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【第二十一話】 鮮血に染まるマリア

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 ヒュービー村から帰った俺達は言葉少なに風蓮荘戻ると脱力しながら各々の部屋へと戻った。
 ここ数日の驚きなんて全部ぶっ飛ぶぐらいの衝撃体験だったと、断言してもいい。
 村長さんに頭を下げた時もそう意外そうな反応をされることもなく、無事でよかったとだけ言ってくれた。
 それほどに幽霊騒動というのが危険でリアルな出来事であったということだ。その辺りを俺が舐めて掛かったことが全ての原因だったのだろう。
 リリにはほんとに悪いことをした。
 そりゃ働けってのはまっこと正論に他ならないけど、半ば強引に連れ出した結果があれではさすがにこれ以上偉そうなことは言えない。
 怖い思いをさせた、それが今回の一件の全てだ。
 嫌われちゃったかな。
 という別の心配もあったりしたんだけど、帰りの様子を見るとそうでもないらしく、馬車の中ではむしろ積極的に自分から手を繋いできたりした。
 いや、別に恋愛的な意味ではなく少しでも恐怖感を拭うためというか心を落ち着ける意味に他ならないのだろうけど、何はともあれ一安心だ。俺も相当ビビってたしな。
 帰り着いた頃には太陽も沈みつつある夕焼けが眩しい時刻になっていて、正直もう何もしたくないというかこのまま眠ってしまいぐらいに疲労困憊なのだが腐っても管理人である俺はそういうわけにはいかない。
 というか、買い物に行かないと飯がない。
 面倒臭がってどうにかなる問題でもないので少しの休憩を挟み、重い足取りで一人カルネッタに向かう哀れな俺。 
 そして帰りに王都とかで済ましておけば全部解決してたのに全然気付いていなかった残念な俺。
 何もかも自業自得だぜひゃっはー!
 と、無理矢理テンションを上げつつ頑張って買い物してきましたよ。
 毎日掃除して洗濯して買い物行ってということがこれほど大変だったとは、もう母ちゃんすげぇと叫びたくて仕方がない。
 育ててもらった恩に対して感謝の思いを込めたメールでも送らんばかりの勢いである。電波無いけど。
 ちなみに、マリアとの約束もそうだが、リリに詫びの意味も込めて鏡の晩飯は何とか牛のステーキ肉を買った。
 なんと一枚1100ディール。この世界の物価からすると結構な額だ。
 朝のお礼(勿論おっぱいに対する)がてらマリアを喜ばせてやろうと二階に上がり部屋を訪ねてみたのだが、今日からの二人の決め事? 通りノック無しに扉を開けてみるもそこに部屋の主の姿は無い。
「あ、あの引き籠もりが部屋に居ないだと!?」
 そんな馬鹿なことがあるわけがない。トイレとかシャワーとか、そんなんだろ。
 シャワーだったらいいなぁなんて邪心に塗れつつマリアの部屋を出ると、同じタイミングで隣の部屋の扉が開いた。
 誰かと思って立ち止まると姿を現わしたのはソフィーだ。
 そりゃソフィーの部屋なんだから大体そうなんだろうけど、狼や鳥も含め唯一他にも住人が存在する部屋だけに断定は出来ない。
 ソフィーは俺に気付くといつ見ても変わらないふんわりとした雰囲気の表情で寄ってくるとのほほんとした口調で声を掛けてくる。
「あら~、どうしたんですか悠ちゃん」
「用事って程のもんでもないんだけど、ちょっとマリアに晩飯の話でもしてやろうかと思ってさ。でも居ないみたいなんだ、どこ行ったか知らない?」
「マリリンならお昼過ぎに仕事に行くって言って出て行きましたよ~?」
「え……あいつが!? あの引き籠もりが仕事!?」
 立派になって……お母さん嬉しいわ。
 いや待て。でもあいつって自称殺し屋だったよな……一体どういう仕事なんだろうか、すげぇ不安だ。
 帰って来たらその辺ちょっと聞いてみよう。深く考えたくないことをスルーする癖が付いてしまうとその内大変なことになる気がする。
「ま、何にせよ仕事に行ったなら労いにもなるか」
「はい~?」
「ああいや、こっちの話。ソフィーも晩飯食うだろ? 人数分買って来てるしさ」
「いいんですか~? 是非是非いただきます~、悠ちゃんのご飯は美味しいですからね~」
「手の込んだモンは作れねえけどな。一応ジュラとかルセリアちゃんにも声掛けておいてくれよ」
「重ね重ねありがとうございます~」
 癒し効果抜群の笑顔に心の傷も少しばかり和らいだ気がする今日この頃。
 そんなこんなでソフィーと少し話をして一階に戻った俺は干しっぱなしの洗濯物を取り込み、完全に日が暮れた頃に晩飯の用意を開始することに。
 玄関の開く音にその手が止まったのは、パサパサの日本で食う物ほど美味しくはない米を釜で炊き、たまたま残っていた野菜を茹でてサラダにでもしてくれようかと考えていた時だった。
 外出しているのはレオナとマリアしかいない。
 ここ数日レオナがこんなに早く帰ってきたことはないので恐らくマリアだろう。
 その確認と、諸々の話をするために俺はすぐに玄関に向かってみる。
 そこにいたのは確かにマリアだったが、その姿を目にした瞬間に無事を喜びたい気持ちは消えて失せていた。
 それもそのはず、いつもと変わらないぬぼ~っとした表情で俺を見るマリアは服も体も真っ赤に染まっているのだ。それはもう、全身血塗れと表現するしかないぐらいに。
「マリア!」
 慌てて駆け寄る。
 髑髏の幽霊を見た時の何倍も精神的に衝撃を受けていた。
「お、お前……何やってたんだよ、血塗れじゃないか」
「……悠希、お腹空いた」
「空腹なんて気にしてる場合か! どっか怪我したのか? 痛いところはどこだ? 病院行くか?」
「……びょーいん?」
「ああ、伝わらねえのがもどかしいっ! じゃなくて、とにかく怪我を治療しないと」
 格好悪くも取り乱しまくりの俺だったが、悲しきかなマリアの表情や口調には何ら変化がない。
 なにゆえこの焦る気持ちが一方的なものなのか。
「怪我……してない」
「ほんとか? 我慢してないか? 触って確認するぞ?」
「ん」
 こくりと頷くので宣言通りペタペタと体に触れていく。
 主に出血箇所を見つけなければという目的だったのだが、ついでに胸も触っておくことも忘れない。
 相変わらずマリアはノーリアクションだったけど……だからガード緩すぎだろ。
 とはいえ腕も足も露わになっている腹や背中にも血が出るような傷を負っている様子はない。
 というか、普段の部屋着ではなく随分格好いい服装をしていることに今更気が付いた。
 スネの辺りまである赤いブーツに股下辺りまである黒いソックスを履き、下半身には白いミニスカートを、上半身には黒いチョリ? という名前だったか、踊り子が着ているような胴体は胸元を隠すぐらいの面積しかないのにえらくぶかぶかの長い袖がある格好良いデザインの服を着ている。
 そして、背中にはつい最近部屋で見たばかりの身長と同じぐらいの長さがある馬鹿デカイ剣を背負っていた。
 その格好を見て改めて、本当に何かしらの仕事に行っていたことを理解する。
「ほんとに怪我はないんだな? 嘘を吐いてやせ我慢してたら怒るぞ?」
「嘘ちがう……怪我、してない」
「だったらお前、この血は何なんだよ」
「……巨人の血」
「きょ、巨人? ジャイアンツ?」
「仕事……巨人の捕獲」
「巨人の捕獲…………って、それ斡旋所で言ってたやつじゃねえの!? あれお前が引き受けたの!?」
「依頼きた……仕事、した。マリア、平気」
 マジかよ……マリアさん半端ねえ! つーか巨人を無傷で捕まえるとか何者だよこいつ!
 驚きもあるというか、驚きしかないけど何はともあれ今は無事を喜ぼう。
「ったく、心配かけんなよー。びっくりするだろ」
「悠希……心配?」
「そりゃ心配にもなるっての、血塗れで帰ってきたらさ。あんま危ないことしちゃ駄目だぞ?」
「巨人ぐらいなら、危なくない」
「巨人ぐらいってお前……ま、まあ今はそれはいいや。とにかく、着替えてきな。というかシャワー浴びてきなさい。その間にご飯作っといてやっから。今日はご馳走だぞー」
「ん……入る」
 短く答え、マリアは靴を脱ぎスタスタとキッチン奥にある浴室へと向かっていく。
 本当に微妙~な違いだけど、ご馳走という言葉でほんの少し嬉しそうな顔に変わったのは勘違いではあるまい。
 基本的に表情も声色も一定に思えるが、こうして向き合ってみるとそんな中にも僅かな変化があるらしいことがようやく分かってきた今日この頃だった。

          ☆

 マリアが汗というか、血を洗い流している間に飯も完成した。
 高級と呼べる品なのかどうかはよく分からんけど、普段の生活でも精々ファミレスのステーキぐらいしか食べたことのない俺にとってもなかなかの贅沢と言ってもいいディナーだ。
 食卓には真っ先に座ったマリアと、呼んできたリリ、ソフィーに加えて今日はジュラもいて、備え付けの椅子は四つしかないので俺は予備の小さな椅子を出してきて(あったのかよ)それに座っている。

「そこまで言うなら一度ぐらい食べてやってもいい」

 とかなんとか、謎の上から目線全開のジュラの態度は若干解せないが、今日も今日とて賑やかな食卓である。
 ちなみに、やはりルセリアちゃんは遠慮して来なかった。遠慮というか、そもそも人が多い場所が好きではないそうなので無理に呼ぶのも躊躇われる。
 テーブルに並ぶのはステーキにライス、そして温野菜という名の手抜きサラダである。
 ステーキはそれぞれに一枚ずつ、マリアだけ三枚だ。
「こんなお肉いつぶりかしら~」
「美味しいですね~」
 ソフィーとリリも頬を押さえ、表情を緩めている。
 対照的にジュラは意外と上手にナイフとフォークを使い、黙って食べていた。
 見た目ボンバーヘッドの姉ちゃんだからうっかり忘れそうになるがこのジュラ、実際には蛇女だかいう種類の魔物と呼ばれる生物なのだ。
「マリアに感謝しとけよ~。今のうちの食卓はマリアに支えられていると言っても過言ではないからな」
「マリリン、悠ちゃん、ありがと~」
「マリアさんと悠希さんには頭が上がりませんです」
 言うと、二人はマリアだけではなく俺に対する謝意を口にした。
 俺も昨日今日とマリアの奢りで飯を食っているので偉そうなことはいえないが、お礼を言われて悪い気はしない。
 というか、やっぱりリリが怒っていなさそうなことに何よりも安堵してしまう。
 勿論マリアはそんな感謝の言葉にも一度こくりと頷くだけで黙々と食べ続けている。
 米ももう五杯目だからね。ほんとよく食べる奴だ。
 考えてみりゃテレビに出てくる大食いタレントとかも太ってる人ってあんまいないよな。なんか俺達と体の造りが違うのか? マリアもスタイル抜群だしさ。
「ただいま~」
 食事の時間も終わりに近付いてきた頃、聞き慣れたそんな声が建物内に響いた。
 レオナのお帰りである。
 一足先に食べ終えたジュラはさっさと部屋に戻ってしまったので今現在ダイニングテーブルに向かい合っているのは四人だ。
「ちょっとちょっと、またあたしの居ない間にご馳走食べてっ。悠希、あたしもご飯!」
 いつにも増して露出の多い最高な服装のレオナは姿を現わすなり拗ねたように言って、その視線をテーブルから俺へと移動させる。
 何度も言ったけど、さも俺が働くのが当たり前だと思っていそうな態度にイラっとしたので少し意地悪をしてやることにしよう。
「ああ、すまん。ジュラにもご馳走したらお前の分なくなっちゃったわ。米だけでいい?」
「ええぇぇ!? そんなぁ……」
 レオナはあからさまに落胆し、口を尖らせる。
 いちいち可愛い過ぎるだろ。サディスティック精神を擽りすぎだ。
「冗談だよ、すぐに焼いてやっから座って待ってろ」
「もう、意地悪すんじゃないわよ変態!」
「そうか、いらないんだな」
「あ~、嘘嘘っ。いやー、ほんと良い奴よね悠希って」
「違うだろ? ありがとう愛してる、だろ?」
「はいはい、愛してる愛してる。いいからさっさと焼け馬鹿」
 どこか腑に落ちない感じもするが、今日のところは許してやるか。
 なんだか色々あった一日だったけど、こうして皆で賑やかに飯を食って終われるならそれでいいのかな。
 そんなことを思った食事の時間だった。
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