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【勇者が仲間になりたそうにこちらを見ている】
【序章】 勇者がやってきた
しおりを挟む「ありがとうございましたー」
本日最初にして唯一の客を見送ると店内は静寂に包まれた。
「ふぅ」
と、溜め息混じりに一息吐くとカウンターの上のグラスを片付け、軽く拭き上げる。
せっかくの春休みを午前中からアルバイト、それも母親の経営する喫茶店の店番で過ごすというのは一般的にみても有意義な時間とは言えないだろう。
なにせ時給は500円だからね。
いくら常連を多く抱える、割と客入りの良い店とはいえ平日の午前中から客が溢れているなんてことはそうそうなく、僕にとっては単に母さんの「暇な時間帯ぐらいのんびりしたい」という願望を叶える為の割に合わないことこの上ない時間というわけだ。
「はぁ」
もう一度、誰に届くわけでもない溜め息を漏らして読みかけの本のしおりを抜き取り腰掛ける。
せめてもの時間潰しに読み始めた大して面白くもない文庫本。
読み始めるとなかなか面白い。なんてことも特になく、所詮はただ何もしていないよりはマシだろうという意味しか持たない残念なチョイスである。
そんな感想になってしまうのはろくに読み進めることが出来ていないことも原因なのだろうけど。
客が居る時間は読むことが出来ないうえに、これだけ人の居ない時間帯だとコーヒー一杯で長い時間居座る人も珍しくない。
加えて、こうして読む時間が出来たと思ったらタイミング悪く次の客が入ってきたりするのが世の常というものだ。
カランカラン
ほらね。
「いらっしゃいま……せ?」
ドアベルが告げる来客の音に本を置いて立ち上がると、反射的に客を出迎える体勢を取った。
が、その客の格好を見て思わず語尾が上がってしまう。
入ってきたのはとても綺麗な顔をした女性だった。
歳は僕より少し上だろうか、そして日本人ではないようだ。
だがそんなことは大した問題では無く、気になるのはその風貌ただ一点。
勇者のコスプレ。
それ以上の的確な表現が見つからないほど勇者のコスプレをしていて、派手な銀色の髪の毛に重たそうな鎧の様な物を身に付け、腰にはよく出来た派手な剣がぶらさがっている。
日本のそういった文化が外国人にも人気なのは知っているが、だからといってコスプレをしたまま店に入ってくるものだろうか。というかよく町中でこんな格好をするものだ。
「あ、お席にどうぞ」
いつまでも鎌経っているわけにもいかず、ひとまずマニュアルそのまんまの台詞を口にしてみる。
遅れて日本語が通じないパターンに思い至りヒヤリとしたものの女性は一言『うむ』、と促されるまま席に着くと、
「貴公がこの店の店主か?」
「貴公!? いえ、ただのアルバイトですけど……」
「あるばいと? よく分からんが、この店の人間ではないのか?」
「いえ、今は……はい、この店を任されています」
「そうか、ならば一つお尋ねしたい」
「はぁ……」
「ここは……酒場か?」
「……はい?」
あまりに唐突で理解不能な質問に間の抜けた声を出してしまう。
しかし女性はそれがおかしな問答であるとは思っていないのか、ただ不思議そうにするだけだ。
「酒場ではないのか?」
「まぁ……居酒屋ではないですね。どうみても」
「そうか……」
女性はあからさまに落胆した様に項垂れた。
……どうして喫茶店に入ってきてそんな分かりきった質問をし、落胆しているんだろうか。
「あの、お酒が飲みたいんですか?」
というかお酒が飲める歳なんですか?
そう加えようとしたが、さすがに失礼な気がしてぎりぎり飲み込んだ。
「いや、私は酒は飲まん」
「だったらどうして居酒屋に行きたいんですか?」
「情報収集の為だ」
「…………」
なるほど、そういうキャラ作りなのか。
そういう世界観なのか。
「僕にはあなたの趣味の事はよくわかりませんけど……どちらにせよここは居酒屋ではないです。というかこんな時間から営業している居酒屋なんて中々ないと思いますけど……」
「やはりそうか。こちらの世界ならばあるいは、と思ったのだが……どこの世界もそうは変わらんのだな。悠長にしている時間などないというのに……」
何がそうさせるのか、女性は歯痒さの滲む表情で拳を強く握った。
言葉の意味が全く分からない僕は何か掛ける言葉はないものかと頭を巡らせる。
「えっと……なにか急ぎの用事でもあるんですか?」
「用事などではない。強いて言うなら……使命だ」
「使命?」
「後れ馳せながら自己紹介をさせてもらう。私はセミリア・クルイードという者だ。理解してはもらえないだろうが……勇者をやっている」
「いや、見ればわかりますけど」
沈痛な面持ちで言う女性に自分でも驚くほど冷静に受け答えた。
その刹那、そんな僕の態度に気を悪くしたのか女性はバンと音を立て、勢いよく立ち上がる。
「何と言った!」
「いや、あの、すいま……」
「勇者を知っているのか!」
「せ……はい?」
「どうなのだ!?」
「あの魔王を倒す勇者のことなら……はい」
「ようやく……出会えた」
女性は再び腰を下ろすと顔を覆い、涙声で言う。
正直、全く状況が理解出来ない。
勇者ごっこならよそでやってください。なんて言えるはずもなく、
「あの……」
と言うのが精一杯だった。
「取り乱して済まない。この世界に来て初めて勇者のことを知っている人間に出会えたものでな」
「そんな馬鹿な……むしろ知らない人の方が少ない世の中でしょう」
「そんなことはない。私とてここに来るまでの間に幾度も尋ねて回ったさ。だが誰もが首を傾げるばかりだった」
「参考までに聞きますけど……どんな人に聞いたんでしょうか」
「ものを聞くなら老人と相場は決まっている。通りすがる老人にばかり七人ほどな」
そりゃそうなるはずだ、と言えない場合どうすればいいのだろうか。
もはや本気で言っているのか演じているだけなのか分からない上に先程の様に取り乱されては困るので掛ける言葉を探すのにも一苦労である。
「貴公、名前はなんという?」
「樋口康平……ですけど」
「そうか、コウヘイ」
「……はい」
「頼む! 私に力を貸してくれ!」
女性はまた立ち上がるとカウンターに両手を付き、深く頭を下げた。
それだけではなく、
「もう……私一人の力ではどうにもならないんだ……」
か細い声を震わせ、涙を流していた。
女性が泣く姿などそう目にするものではなく、戸惑いを隠すことが出来ない。
「ちょ、ちょっと、どうしたんですか急に」
慌てて言ってみたものの、女性は頭を上げようとはしない。
それでいて今自分が何をやっているのかは全然分かる気がしなかった。
「わ、わかりましたっ。僕に出来ることならお手伝いしますから顔を上げてください!」
「ほ、本当か!」
ようやく顔を上げたコスプレ勇者様は目に涙を光らせたままとても綺麗な笑顔を浮かべた。
いつもはただ退屈なだけの時間だったが今日に限っては一つ学ぶことがあったようだ。
最近のコスプレイヤーは凄い。
○
「……なるほど」
カウンター越しに向かい合う僕とセミリア・クルイードと名乗る外国人女性。
ようやく落ち着いた女性の話をツッコミたくなる衝動を必死に抑えたうえで一通り聞き終えた。
「つまりは世界や国を救うために魔王を倒さなければならないと。そのために仲間が必要なんですね?」
そういう設定なんですね?
「ああ」
「それはセミリアさん? のコスプレ仲間ではダメなんですか?」
「こすぷれ? よく分からん……仲間がいれば苦労はしないし、わざわざこの世界まで来ることもないだろう」
つまりは異国の地で一人コスプレをしていたというわけか……それはまた寂しい人だな。
とはいえ、
「仲間を集めるといってもどうしたらいいんだろう……コスプレ好きな友達なんて心当たりもないし」
「この世界ではどうかは知らんが、私の世界では掲示板を使うのが一般的だった。悲しいことに今や立ち上がるものなど皆無だがな」
「掲示板というとインターネットの?」
「そのインターセットとやらがどういうものなのかは分からんが……つまりは紙に募集の旨を書いて貼るのだ。それを見た腕に自信がある者達が王国の義勇兵や勇者のパーティーとして参加するというわけだ」
つまりは普通、というか本来の意味での掲示板か。
その発想すら本気で言っているのか設定による発言なのかはさっぱりだけど、取り敢えずは世界観を壊すことを是としないのであれば乗っかっておくしかないんだろうな。
「ではその方法でいきましょうか。ちょうど近所に町内会の掲示板があるので」
「うむ」
すぐに紙とペンを持ってくると作業を開始する。
文面を考えるのに少々苦労したが、ひとまずは無難にそれっぽい内容にどうにか纏められた……と思いたい。
「出来た。これでどうでしょう?」
さっそく完成した用紙をセミリアさんの方へ向けてみる。
『急募 勇者の仲間として魔王を倒し世界に平和を取り戻すために共に旅をしてくれる仲間を募集しています。興味のある方は明日午後一時に喫茶ピープルへ』
「ピープルというのはこの店の名前です」
念のため質問される前に補足しておく。
書き進めるうちに『僕は一体何をやっているんだろう』と虚しくなってきたことは勿論内緒だ。
「これを見た我こそはという人間が明日この店に集まるのだな?」
「まぁ、分かりやすく言えばそういうことです。といってもこの辺りにそういう人がいる保証もないですし、あまり過度な期待はしないでくださいよ?」
これも口には出さないが、そもそも町の掲示板なんて見る人がいるかどうかも怪しいもんだ。
かくいう僕も興味を示したことはたぶんない。
「いや、ここまでしてもらえるだけでもこの店に来た甲斐があったというものだ。コウヘイ、礼を言う」
面と向かって感謝されることに少し照れながら、これで駄目なら諦めてくれるだろうと心で呟いておく。
とはいえ、どうなることやら……。
○
翌日、午前九時。
今日も店番の日なので渋々目を覚ますと大きな欠伸をしながらリビングへと向かった。
せっかくの春休みだというのに昼まで眠れないなんて学生の本分を疎かにしていることこの上ない。
ササっと顔を洗うと、ぼんやりした頭で用意されている朝食に手を伸ばす。
母さんは既に二度寝に入っているので一人での朝食だ。朝早くから仕込み等で大変なのは分かっているだけに今さら文句を言おうとも思わない。
そしてあのセミリアさんという女性もまだ眠っているようだ。
心身共に相当疲弊していたようだし仕方がないのかもしれない。
昨日、セミリアさんが行く当てのないことを知った母さんの鶴の一声でうちで一夜を過ごすことになった。
その発言に深く感謝の姿勢を示したセミリアさんの姿は記憶に新しい。
僕としても困っている人を無下にするようなことにならなくてよかったとは思うし、それ自体に特に不満はない。
あえて言うなら母さんのテンションの上がり具合がやや異常だったぐらいだろうか。完全に気分はホームステイしに来た異邦人を迎える家長のそれだった。
「ふう」
お腹も満たし一息吐くとさっそく開店準備に向かう。
といっても軽食の仕込みや豆挽き、釣り銭の用意などは朝に母さんが済ませてくれているので僕の仕事は掃除と届いた業務用の食材、ソフトドリンクなどを運び込むぐらいのものだ。
たっぷり十五分ほど掛かってモップで床を拭き取りテーブル、カウンター、窓を水拭きしたところで丁度開店時間である十時を迎える。
ドアの外に掛かっている札を『CLOSE』から『OPEN』にクルッと回すと開店準備は完了だ!
「…………」
なんて気合いを入れてみても昨日と変わる要素なんてあるはずもなく、いつも開店してすぐに来る常連のおじさん達を三人ほど見送るといつものように読書に耽るしかないのだった。
……。
…………。
………………。
「ズズズ」
読書が一段落したところでコーヒーカップに手を伸ばす。
今日は面白くもない本を読む時間がいつもより余分に取れたようだ。時計に目をやると十二時を少し回っている。
「コウヘイ」
「ん?」
呼ばれて顔を上げると、ちょうどセミリアさんが降りてきて家屋部から店に入ってくるところだった。
鎧は着けておらず腰に付けていた剣も持っていない。そして表情を見ても疲弊しているのが傍目に分かる昨日のそれとは大違いだった。
「セミリアさん、おはようございます。ご飯用意してあるの分かりましたか?」
「ああ、頂いた。何から何まで世話になってすまないな。恩に着る」
「お礼なら母さんに言って下さい。僕は何もしてませんから」
「うむ、目を覚まされたら改めて礼を言っておくとしよう。だが私にとってはコウヘイにも礼を言うに足りるのだけの恩があることに変わりはない。手を差し伸べてくれた恩がな」
「大袈裟ですよ。僕は大したことはしてませんし、必ずしも親切心で動いたわけでもありませんから」
正直に言って困っている人云々よりも断り切れなかったという理由の方が大きいぐらいだ。
それでもセミリアさんはわずかに相好を崩し、
「どんな理由でも構わないさ。親切であれ同情であれ利を省みずに行動出来ることは素晴らしいことだ。私の周りには最早そんな心を持った人間はほとんどいない。ただ自分と最も身近な人間が生き残る為にはどうすればいいか、それだけだ……」
謝意を述べる爽やかな笑顔は一転、すぐに悲痛な表情へと変わってしまった。
そういうのはちゃんと着替えてからにすればいいのに……母さんが用意した部屋着姿で言われても無理して合わせているこっちのテンションがいよいよ追い付かないよ。
「…………」
とはいえ困った。
こんな風に女性に泣かれたり悲しそうにされてたらどうすればいいのか分からない。取り敢えず話を合わせてでも慰めるべきだろうか……。
「だ、大丈夫ですよきっと。セミリアさんが世界を救うんでしょう? 落ち込んでいても始まらないですよ、頑張りましょう」
「そうだな。その為にこの世界に来たのだ。私はなんとしてでも世界を救う。少し後ろ向きになってしまっていたな」
どうやらうまくいったようだ。
セミリアさんは表情を和らげると再び僕にありがとう、と頭を下げる。
その後、無人の店内でセミリアさんから色々な話を聞いた。
どれだけの人間が苦しめられているか、とか。
その苦しみから解放することが自分の使命だ、とか。
セミリアさんの言うセミリアさんの世界の話をただ黙って聞いていた。
その目は真っ直ぐで、心は直向きで、たとえ作り話でも聞き入ってしまうほど真剣で、コスプレをしていないセミリアさんは僕と同年代の綺麗な髪と顔をした女の子のはずなのにとてもそうは思わせなくて。
ただ話を聞いているだけでセミリアさんの趣味のことが分からなくてもその人となりが少し分かった気がした。
そして同時にコスプレイヤーじゃなくて電波さんなのではないか、という疑問も生まれた。
「そろそろ時間ですね」
時計を見ると張り紙に記載した午後一時まであと十分といったところ。
その間何人かのお客さんが来たが、接客中はセミリアさんも気を遣って大人しくしていた。
「一人ぐらいは来てくれるだろうか……」
また店内から人が消えると、カウンター席からテーブルに移動したセミリアさんは少し心配そうな顔で言った。
十分とはどのぐらいだ? 一時とはいつだ? と食い気味に聞かれても説明が難しいわけだけど、そういう空気は読んでくれないのだろうか。
「こればっかりは巡り合わせなのではなんとも言えないですね」
来てくれるどころかあの紙を誰かが見てくれる可能性すら皆無であることが分かっていながらそれを口に出来ない。
それを言ってしまうとまたセミリアさんが傷つくのではないかと思ったからだ。
当然それはいざ一時を迎えてしまえば結局同じことで、単に分かっている結論を先送りにし自分が悪者になるのを恐れるがための黙秘でしかなかった。
自らが蒔いた種とはいえどうしてたって居たたまれない気持ちにはなる。一時にならないでくれと時計に祈ってしまうほどに。
「…………」
「…………」
そこからの数分間は二人揃って無言で刻々と迫る時計をただ見つめていた。
そしてそれは秒針が十二を通過し、残り三分を切ったことを示した瞬間のことだった。
カランカラン
何にかも、何をかも分からない状態で祈る気持ちを静寂の言い訳にしながら過ごす空間を、不意にドアの開く音が破った。
思わず立ち上がろうとするセミリアさんを慌てて手で制する。
「セミリアさん、違います。お客さんですよ」
期待の眼差しをガッカリした様な顔へ変え、セミリアさんは上がり掛けた腰を下ろした。
こんなタイミングで入ってこられたら勘違いしても仕方がない。
とはいえ入ってきた客はギターケースを背負った大学生ぐらいの金髪の女性だ。
到底そんな理由ではないだろう。
いや、容姿や年齢は関係ない。元々そんな理由で集まる人間などいないのだ。
「いらっしゃいませ。お席にどうぞ」
僕はすぐに立ち上がり女性に対応する。勿論この店の従業員として。
しかしその女性客は、あるはずのなかった発言をした。
「えっと、そこの張り紙見て来たんだけど」
「………………は?」
「そこの掲示板に一時にここに来いって書いてたのを見たんだけど、やっぱあれっていたずらなわけ?」
「え、あ、いや……本当に……あれを見て来たんですか?」
「そうよ。魔王がどうとか書いてやつだけど」
「そんな馬鹿な……」
「何よ、やっぱりいたずらなの? だったら帰るけど」
「いえいえいえ、いたずらじゃないです! と、とりあえず奥にどうぞ」
焦り、戸惑いながらもすぐに席へと案内する。
そんな僕を見たセミリアさんは何かあったのか? という目で見上げた。
「コウヘイ?」
「セミリアさん、この人あの紙を見て来たって……」
「本当か!」
「えっとこの人があの紙に書いてあった募集主のセミリアさんです」
兎にも角にも状況を理解していなさそうな金髪の女性に勢いよく立ち上がるセミリアさんを紹介してみる。
相も変わらず意味はさっぱり分からないが、二人して一気にテンションが上がっていた。
「私の名はセミリア・クルイード。勇者をやっている。よく来てくれた、礼を言う」
「うわー銀髪じゃん。超イカス!!」
女性は引いてしまうでもなく驚くでもツッコむでもなく、セミリアさんが差し出した手を握りがっちりと握手を交わしている。
幸か不幸か、そして夢なのか現実なのか。
心のどこかで望み、頭のどこかで否定していた待望の人材との面談が始まろうとしていた。
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