缶を狙えば命中率は大幅に上がるっていうのが一つ。そして同じ理由で高瀬さんのガス銃の玉と違って缶を破裂させた際にそのまま引火してくれる可能性が高いから火を放つ工程がカット出来るって利点があるんだよ」
「「お~、なるほど」」
 高瀬さん、みのりが関心したようにそれぞれ手を合わせる。
 ほとんど同じタイミングでジャックも同様の反応を見せた。
 もっとも、ジャックならこのぐらいの事は分かりそうなものだ。単にガスボンベやマシンガンその物を知らないがゆえにその発想に至らなかったのだろう。
 全員が納得したのを見てか、春乃さんが後に続く。
「そういうこと。だからあたしならほぼ確実に成功させられるってわけ。康平っちは敢えて言わないでいてくれたんだろうけどね」
「まぁ……ああいう状態の女性に付いて来い、と言えるほどの男らしさを持ち合わせていないもので」
「誤魔化しても駄目駄目。そんな理由じゃないでしょ? ずっとあたしやみのりんの安全ばっかり優先してたくせにさ。でもね、同じ怖いでも『付いてこい』じゃ駄目かもしれないけど『一緒に頑張ろう』って言ってくれた方が安心出来ることもあるんだよ、女の子ってのは」
「そうなんですか……」
 乙女心に精通していない僕にそれを踏まえて作戦を立てるのはさすがに難しいなぁ……なんて思っていると、
「そうだよ康ちゃん! 春乃さんの言う通りだよ」
「……何故にそっちから力説が?」
「確かにさくせんコマンドにおける【みんながんばれ】ってのは意外とバランス良く各自が行動してくれたりするもんだ。だが使い所を間違えたり乱用するとパーティーから、お前も頑張れよ! と思われかねない地雷作戦でもある。そうなると腹いせにクリフトが無意味なザラキ連打を始めるから気を付けるんだぞ康平たん」
「…………何故にそっちから意味不明な横槍が?」
 そもそもクリフトって誰だ……。
 いや、そんなことはさておき。それがみんなの意志であるなら尊重せざるを得まい。
 その結論が春乃さんの、そしてみのりの覚悟だというのなら『危ないから駄目だ』と言ってしまうのは今後僕も含めてセミリアさんの支えになりたいという気持ちを蔑ろにすることと同じだ。
 危なくなさそうなことだけやる。出来ることだけ頑張る。
 とっくにそんな気持ちで事足りる状況ではなくなっていると自分に言い聞かせておきながら、僕がやろうとしていることは勝算の無い不確定要素だらけの賭けでしかなかった。
 そんな僕に二人の意志を否認する資格もなければそれを納得させるだけの代案もない。
「分かりました。では残りの一匹……全員で対処することにしましょう。僕と高瀬さんが前を歩きます。僕が壁役、高瀬さんがガスボンベを投げつける役をしますので春乃さんは後ろからガスボンベを打ち抜いて下さい。みのりは何かあった時に春乃さんを助けてあげて欲しい」
「分かった。わたしも頑張る」
「たかだか缶一つブッ飛ばすぐらい、へっぴり腰でもこなしてみせるわよ。あたしのギターなら射撃の腕なんて必要ないし、数打ちゃ当たるってやつね。だからみのりん、逃げる時だけお願い。引き摺っていってもいいから、頼りにしてるわよ」
「任せて下さい。わたし、体力と腕力は康ちゃんにも引けを取らないぐらいには自信がありますから」
「わざわざ僕を引き合いに出さないでくれるかな……そりゃ空手やってたら体力も腕力も付くに決まってるじゃないか。ってそんなことは置いといて、高瀬さん」
「おう?」
「高瀬さんももしもの時に備えて攻撃と退避の準備だけはしておいて下さい。先程みたく一人で逃げるのは極力無しの方向で」
「ふっふっふ、まだまだ甘いな康平たん。さっきも言ったが俺は逃げたわけではない。豊富な経験から生まれる高度な読みと戦略の……」
「それから虎の人。僕が心配するのも烏滸がましい話ですが、あなたもお気をつけて」
「任せろトラ。オイラにとって問題なのはあのデカさのみだトラ。仮に反撃にあっても大した問題では無いトラから心配は不要だ」
「それを聞いて安心しました。とはいえ一応は気を付けて下さい。それで、どちらが先に行きますか?」
「二匹を担当するオイラが先に行こう。手前の二匹を右側方へ少し引き付けて攻撃を仕掛けるトラ。その隙に奥の通路を塞いでいる一体を頼むトラ」
「分かりました。では先頭に虎の人、少し離れて僕と高瀬さん、すぐ後ろに春乃さんとみのりって布陣ということで異存は無いですか?」
 一人一人、順番に伝えるべきことは伝えたので改めて全員を見渡してみた。
 目に見える位置にあんな化け物が三匹もいるこの場所で作戦会議というのもおかしな話だが、幸か不幸かムカデ達は遠くの方でほとんど動きをみせておらず、ましてや襲ってきそうな雰囲気は全くといっていいほど感じられない。
 やはり一定の距離に入って初めて攻撃態勢を取ると見てよさそうだ。
 それが分かっていながらその距離に踏み入ろうとしている以上、それが安心できる要素とは言い切れないのだけど……。
「では先行するトラぞ。各々無事に戻れっ」
 鋭い口調でそう言って、虎の人は地を蹴り一直線に駆け出した。
 その強靱な肉体から受ける印象そのままに驚きの脚力で瞬く間にムカデ達の前に到達する。
 やがて、ザザッという地面を擦るブレーキ音が響くと、間髪入れることなく虎の人は左前方に居る二体のムカデに向かって炎を浴びせた。
 事前の作戦通り、虎の人の能力が火を吹いた。
 正確には、火を吐いた。
「カアッ!」
 という声と同時に虎の人の口から噴射された炎の威力は高瀬さんのそれと比べるまでもない大きいものだった。
 一瞬にして空洞内に明るさがもたらされる程の豪炎。
 少し離れているここまで熱が伝わってくるほどに大きな炎が二体のムカデの全身を覆っていく。
 何がどうなってんの……色々な意味で。
「おいおい……普通に火吹いてんじゃねえか、ゲレゲレのやつ」
「なんなのアレ……普通の虎じゃないじゃん。ここまでくるともうワケ分かんないわね、助かるならなんでもいいけどさ」
 僕も含め、誰であっても驚くのが当たり前であろう目の前の光景なのだが、逆にこの程度の驚きで済むのがこの二人たる所以である。
 僕的にもわけ分からないという事に関しては同意しかない。
 仮に火を吹かなくても普通の虎ではないのだろうし、それどころか普通の人間である線まで一緒に消えてしまった感すらある。
「こ、康ちゃん。猫さん……凄いね」
「……凄いで済むみのりも凄いけどね」
 取り乱されるよりは遙かに好ましい状況ではあるけども。
 どういう意味? とでも言いたげに、不思議そうに首を傾げるみのりの反応が、深く考えようとしすぎている僕がおかしいのかという疑念を抱かせるが、ひとまずみのりへの返答は後回しにして今なお炎を吹き続けている虎の人を唖然と眺めている高瀬さん、春乃さんの方へと身体の向きを変える。
「二人とも、呆気に取られている場合じゃないですよ。僕達も早くやらないと」
 僕が言うと、二人は思い出した様に、我に返った様に目の焦点を元に戻した。
 すぐにガスボンベを片手に持った高瀬さんが真剣な面持ちで我先にと号令を口にし、奥へと繋がる通路を塞いでいる残る一匹へと突っ込んで行く。
「ったく、このままゲレゲレにいいところを持っていかれちゃ俺達が馬車要員の危機だぜ。俺達もやってやろうじゃねえか。いくぞお前達、俺に付いてこい!!」
「ちょっとおっさん! 何勝手に仕切ってんのよ、一人で突っ走ったら作戦が台無しじゃない!」
 すぐに春乃さんが後を追う。
 陣形からして既に事前の打ち合わせが台無しになっている感は否めないが、とにかく四人揃っていないとまずいので僕も行かなければ。
「みのり、行くよ」
「うんっ」
 二人揃ってさらにその後を追う。
 僕が壁になる。高瀬さんが缶を投げる。春乃さんが射抜く。みのりが備える。
 せめてその形だけでも守らねばと急いではみたものの、全てを台無しにする男がいることを忘れてはいけなかった。
「死ねぇぇぇぇぇぇ!」
 追い付くよりも先に、ムカデの前に到達した高瀬さんは僕達を待つことなく、その助走を利用してスプレー缶を投げ付けてしまう。
 いっそのこと、その投げ付け物をぶつけるという行為そのもので敵を倒そうとでもしているかの様な全力投球だった。
「ちょ、ちょっと高瀬さ……」
「馬鹿じゃないのあんた! 作戦を理解してないわけ!?」
 黙っているわけにもいかず、二人して文句と批難が溢れてくるがどう考えても遅かった。
 その言葉は既に意味を持たず、くるくると回転を加えながらガスの詰まった円柱型の缶はムカデに向かって飛んでいく。
 幸いではあるが、大きな的を外れることはなくムカデの胴体に当たった缶はそのまま堅い身体で跳ね返ってポトリと地面に転がった。
 ダメージを与えている様子は絶望的なまでになかったが、ぎりぎりで作戦の続行は可能だと判断してもいい。
「春乃さん、急いで下さいっ」
「任せてっ。おっさんのせいで滅茶苦茶よ、まったく」
「やってやれゴス金!」
「うっさい! あんた後で死刑よ」
 当初の恐怖感すら吹き飛ばさんばかりの形相で吐き捨てる様に言いつつも、春乃さんはギターをケースから取り出し肩から掛けるとすぐに側面にあるレバーを引いた。
 例によって、ドドドドドド、と激しい発射音を鳴らしながら光の砲弾が散弾銃さながらムカデに向かって無数に発射される。
 その攻撃もまた、心なしかムカデに直接向けられている気がしないでもないが、それでも数発目か、あるいは十数発目かの砲弾が目標に命中した。
 破裂音と爆発音の混ざった音が響くと同時に引火した炎が周囲に広がる。
 虎の人のほど大きな炎ではなかったが、間違い無くムカデの体積を上回るだけの炎だ。
 僕は三人の前に立ち左手をムカデに向け、いつでも盾を発動させる準備をしていたが、爆風が僕達を襲う様子もなければムカデが反撃してくる様子もない。
 やがてムカデは苦しそうに状態を大きく起こしたかと思うと、そのまま仰向けに倒れてしまった。
 絶命したかのように、ばったりと、動きもなく倒れる。
 そしてすぐにいつかのブロッコリーや巨大コウモリのようにその姿を消失させ、跡形もなくなった。
 炎ごと消滅したこともあり途端に周囲に薄暗さが戻ってくる。
 同時に、残されたこの場にムカデの姿はなくなった。一匹も、である。
「や……やった、の?」
 春乃さんが半信半疑とばかりに僕を見る。
 僕は虎の人の無事を確認するために一度視線を外し、確認出来たことを以て改めて春乃さんに目を向け、イエスの意味で頷いた。
「そのようですね、どうにか」
 肯定をの言葉を受け、春乃さんの不安げな表情が驚きの表情へと変わっていく。
 そして、すぐに歓喜のものへと変化していった。
「やったぁぁぁー!」
「っしゃあぁぁぁぁ! 見たか、俺様の力を!」
「おめでとうございますー!」
 僕以外の三人は手を合わせ、万歳をしながら飛び回っている。
 そんな姿を見て、僕もようやく肩の荷が下りた。
『ご苦労だったな、相棒』
「ほんと、セミリアさんがいないのがこれだけ大変なことだとは思わなかったよ。余所者の僕達にはこれが精一杯だ」
『なあに、経験して、成長すればいい。背伸びしたって大した意味はねえんだ、おめえさんが考えに考えて、出来ることをやろうとした結果だろう。敵を倒したことも、全員が無事だったこともな』
「僕一人のおかげじゃないよ。むしろ指示するか盾になるぐらいしか出来ない分実行した人より役に立ってないぐらいだもん」
『かぁ~、おめえは自分の価値を分かってねえな。どれだけ卓抜した兵がいても指揮する奴が無能な集団に勝利、成功、繁栄はねえんだぞ? この国も褒められた統治は出来ちゃいねえようだし、今はどうか知らねえが強者揃いのサントゥアリオって国も昔から内乱ばかりだった。逆に王族が有能なシルクレアって国はいつの時代も強固なモンだったぜ』
「いや、他所の国の話をされても分からないから」
 この国のことも全然分からないのに。
『要するに、もっとてめえに自信を持てってことだ。指示するおめえが不安がってちゃ周りはもっと不安になるってもんよ。振りだけでも勝てる、成功するから心配いらねえって顔してろ』
「そんなものかな、よく分からないけど」
 むしろ将棋的な概念からいうと虚を突く、裏を掻くといったような戦術こそが大事なわけで、僕はどちらかというと思考を読み尽くした上で相手を嵌めて勝つタイプだから自信満々に勝利を確信している顔とかしたくないなぁ。
 むしろ追い詰められてる風を装って実は初めからこちらの作戦通り、みたいな勝ち方がいい。
 なんて拘りを盤上でもなければ、むしろ自分達が駒になりかねない状況で言ってる場合ではないか。
「どちらにせよ、みんな無事でよかったってことでいいさ。早くセミリアさんと合流しよう」
『ああ、そうしろ。奴も無事であれば、の話になるがな』
「……やっと安心出来た傍から嫌な事言わないでよ」
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